三 八月総攻勢を突破口にいまこそ戦略的総反攻へ
一九七四年八月、ついに発せられた戦略的総反攻の大号令である。
A 勝利の大進撃のはじまり
全国の同志諸君! すべての戦闘的労働者人民諸君!
二重対峙・対カクマル戦の壮大な勝利の進撃がついに開始された。日帝の破防法弾圧の政治と、そのもとでのK=K連合政策の手先として経済主義と白色襲撃の罪状をくりかえしてきた反革命カクマルにたいする労働者人民の積年の怒りは、いまや、革命的総攻勢の巨大なうねりとなって爆発した。昨年九・二一をもってはじめられた革命的対峙戦は、一・二四とそれにひきつづく一連の歴史的勝利のもたらしたいくたの困難を英雄主義的にうちやぶって前進をかちとり、ついに「九・二一」をのりこえる歴史的地平をきりひらきはじめた。七一年の十二・四反革命いらい、すべての戦闘的労働者人民が待ちに待った日がとうとうやってきたのだ。
見よ、六・二〇――三〇の反革命通信粉砕、六・二六の法政大会戦の二大勝利をひきついで展開された七月総攻勢の圧倒的勝利を。いまや、革命と反革命の軍事的均衡は革命的にうちやぶられ、革命の側の破竹の大進撃、反革命の側の後退と没落がはじまったのだ。
1 (1)九州・沖縄のカクマル残存主力を的確に捕捉し、それをいっきょに壊滅させ、ついに九州学生カクマルの解体状況を生みだした七・一三神戸のたたかい、(2)沖縄学生カクマルの全部隊を捕捉し、それを徹底的に撃破・せん滅した七・二六沖縄のたたかい、(3)関西カクマルの「生存」をアリバイ的に主張するためにかりだされた学生カクマル総力二〇名を全滅させた七・二九南大阪のたたかい、(4)憎むべき反革命の本拠、解放社と創造社を同時的に爆砕し、学生指導部四名をいっきょにせん滅した七・二九東京のたたかいなど、一連の積極的集団戦の画期的大勝利。
2 (1)死地をさまよう国学院カクマルにとどめの一撃ともいうべき壊滅的打撃を与え、ついに組織的崩壊を決定づけた七・一一国学院アジト粉砕のたたかい、(2)革命的労働者・古川同志への白色襲撃にたいする「革命的等価」の報復として猛然と火をふいた七・二〇小沢某せん滅のたたかい、(3)都職の革命的労働者への卑劣な白色襲撃をたえず計画し、古川同志、川谷同志ら革命的労働者へ白色襲撃をはたらいた白井某をせん滅した七・二五のたたかいなど、一連の赤色テロルの爆発的な勝利。
3 さらにまた、(1)六・二〇――三〇をひきつぎ、カクマルの最後のよりどころ「ホヲトク」を粉砕するために全面的に展開された数かずの創意的なたたかい、(2)反革命通信の輸送車を反革命通信もろとも粉砕した七・四東中野のたたかいなど、一連の反革命通信粉砕の決定的大勝利。
要約するならば、わが七月総攻勢は、(1)反革命通信の決定的粉砕、(2)集団戦の積極的な展開、(3)赤色テロルの的確果敢な貫徹という三つの面において、九・二一いらいの最大の戦略的勝利をつぎつぎにかちとっていったのである。われわれは、八月総攻勢――九月決戦の熾烈な過程をとおして、これらの歴史的勝利をいっそう高度の段階へとおしあげていかなくてはならない。
B 当面する戦局の主要な戦略的特徴点
二重対峙・対カクマル戦の当面する戦局の戦略的な特徴点は、どうであろうか。われわれは、二重対峙・対カクマル戦の現段階的な任務、その戦略的性格をあきらかにしていくうえで、この問題について明確な解答を与えておかなくてはならないのである。
