二 革命的対峙段階の戦取にむけて
    九・二一の偉大なたたかいをうけつぎ、発展させよ
 
 本論文は、一九七三年十月一五日『前進』に発表された。九・二一の偉大なたたかいをうけつぎ、発展させ、革命的対峙段階の戦取を訴えた歴史的文献である。
 
 
 全国の同志諸君! たたかう労働者人民諸君! 二重対峙・対カクマル戦の革命的対時の段階を戦取するたたかいは、緒戦の圧倒的な勝利をもって火ぶたがきられた。辻、正田、武藤、川口の四同志への憎むべき虐殺の首謀者であり、反革命カタマルの許すべからざる白色テロ襲撃の責任者である土門肇こと根本仁の頭上にくわえられた的確な正義の報復は、反革命カクマル指導部を底なしの恐怖と混乱にたたきこんだ。黒田、朝倉(池上)、西条(木下)、山代(白井)らの卑劣分子どもは、みずからのなした数かずの反階級的な罪状に完全にすくみあがり、日頃の尊大な言動とはうらはらに、横須賀アリバイ闘争の指導すらまったくなげすてて、われさきに逃げだしはじめた。二年前、あまりにも露骨な白色テロ襲撃の路線に動揺した森茂書記長を卑劣な手段をつかって追放し、十二・四反革命の道をころがりおちた黒田、朝倉(池上)、土門(根本)、西条(木下)、山代(白井)らの反革命分子どもは、いまや、その当然のむくいをうけるときがやってきたのだ。他方、正義の連続的鉄槌の嵐のまえに、つぎつぎ戦闘力をせん滅された学生カクマルは、当初のから威張りはどこへやら、まったく意気消沈してしまった。もともと「二人の死」「SSにおける死」の意味をめぐつて消耗な論争をつづけていた学生カクマルは、われわれの正義の報復戦が圧倒的な勝利のうちにはじまるや、完全な対応無能力におちいり、いまや、中核派が来た! という声をきいただけでクモの子を散らすように逃げまどう始末におちいってしまったのである。十二・四反革命以後、警察=カクマル連合を基礎に「虚構の白色支配」をほしいままにしていた反革命カクマルの学生分子どもは、われわれの連続的な報復戦のまえに、その脆弱な本質をつぎつぎとあばきだされつつあるのである。「共・カク対決の時代」の夢も、「アト一撃」論の幻想もふっとび、かわりに報復の悪夢にくるしみはじめた反革命カクマルは、その窮余の一策として、警察権力の支援をうけて『前進』印刷所の白色テロ襲撃をくわだてたが、同志諸君の冷静で戦闘的な反撃によってその目的をはたすことなく一蹴せられ、そのうえ、ただちに、ICU、東工大での鉄槌で四名の学生カクマルが撃沈する不幸を経験することとなったのである。反革命カクマルの底なしの恐怖と混乱は、横須賀アリバイ闘争への逃げこみ策動の深刻な破産となってあらわれた。ミッドウェイ寄港時決戦においてわれわれとの圧倒的な動員力の差を見せつけられ、顔面そう白となって横須賀を逃げまわっていた反革命カクマルは、その失点をとりかえすために全国動員をかけたものの、肝心の東京で脱落者が続出し、われわれの革命的報復をおそれて十月七、一〇日の臨海公園への結集を放棄せざるをえない無残な状況におちいったのである。われわれは、いまこそ、底なしの動揺と混乱におちいった反革命カクマルを徹底追撃し、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階戦取のたたかいをますます勝利的な過程にひきこまなくてはならない。十一・八川口同志虐殺の一周年、十二・四辻、正田同志虐殺、十二・一五武藤同志虐殺の二周年にむかって全党・全人民の総決起をかちとり、革命的対峙の攻防をとおして二重対峙・対カクマル戦の歴史的勝利の展望をますます確実にひきよせ、敵の完全な打倒のための真の戦争態勢をいっそう強力につくりあげていかなくはならないのである。いまや、われわれは、二重対峙・対カクマル戦の革命的対時の段階を戦取し、それを維持するための激烈なたたかいをあらゆる手段、あらゆる方法をもっておしすすめることによって、できるだけ早い時期に革命的総反攻の段階をかちとる真の準備をもおしすすめはじめた。あせり、いらだった敵の絶望的な攻撃を鉄壁防御、待ちうけと逆襲の態勢をもって断固としてむかえうつとともに、革命的報復を敵の指導中枢と戦闘力にむかって的確につきだし、敵の物理的なせん滅を確実につみかさねることによって、反革命カクマルの攻撃力・抵抗力を完全に無力化していく歴史的勝利のたたかいがはじまったのである。
 
