社青同解放派の「共産主義」論批判
 
 本論文は一九六六年秋に発表された。社青同解放派の社民的本質を鋭く批判したもので、わが同盟の解放派批判の原型をつくった論文である。なお、発表時の署名は梶山史雄。
 
 
はしがき
A 資本制社会特有の歴史的形態規定とはなにか――解放派の「私有財産社会」の「発展=完成」としての「資本制社会」論批判――
   (a)労働=生産論の欠落/(b)私有財産の主体的契機/(c)私有財産と社会/(d)労働力の商品化の意義
B 共産主義の現実的条件はなにか――解放派の「プロレタリアートの反逆の感性活動」論批判――
    (a)資本の永遠的存在を前提にした「反逆活動」/(b)革命的左翼と反スターリン主義
 
 
 はしがき
 
 今年の二月、解放派学生委員会理論部の署名で「日本左翼史の一、日本左翼思想史と学生運動の総路線」(『解放』第五号)という論文が発表された。内容は、基本的には日本における革命的左翼の思想と運動、それを基礎とする学生運動にかんする得手勝手な「解説」であって、苦笑の一語につきるものである。無知だけがこの「解説」の成立を支えているといえよう。その責任の一半は、日本における革命的左翼の思想と運動の歴史にかんする総括が部分的にしかなされていないところにあるので、別の形態で他の同志がかたをつけてくれるだろう。
 ところで、この論文のはじめの部分に「支配階級の思想とは何か」「中間主義とは何か」「共産主義とは何か」という論文がのっている。およそ低水準な理論内容で、中学生の作文集ならいざ知らず、マルクスやレーニンの労作を読んだことのあるものなら、およそ人前に出せるものではない。「酒場のダジャレ」としてなら、発想の卓抜さで人を驚かすのもいいが、こと革命の理論にかんしては、思いつきが通用する余地はない。当然、解放派内部で訂正=廃棄されると思っていたが、多くの諸君にとって「綱領的文書」として通用しているらしい。
 早大闘争をともにたたかうものとしてがまんできないので、訂正と反省の一助として若干の問題提起をここにおこなう。意のあるところをくんで欲しい。マルクス主義理論をともにふかめる方向で検討すべきことはもちろんである。
 
 A 資本制社会特有の歴史的形態規定とはなにか
     解放派の「私有財産社会」の「発展=完成」としての「資本制社会論」批判
 
 「ブルジョア社会とは、私有財産社会のもっとも発展した社会、その完成した社会である」
 くりかえし登場するこの短い文章のなかに、ブルジョア社会=資本制社会にかんする解放派の無知がもっとも発展した形態で完全に表現されている。それは、共産主義にかんする解放派の無知、すなわち、解放の現実的条件にかんする解放派の自己喪失の理論的前提である。解放派は、このような自己喪失の前提から自己を解放することに「革命的感性」をかけねばならない。
 
 (a) 労働=生産論の欠落
 
 周知のように、資本制社会は、私有財産と分業を基礎にした資本家的商品生産を特有の歴史的形態規定とする社会である。すなわち、人間社会の本質としての人間生活の社会的生産が商品形態をとって貫徹されるところに、資本制社会が人間社会史においてもつ歴史的特殊性が存在する。資本制社会は、生産と所有の資本制的分離にもとづく労働力の商品化を根底的矛盾としている。そして、このような社会的生産の資本制的疎外形態の成立は、先行的社会における「労働と物的諸前提との自然的一体」性の解体、すなわち「土地および生産条件からの労働者の分離」を歴史的前提条件としている。
 ところが、わが解放派にあっては、資本制社会は解放派の頭脳において思弁的に構成された「私有財産社会」なるものの「発展=完成」として把握されている。もともと資本制社会は、私有財産および分業の直接的な「発展=完成発」として成立するものではなく、いわんや「私有財産」なぞという絶対理念の「発展=完成」として実現するものではない。このような解放派の観念的誤謬は、資本制社会に特有な歴史的形態規定はなにかという問題意識そのものの欠落から必然化することはもちろんだが、さらにその根底には、労働=生産論を基礎として資本制社会の歴史的特殊性をあきらかにするというマルクス的=プロレタリア的方法論の完全な欠如がよこたわっているといえよう。解放派の新「理論」家は、おそらくマルクスの『経済学・哲学草稿』および『ドイツ・イデオロギー』を典拠として、この新公式を思弁的に構成したのであろうが、マルクスの唯物史観の始元を構築したこの二大労作から「私有財産」「類的存在」「疎外」といったことばだけしか学びえず、その核心的内容をなす「労働=生産論」をつかみだしえなかったということは、あまりの不幸というほかなかろう。
 では、解放派の「私有財産社会史観」にかんして具体的に検討するとしよう。
  「『原始共産制社会』において無媒介的に成立していた『類社会』が、生産力の発展のなかで『個人』を生みだし(疎外し)、この『個人』は類的な労働対象である『自然』にたいする私有と、また類的な意味における自然と人間との関係の外在化したもの(対象化したもの)としての 労働手段を私有することを基礎として成立していった。いわゆる階級社会の成立である。……」  「このような私有財産社会、階級社会はしかしながら、生産力の未発達のなかでのこの私有財産=分業のそれ自体の『特殊』としての関り合いしかもたなかった。それにともなって、私有財産的人間存在それ自体も人格的には、自由なる人格としては存在せず、相互に特殊な人格として関係をもち、社会を構成していた」「これにたいしてブルジョア社会は、生産力の発展のなかで、この私有財産=分業それ自体の一般化、普編化を生みだし、それにともない、人格も『何物にもとらわれない自由なる人格』として成立していった。しかし同時にそれは『疎外の完成』でもあった。すなわち質的にも普遍的に存在するようになった」以上が資本制社会に先行する「私有財産社会」なるものと、その「発展」=「完成」としての資本制社会にかんする解放派の理論内容である。
 