当面する戦局の第一の戦略的特徴点は、革命と反革命とのあいだの軍事的均衡の革命的な崩壊、革命の側における軍事的な主導権の奪取である。周知のように、われわれは、昨年九・二一いらいの革命的対峙戦をとおして、反革命カクマルの当初の優位性、一方的な攻撃者としての地位をつきくずし、革命と反革命のあいだの熾烈な軍事的対峙の力関係をつくりだしてきた。しかし、われわれは、六・二〇の偉大な勝利を突破口とする四〇日間の激闘、七月総攻勢の圧倒的な勝利をとおして、革命と反革命のあいだの軍事的対峙の力関係を革命的につきやぶり、革命の側の主導権のもとでの戦局の勝利的前進という重大な情勢をきりひらくにいたったのである。
もともと、反革命カクマルの側の軍事的優勢なるものは、第二の十一月の勝利にたいする日帝権力の大弾圧、K=K連合というあらたな反動の政治にたいする革命の側の戦略的、態勢的な対応の未確立を歴史的基礎とするものであり、しよせん一時的で過渡的な性格をもったものでしかなかったのである。しかし、すべての反動、すべての反革命がそうであるように、それらが、ブルジョアジーの体制的危機感と結びつき、権力の政策的な援助のもとにあるかぎりにおいては、たとえ本質的には一時的で過渡的な性格をもつものであろうとも、一定の反階級的な役割をはたしうることはいうまでもないところである。しかも、反革命カクマルの場合、このような反階級的な役割はつぎの点においていっそうの有効性をもったのであった。すなわち、一方では反革命が「革命的左翼」という仮面のもとにあらわれたこと。そのために、戦後体制の崩壊的危機のふかまりのなかで社共の破産に直面し、革命的左翼のたたかいに吸引された巨大な戦闘的な層(主としてその未熟な部分)が反革命カクマルの本質を十分に見ぬけなかったのである。他方でカクマルが反革命として史上類例のない徹底性をもっていたこと。それに比較して革命の側が反革命カクマルの歴史的役割、その経済主義と白色襲撃の路線にたいし、当初、十分の武装をもって対処することに成功しなかったのである。
しかし、われわれは、十二・四反革命いらいの二年有半のたたかいをとおして、二重対峙・対カクマル戦の戦略とその態勢を確固としてきずきあげ、それを七〇年代革命の戦略的総路線の当面する戦略的基軸としてしっかりとくみこんだのである。かくして、われわれは、内乱・内戦――蜂起をめざす革命闘争と党建設の、堅実で全面的な発展のたたかいの当面するもっとも主要な任務として二重対峙・対カクマル戦を猛然とたたかいぬくことによって、反革命カクマルの「軍事的優勢」なるものの戦略的脆弱性を徹底的につきやぶり、破防法弾圧とK=K連合政策、そのもとでのカクマルの白色襲撃をうちやぶる勝利の展望を理論的、実践的にきりひらいたのである。
いまや、われわれの二重対峙・対カクマル戦は、昨年九・二一いらいの一〇ヵ月間の革命的対峙戦の熾烈な展開をとおして、破防法弾圧とK=K連合のもとでの反革命カクマルの当初の「優位性」をつきくずし、革命と反革命の軍事的対峙の力関係を生みだしたばかりか、さらにそれを突破して、戦局の革命的主導権を奪取し、反革命カクマル完全打倒の道を破竹のごとく進撃しはじめたのである。
当面する戦局の第二の戦略的特徴点は、反革命の「優位」についての政治的神話の崩壊、カクマルの政治的「権威」の失墜であり、革命の側の政治的高揚、革共同への戦闘的労働者人民の信頼と期待の巨大なたかまりである。いうまでもなく、反革命カクマルの政治的権威なるものは、その革命戦略や革命的実践にあるわけのものではない。七〇年をめぐる安保・沖縄闘争でのカクマルの無残な破産的事態(たとえば、かれらは六九年の「過渡的スローガン」をめぐる大混乱についていまだにひとことの総括もできない)や、七〇年代階級闘争の戦略的展望についてのカクマルの社共以下的な対応(たとえば、七四春闘におけるかれらの大破産)は、こんにちでは、すべての戦闘的労働者人民のひとしく確認するところである。