 さらに憎悪燃やし報復の決意かためよ
 
 二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙の段階を戦取し、それを維持し、できるだけ早い時期に革命的総反攻の段階をたたかいとるために、われわれがかちとらなくてはならない第一の任務は、全党・全人民が反革命カクマルへの憎悪と報復の決意をますますはげしく燃えたたせ、反革命カクマルの完全な打倒のためになすべきことはすべてなしとげる不抜の確信を、ますますかたくうちかためることである。
 「二つの十一月」を頂点とする七〇年安保沖縄闘争の革命的爆発、内乱・内戦――蜂起をめざす七〇年代階級闘争の永続的発展は、その不可避の産物として、国家権力とカクマルの密集した反革命的連合を生みだした。すなわち、日本帝国主義とその国家権力は、階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展に対抗するために、一方では、破防法を基軸とした弾圧の政治とその態勢を徹底的に強めるとともに、他方では、弾圧の政治の特殊な継続として警察=カクマル連合を生みだし、反革命カクマルの白色テロ襲撃の激化をもたらした。国家権力の戒厳令的な弾圧の態勢を突破してかちとられた「二つの十一月」の勝利の経験、その地平を基礎とした七〇年代革命の勝利の大道をすすむ革命党と革命勢力のたたかいにたいする、日帝・国家権力の警察的弾圧態勢の行きづまりは、民間反革命をそそのかし、民間反革命を白色テロ部隊に育成することによって、階級闘争の前進をくいとめようとする反動的策動を不可避としたのである。
 辻、正田、武藤、川口の四同志にたいする反革命カクマルの憎むべき計画的な虐殺行為は、権力とカクマルの反革命的な連合を基礎とするものであり、反革命カクマルの腐敗堕落した反階級的本質をもっともあからさまにあらわすものである。第二の十一月決戦後の大弾圧のなかで、関大の学費借上げ粉砕のバリ・スト闘争に英雄主義的に決起した中核派と、それを先頭とするたたかう関大生部隊に反革命的な武装襲撃をくわえ、わが同盟の若き戦士、辻、正田の両同志を虐殺し、警察=カクマル連合の血盟のあかしとした十二・四反革命。また、わが同盟中部地方組織のすぐれた幹部のひとりとして英雄主義的な党活動をつづけていた三重県委員長武藤同志にたいして個人テロを計画し、警察の全面的な協力のもとに許すべからざる虐殺をおこなった十二・一五反革命。さらにまた、全学連の不屈の戦士として相模原、狭山のたたかいに決起し、早稲田解放の先駆的闘争を英雄主義的に担いぬいていた川口同志を計画的にら致し、数時間にわたって残忍なリンチをくわえ、ついにその若き生命を奪いさった十一・八反革命。
 こんにち、黒田、朝倉(池上)、土門(根本) 西条(木下)、山代(白井)など、反革命カタマルの卑劣分子どもは、おのれのなした数かずの反階級的な罪状におののきはじめ、日頃の尊大な言動とはうらはらに横須賀闘争の指導もなにもかもほうりだし、算を乱して逃げはじめた。四名の同志にたいする虐殺の首謀者であり、白色テロ襲撃の責任者である土門こと根本の頭上に乱打された正義の鉄槌は、ついに恥しらずな反革命の頭目どもに「最期の醜態」を強制しはじめた。だが、黒田、朝倉(池上)、西条(木下)山代(白井)よ、諸君らがどんな卑劣な手をつかって報復の刃をさけようとしても、われわれの的確な追撃からもはや逃がれることはできない。もっとも効果的な時点をえらび、もっとも効果的な手段をえらんで諸君はつぎつぎと「恥おおき最期の日」をむかえなくてはならないのだ。