 (b) 私有財産の主体的契機
 
 まず第一の問題点は、解放派が「私有財産」とか「私有財産社会」とかいう規定を異常なほどに多用しているにもかかわらず、私有財産とはなにかという問題についてまったく即自的にしか理解していないという点である。
 もちろん、この新論文のなかでも「類的な労働対象である『自然』にたいする私有、また類的な意味における自然と人間の関係の外在化したもの(対象化したもの)としての労働手段の私有」という規定がいくたびとなく登場してくる。だが、これでは私有財産の本質をただ「自然と労働手段の私有」という結果論的事実(いな事実とも異なる!)に帰着させるだけで、私有財産を「主体的存在本質」においてとらえることはできない。私有財産とは、本質的に「自然の私有」や「自然と人間外在したものとしての労働手段の私有」を意味するものではなく、生産と所有の分裂を根拠とする人間生活の社会的生産の自己疎外、「自然や自分自身にたいする労働者の外的関係の、すなわち外在化された労働の必然的帰結、成果、生産物」である。
 若きマルクスは、「私有財産を人間にたいしてもっぱら対象的にのみ存する本質的存在」とみなしている重金主義や重商主義の信奉者たちにたいして、「労働を富の唯一の本質」とみなす古典経済学(スミス・リカード)を学問的跳躍台として「私有財産の主体的本質存在、いいかえれば向自的に存在する活動としての私有財産、主体としての、人格としての私有財産」は「労働」である、と」把握した。かくて若きマルクスは、「私有財産という事実から出発する」にもかかわらず、「労働者が商品に、しかももっともみじめな商品になりさがっていること、労働者のみじめさが彼の生産活動の力強さに反比例していること」を解明しえない古典経済学にたいして、「疎外された労働」論として、また、「財産を排除するものとしての私有財産の主体的本質存在たる労働」と「労働を排除するものとしての客体的労働たる資本」との「発達せる矛盾関係としての私有財産」論として、近代ブルジョア社会の解剖学の核心を形成した(『経済学・哲学草稿』を見よ!)。【なお後者の「私有財産」論は『資本論』として、前者の「疎外された労働」論は『直接的生産過程の諸結果』、『資本論』第一巻の「資本の生産過程」論として発展するが、ここでは指摘にとどめることにする。】
 解放派の新「理論」家が、重金主義や重商主義の信奉者たちと同様に「私有財産」を肯定的に理解しているなぞとは、もちろん、われわれは冗談にも考えていない。だが、私有財産をただただ憎悪の対象として、社会悪の絶対理念として把握する小ブル的心情に足をすくわれて、私有財産を「労働」という主体的契機において場所的=歴史的に把握することができないでいるかぎり、けっして「私有財産」を止揚することはできない、ということを問題にしていることは正真正銘の事実である。あとに見るように、資本制社会に特有な歴史的形態規定として「私有財産=分業それ自体の一般化、普編化」=疎外の完成」という結果論的、静態学的規定しかくりかえすことができないのは、学問的低水準という理論以前的問題の結果であることは論外として、本質論的には「私有財産」を労働=生産論を基礎として把握することのできない必然的結果であるといえよう。
 
 (c) 私有財産と社会
 
 第二の問題点は、解放派が「私有財産社会」なるものの「発展=完成」として資本制社会を解明しようとしていることからも明白なように、私有財産と社会史との関係についてまったく混乱した理解しかもっていないということである。たとえば、解放派のこの新「理論」家は、「個人」の発生と「私有」の成立を単純に対応させ、階級社会の成立の根拠としている(「類社会→生産力の発展→個人の発生」「自然の私有と労働手段の私有を基礎とする個人の成立」→「階級社会の成立」という具合に!)。だが、ここでは「生産力の発展」という事実を除外して、なぜ私有財産が成立するのか、なぜ階級社会が成立するのかという点にかんして、なんの反省もおこなわれていない。
 さて、「分配は生産物の分配であるまえに、一、生産用具の分配であり、二、同じ関係のよりすすんだ規定なのだが、種々の種類の生産への社会成員の分配(一定の生産関係のもとへの諸個人の包摂)である」とはマルクス『経済学批判序説』の有名な公式であるが、まさに分配関係は生産関係の従属的規定であり、その裏面としてのみあらわれるといえよう。だが、生産と消費との本質的な媒介契機としての分配が、歴史的に社会的分業の出現に照応する「生産と所有の分裂」を本質的根拠として、生産様式を逆規定する社会法則(現実には相互作用の有機的関連において現象する)としてあらわれるようになる。私有財産は、このような社会的分業の出現ととも生ずるる不平等な労働=労働生産物の分配として成立する。分業と私有財産は表裏の関係にあり、後者は前者の活動の結果が生産物として表現されているにすぎない。
 以上が私有財産=分業にかんするかんたんなマルクス的理解だが、これだけでも解放派が思弁しているように、すなわち「生産力の発展の中で」「個人」が生まれたり、「自然と労働手段の私有を基礎として」個人が生まれたりして、その結果として「階級社会の成立」を見る、というように社会史を把握することが完全な誤謬であることは明白であると思う。もし解放派が、「個人」と「私有」との結合した社会が資本制社会の以前に歴史的に存在しうると考えているとすれば、古典経済学(勃興期ブルジョアジーの経済学)の仮定した「原初の社会」とか、「初期未開の社会」とかいった「独立小商品生産者から構成される社会」(ロビンソン物語の世界)を空想しているのだといえよう。
 また解放派の新「理論」家は、私的所有の成立と、生産者と物的生産条件との分離を直接に同一のものであるかのように考えているが、先行的社会では「占有者」であるか、「私的所有者」であるかにかかわらず、生産的労働者は「労働とその物的前提条件との自然的一体」性をもっていた(マルクス『資本制生産に先行する諸形態』参照)。
 もちろん、アジア的な種族所有形態から古代的な都市共同体所有・国家所有形態への歴史的な形態転化のなかで「共同体所有とならんですでに動産私有、そしてのちには不動産私有が発展」したが、しかしそれは「共同体所有に従属した変則的な形態」としてであり、けっして社会の支配的な形態となることができなかった。中世的な封建的所有・身分的所有でも、労働の疎外形態は奴隷制から農奴制に形態転化したが、私有と共同体所有の関係は基本的に変化しなかったといえよう。
〔注〕 古代的な国家公民と中世的な領主=家臣団は、ともに生産階級としての奴隷と農奴に対抗する支配的連合勢力として共同体を編成した。生産条件の相異にもとづく「生産者との関係」=「連合の形態」の相異を基礎としながらも、古代的および中世的共同体所有は、生産階級にたいする共同の私有財産としての意義をもつものとして形成された。中世では、都市にギルド的所有=手工業の封建的所有が生まれたが、それは土地所有の封建的編成に対応するものであった。だが動産私有および不動産私有は、あくまで「共同体所有に従属的な変則的な形態」であった。動産私有および不動産所有の発展は、したがって、古代的・中世的社会の解体を意味した(マルクス『ドイツ・イデオロギー』参照)。
 奴隷制および農奴制は、種属的な共同体所有の発展として形成される。奴隷および農奴は、社会的生産の基本的担い手であるが、その発展のうちでは客体的生産条件の有機的付属物として各共同体所有のうちに包摂される。そのかぎりにおいて、「労働と物的生産条件の一体」性は再編成されるにすぎない。とくに中世的所有形態にあっては、領主=家臣団の農奴的小農への関係は、強権を基礎とする経済外的強制として、土地支配=土地の有機的付属物としての農奴支配としてあらわれたが、農奴的小農を基礎とする農村共同体の内部では、生産者は土地の一定の占有的関係を形成していた。だからこそ、つぎにのべるように資本制社会は、「土地および生産条件の所有(隷属的形態におけるものにせよ)からの労働者の分離」過程を歴史的前程としたのである(エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』参照)。
 