それでは、反革命カクマルの政治的権威なるものの真の基礎はなにか。それは、以上の検討でもあきらかなように、政治的破産を軍事的に打開することについての反革命としての徹底性であり、日帝のK=K連合政策のもとでの白色襲撃路線の反階級的、反人民的な凶暴さである。いいかえるならば、反革命カクマルの政治的権威なるものは、日帝への屈服と追従、その見かえりとしての庇護と援助、それを背景とした反階級的、反人民的な武装襲撃力である。それゆえ、われわれの二重対峙・対カクマル戦の戦闘的前進によって、反革命カクマルの軍事的優位性が崩壊し、かわって、革命の側の軍事的優勢が到来するならば、かれらの政治的権威なるものはいっきょにくずれさるであろうことは、まったく疑う余地がないのである。それどころか、反革命の軍事的優位の崩壊とそれにもとづく政治的権威なるものの失墜は、七〇年代革命の勝利、階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の重大な歴史的跳躍台をかたちづくるものとなるであろう。われわれは、二重対峙・対カクマル戦に勝利し、反革命カクマルの完全打倒をなしとげることによって、七〇年代中期の大高揚、七〇年代革命勝利の大道をもっとも堅実な方法できりひらいているのである。
当面する戦局の第三の戦略的特徴は、反革命の側における組織的力量の衰退と没落であり、革命の側における党建設のあらたな高揚、その指導と活動のあらたな活性化である。周知のように、二つの勢力、二つの集団のあいだの軍事的衝突の勝敗を究極的に決定するものは、相互の軍事的・政治的・組織的な力量の優劣である。われわれは、戦局の戦略的特徴点を分析するにあたって、軍事的、政治的な力関係の厳密な検討とならんで、組織的な力関係、その質的、量的な優劣を的確に把握しなければならない。
ところで、このような観点にふまえて、こんにちの戦略的特徴点をとらえた場合、われわれはどのような結論を確認しうるであろうか。
第一には、反革命の側の戦闘主力が圧倒的に衰退しており、それにひきかえ革命の側の戦闘主力は圧倒的に強化されており、その結果、この領域において、われわれの質的・量的な優位性が日に日に明確となっていることである。もともと革命と反革命のあいだの軍事的な力関係における後者の一時的な優位は、基本的にはつぎの諸点にその根拠をもつものであった。すなわち、(1)首都の学生戦線における反革命の側の一定の優位的な力関係、(2)革命の側における対カクマル武装力の建設の決定的なたちおくれ、(3)その結果としての自然発生的な力関係における後者の優位、がそれである。それゆえ、一方における首都学生カクマルの全面的な衰退、とりわけ戦闘主力をなす部分のあいつぐ壊滅的事態、他方におけるわが戦闘力の圧倒的な強化、中央――地方――地区の三種の戦闘部隊の建設の前進を基礎として、いまや、従来の自然発生的な力関係、そこにおける反革命の優位はいっきょにくずれおち、かわって、われわれの軍事的主導権がかたちづくられはじめたのである。
第二には、革命と反革命のあいだの党指導体制の優劣、革命の側における指導系統の圧倒的強さとその戦略的優位性、反革命の側における動揺と錯乱、黒田=朝倉指導体制の崩壊的危機の進展、朝倉の失脚の明確化である。二つの十一月における反革命カクマルの破産的事態の責任を、黒田=森茂体制の解体、森茂の追放にすりかえ、黒田=朝倉新体制の発足をもって経済主義と白色襲撃の路線への転落を決定化し、いっそう露骨な反革命の道をあゆんできたカクマル中央指導部は、われわれの二重対峙・対カクマル戦の激烈な勝利的前進のまえに徹底的に追いつめられ、ついにその脆弱性を全面的に露呈したのであった。われわれは、昨年九・二一いらいいっかんして反革命カクマルの最大の戦略的弱点が、その中央指導部、黒田=朝倉体制にあることを指摘してきたが、いまや、それが現実的事態として全面的に露呈しはじめたのだ。