 二年前の十二月四日、われわれは、辻、正田両同志にたいする反革命カクマルの虐殺にさいし、燃えたぎる怒りと憎しみのなかで、反革命カクマルへの血の報復をこころにちかった。すなわち、われわれは、警察=カタマル連合を粉砕し、反革命カクマルをせん滅するたたかいが、革命と反革命、内乱勢力と内乱鎮圧勢力のあいだの非妥協の敵対的闘争であり、労働者人民の共同の正義のたたかいであることを力強く宣言し、内乱・内戦――蜂起をめざす革命闘争の途上において、その決定的な一環として二重対峙・対カクマル戦を勝利的におしすすめることを断固として確認した。二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階を戦取し、それを維持しぬく歴史的なたたかいを、緒戦の圧倒的勝利のうちにたたかいとりつつあるこんにち、われわれは、二年まえにもまして激しい憎しみと報復の決意、敵の完全な打倒への確信をもってみずからを武装しぬかなくてはならない。憎悪と敵意――これこそが、戦争の真の激化、戦争の真の発展、戦争の真の勝利をもたらす一条の赤い糸であり、前進のための真の革命的動力である。
 
 革命闘争の当面する主要な環=二重対峙・対カクマル戦
 
 二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙の段階を戦取し、それを維持し、できるだけ早い時期に革命的総反攻の段階をたたかいとるために、われわれがかちとらなくてはならない第二の任務は、全党・全人民が当面する革命闘争のもっとも主要な環として二重対峙・対カクマル戦をがっちり位置づけ、その歴史的な勝利のために総力をあげてたたかいぬくことである。
 われわれは、こんにち、反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略、七〇年代革命の戦略的総路線の物質化にむかって、また、革命的情勢への過渡期の成熟に照応した三つの義務の達成にむかって、「二重対峙・戦略的前進・党建設」の三つの任務の一体的推進のたたかいをおしすすめている。このような指導原則の確立は、革命的共産主義運動の重大な成果であり、七〇年代中期の高揚と爆発にむかって革命闘争と党建設の堅実で全面的な発展をかちとっていくうえで、画期的な意義をもっているものである。二重対峙・対カクマル戦、とりわけ、その革命的対峙段階を戦取し、それを維持していくたたかいは、このような一体的推進のたたかいの当面する主要な環をなすものである。もともと二重対峙・対カクマル戦は、革命と反革命の絶対戦争として党と革命勢力の歴史的存亡をかけた絶対不可欠のたたかいであり、他の二つの任務、すなわち、戦略的前進と党建設の発展の条件を決定するもっとも重大なたたかいである。同時にまた、二重対峙・対カクマル戦はそれじしん一個の戦争、一個の内乱・内戦としてわれわれの内乱・内戦――蜂起の総路線を今日的におしすすめるものであり、戦略的前進の核心の内容ともっともふかく結びついているのである。
 より具体的に規定するならば、二重対峙・対カクマル戦は、以下の点において戦略的前進の主要な今日的環をもなしているのである。第一には、それじしんが革命と反革命のあいだの絶対的なせん滅戦として、一個の戦争、一個の内乱・内戦の性格をもっていることである。それゆえ、敵の内乱的な弾圧の手段である警察=カクマル連合と白色襲撃にたする労働者人民の側の武装的対峙は、党の武装、労働者人民の革命的暴力の発展にとって、重大な前進の過程をなしているのである。第二には、それが十二・四以来の階級関係、「二つの十一月」にたいする反動として生みだされた警察=カクマル連合的な弾圧の政治の根底的な転機をつくりだす過程をなしていることである。階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展の道を警察的形態をもって正面から弾圧するとともに、民間反革命としてカクマルを動員し、背後から内乱的・内戦的な襲撃をくわえ、かくして「二つの十一月」の地平の発展をかろうじておさえこんできた権力の弾圧の政治とその態勢は、そのもっとも決定的な部署において崩壊せざるをえないのである。第三には、二重対峙・対カクマル戦の前進それじたいが七〇年代中期の高揚と爆発を現実的にひきだしていく決定的条件をなしていることにある。