 (d) 労働力の商品化の意義
 
 第三の問題点は、解放派が資本制社会に特有な歴史的な形態規定はなにか、もっとかんたんにいえば資本主義の特徴はなにか、という問題にかんして、まったくあやふやな理解しかもちあわせていないことである。たしかに、解放派のこの新「理論」家は、先行する「私有財産社会」なるものの「発展=完成」として「私有財産=分業それ自体の一般化・普遍化」「相互の自由な交通形態」「何物にもとらわれぬ自由な人格」の成立をあげ、ブルジョア社会の構造として「自然」と「労働手段の体系(資本)」の二つを「私有することにより類から完全に疎外されたアトム的諸個人の全体としての人間」を指摘している。だが、いったいこれがブルジョア社会とはなにかという問にたいする答えになるのだろうか。
 私有財産=分業の一般化、自由な交通形態、自由な人格――だが、それは社会的生産のいかなる形態をもって可能なのか。自然と労働手段の体系の私有、疎外されたアトム的諸個人――だが、それは賃労働と資本という資本関係、ブルジョアジーとプロレタリアートという階級関係とどういう関連にあるのか。どこにもその解答を見いだすことができない。それどころか、ブルジョア社会の歴史的特殊性の解明にあてられたはずのこの節に、商品と貨幣、労働と価値、賃労働と資本、剰余価値と利潤といった決定的な範疇がどれひとつとしてでてこない。エッセイならいざ知らず、「科学的」共産主義者をもって任ずる解放派がこんなことでいいのだろうか。幸いなるかな、資本は二度ほど登場する。――(a)労働手段の資本としての世界的体系(疎外された類、物化された類の世界的存在)、(b)労働手段の体系(資本)、という表現で。だが、それは解放派の資本制社会にたいする無知をますます動かしがたいものにするだけであろう。【まず第一に、資本は労働手段の体系ではない。資本は労働の蓄積=価値であり、生きた労働を吸血する死んだ労働=価値増殖する価値である。資本の定在として生産手段が理解しやすいことから資本を生産手段と等置する誤解が生ずるが、それでは労働力の商品化を基礎とする「資本のもとへの労働の包摂」の矛盾を把握しえない。資本は商品、貨幣の姿をとってはすてて変態する価値の運動体である。第二に、疎外された類、物化された類の世界的存在は、直接に資本を意味するものではない。人間は対象的世界を実践的に産出すること、非有機的自然を改作することではじめて、現実的に人間が意識的な類的本質存在であることを確証する。疎外された労働は、人間から労働の対象を奪いさり、類的生活を奪いさり、かくして、人間の類的本質存在はかれらに疎遠な本質存在に、かれの個人的現存の手段に変質する。このような疎外された類の世界的存在とは、「使用価値の源泉」でありながら資本の「価値の源泉」としてのみ生存しうるプロレタリアートであって、断じて資本ではない。資本は、この意味において、外在化された労働の生産物であり、労働を外在化させる媒介、この外在化実現である。】
 さて、まえにも指摘したとおり、ブルジョアジーとプロレタリアートの二大陣営の階級対立として発展する資本制社会は、生産と所有の資本制的分離にもとづく労働力の商品化を根底的矛盾としている。資本家的商品経済は、ただたんに生産物を商品として交換するだけのものではない。社会的に必要な生活資料を生産手段とともに商品として生産すること、しかも、その生産過程が労働力の商品化を基礎とする商品形態、すなわち完全に物化された形態をもっておこなわれるところに、資本制社会の特有の歴史的形態規定がある。「疎外された労働」のこの資本制的形態を把握せずに「疎外の完成」とか、「疎外からの回復」とかを無媒介的にわめきちらすことは、マルクスの学問的苦闘をふみにじり、共産主義運動をバブーフの段階におしもどそうとする反動的努力というほかはない。
 もともと歴史的社会の基本的性格は、人間生活の本質としての社会的生産の歴史的に特殊な形態として把握されるべきものであり、資本制社会にいたる先行的社会にたいしてこのような概念的把握を適用したものとして、アジア的、奴隷制的、農奴制的社会という歴史的社会の継起的発展過程があきらかとなる。だが、それはあくまで資本制社会の下向分析=上向展開を基礎としたものであって、その逆ではない。解放派のように無媒介的に「私有財産社会」なるものを思弁して、その「発展=完成」として資本制社会を想定するということは、資本制社会に特有の歴史的形態規定(その核心としての労働力の商品化)にかんして解放派がいかに浅薄な問題意識しかもちあわせていないかということを、鋭く暴露するいがいのなにものでもない。資本制的な賃労働を強制されているプロレタリアートの苦悩に立脚して資本制社会の歴史的特殊性をあきらかにするというマルクス的=プロレタリア的方法の欠落が、このような誤謬として集中的に表現されたものといえよう。まさにここに決定的に暴露されたところのものは、資本制的疎外労働としての賃労働(労働力の商品化)こそ資本制社会の基底的規定性であることにたいするプロレタリア的反省の欠如である。
 「プロレタリアートの反逆の感性活動」も、このような無自覚、無理論のうえでは、永遠に社民運動の紐帯から自己解放を実現することはできないであろう。
 