第三には、革命と反革命のあいだの党の組織的力量の優劣のいっそうの明確化である。すなわち、ごくわずかの地方をのぞいてカクマルの地方組織がつぎつぎと崩壊的事態におちいっており、首都においても中央指導部の崩壊的危機に対応するかのように、学生組織の全般的な衰弱、産別組織の混乱と分解が急速にすすみはじめたのである。他方、われわれの側においては、西日本武装制圧を先頭として地方組織はことごとく圧倒的躍進を開始しており、ごくわずかの地方をのぞいて圧倒的優勢がかちとられている。また、首都においては、中央戦闘力の圧倒的強化を突破口に、中央諸機関、地区、産別、学生、諸戦線など、すべての面においてあらたな躍動と高揚がはじまっているのである。まさにわれわれは、組織的力量の分野においても、従来からの質的・量的な優勢にふまえつつ、さらに圧倒的な力関係の形成へと歩武をすすめはじめているのである。
以上の戦略的特徴点を総括するならば、われわれは、つぎの明確な戦略的指針をうることができる。すなわち、われわれがすでに軍事的主導権を奪取し、優勢のもとに戦局をすすめることができるとするならば、また、政治的高揚の主体的条件がうちかためられつつあるとするならば、さらにまた、組織的力関係において優勢がいっそう確実となっているとするならば、われわれは、みずからの戦略的任務を革命的対峙に限定すべきであろうか。断じてそうではない。そうであってはならない。われわれは、同盟政治局の全一的な責任において、全国の同志諸君、すべての戦闘的労働者人民諸君に重大な決意をもって訴える「七月総攻勢の画期的な大勝利にふまえ八月総攻勢――九月決戦を突破口に、いまこそ戦略的総反攻に猛然と突入せよ! と。これこそ、全党全人民の待ちに待った呼びかけであり、反革命カクマル完全打倒のトキの声である。
C 二重対峙・対カクマル戦の到達点とその任務
八月総攻勢――九月決戦を突破口に戦略的総反攻の壮大な歴史的大爆発をかちとるにあたって、二重対峙・対カクマル戦の歴史的前進、その総路線的な意義、その現段階的な戦略任務について、ふたたび明確な意志統一をおこなっておかなくはならない。
第一の確認。反革命カクマルを完全打倒することは、七〇年代革命の勝利、内乱・内戦――蜂起をめざす革命闘争と党建設の事業の堅実で全面的な発展のたたかいのための当面する主要な戦略基軸である。周知のように、われわれが二重対峙・対カクマル戦の任務を階級闘争の主要な軍事的・政治的・組織的な課題として明確に提起するにいたったのは、七一年の十二・四反革命以後のことである。当時、日本の戦闘的な労働者人民は、わが革共同を先頭として日帝の沖縄政策、アジア侵略と基地維持、差別と犠牲転嫁の七二年沖縄返還政策を粉砕するために総決起し、十一・一〇の沖縄ゼネスト暴動、十一・一四の渋谷暴動、十一・一九の日比谷暴動を頂点として日帝に重大な政治的打撃を与えたのであった。六九年の十一月決戦の勝利をひきついで七一年の十一月決戦が勝利的な大爆発をとげたことに恐怖した日帝権力は、破防法弾圧をふたたび革共同に適用し、松尾全学連委員長を逮捕したばかりか、白ヘル系のいっさいの集会を一ヵ月にわたって完全に禁止する措置をとったのであった。しかし、わが革共同とそれを先頭とする戦闘的な労働者人民は、このような破防法弾圧をものともせずに前進し、七〇年代闘争の革命的・内乱的・武装的な発展の道をあかあかと照らしだしたのであった。このような日帝権力の破防法弾圧の政治の破産をのりきり、特殊な方法で継続しようとしたものこそ、日帝のK=K連合の政策であり、そのもとでの反革命カクマルの白色襲撃の目的意識的な展開であった。