戦争と革命の基本問題
 
 本論文は、『共産主義者』二三号――一九七二年六月――に発表された。「第三章(1)暴力革命論の基礎」におけるプロレタリア暴力革命の必然性の現代的な深化を基礎に、マルクス主義的な軍事思想を構築する立場から、(1)戦争と革命の関連性とその相互転化の構造、(2)戦争と革命の軍事的な法則性とその合法則的な指導原則の二点について、一般理論として構成しようとした偉大な労作である。
 
 
序 章 革命と内乱の時代
 (一)日帝のアジア侵略と内乱の戦略/(二)革命勝利の指導原則 /(三)本論文の目的――戦争と革命の基礎的考察
第一章 戦争の基本問題
 (一)戦争と政治/(二)戦争とその指導の原則/(三)戦争とその指導の原則(つづき)
第二章 暴力の構造――戦争と社会
 (一)暴力の社会史的本質/(二)暴力の分裂――政治と軍事/(三)戦争と民衆
第三章 暴力革命・内乱・蜂起・革命戦争
 (一)暴力革命論の基礎/(二)内乱と蜂起の準備の問題/(三)革命戦争の基本的特徴((1)世界革命と人民の正義の目的 (2)内乱としての政治的・軍事的性格 (3)全人民の動員とその武装 (4)戦争を消滅する戦争 (5)党の指導する戦争)
 
 
序 章 革命と内乱の時代
 
 帝国主義戦後世界体制を発展基軸とする戦後世界体制は、いまやわれわれの目のまえで破局のはじまりとしての様相をますますあらわにしている。ドル危機、ベトナム敗勢、米中会談として進行している眼前の深刻な諸事態は、帝国主義の体制的危機とスターリン主義の歴史的破産が、まさに革命的方法によってしか突破し解決することができないところのものであることを、明白に教えている。反帝国主義・反スターリン主義の世界革命戦略の旗をたかだかとかかげ、内乱と武装の論理をもって現代世界の根底的変革の大道をまっしぐらに進撃すること、ただこの革命的実践だけが、危機とその混迷を打開することができるのである(津久井良策著『内乱と武装の論理』参照)。
 
 (一)日帝のアジア侵略と内乱の戦略
 
 もちろん、プロレタリアート人民のこのような革命闘争は、なんの抵抗もなしに、なんの困難もなしに、なんの努力もなしに、容易に貫徹されるというものでは断じてない。国家権力とその巨大な官僚的、軍事的諸機構、独占体とその支配のもとにある圧倒的な物質力と組織力、権力と資本に奉仕するイデオロギーの大量的な強制機構など、ありとあらゆる権力的、資本的な力が、プロレタリアート人民の革命化とその前進を阻止しようとして暴虐な攻撃をくわえてくるであろう。帝国主義の体制内的支柱としての役割を忠実に実践する社会民主主義や、帝国主義との平和共存的協商と体制的安定を模索し、反革命としての本質を恥ずかしげもなくさらしているスターリン主義は、帝国主義の危機と攻撃が全面化してくるにつれてますます帝国主義への屈服をふかめ、プロレタリアート人民の革命闘争にたいする敵意と攻撃を強めてくるであろう。
 このような帝国主義の危機と破壊的攻撃の全面化、社会民主主義とスターリン主義の屈服と体制内勢力としての反革命化は、革命的左翼をめざしている諸勢力、革命的左翼を自称している諸勢力にたいしても、革命的前進の厳しい諸困難を強制し、革命と反革命の分岐、すなわち前進するものにたいする暴虐な内乱型の弾圧、後退するものにたいする屈服のあくなき工作の全面化としてあらわれてくるのである。帝国主義の危機のかつてないふかまりのなかで攻撃の質が全面的な破壊的性格をおびてくるにつれて、プロレタリアート人民の内部において革命的要素と保守的要素、革命的勢力に組織された部分と反革命勢力に組織された部分との内乱的分岐が進行し、それが不可避的にプロレタリア階級闘争の内乱的、革命的発展の傾向をいっそう激化させ、プロレタリアート人民の自然発生的決起と高揚、権力と反革命にたいする内乱的対峙の情勢がいたるところに生みだされてくるもである。しかし、このような情勢のたかまりは、革命的左翼にとって、この情勢を内乱にむかって計画的、系統的に指導するという重大で困難な課題を戦略的に要請するものとして存在するのであり、好むと好まざるとにかかわらず、革命的左翼の革命的分岐を促進せずにはおかないのである。