′B 共産主義の現実的条件はなにか
     解放派の「プロレタリアートの反逆の感性活動」論批判
 
 「共産主義とは、いうまでもなく資本制生産関係に包摂されているプロレタリアートの反逆活動である。この意味において思想である」
 この簡潔な表現のなかに、解放派のいだいている「共産主義」の社民的本質がもっともあざやかにうつしだされている。安保闘争の翌六一年春、解放派の綱領的文書において労農派マルクス主義を「世界における最高の科学的社会主義」と評価し、ここから「共産主義をとりだす」と宣言したが、五年たったこんにち、われわれはいかなる「共産主義」が誕生したか、ここに検討する機会をえたわけである。もちろん、すでに労農派マルクス主義の現実形態としての協会(社会主義協会)とのあいだに熾烈な分派闘争を遂行している解放派にとって、いまだに「労農派マルクス主義が世界最高の科学的社会主義」であるはずもなかろう。だが、ここでは、協会=労農派の対立者としての解放派が協会派にたいするただたんなる対立者にとどまらず、日本的社民の問題性を、すなわち労農派マルクス主義と社民運動との対立的同一性を、自己の問題としてどこまで理論的にも組織論的にもほりさげえたのかが問題となることはいうまでもない。
 
 (a) 資本の永遠的存在を前提にした「反逆活動」
 
 まず第一の問題点は、解放派が共産主義の歴史的成立根拠とその人間社会史的意義を完全に混同し、その結果として共産主義を賃労働と資本の対立を永遠の前提条件とする反逆活動、すなわち社民的運動形態(その組織的表現としての解党主 義)に矮小化していることである。
 共産主義が、歴史的に賃労働と資本を実体的関係とする階級闘争から生まれでたものであることはいうまでもない。世界市場とプロレタリアートの世界史的形成こそ、共産主義の歴史的成立根拠であるといえよう。だが、この歴史的事実から「共産主義」=「資本制的生産関係に包摂されたプロレタリアートの反逆活動」という公式を思弁するほど無意味なことはない。この公式の実践的帰結は、せいぜいのところ資本主義的矛盾のあるかぎり「共産主義の脅威はなくならない」といった大河内一男的な達観だけであろう。だが、現実に資本制的な賃労働を強制されているプロレタリアートにとって、自己の反逆活動が「疎外された労働」にたいする感性的直感から出発していることはきわめて明白である。問題はなぜこのような苦しみが生まれたのか、この苦しみをどう解決していくのか、という二つの問題を資本制社会を出発点=到達点とする二重の反省=構成として把握するとき「プロレタリアートの反逆活動は資本制社会を歴史成立根拠としながらも、共産主義としての社会史的本史をきりひらく主体的跳躍台となる、というラセン的構造にある。すなわち、労働力の商品化に根底的矛盾をもつ労働市場の現実的階級関係――ここに労働者階級の階級的自覚の物質的根拠があることはいうまでもないが、貨幣関係にかくされた階級関係としての労働市場を物質的根拠とするプロレタリアートの現実的苦しみが階級的自覚に転化するためには、まずもって賃労働に敵対的に対立する資本が疎外された労働の対象化の産物であるという賃労働と資本の反省関係が直観されねばならないということである(マルクス『経済学・哲学草稿』参照)。【またしてもここで解放派は、「資本という疎外された類の体系(物神)のなかに包摂され、そのなかで二重の疎外、二重支配(生産活動における疎外、生産物からの疎外)をうけている労働者階級の感性的苦痛……」などといっている。「資本=疎外された類の体系」にかんする批判はすでに終っているので「二重の疎外、二重支配」にかんして検討する(もっともこういう調子で行文的に評註すればきりがないので大綱的に無視しえぬものだけ問題にしていることは解放派も承知していると思う)。解放派が「疎外された労働」として@労働の自己疎外、Aその結果としての生産物からの疎外、を問題にしていることは正しい。だが、マルクスが分析しているように、それは、B人間の人間からの疎外(階級対立)、C人間種属生活の自己疎外、とともに相互規定的に問題にされるべきであり、前の二点のみを「二重の疎外、二重支配」などと絶対化することは「疎外された労働」論にかんする一知半解というほかはない。B、Cもまた生産場面における疎外現象であって、とくにBは、別に検討するように疎外労働と階級関係の再生産との主体的関係をあきらかにするものとして、本論文の主題とふかくかかわっている。】
 かくして、プロレタリアーは、労働市場の直接的現実性(労働力の商品化)の物質的直観を出発点として、「資本制的な賃労働む場所的に反省しつつ、資本制社会を歴史的に反省する。収奪の「根源的蓄積」過程の歴史的反省として賃労働と資本の自己矛盾的自己同一性にかんする階級的自覚が、さらにその基底をなす「いっさいの歴史の根本条件」たる生産、労働への歴史的反省として生産と所有の根源一体的な社会的生産にかんする世界史的自覚が形成される。この歴史的過程を媒介(背後の過程)として、はじめて資本制社会に特有な生産形態(労働力の商品化を基礎とする商品生産)は、生産と所有の資本制的分割を基礎とした社会的生産の歴史的疎外形態として概念的に把握されることとなる。「一年といわず、数週間でも労働が停止されたら、いかなる国民もみんな死んでしまうだろうことはどんな国民でもよく知っている」とは、マルクス『クーゲルマンへの手紙』の有名な一節だが、まさに「人間生活の永遠的な自然条件」としての労働への生きた反省を媒介として、プロレタリアートは、資本制的賃労働(労働力の商品化)の直接的現実性(労苦)を変革のバネけ転化する。