もともと内乱期の政治の特徴は、政治闘争の発展が一定の段階にたっすると軍事的な手段をもってその矛盾を解決しなくてはならないところにあるが、まさに、こんにちの政治的局面は、軍事をもって政治情勢をひきだし、軍事をもって政治情勢を総括する観点を決定的に要求しているのである。第四には、それが階級闘争の「内側」において「革命」の名をもって革命に敵対する反革命分子の策動を粉砕し、真の革命党の前進・真の革命勢力の前進をおしすすめる役割をはたしていることである。二重対峙・対カクマル戦の歴史的勝利は、六二年以来のわが革命的共産主義運動の飛躍的な前進の過程とそれにたいする逃亡者、裏切り者どもの反階級的な敵対の歴史を根底的に決着づけるものとならざるをえないのである。
 総じていうならば、二重対峙・対カクマル戦の前進、とりわけ鉄壁防御を基礎とした報復戦の徹底貫徹のたたかいは、反革命カクマルへの壊滅的な打撃の過程であるとともに、国家権力の弾圧の政治とその態勢にたいする重大な挑戦としての政治的な意義をもっているのである。また、そうであるからこそ、国家権力は、ますます警察=カクマル連合を強め、われわれにたいする弾圧をいちだんと強めていかざるをえないのである。それゆえ、われわれは、当面する革命的対峙の戦取のたたかいを、他のいっさいの政治的、経済的たたかいにたいし、優位の指導的観点をなすものとしてしっかり位置づけていかなくてはならないのである。
 反革命カクマルは、横須賀闘争において、その総路線的な破綻をとりつくろい、われわれの革命的報復の連続的鉄槌の恐怖から身をさけるために、小ブル平和主義的な「反戦闘争」に逃げこみをはかろうとした。われわれは、反戦闘争の分野においても、反革命カクマルの運動路線のペテン的本質をあばきだし、真の反戦闘争の道をミッドウェイ寄港時決戦の勝利的貫徹を基軸としておしすすめていくとともに、同時に、革命的報復の連続的鉄槌をもって反革命カクマルの逃げこみ策動をゆるさず、動揺し大混乱におちいった敵を徹底的に追撃し、横須賀闘争の巨大な勝利をもかちとっていったのである。
 
 革命的報復戦の決定的な意義
 
 二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙の段階を戦取し、それを維持し、できるだけ早い時期に革命的総反攻の段階をたたかいとるために、われわれがかちとらなくてはならない第三の任務は、全党・全人民が革命的対峙戦の戦略論的な位置づけ、そこにおける革命的報復戦の決定的な意義について徹底的に明確にし、その歴史的勝利のためにいかなる困難、いかなる犠牲をものりこえて、すべての手段、すべての方法をつくしてたたかいぬくことである。
 すでにのべたように、二重対峙・対カクマル戦は、革命と反革命、内乱勢力と内乱鎮圧勢力との絶対戦争であり、相互に敵の完全な打倒をもとめて闘争する一個の戦争、一個の内乱・内戦である。それは、相対的に劣勢な革命勢力が相対的に優勢な反革命勢力に対峙し、そのたたかいをとおして力関係を段階的に推転させ、敵の完全な打倒を達成する持久戦型の戦争である。
 七一年の十二・四反革命以来、われわれは、十二・四をみすえ、そそぎ、のりこえることをこころにかたく誓って、戦略的防御のたたかいをおしすすめてきた。われわれは、二重対峙・対カクマル戦の絶対戦争としての本質、持久戦としての歴史的性格をはっきりとつかみとり、その観点から戦争の段階的な前進の戦略を確立したのであった。すなわち、われわれは、敵への即自的な反発の道ではなく、敵の完全な打倒という雄大な革命精神を確固として堅持しつつ、その勝利的な貫徹をめざして真の戦争態勢を本格的に準備する道をえらんだのである。われわれは、攻撃と防御の不均衡を徹底的に利用しつくすために、いくつかの戦略的拠点を防御し不抜化するために断固とした態勢をかためるとともに、敵味方の力関係の不利な地点においては大胆に味方の勢力を撤退させるなど、味方戦闘力を保持し、真の戦争態勢をつくりあげるために必要な一定の措置をとったのであった。かくしてわれわれは、戦略的防御の段階をとおして敵の攻撃を待ちうけと逆襲の態勢をもってむかえうつとともに、味方の拠点の不抜化・敵の拠点の逆拠点化のたたかいをおしすすめつつ、反革命カクマルを完全に打倒するための真の戦争態勢をつくりあげるためにたたかいぬいたのである。