 周知のように、われわれは、一九六六年の革共同第三回大会の報告決定において「戦後世界体制の崩壊的危機の深化」をはっきりと確認し、この時代認識に立脚して党の革命戦略の重大な前進をはかること、党建設とその指導の強化を決定的に推進すること、また、この二者を基礎として体制的を革命的に転化しうるような質をもった闘争を爆発させるための準備を党の指導のもとに推進することの三点を同盟の実践的任務として決定したのであった。本多延嘉編『勝利にむかっての試練』参照)。このような革共同の前衛的指導の革命的正当性と現実的適合性、雄大な目的と現実の準備の戦略的、組織的結合の方向は、一方では六七年の羽田闘争の爆発とそれを突破口とする階級闘争の永続的発展として、他方では「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「たたかうアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線の確立として強化され、七〇年代革命の戦略的総路線の勝利にむかっての階級闘争の大衆的、政治的、武装的高揚と、党の建設、強大な政治勢力の建設、革命的武装勢力の建設を三要素とする革命勢力の建設とを結合していく正義の大道をきりひらいたのである。
 このような革共同の革命戦略とそれにもとづく革命的実践の巨大な衝撃力にうちのめされ、恐怖と動揺の極点につき落とされた反革命カクマルは、「危機などはどこにもなく、あるのは帝国主義体制とスターリン主義の安定した共存関係である」という危機の不在証明をもって「戦後世界体制の崩壊的危機の深化」という時代的現実に絶望的な非難をくわえ、革命の問題を提起するのは誤りで、革命闘争でも反権力闘争でも反政府闘争でもない階級闘争(それは経済主義的、改良主義的、組合主義的な、それゆえ、反革命的で反階級的な「階級闘争」いがいのなにものでもない!)を民同の体制内でちょっとやって、あとは反革命党づくりと革命派襲撃をくりかえしていればいい、という反革命的総路線を確立し、反革命とK=K連合の道の際限のない泥沼的大後退運動を「おしすすめて」いるのである。かれらは、ただ革命的左翼を恥ずかしめ、大衆的政治闘争を恥ずかしめ、武装闘争を恥ずかしめるためにだけ、革命的左翼を名のり、政治闘争をアリバイ的におこない、武装闘争の漫画を実践するのである。しかし、帝国主義権力の援助をカサにきて、どのような悪質な反革命襲撃をくりかえそうとも、また、どのような下卑た悪罵をまきちらそうとも、プロレタリアート人民の革命闘争を破壊し、党の指導のもとに結集している強大で英雄的な革命勢力を破壊することは、かれらにはまったく不可能である。いや、それどころか、カクマルの完全に不正義な反革命的襲撃は、革命勢力の武装自衛を強化し、政治的結集力を強化し、組織的党派性を強化し、階級闘争の大衆的・政治的・武装的高揚と革命勢力の建設との結合を強化し、もって内乱と武装の論理をもった階級闘争の革命的促進のための貴重なはげましとなっているのである。またそれは、カクマルに誤った期待をもっていた一部の良心的知識人や戦闘的労働者をかれらから分離し、カクマルと行動をともにしていた一部の勢力をかれらから分離し、カクマルの反革命的本質とその醜悪な内容を全人民のまえに暴露し、カクマルの内部からその最高の幹部をふくめて大量の離脱者を生みだし、組織的動揺と危機を深化させ、もって反革命勢力のせん滅を促進する重要な水路をかたちづくっているのである。