反革命カクマルのもっとも卑劣な頭目・黒田寛一が当時はっきりと明言したように、日帝の破防法弾圧の政治を支持し、その行きづまりを特殊な方法で継続しようとしたものが、かの白色襲撃路線であった。それゆえ、日帝のK=K連合政策とそのもとでの反革命カクマルの白色襲撃と、それにたいするわれわれの二重対時・対カクマル戦は、二つの十一月を突破口とする七〇年代闘争の革命的・内乱的・武装的な発展を内乱鎮圧的におしつぶそうとするものと、それをうちやぶって七〇年代革命の勝利の大道をきりひらこうとするものとの階級的激突いがいのなにものでもないのである。この明確な事態を直視しえず、「内ゲバ」なるものにすりかえようとするものは、権力のK=K連合政策を勝手気ままに見おとすものであり、小ブル的なご都合主義いがいのなにものでもないのだ。われわれは、戦略的総反攻の歴史的大爆発をまえにして、いまふたたび、反革命カクマル完全打倒の決意をかため、七〇年代革命の勝利の大道をはききよめなくてはならない。
第二の確認。二重対峙・対カクマル戦の戦略的総反攻とは、反革命カクマルの完全打倒そのものが現実的な達成日標となった段階でのたたかいであり、反革命カクマルの完全打倒そのものをめざした二重対峙・対カクマル戦のもっとも向自的な戦闘形態である。周知のように、二重対峙・対カタマル戦に組織的にとりくむにあたってわれわれは、段階的前進の戦略をとることを決定した。もとより、戦争一般が段階的前進の戦略をとるものでないことはいうまでもない。しかし、われわれは、相対的に劣勢で、しかも準備不足の革命勢力が、相対的に優勢で、しかも準備十分の反革命勢力に対峙し、戦争の発展をとおして味方の戦争態勢を強化し、敵の戦闘態勢をつきくずし、もって戦争の究極目標たる敵の完全打倒を準備する革命的な方策として段階的前進の戦略を確固として設定したのである。いいかえるならば、われわれは、直情的なやりかえしの論理ではなく、相対的に劣勢な現実と敵の完全打倒という壮大な目的とを弁証法的に結びつけ、その矛盾を段階的に解決していくものとして、絶対戦争の現実形態をうちだしたのだ。一時的で過渡的な「優勢」を本来的な力関係であるかのように錯覚した反革命分子どもは、尊大なポーズでわれわれの段階的前進の戦略をあざけり、われわれの劣勢をののしった。われわれは、歯をくいしばってたたかいぬいた。だがしかし、昨年九・二一をもってはじまった戦略的対峙段階のたたかいは、敵を「一方的攻撃者」の地位からひきずりおろし、その尊大なポーズを泥まみれにしてしまった。革命と反革命の猛然たる対峙の情勢が生みだされたのみならず、いまや、革命の側の軍事的優勢が猛然ときりひらかれはじめたのである。
もとより昨年九・二一いらいのわれわれの革命的対峙戦は、その戦略段階のもっている過渡的な性格からもあきらかのように、きわめて激烈な起伏をなすものであった。その構図は、おおまかに整理するとおよそつぎのようであった。
(1)第一期。九・二一から一・二四――二・八まで。攻撃戦の開始と圧倒的前進によって、一方 的攻撃者の地位から敵をたたきおとし、K=K連合をつきやぶる勝利の展望がかちとられた時期。
(2)第二期。一・二四とそれにひきつづく一連のたたかいの歴史的勝利と、それへの破防法的 大弾圧とあらたな連合策動の強まり、そのもとでの革命的戦争態勢の本格的な構築と春期大攻勢への突入。
(3)第三期。五月――六月における革命と反革命の壮絶な死闘戦。激烈な攻防戦の展開。
(4)第四期。六・二〇――三〇、六・二六を突破口とした七月総攻勢の大爆発。歴史的勝利のはじまり。