 しかし、いまや、われわれは、二重対峙・対カクマル戦を戦略的防御の段階から革命的対時の段階へと革命的に前進させはじめた。こんにち、われわれは、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙戦取のたたかいをきわめて有利な情勢のもとでむかえはじめたのである。第一には、反革命カクマルにたいする憎しみと敵意、反革命カクマルせん滅・警察=カクマル連合粉砕の決意と態勢が、わが同盟のみならず、たたかう労働者人民の共同の正義のたたかいとしてますます広く深くうちかためられていることである。反革命カクマルの無原則的な多数派工作にもかかわらず、戦闘的な労働者人民の内部での反革命カクマルの孤立はますます深刻となっており、これまで反革命カクマルに一定の戦闘的期待をいだいてきた多くの労働運動内の潮流が急速にかれらからはなれはじめているのである。第二には、反革命カクマルの「組織現実論」なるものの非現実性が、二つの方向から徹底的につきだされはじめたことである。すなわち、ひとつは、戦後世界体制の崩壊的危機とそのもとでの日本帝国主義の体制的危機のふかまりであり、革命的情勢への過程の成熟と、それを基礎とした階級闘争の革命的、内乱的、武装的な発展である。もうひとつは、合法左翼、体制内左翼の主座をめぐる反革命カクマルと民同諸潮流の対立の激化、腐敗堕落した地位争いの醜態である。かくして、反革命カクマルが従来のように「革命」の仮面をかぶりながら「組織現実論」なるものを。ペテン的手段として民同の反革命的補完物に転化し、労働運動内の革命的、戦闘的な潮流に敵対しつつ、かれらの反革命的な策動を強めていく路線は、いまや、いちじるしく困難となりはじめたのである。
 第三には、味方の戦線がますます強固にうちかためられつつあるのにたいし、敵の戦線は、ほぼ完全にのびきってしまっており、政治的、軍事的な均衡上の破綻がいたるところで生まれていることである。十二・四以後の反革命カクマルの白色支配圏のひろがりにもかかわらず、かれらの労働者人民への影響力がきわめて過疎的であり形式的なものにすぎないことは、われわれの革命的報復戦の徹底貫徹のまえに全面的にあばきだされつつあるのである。第四には、内乱・内戦――蜂起をめざす革命闘争と革命党建設の堅実で全面的な発展、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙のための戦争態勢の本格的な建設とその前進のまえに、反革命カクマルの空虚な願望である「最後の一撃」論は完全にふっとび、それにかわって弱々しい泣きごとがはじまったことである。革命党と革命勢力の真の英雄主義的な攻撃精神の発揮は、尊大な言動の背後にかくれた反革命カクマルの脆弱な性格をいまや徹底的にあばきだし、その歴史的な崩壊の道を照らしだしたのである。
 われわれは、この好機をけっして逸してはならない。敵が十一・八以来の危機を脱したと錯覚したその機先を制して、積極的な正義の報復戦を徹底貫徹し、敵の動揺と混乱をいっそうひきだし、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙の段階を戦取するたたかいを、ますます圧倒的な勝利の過程にひきこんでいかなくてはならないのである。
 
せん滅戦思想を核とする戦争指導原則
 
 二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙の段階を戦取し、それを維持し、できるだけ早い時期に革命的総反攻の段階をたたかいとるために、われわれがかちとらなくてはならない第四の任務は、全党・全人民がせん滅戦思想を中核とした戦争指導原則でしっかりと武装し、鉄壁防御を基礎とした革命的報復戦を、プロレタリア的英雄主義を発揮して積極的に貫徹しぬくことである。