 賃労働と資本の資本関係、その実体的表現としての階級関係は、したがって、資本の生産過程の実体的基礎であるばかりでなく、ほかならぬこの資本の生産過程の一契機としての直接的生産過程として再生産されている。賃労働者は、直接的生産過程において、労働力の使用価値として価値形成・増殖をおこなうが、それは同時に資本(賃労働と資本を実体的関係とする資本関係)の再生産の過程でもある。
 資本の根源的蓄積過程(『資本論』第一巻二四章参照)。すなわち、生産と所有の根源的な資本制的分割にもとづく資本の根源的形成は、「貨幣財産として存在する価値が古い生産様式の解体の歴史的過程によって、一方では労働の客体的諸条件を買うことを可能にされ、他方では生きた労働そのものを自由になった労働者から貨幣とひきかえに入手することを可能にされる」ことによってである。賃労働と資本の貨幣を媒介とした等価の交換(商品市場の特殊的一部としての労働市場)は、資本の生産過程の絶対的基礎であるとともに資本の生産過程における資本関係(その実体的表現としての労使の階級対立)によって措定されている。資本制的な賃労働は、賃労働と資本という階級対立を再生産する社会史的根拠である。G――W……P……W′――G′という資本の一般的公式とW――Wという等価交換との矛盾は、資本の直接的生産過程における「交換によることなくしかも交換の外観のもとにおこなわれる他人の労働の占取」にもとづいて解決されるのであるが、この資本の直接的過程こそ、.労資の階級対立を再生産する社会的基礎である。
 したがって、プロレタリアートの自己解放としての共産主義は、賃労働と資本という「資本制生産関係」を基礎とする労働者階級と資本家階級の階級闘争(プロレタリアートの反逆活動)を歴史的成立根拠としながらも、賃労働と資本の自己矛盾的自己同一性を総体的に止揚するものとして発展する。ブルジョア国家の打倒=工場労働者評議会を基礎とする労働者国家の樹立、資本家的財産の没収=労働者的所有を前提とする労働力の商品化の止揚、労働と分配の労働者的組織化をとおしての価値法則の意識的消滅と共産主義社会の実現――というプロレタリアートの世界史的任務は、「資本制生産関係の中に包摂されているプロレタリアートの反逆の感性活動」を出発点としながらも、このような反逆の形態を止揚するものとして登場する。
 資本制社会における賃労働者の直接的現実性(労働市場)の物質的直観を出発点として、資本制社会を、人間生活の根源的な社会的生産の特有の歴史的疎外形態として概念的に把握した革命的労働者階級は、この歴史的反省=構成をバネとして未来社会の建設にむかうことができる。【なお、資本制社会におけるプロレタリアートの自己否定的な感性的直観を「いっさいの歴史の根本条件」としての生産論の展開として体系的に構成したのが史的唯物論(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)であり、資本制社会における富の原基形態としての商品を、特殊なる商品として労働力商品を一契機どする姶元的商品の自己展開として学問的に構成したのがマルクス経済学(『資本論』)であるといえよう。】
 「認識の徹底した科学性」「社会の総体としての科学的認識」「資本という対象にたいする総体としての認識」等々――この解放派の新「理論」家は、こうしたスローガンをいくどもいくどもくりかえす。だが、その内容は、どこにも展開されていない。商品、貨幣という範疇(はんちゆう)を完全に追放して私有財産を説明する、という「画期」的能力を具現するわが新「理論」家は、共産主義を「資本制生産関係」のうちに実現するとでもいうのだろうか。解放派の諸君は、ふたことめには「二重権力を樹立せよ」とか「二重権力の思想」とかを絶叫するが、権力は本来的に排地的であって、つねに一重権力である。ただ革命的情勢期における過渡的権力状態の結果的表現として二重権力状態が現出するが、しかし、このような権力の状態のもとでは、革命的勢力の側の本質的には攻撃的な権力奪取(一重権力の思想)の闘争が開始されないならば、革命勢力の壊滅的な敗北におわることは、国際的階級闘争の常識的教訓である。ところが、解放派は、その「二重権力」をイデーとしているいじょう、永遠に資本の専制から自己を解放することはできない。「イデー」の次元においてすでに資本の権威のまえに屈服しているのだといえよう。「プロレタリアートの反逆の感性活動」が、こうした「イデー」を爆砕してすすむ日は、そう遠くはないであろう。
 