 かくして、革共同を中核とする革命勢力の戦略的大前進運動と、カクマルを実体とする反革命的投降集団の体制内への大後退運動との分岐と闘争は、革命勢力を強化し、革命的左翼とその影響下の巨大なプロレタリアート人民をいっそう前進させ、日帝のアジア侵略を内乱に転化する革命闘争に強固に結集していくのか、それとも、革共同を指導的中核とする強力な革命勢力を破壊し、革命的左翼の影響下の巨大なプロレタリアート人民を革命への情熱から遠ざけ、排外主義と国内平和の道に追いやり、日帝のアジア侵略の反革命的な前衛勢力に動員していくのか、という二つに一つの内乱的選択を決定する重大な問題を前衛的に提起しているのであり、革命的左翼をめざすいじょうは、なんぴとといえども避けることのできない問題である。ボルシェヴィキとメンシェヴィキの永続的対峙と内乱的衝突、革命的共産主義とスターリン主義の永続的対峙と内乱的衝突、革命的労働者勢力とファシズム的・ナチス的反革命勢力の永続的対峙と内乱的衝突、革命的な労働者農民勢力と国民党的な反革命勢力の永続的対峙と内乱的衝突という二〇世紀革命の内乱的構造が、革共同を指導中核とする革命勢力と、カクマルを実体とする新しい反革命勢力との、絶対的敵対関係として具体化しているのである。革命的左翼の中間主義的、日和見主義的な脱落者である宮下右派ブロック(青解、ブント日向派、フロント)の没落と解体のふかまりは、革命的共産主義と社会民主主義、スターリン主義との対立、革命的共産主義とカクマル反革命主義との対立の根源的意義を理解できず、その中間主義にとどまり、革命勢力の死闘によってきりひらかれた政治情勢の基礎のうえでムード的に右往「左」往しても、日帝のアジア侵略と真正面から対峙し、内乱的闘争を準備する決意も能力もまったく存在しないところに根拠を有しているのである。
 日本帝国主義の反人民的な沖縄政策の全面的な破綻と、それをのりきるためのいっそう暴虐な沖縄政策の展開、自衛隊沖縄派兵と釣魚台の略奪、入管二法案と恒常的入管体制の攻撃激化など、日帝のアジア侵略の道は、積極的で明確な性格をもちはじめている。しかも、自民、民社、公明、社会、共産の議会内全政党は、日帝の釣魚台略奪の攻撃において完全な国内平和を成立させたのである。いわば三月三〇日の社会党談話、三月三一日の日共談話をもって、事実上、日本の国会は中国侵略の「軍事予算案」を満場一致で通過させたことになるのである。また、革命の名で革命を破壊するカクマルは、いちはやく釣魚台略奪の帝国主義的合唱に参加し、革命勢力の侵略阻止闘争の破壊に全力をかけはじめたのである。
 いまや、日本帝国主義とその徒党は、釣魚台略奪=アジア侵略の政治をもっとも露骨な形態でおしすすめた。日帝のこの侵略の政治が、その継続としての侵略戦争に転化するのは、容易なことである。侵略の政治と、侵略の戦争との継続性を認識しえないものは、マルクス主義とはまったく無線であり、戦争を自然災害であるかのように説明する小ブル平和主義者や、平和に仲良く生活していた二つの国が突然に戦争状態にはいるという帝国主義のまやかしの説明に賛同するものである。日帝のアジア侵略の政治は、政治の継続であり、総括の手段である「戦争の問題」を明白にはらみはじめたのである。侵略と戦争のための帝国主義の国内平和の攻撃と、帝国主義の民主主義破壊の攻撃とのつながりを理解せず、後者との闘争を帝国主義打倒の革命的内乱を準備する見地から暴露し、指導しようとしないものは、まったくマルクス主義と無縁であり、帝国主義の国内平和の政治に投降するものである。帝国主義の侵略の政治に反対して、革命的内乱の戦略と準備を考慮しないもの、帝国主義の侵略と戦争に反対して、革命的内乱の戦略と準備を考慮しないものは、マルクス主義とはまったく無縁であり、労働者人民をあざむき、敵の手に売りわたすものである。
 日本帝国主義のアジア侵略の政治、アジア侵略の戦争に断固として反対し、日帝の根底的否定=プロレタリア独裁国家樹立の革命闘争をもって対峙し、アジア人民と連帯して侵略を内乱に転化していくこと――まさにこの一点に立脚することができるかどうか、日本の革命的左翼をめざすすべての勢力はこう問われているのである。侵略→内乱の戦略的総路線を確固として堅持し、いっさいの反革命を粉砕し、内乱と蜂起の準備を計画的、系統的におしすすめる方向で、政治闘争の大衆的、戦闘的、武装的高揚と、党・強大な政治勢力・武装勢力を三要素とする革命勢力の建設とを結合していくこと――まさにこの一点に、革共同を指導中核とする革命勢力の当面する実践的任務が集約されているのである。