 二重対峙・対カクマル戦は、すでに見たように、それじしん一個の戦争、一個の内乱・内戦であり、その指導の中心命題は、敵戦闘力をせん滅することによって、敵の攻撃力、抵抗力をうばいとり、味方の意志を掟として敵に強制することでなくてはならないのである。よく知られているように、戦争の本質は、政治の継続であり、政治とは異なる他の手段をもってする政治の特殊な継続である。戦争の特質は、物理的な手段をもって敵戦闘力をせん滅し、敵の抵抗を無力ならしめることである。それゆえ、戦争の主要な総括点は、敵の撃破ではなく、敵戦闘力の物理的、肉体的なせん滅におかれなくてはならないのである。
 同様に、二重対峙・対カクマル戦の本質は、それが一個の戦争、一個の内乱・内戦であるいじょう革命的な政治闘争の継続であり、武装闘争を主要な形態とする革命的な政治闘争の特殊な継続である。また、二重対峙・対カクマル戦の特質は、反革命カクマルの戦闘力をせん滅することをとおして、敵の攻撃力、抵抗力を完全に解体し、反革命カクマルを完全に打倒することである。それゆえ、二重対峙・対カタマル戦の主要な総括点は政治闘争上のせり合いではなく、あくまでも敵の指導中枢の粉砕と戦闘力の物理的、肉体なせん滅戦におかれなくてはならないのである。
 当面する二重対峙・対カクマル戦の主要な戦略上の課題は、敵の指導中枢の壊滅的な粉砕であり、敵の戦闘力の連続的なせん滅である。十二・四反革命以来のカクマルの数かずの反階級的な罪状にたいし、いまこそ、真の革命的断罪がくわえられなくてはならない。敵の機先を制して、連続的な正義の報復を徹底的に反革命分子の頭上にふりおろし、動揺し逃げまくる敵を徹底追撃しなくてはならないのである。
 反革命カクマルの戦略論上の弱さは、かれらが内乱論を欠如しているところにある。すなわち、反革命分子どもは、実際には、国家権力の内乱鎮圧型の弾圧の一環として白色テロ襲撃をくりかえし、内乱・内戦の情勢を促進させながら、にもかかわらず、内乱・内戦の情勢の発展に戦略的敗北を見いださざるをえない基本的な矛盾をかかえこんでいるところにある。かれらは、労働者人民の革命的暴力の強まりに敵対し、内乱・内戦の情勢の端緒的な発展にたいし、それを「社会的荒廃状態」として恐怖することしかできないのである。
 われわれの側の戦略論上の強さは、内乱・内戦――蜂起の総路線をもち、その重要な一環として二重対峙・対カクマル戦を積極的に位置づけてたたかっていることである。すなわち、われわれは、権力とその手先としての反革命カクマルの白色テロ襲撃にたいし、革命党と革命勢力の存亡をかけた攻防として二重対峙・対カクマル戦をたたかいぬくばかりでなく、内乱・内戦――蜂起の総路線の前進をたたかいとる観点からそれを積極的に位置づけ、労働者人民の革命的暴力の発展、労働者人民の革命的総武装の発展の重大な一環としてたたかいぬくのである。それゆえ、革命と反革命、内乱勢力と内乱鎮圧勢力との革命的対峙がますます内乱・内戦として発展し恒常的な性格をもっていくならば、反革命カクマルの戦路上の弱さはますます深刻なものとならざるをえず、われわれの側の戦略上の優位はますます強力なものとならざるをえないのである。
 われわれは、いまこそ、せん滅戦思想を中核とする戦争指導原則にふまえ、革命的攻撃精神をもって敵の指導中枢と戦闘力にたいし勇猛果敢な報復戦を積極的に貫徹し、戦争の主導権をいっそう確実なものにしていかなくてはならない。敵の機先を制して、敵の戦列ふかく、的確な報復の刃を連続的につきさし、速戦即決の攻撃をもって動揺する敵を徹底追撃し、敵に息つぎの間を与えてはならないのである。持久戦的な戦略のもとでの速戦即決的な報復の連続的な貫徹、――まさに、この一点に、当面するせん滅戦思想の生きた発展の道が準備されているのである。
 
 いまこそ全党・全人民は総決起せよ
 
 二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙の段階を戦取し、それを維持し、できるだけ早い時期に革命的総反攻の段階をたたかいとるために、われわれがかちとらなくてはならない第五の任務は、全党・全人民が二重対峙・対カクマル戦に総決起し、われわれの戦争態勢をいっそう飛躍的に強化し、反革命カクマルの完全な打倒にむかって、革命的な総反攻の準備を徹底的におしすすめることである。