 (b) 革命的左翼と反スターリン主義
 
 第二の問題点は、スターリン主義の問題を一国社会主義論を媒介としたプロレタリア運動(共産主義運動)の疎外形態として内省的に把握するのではなく、「没落しつつある旧中間層を中心とする宗教の裏返し」などという思弁的印象批評にとどまっていること、したがってまた、日本における革命的左翼の創成の意義にかんして、まったく外在的なかかわりあいしかもっていないということである。
 たしかに解放派は、いわゆるスターリン主義の思想構造として、(1)「対象にたいする科学的認識の欠如」、(2)「徹底した排外主義し(組織的排外主義の意味――筆者)、(3)「個別のブルジョアジーの攻撃にたいする闘いの意味の喪失と個別の闘いの組織主義への歪小化(矮小化?)」、(4)「疎外された団結の完成」をあげている。だがスターリン主義の批判的把握がこの程度のもの(「思想の科学」以下!)ですむならば「反スターリン主義」は不用だとする解放派の意見も正当であるかもしれない。
 「対象(日本資本主義)にたいする科学的認識の欠如」とか「組織的宗派主義(内での官僚主義、外での排外主義)」 とかという問題は、五〇年分裂以来もっとも深刻な内容において日共の内外で問題にされてきたことである。それは、日本革命と自己の青春をかけた命がけの自己切開であったといえよう。
 日本的社民としての協会派(労農派マルクス主義)は、基本的にはマルクス主義のスターリン主義的歪曲に屈服しながらも、社会党という体制内的政党のうちにあって、日共=日本的スターリン主義の「偏向」についてアレコレと評註をくわえてきたにすぎない。労農派マルクス主義の「科学性」なるものは、資本家階級の「城内平和」を基礎とする革命放棄者の「科学性」にすぎない。まさに問題は、このような日共=日本的マルクス主義の誤謬が、いかなる本質的誤謬に根ざしているのか、という点にあったといえよう。
 協会派とまったく同様に解放派は、五六年――六〇年の日本革命的左翼の生みの苦しみ、すなわち「革命的共産主義とスターリン主義の分裂」の結果として日共の誤謬を知っているだけで、なぜ分裂がおきたのかを自分の問題として把握することができない。
 だが、社民的防波堤(体制内的「左翼」指導部としての社会党=民同)のうちに逃亡しえない戦闘的労働者・知識人にとって、日共=日本的スターリン主義の問題は自分自身の問題であった。だからこそ、戦争責任論争や主体性論争は「党の問題」との関連において発展していったのだし、戦後革命の総括問題や日本資本主義論争も鋭く「党の問題」として発展していったのである。
 いったい、日本のだれがこれらの問題を社会党=民同の問題として追求しただろうか。それは問題者たちが小ブル的であったからか? 断じてそうではない。日本における革命運動の主体的な歴史的反省=構成は、行為的に存在する日共=日本的スターリン主義の「誤謬」にたいする自己否定的な労働者的直観に場所的にふまえながら、日共=日本的スターリン主義の「誤謬」の根拠を歴史的・論理的に検討することをとおしてのみ可能であっだ。
 労農派マルクス主義の「科学性」は、日共=日本的スターリン主義の「誤謬」を内からこえるものとしての反スターリン主義的左翼の端緒的創成をもってはじめて解体摂取すべき歴史的遺産に転化したのであって、その逆ではない。一五六年――六〇年における革命的左翼の創成=「日本における革命的共産主義とスターリン主義の分裂」は、五〇年=六全協問題として爆発的に露呈した日共=日本的スターリン主義の「誤謬」を、国際共産主義運動のスターリン主義的歪曲(一国社会主義論と平和共存政策)の日本的個別形態として把握することによって、はじめて必然的なものになったといえる。それゆえ、このような分裂の決意は、国労新潟闘争・勤評・警職法闘争を実践的バネとしながら、「新しい革命党」の創成をめざす主体的変革=組織的結集へと転化していったのである。
 一九五九年――六〇年の安保闘争は、戦後一五年間、日本左翼運動を支配してきた既成左翼指導部(日共=日本的スターリン主義と、その右翼的補完物としての社会党=日本的社民主義)の破産を、全社会のまえにさらけだしたものとして、日本社会運動史上に不滅の問題提起をなげかけている。だがその破産はただたんに既成左翼の一極的な自己転回として実現したものではなかった。学生運動におけるいわゆる「[五八年の転換」に表象される学生共産主義者の総体的な左翼化(左翼スターリン主義から反スターリン主義左翼への転換)と、その組織的表現として(1)共産主義者同盟(ブント)、(2)革命的共産主義者同盟左派(全国委員会)、(3)同右派(第四インター)の三潮流への分化と分派闘争こそ、五九年――六〇年の安保全学連を形成した主体的基底であった。まさに日本左翼運動の深部における革命的左翼の形成、その大衆運動的表現としての安保全学連の戦闘的登場を媒介として、日共=日本的スターリン主義の「反革命的」本質は全社全的にあばかれていったのであった。
 つまり安保闘争は、戦後既成左翼の破産を全社会的に暴露した歴史的法廷であるとともに、新しい革命的左翼の登場とその歴史的勝利をかけた試練の場であった。それゆえ、既存のスターリン主義運動を「内より革命的にこえるもの」として、したがって、日共=日本的スターリン主義を革命的に解体すべき独立の組織的前衛の創成者として、日本革命的左翼は、既成左翼にたいする批判的警鐘乱打者としてのみならず、安保改定を強行する日帝にたいする闘争の独自の前衛的指導部として全力をあげてたたかったのである。全学連の戦闘的登場は、学生戦線における革命的左翼の圧倒的な思想的・組織的勝利を基礎としてはじめて可能であった。労働戦線においても、既成左翼を「内から革命的にのりこえる」組織的苦闘は執拗につづけられていた。労働戦線における「静かな左翼化」は、安保の激動の深部で激動を支える複合的な力の一つとしてすでに活動を開始していた。だからこそ安保敗北のあと、共産主義者同盟 (ブント)と革命的共産主義者同盟全国委に結集した革命的左翼(十一・二七国会デモ、一・一六羽田デモを契機に革命的左翼戦線から分離し、日共系全自連との癒着を策動した第四インターはこの過程で完全に脱落していた!)は、安保敗北の公的責任者として既成左翼に「死の宣告」を与えるとともに、安保敗北を自己の敗北として思想的・政治的・組織的に総括する必要に直面した。それは全力をあげてたたかったものだけが許される「命がけの飛躍」をかけた苦闘であった。