 もちろん、われわれは、同盟創設以来の党建設の苦闘、党のための闘争と党としての闘争を結合した羽田以来のたたかいのなかで強力な革命勢力を建設し、プロレタリアート人民の広大な部分に熱烈な支持と影響力をつくりだすことに成功してきたとはいえ、帝国主義権力、独占体、報道機関、既成政治諸勢力、反革命諸勢力など、巨大な物質力と組織力を敵としていることを考慮するならば、いぜんとして敵勢力は圧倒的に優勢であり、味方勢力は圧倒的に劣勢であることは明白である。しかし、この客観的な力関係の認識は、われわれの後退を要求するものでも、絶望的冒険主義を要求するものでもない。いなむしろ、それは勝利的前進を確信させる革命的根拠なのである。
 
 (二)革命勝利の指導原則
 
 革命的なプロレタリア階級闘争は、もともと党の指導のもとに圧倒的に劣勢な革命勢力が圧倒的に優勢な反革命勢力に抵抗し、対峙し、それを打倒していく過程である。これいがいにいかなる方法もないのである。それゆえ、革命的前衛党の勝利の指導原則は一般的にいうならば、ただ以下の問題を正しく見つめ、正しく解決していくいがいにないのである。
 第一には、反帝国主義・反スターリン主義の世界革命戦略と、その一環としての日本プロレタリア社会主義革命戦略をたかだかとかかげ、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「たたかうアジア人民と連帯し、日本帝国主義のアジア侵略を内乱へ!」の戦略的総路線の勝利にむかって、日本プロレタリアート人民の圧倒的な総動員をかちとることである。世界革命の雄大な目的と日本労働者階級、人民大衆の正義の要求を固く結合し、革命の大義、プロレタリアート人民の大義をまもり、それを実現するためには、どんな困難にもうちかち、どんな手段をとってでもたたかう、という革命精神の全人民的な大高揚をつくりだすことである。
 第二には、侵略→内乱の問題を、文字どおり実現するために、プロレタリアート人民の一斉武装蜂起の準備を党の指導の下に計画的、系統的におしすすめることである。七〇年代革命という具体的な戦略課題の勝利にむかって、内乱と蜂起の準備の必要を宣伝し、その実践的な準備をいっそう強化することは、プロレタリアート人民の緊急の任務である。日本帝国主義国家権力の暴虐な内乱鎮圧型の全面的弾圧、反革命勢力の反階級的、反人民的な武装襲撃にたいし、党とその指導下の革命勢力の武装自衛と革命的団結をもって対峙し、プロレタリアート人民の巨大な戦闘的大衆を党のまわりに強固に結集し、内乱と蜂起の準備のために党と階級の諸勢力の戦略配置を推進することである。侵略に反対して内乱を拒否するもの、内乱を叫んで蜂起の準備を回避するものは、もっとも悪質な日和見主義である。内乱のスローガンを思想的確認なるものにおしとどめ、それの内包する政治的要素(権力闘争)と軍事的要素(武装闘争)を正しく認識しえないものは、もっとも卑劣な日和見主義である。内乱と蜂起の準備にむかって党の指導のもとにプロレタリアート人民を政治的に動員し、軍事的に武装していくこと、これが勝利のいっさいの基礎である。侵略→内乱の戦略的総路線の巨大な全人民的前進運動に恐怖し、アジア侵略のための国内平和への体制内的協力者となりさがり、マスコミやスターリン主義者と一体となって武装闘争の小児病的形態への「批判」を革命的武装闘争の否定と破壊にすりかえようとし、革命勢力破壊の反革命的先兵としてのみにくい姿をますますあらわにしている反革命カクマル一派を徹底的に粉砕し、帝国主義の内乱鎮圧型の弾圧と対峙し、内乱の革命的戦略と蜂起の計画的・系統的な準備にかんするプロレタリア的勝利の大路線のもとにプロレタリア人民の大結集をかちとり、政治と軍事を高度に統一した内乱と武装の論理をもって党の建設とその指導下の革命勢力の戦略的大前進運動をおしすすめること、これが反革命と日和見主義にたいするプロレタリアート人民の革命的回答である。