(5)第五期。八月総攻勢――九月決戦を突破口とする戦略的総反攻の開始。
要約するならば、九・二一をもってはじまった革命的報復戦は、四ヵ月間の破竹の進撃をもって敵を追いつめ、崩壊寸前の破産的事態に敵をたたきこんだが、一・二四とそれにひきつづく一連のたたかいの歴史的勝利にたいする大反動によって一時的な停滞を余儀なくされた。だが、われわれは、一方では、春期大攻勢を準備、決行するとともに、他方では、戦争態勢、戦闘部隊の飛躍的な強化のたたかいをおしすすめ、四月――五月――六月の大激闘をとおしてその真価を発揮していったのである。いいかえるならば、われわれは、敵がまやかしの「勝利宣言に酔いしれているあいだに、戦争の飛躍的な前進のための戦略上、態勢上、技術上の抜本的な措置をとり、その成果をひっさげて六・二〇いらいの四〇日間の破竹の大進撃をなしとげるにいたったのだ。それゆえ、われわれは、戦争の戦略的任務を<対峙>の段階から<総反攻>の段階へと圧倒的に前進させなくてはならない。反革命カクマルの完全打倒そのものを実践的任務として明確に設定し、そこにむかって全党全人民の総決起をかちとるときがやってきたのだ。
第三の確認。戦略的総反攻の当面する主要な獲得目標は、(1)白色襲撃の基本をなす敵残存主力の徹底的な粉砕、その抵抗力の解体、(2)反革命通信をはじめ敵中央体制の反革命機能の停止、(3)敵地方体制の解体とその残党の掃討、の三点である。
(1)戦争の完全勝利を「唯物論的」に基礎づけるものは、いうまでもなく、敵戦闘力のせん滅をとおして敵の抵抗力をうばってしまうことである。黒田=朝倉のように敵の戦闘力、抵抗力を解体することなしに「勝利を宣言する」ことは、戦争の唯物論的な構造への無知いがいのなにものでもない。われわれは、この誤りをくりかえしてはならない。敵の残存主力を容赦なく徹底せん滅し、いっさいの白色襲撃力を解体すること、これこそわれわれの当面する主要な任務である。
(2)戦争の最終の勝利を決定づけるものは、敵から戦意をうばってしまうことである。われわれの二重対峙・対カクマル戦の最終のメルクマールは、反革命の中央指導部の完全な解体であるが、われわれは当面、その当初の階梯として敵中央の完全な権威失墜と指導機能の停止をかちとらなくてはならない。反革命通信の再生のための絶望的あがきを完全に粉砕することは、その第一の課題である。
(3)反革命カクマルの最弱の環は、中央指導部とともに、その地方組織である。反革命カクマルの地方組織は、敵の内部において思想的にも組織的にもたえず動揺をくりかえす部分である。ごくわずかの地方をのぞいて、カクマル地方組織がことごとく崩壊寸前なのはけっして偶然ではない。いまこそわれわれは、西日本武装制圧の圧倒的前進を先頭として、カクマル地方組織をことごとく打倒し、その残存分子を掃討しぬかなくてはならない。
D 革共同政治局を先頭に、全党全人民はうつて一丸となって戦略的総反攻に突入せよ
いまこそ、七〇年代革命の勝利をめざして二重対峙・対カクマル戦の戦略的総反攻に総決起するときである。革共同政治局は、そのためのすべての戦略的配置を完了した。あとは、勝利の総決起があるだけである。
全党全人民の戦士たちは、革共同政治局を先頭に、うつて一丸となって前進せよ!
全党全人民の戦士たちは、いっさいの保守主義をなげすて、革命的進攻精神をもって、攻撃につく攻撃を敵にたたきつけろ!
全党全人民の戦士たちは、創意をこらして活動を全面的に展開せよ!
狭山九月決戦の決死の戦闘態勢をきずけ!
革命的共産主義運動の全成果をかけて、戦略的総反攻に決起せよ!
革共同政治局は、勝利の大進撃の先頭にたつ!
武装し、戦う革共同万才!
(『革共同通信』二九号一九七四年八月五日に掲載)