 それゆえ総括の中心は、さしあたって全学連の多数派を形成していた共産主義者同盟(ブント)の学生運動指導のあり方をめぐつてはじまったが、労働者階級の革命的結集のための革命的立脚点、それを基礎とする組織戦術の再検討へと必然的に発展していったといえよう。マル戦派の諸君はいまごろになって「ブントは(世界革命の視点)をもったのは正しかったがその具体化に欠けていた」などというピンボケ総括をむしかえしているようだが、そもそも(世界革命の視点)はいかなる理論的検討をとおしてその回復が可能となったのかという根源的問題意識もふくめて、なぜわれわれは日共=日本的スターリニズムから決別し、独立した革命的組織を創成するののか、という綱領的・組織論的反省を媒介とすることなしには、安保敗北の総括も、したがって(世界革命の視点〉の具体化も、まったく思弁的な「机上の戦略」論に転落してしまうことになる。安保闘争をプロレタリア運動の綱領的・組織論的反省という基本的視点から総括するという問題領域では、ブントと革共同全国委の組織的所属の相違をこえた共同の課題を成立させたのである。
 問題は戦旗派・プロ通派・革通派の三分派への基本的分裂として現実化したブントの内部闘争(不可避的内部闘争!)を、革共同全国委の批判的介入を契機として総体的に解決することができず、戦旗派・プロ通派の革命的部分が全国委に参加するという組織的結論をもって解決する、という方法しかとることができなかったことにあった。そのため全国委に参加しなかった旧社学同の諸君が社学同――新共産同的諸傾向として、全国委――マル学同にたいする逆反射的な反対派として自己形成していくなかで、五八年――六〇年におけるブントと革共同全国委の共同の歴史的成立根拠たる五八年的転換の本質(共産主義のスターリン主義的歪曲にたいする、反スターリン主義的立脚点を基礎とした革命的共産主義の回復の苦闘)を、放棄・忘却するという悲劇に裏から手をかしてしまったのである。
 もちろん、五八年十二月におけるブントの成立は、日共=日本的スターリニズムの内部闘争をとおして形成された全学連左翼を実体的基礎としている。それは日共五〇年分裂における国際派の悲劇(その核心としての無批判的国際追随主義と一枚岩の理論)を、内在的にのりこえるものとして実現した。だがその背後では革共同左派(『探究』を中心とする)のトロツキー理論をバネとする反スターリン主義的な革命理論の創成のためのたたかい(それは同時にトロツキー教条主義=第四インター絶対主義とのたたかいであでた)が営々としてつづけられており、そしてそのような革命的営為としてはじめて全学連左翼の反スターリン主義的「飛躍」は現実化したといえよう。ところが日共内党内闘争に不可避な一定の秘密主義(当時もいまもトロツキーは党内では「禁書」である)によって拡大的に展開されたところの「スターリン主義から革命的共産主義への転換」の「なしくずし的」性格は、当初から「反スターリン主義」という核心的問題意識を「反代々木」という外在的批判形態(本質的には左翼スターリン主義の方法)に傾斜させる傾向を内部に許容させていたのであり、安保闘争の終盤期には革共同全国委Iマル学同へのセクト的対抗上、「反スターリン主義」に歯をむくという傾向すら強めていた。それゆえ、安保敗北後のブントの内部闘争は、本質的にはブントの歴史的成立根拠としての「五八年の転換」の本質にかかわる反スターリン主義の意識的再把握としての意義をもっものとして進行した。マル戦派をはじめとするブント「残存」諸派はブント(五八年――六〇年)の歴史的成立根拠をなにひとつとして自己の主体的反省根拠とする力をもたず、ただただ、それが存在したという客観的事実を外在的に再生産しているだけなのである。だからこそ、「共産主義者同盟」という歴史的な名をなのっているにもかかわらず、安保全学連は「平和と民主主義」を指導理念とした、なぞという恥知らずな総括をもってまわるという「外からののりこえ」=清算主義的総括を可能とするのである。【ちょうど、日共=日本的スターリニズムが、日共の内外で権力との不屈の闘争に耐えぬいた幾百万の革命家(そのうちの何人がこんにちもなお日共を支持していることだろうか)の苦闘と、五〇年問題を頂点とする革命と青春の無残な敗北・挫折とのうえに、アグラをかいて、すなわち、党=運動の外見的一貫性のみを基礎として「四五年の伝統」を呼号しているように……。】
 一方、社青同解放派の諸君は、みずから「日本革命運動史上、安保闘争から日韓闘争までは真実の革命を生みだす過渡期であり、日韓闘争はその出発点として存在する」と告白しているように、五六年――六〇年における反スターリン主義革命的左翼の「生みの苦しみ」を歴史的前提としながらも、それにたいしてまったく外在的にしかかかわろうとしていない。もちろん、われわれはあの歴史的な安保闘争を複合的に支えた諸力のどこにも「解放派」が存在しなかったという事実をもってこういっているのではけっしてない。安保闘争として極限的に提起された既成の日本左翼運動の「破産」と、革命的左翼の革命と青春とをかけた「生みの苦しみ」を歴史的前提として、従来、民同=日本的社民主義の政治的指導下で苦闘してきた青年労働者が「社青同」内分派という社民的組織形態であれ、既成の左翼運動にたいして「反逆」を開始したことをわれわれはたかく評価している。だが、問題はこのように開始された社青同内左翼の「反逆の感性活動」をいかなる方向に発展させるか、という点にあるといえるだろう。それは五六年――六〇年の反スターリン主義の革命的左翼の創成の苦闘、六一年以来の革共同全国委を中核とする革命的左翼の労働者党創成のための闘争を、社青同「解放派」の「内なる問題」としてうけとめ、「社青同内分派」という社民的=体制内的形態を、綱領的にも組織論的にも打破することでなければならない。一般に日本型社民の特徴は、ものごとをつきつめて考えようとしない点にあるが、解放派がこうした社民的特徴をいぜんとして色こくもっているのは、とりもなおさず、自分が「社民左翼」だという自己否定的な革命的直観が欠如していることの別の表現なのである。