 第三には、プロレタリア暴力革命の観点にたってプロレタリアート人民の総武装=全人民の武装の思想を提起し、大衆闘争の貫徹にかかわる武装自衛の発展を「蜂起にむかっての今日的、意識的準備と経験蓄積の現実的形態」として積極的にとらえかえし、同時に、それを独自の恒常的武装勢力の建設のたたかいと結合し、党の指導のもとにプロレタリアート人民の一斉武装蜂起にむかって前進していくことである。いうまでもなく、全人民の武装の思想が全人民をとらえ、その物質化を達成していく過程は、同時的・均質的なものではありえず、革命的前衛党の指導のもとに、革命の大義と戦略的総路線の勝利にむかってプロレタリアート人民の大動員をかちとり、内乱と武装の論理をもって政治闘争と武装闘争を結合し、武装自衛の発展強化と独自の恒常的武装勢力の建設とを結合し、巨大な政治勢力の建設と強力な革命的武装勢力の建設を結合し、プロレタリアート人民による帝国主義軍隊の政治的包囲、革命的解体、兵士獲得の闘争とそれを結合し、もって内乱と蜂起の準備を計画的、系統的に推進する過程として実現していくであろう。革命の大義に反対し、侵略の政治に協力し、内乱の戦略的総路線と蜂起の準備を妨害し、全人民の武装とその物質化に反対し、国家権力と相呼応して党を指導中核とする革命勢力を破壊することを唯一の任務とする反革命カクマル、この現代のノスケ一派の絶望的な策動を粉砕し、帝国主義の内乱鎮圧型の攻撃に抵抗し対峙し、マルクス主義、レーニン主義の勝利の路線である全人民の武装の高揚をつくりだすことは、革命的プロレタリアート人民の共同の歴史的任務である。
 第四には、党とその指導下の革命勢力の永続的な戦闘的、戦略的大前進運動にかんする目的意識的で合法則的な党の指導原則を確立していくことである。圧倒的に劣勢な革命勢力が圧倒的に優勢な国家権力・反革命勢力に抵抗し対峙し、革命の雄大な目的と力関係の客観的認識とを正しく結合し、味方勢力の戦略的前進にとって有利な形式、有利な時点で闘争を主導的に組織し、党を先頭とする革命勢力を建設し強化し、プロレタリアート人民をいっそう強固に党のまわりに結集し、相対的に劣勢な革命勢力をプロレタリア階級闘争をとおして成長させ、強化し、もって相対的に優勢な敵を打倒していく、党の指導原則を確立することは、当面する重大な任務である。革命はいかなる意味でも「優勢」から出発することができないいじょう、革命の勝利の道は、相対的に劣勢な革命勢力が相対的に優勢な反革命勢力に対峙し、闘争をとおして力関係を転換し、敵を最後的に打倒していく、という弱をもって強を制し、少をもって多を制する戦略原則の合法則的な実践過程いがいのなにものでもないのである。帝国主義と反革命勢力の暴虐で不正義の攻撃と内乱的に抵抗・対峙し、革命の雄大な目的を確固として堅持し、戦略的総路線の前進をかちとる観点から敵味方の力関係を客観的に把握し、敵の目的と態勢、その強さと弱さ、味方の目的と態勢、その強さと弱さを正しく洞察し、味方を防御し敵の弱点を攻撃する有利な闘争の形式、有利な闘争の時点を主導的に敵に強制し、敵の利用しえない空間と時間をことごとく利用する革命的攻撃精神をもって闘争を貫徹し、その勝利を戦略的総路線に結びつけ、党の建設とその指導下の革命勢力の強化を徹底しておしすすめることが、弱者が強者に抵抗し、対峙し、勝利していくための当面の重大な指導原則である。
 第五には、党を建設し、その指導のもとに強大な政治勢力と強力な恒常的武装勢力を建設していくことである。革命的前衛党の建設は、革命の勝利、内乱と蜂起の準備、全人民の武装、革命勢力の戦闘的前進とその闘争指導の合法則性の絶対的な基礎である。プロレタリアート人民を党のまわりに固く結集し、その最良の部分を党に組織し、戦闘性・思想性・組織性の三要素の訓練と高揚をとおして党の幹部を育成し、党の指導系統を建設し、党の指導の全面的、集中的、統一的な質を強化することは、プロレタリア階級闘争の目的意識的な前進の基礎である。党は、プロレタリアート人民の最高の意識形態であり、最高の団結形態であり、最高の戦闘組織形態であり、最高の指導形態である。党の建設、幹部の養成、指導系統の建設、指導の質の強化の問題は、独自の領域として目的意識的に追求されなくてはならず、革命の戦略と蜂起の準備の目的意識性と合法則性を組織的に基礎づけるものとして規定されなくてはならないのである。