 警察=カクマル連合を粉砕し、反革命カクマルをせん滅する二重対峙・対カクマル戦の歴史的勝利をかちとるための、もっとも基本的な条件は、全国の同志諸君、すべてのたたかう労働者人民諸君が、思いきり戦争に総決起し、あらゆる手段、あらゆる方法を駆使して、戦争の勝利的前進のために奮闘することである。反革命カクマルの積年の反階級的な罪状にたいする憎しみと敵意を徹底的に燃えあがらせ、正義の革命的報復戦の圧倒的な勝利のために、全党・全人民が総決起するときがきたのである。われわれは、いまや、戦争の指導の問題、戦闘の計画、準備、指揮の問題を党活動の第一義的な任務としなくてはならない。また、党のもっとも優秀な幹部、もっとも優秀な戦士を大量的かつ恒常的に戦争の前線に配置し、戦争態勢の飛躍的な強化を当面する報復戦の勝利的貫徹のなかで徹底的におしすすめなくてはならない。また攻撃用の武器の技術的な高度化、恒常的な備蓄と訓練のために、全党・全人民のすべての努力が動員されなくてはならない。
 われわれは、土門(根本)への的確な攻撃、敵戦闘力の連続的なせん滅を両軸として、二重対峙・対カクマル戦の歴史的勝利のための第一の関門を革命的に突破した。反革命カクマルは、いまや、底なしの恐怖と混乱にたたきこまれた。あせり、いらだった敵は、劣勢をとりかえすために、絶望的な攻撃を今後ともかけてくるであろう。しかし、われわれは、いかなる困難、いかなる犠牲をもおそれず、さらに第二の関門にむかって前進しなくてはならない。歴史的勝利の突破口をきりひらいた前線のたたかいにつづいて全党・全人民が総決起し、死力をつくして、その勝利の地平を不動の砦にうちかためなくてはならないのである。
 一〇年前、われわれは.わが同盟の反階級的な逃亡者集団カクマルの暴力的襲撃にたいし、全党・全人民の総力をあげて対峙し、かんぷなきまでに敵をこらしめた。黒田は、自宅の書斎で、われわれに自己批判書をかかねばならなかった。朝倉(池上)は、わざわざ前進社までやってきて泣き泣き命乞いをし、その証拠に、朝倉にとって唯一の傑作ともいうべき「朝倉日記」を残して去っていった。当時におけるわれわれの誤りは、いまだカクマル腐敗分子を階級内の日和見主義としてみなし、その完全な打倒をおこたったことである。そのため、黒田、朝倉(池上)、土門(根本)、西条(木下)、山代(白井)らの卑劣分子どもは、われわれが優勢のあいだはへつらい、平和をもとめながら、われわれが「二つの十一月」によって集中的な組織絶滅型の弾圧を権力からうけるや、それを歓呼のこえをあげて支持し、権力と相呼応して背後から革命党と革命勢力におそいかかったのである。われわれは、いまや、反革命カクマルせん滅のたたかいの歴史的勝利の関頭にたって、この歴史的教訓をいささかのあいまいさもなく学びとらなくてはならない。われわれは、革命的共産主義運動の十数年の歴史にかけて、反革命的逃亡分子どもに、その罪状にふさわしい正義の報復を徹底してくわえ、こんどこそ反革命カクマルを完全に打倒するまでそのたたかいを断じてやめることはないであろう。黒田、朝倉(池上)、土門(根本)、西条(木下)、山代(白井)はもちろんのこと、反革命カクマルの上から下まで、ただひとりの例外もなしに、その頭上にわれわれの報復の鉄槌はふりおろされるであろう。その責任はすべて反革命カクマルの積年の反階級的な罪状にあるのだ。
 底なしの恐怖と混乱におちいった反革命カタマルを徹底追撃し、正義の革命的報復を連続的に散の本拠ふかくうちこめ! 敵に息つぎの機会を与えず、革命的攻撃精神をもってたえず機先を制し、敵の指導中枢と戦闘力に壊滅的な打撃を与えよ! 鉄壁防御・報復貫徹のたたかいをとおして二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階を戦取し、いかなる困難、いかなる犠牲をもおそれず、歴史的勝利の大道を前進せよ!
         (『前進』六五五号一九七三年十月一五日 に掲載)