 もちろん、われわれは、スターリン主義的な「社会ファシズム」論を打破し、レーニン主義的な統一戦線論(トロツキー『次は何か?』参照)にふまえて、社民的=改良主義指導下の労働組合の内部で活動を拡大してきた。だがこのことは、われわれが、政治的標旗をあいまいにして社民の政治的指導体系に屈服することをなんら意味しない。社民的労働組合内部における革命的反対派の形成とその活動強化とは、社民主義的・スターリン主義的政治組織から独立した全国的革命組織の創成のための闘争の有機的一過程としてのみ実現しうる。このかんたんな組織的結論を恐れるものは、主観的にどう考えようとも、革命を恐れるいがいのなにものでもない。さて、ドイツ社民党の戦争支持を頂点とする第二インターの崩壊を前提としてうちだされたところの革命的インターナショナル(その各国的な実体形態としての革命的労働者党)の創成という課題が、(すでに第三インター的潮流がスターリン主義に変質し、ロシア革命を突破口とする「帝国主義と社会主義との世界史的分裂」が「帝国主義とスターリン主義との体制間矛盾」なるものに転形してしまっている現代世界にあっては)「反帝国主義・反スターリン主義」世界革命戦略として展開されていくという特殊的規定性をうけることについては、われわれがしばしば論じてきたところである。この意味において「社民打倒」という第三インターの本来的課題は、この「反帝・反スタ」戦略のうちに実現するものとして理解さるべきであろう。
 世界革命の過渡期の歪曲形態としての現代世界の部分的改良(平和共存政策を基礎とする構造改革論・反米中間地帯論から第四インターの「反帝・労働者国家擁護」戦略にいたるいっさいのスターリン主義的綱領)にたいして、現代世界を根底的に転覆しうる革命的綱領の立脚点として「反帝・反スタ」戦略が提起されていることはもちろんだが、それは同時に、このような根底的な革命を達成しうる主体的革命勢力の組織的創成(新しい革命的インターナショナルと、その実体的基礎としての革命的労働者党)のためのたたかいとして実現されていかざるをえない。したがって、日共=日本的スターリーニズムにたいする綱領的・戦術的批判、およびその革命的解体のための闘争は、あくまで世界革命のスターリン主義的変質の克服過程として、それゆえ、このような「克服」を「反帝・反スタ」のたたかいとして実現する主体的革命勢力の創成過程として展開されるべきものであって、けっして「反代々木主義」として外在的に理解さるべきものではない。反スターリン主義なき「反代々木」は、究極的には、スターリン主義の左右の亜種か、反共主義そのものか、に転落せざるをえない。
 解放派にとってこんにちなによりも重要な課題は、自分たちが体制内的社民運動の一分派だという冷厳な事実を直視することである。社民運動は、賃労働と資本という資本制的生産関係を基礎とする体制内的「反対派」運動である。それは、労働市場における労働者の「反逆の感性活動」を出発点とし成立しながらも、この「反逆の感性活動」を「資本制的生産関係」に「包摂された」ものとして発見させる。日本的社民(社会党=民同=社青同)は、資本にたいする労働者の日常的不満に依拠しながらも、それを体制内的に掌握するものとしてその社会的成立根拠をもっている。もちろん、すでにのべたように、社民的形態の内部で青年労働者の革命的動揺が拡大していることを知っている。だが、この動揺が社民分派の形成としてしか自己表現することができないとするならば、それは「平和同志会」の歴史をくりかえすことになろう。もし解放派の諸君が「社青同内分派」であろうが、「既成左翼外分派」であろうが、それはやり方のちがいだというふうに考えているとするならば、奴隷労働という基礎のうえに城内的「階級闘争」を展開していた古代国家公民の考え方と同様だといわざるをえない。
 社民とブルジョアジーの共同の私有財産は、革命=政治的スパルタクスにたいする敵対性にある。社民の組織的任務は、革命的党派から労働者階級を「防衛」することにある。社民への「反逆の感性活動」は、社民にたいする政治的=組織的対立としてまず表現されることの意味もこの点にある。客観的には、解放派が革命的左翼から「社民的組織形態」を防衛する役割をはたしかねない、という危険の基礎もこの点にあるといえよう。
 国際共産主義運動のスターリン主義的変質という労働者的直観を基底とした「反スターリン主義」のたたかいは、まずもって、帝国主義とその政治的支柱としての社民にたいする徹底した敵対性を基底としている。したがって社民への妥協的態度のうえに「反スターリン主義」が問題になるはずもない。第二インターの革命的解体=コミンテルン(共産主義インター)の創成というレーニン的課題のスターリン主義的変質(社会ファシズム論と人民戦線論)にたいする闘争をとおして、「反スターリン主義」という時代的問題意識は、労働者階級の革命的魂にうけとめられていったのであり、第四インターの「社会党加入戦術」なるものは、トロツキー的左翼反対派の革命的闘争を空洞化する社民的「トロイの馬」でしかない。
 解放派の直面している「反帝国主義・反スターリン主義」戦略の問題は、社民左翼としての自己存在との闘争の問題として現に提起されているのである。(未完)
    (マル学同中核派早大支部 社弁研双書T一九六六年六月に発表)