政治闘争と武装闘争を結合し、主力戦と遊撃戦を結合し、統一性と多様性、集中性と分散性を結合し、合法的闘争と非合法的闘争、公然活動と非公然活動を結合し、プロレタリアート人民の闘争の質を低いものから高いものへしだいにたかめ、内乱と蜂起の準備を前進させるためには、党の建設とその指導が不可欠の条件である。自然発生的な形態をとって生起する個々の闘争と闘争課題にたいし、共産主義的全体性の立場から課題をうけとめ、共産主義的全体性の立場から個々の課題と闘争の勝利の共産主義的条件をあきらかにし、革命と内乱の総路線の勝利、結節環的政治闘争の大衆的・戦闘的高揚、党とその指導下の革命勢力の建設の三つの観点から個々の闘争の指導を貫徹し、個々の闘争の自然発生的な性格を止揚し、個々の闘争への排他的な埋没の傾向、自然発生的な傾向への追従的な指導の傾向を克服し、たえず指導の全面的・集中的・系統的な性格を強化し、共産主義的意識と戦略的問題意識の高揚をはかることが、党指導の強化の重要な課題である。五七年以来の党建設のたたかい、六六年の革共同第三国大会以来の戦略的前進のたたかい、六七年の羽田闘争、六九年十一月決戦、七一年秋の大暴動闘争を画期として前進してきた侵略→内乱の質をもったプロレタリアート人民のたたかい、その戦略的到達点としての帝国主義権力と革命勢力、カクマル反革命と革命勢力との内乱的対時の情勢を基礎として、いまやわれわれは、内乱の戦略的総路線とそれにもとづく蜂起の準備にむかって決定的な前進を開始しょうとしている。党の建設とその指導下の革命勢力の建設、党の指導系統の建設と指導原則の確立、指導の質の強化は、戦略的大前進運動の最大の革命的基礎であり、沖縄・入管――諸闘争の激発を戦略的勝利にみちびく出発点であり、総括点である。
 
 (三)本論文の目的――戦争と革命の基礎的考察
 
 以上の観点にたって現代プロレタリア革命のもっとも基本的な問題である戦争と革命の問題にかんして基礎的な考察をおこなうことが、本論文の主要な目的である。もとより本論文は、直接の実践的指針を構成しようとするものではなく、あくまでも個人の資格において、戦争と内乱、暴力革命と革命戦争にかんする基本問題を理論的に検討し、実践的指針の確立、実践的な指導原則の確立のための理論的基礎を提供しようとする計画の一部分である。すなわち、この計画は、大別すると、(1)戦争と内乱、暴力革命と革命戦争の問題にかんする一般理論、(2)戦争と内乱、暴力革命と革命戦争にかんする歴史的な考察、(3)現代の軍事思想、現代プロレタリア革命の軍事思想の批判的考察、という構成をとっているが、今回の発表の部分はおおよそ(1)の部分にあたることになる。それゆえ、ここでは、戦争と内乱、暴力革命と革命戦争にかんする一般理論、いいかえるならば、戦争と革命の普遍的な法則とその指導の合法則性の洞察することに努力を集中した。資本主義社会ならびにその帝国主義段階における戦争と内乱、暴力革命と革命戦争の問題、また、帝国主義から社会主義への世界史的な過渡期の時代、とりわけその平和共存的な変容形態の支配のなかでの戦争と内乱、暴力革命と革命戦争の問題、という特殊歴史的な考察については、(2)、(3)においてなされる。
〔注〕 革命とその指導、戦争とその指導には、おのおの一定の客観的な法則性が存在する。経済過程には法則性はあるが、政治=軍事過程には法則性がない、といった宇野派の俗説をわれわれの戦線の内外で完全に一掃し、革命とその指導、戦争とその指導の客観的な法則性の認識と、それにふまえた合法則的な指導原則の確立のためにたたかうことは、革命的内乱の戦略的総路線と蜂起の準備の勝利にとって、緊急不可欠の任務である。
 第二次世界大戦後のいわゆる戦後世界について、戦争を知らない時代、暴力革命が過去の問題になった時代、という誤った理解が支配的見解であるかのようであるが、これは、事実の問題としても、理論の問題としても完全に誤っている。戦争と内乱の問題ひとつとってみても、いわゆる戦後世界は、ヤルタ=ジュネーブ的世界分割、戦後帝国主義の全世界的な軍事体制の構築、スターリン主義によるプロレタリア国際階級闘争の一国社会主義的、平和共存政策的な歪曲にもかかわらず、帝国主義の戦争、解放と革命の戦争が恒常的・永続的に継続し、全体としては帝国主義戦争から革命戦争(国際的内乱)への世界史的な転化の時代としての特徴を示しているのである。このような世界史的な現実は、基底的には、(1)第二次世界大戦とその戦後処理によっては、二九年の大恐慌とそれにもとづく世界経済のブロック的解体の矛盾を解決しえなかったこと、(2)帝国主義の戦後世界体制の重圧、スターリン主義による革命の一国社会主義的、平和共存政策的な歪曲という戦後世界の構造のなかで、帝国主義とスターリン主義のヤルタ=ジュネーブ的分割支配をめぐる矛盾、世界支配権の再分割をめぐる帝国主義列強間の矛盾、帝国主義と半植民地後進国人民の矛盾、帝国主義と本国プロレタリアート人民との矛盾などが、世界のいたる所で各種の戦争として爆発し、世界革命による根底的解決をするどく要求していること、に基礎づけられているのである。
 帝国主義本国のプロレタリアート人民が、たたかう半植民地後進国人民と連帯し、帝国主義本国革命にかんする「平和革命論」的な背教者の綱領と実践を粉砕し、帝国主義国家権力打倒=プロレタリア独裁国家樹立の革命闘争を開始することは、いまや、世界革命の重大な任務である。帝国主義戦後世界体制がその経済体制においても、政治的、軍事的体制においても、世界史的な破局のはじまりを示し、スターリン主義の歴史的破産がますます明白になりはじめたこんにち、現代世界の戦争と内乱、暴力革命と革命戦争とその指導にかんする合法則的原則を確立することは、まさに焦眉の課題といわねばならない。以下がそのための準備作業の前進のための一助となることを期待している。
 
 第一章 戦争の基本問題
 
 ()戦争と政治
 
 戦争の原因について、それを人間の意志を超越した不可知な現象――古代人たちのいう運命のようなもの――とみなそうとする考えは、おそらくは戦争の歴史とともに古くから存在したのであろう。ヘーゲルのような卓越した哲学者ですら、戦争を文明の運命的な災害であるかのように考察したのであった。ナポレオン・ボナパルトを人格的象徴とするフランス革命戦争、ナポレオン戦争の一大爆発と、それに対抗して展開されたヨーロッパ同盟諸国の戦争、という近代ヨーロッパの大戦争にかんして、ヘーゲルは、それを一定の歴史的条件のもとにおける階級闘争と政治支配の継続として把握しようとはせず、世界精神なるものの歴史的必然という抽象をもってかえたのであった。英雄ボナパルトと、それを中心として渦巻いた大激動は、ドイツの知性には「運命」いがいのなにものでもなかったのである。
 事実、多くの場合、民衆にとって戦争は、自然災害のように文明を襲撃し、民衆の生活を破壊し、人命を殺傷する惨禍であり、悪しき運命であった。世界の文化的な民族が、その記録や文学のうちに戦争を恨み、戦争を悲しみ、戦争を憎むことばを数多く残していることは、周知のとおりである。いわば原罪として、戦争は人間とその歴史に襲いかかるかのように理解されたのである。しかし、同時に、世界の民衆は、他民族の侵略や圧政者の横暴に抵抗し、これを打倒するために決起した英雄たちの蜂起や戦争について、人間の自由と尊厳をまもる人間的行為として称賛し、誇りに思ってきたのである。文明の運命のもたらす諸悪を断ちきり、人間の解放のためのおたけびを保障するものこそ、人間の軍事的な徳(ヴィルトウ)としてみなされてきたものなのである。
 このような戦争にかんする相反する評価の存在は、戦争それじしんに固有の絶対的な価値が備わっているのではなく、具体的な戦争そのものがなにを目的としているのか、民衆にとってどのような意味をもっているのか、という事情によって、運命的な惨禍にも、自由のための英雄的行為にもなりうることを教えているのである。戦争とはなにか、ということを考察する場合、われわれは、一般的に戦争の惨禍を運命論的に評価し、小ブル的絶対平和主義を観念的に対置するのではなく、なにが原因でこの戦争がおこなわれているのか、それを準備し指導している人びとの戦争目的はなんであるのか、それは誰の利益のために遂行されているのか、という点にまで正しく検討をくわえていくことがたいせつなのである。なぜならば、あらゆる戦争は、不可知な原因や個人の恣意的な悪意からおこるのではなく、それにさきだつ各国の政治、経済、社会の状態、いわゆる「平和的な」手段で自分の目的を達成しようとしていた各階級の政治と固く結びついており、このような政治の目的意識的な継続として発生するからである。
 ところで、政治的支配者たち、とりわけ聡明な知的洞察力をもった指導者たちは、戦争が人間の積極的な意志の所産であること、しかも合理的な打算のうえに準備し指導されねばならないものであることを明瞭に理解していたのであった。もちろん、戦争の本質を人間社会の原理的な解明を基礎として科学的に把握すること、人間による人間の搾取、ある民族による、ある民族の支配をことごとくなくすことによって戦争のあらゆる可能性をなくす立場にたって、正義の戦争と不正義の戦争を区別し、戦争の客観的な法則性に立脚した正しい戦争指導の方法について考察することは、近代プロレタリアートの世界史的登場と、その世界観としてのマルクス主義の形成をまってはじめて可能であった。にもかかわらず、国家の政治的支配者たちや、その軍事的指導者たちの少なからぬ人びとは、戦争がいかに複雑で洞察しがたい様相をおびていようとも、それが人知をこえた自然災害のようなものではなく、国家支配の利害を基礎とした意識的、打算的な行為であること、それゆえ、戦争の準備遂行を指導するには冷静に事態を掌握する知性と勇気を必要とすることをよく理解していたのである。
 たとえば、戦争指導にかんする最古の思想的考察の書である『孫子』は、その冒頭において「兵は之、国の大事、死生の地、存亡の道なり、察せざるべからざるなり」(戦争は国家の重大事である。人民の生死がきまるところであり、国家の存亡の分れ道である。だから、戦争をはじめるにあたっては、慎重細心な検討をくわえる必要がある)と指摘している。戦争が国家と人民の命運をかけて遂行される政治的な大事業であるから、戦争の法則性を客観的に洞察し、敵味方の力量と意図を正しく把握し、勝負にあたっては完全不敗の態勢をしくよう要求しているのである。いいかえるならば、『孫子』は、戦争が人間同士の闘争であり、味方の弱点を防御し、相手の弱点を徹底して攻撃する人間的主体性の格闘であり、主導権のうばいあいをとおして味方の力を集中し敵の力を分散し、劣勢をもってしても優位を確保する過程である、と教えているのである。
 また、近代政治学の先駆者であり、歴史的に「早すぎた」ジャコバンであったマキアヴエリは、『君主論』『リヴュウス論』(ローマ史論)『戦術論』という三位一体的な著作において、戦争の問題、軍事力とその指導の問題が、国家の論理、政治とその指導の論理と固く結合していることを鋭く解明するとともに、イタリアの危機を克服する新しい政治的指導力の登場が、民衆の共和主義的な武装=民兵制度の形成と固く結合しなくてはならないことを天才的能力をもって予見したのであった。もともとマキアヴェリの支配の論理にかんする達見は、国家支配の構造を内政と外交、民衆統治と外敵対抗、覇権と勢力均衡、強制と説得、指導と被指導、運命と徳(実力、器量)という相互規定的な契機に分析し、その各契機において政治と軍事を統一すべきことを洞察したところにあった。このような卓越した天才的洞察に立脚した実践的指針として、マキアヴェリは、一方では、イタリアの新しい政治指導力がその課題に対応しうるだけの強力な政治的、軍事的能力を保持しなくてはならないこと、他方では、イタリア統一を外国勢力に対抗して達成するためには強力な政治指導力と、そのもとに結集した民衆蜂起と民兵制度の確立が必要であることを提唱したのである。
 『孫子』においては戦争とその指導の法則性の洞察が、主として外敵にたいする征服的攻撃と、外敵のそれにたいする味方の防御的態勢の相互作用について、後者のもつ絶対的、前提的意義が軍事的哲理として説かれたのであったが、マキアヴェリにおいては国家支配と戦争指導の存亡が、究極的には政治指導者の政治的、軍事的実力と、そのもとへの民衆の政治的、軍事的統合の度合いに大きく決定される事実を重視しているのである。いわばマキアヴェリは、近代戦争における民衆の動員とその武装のはたす決定的な重要性を天才的に予見し、新しい政治指導力が民衆の力を基礎とした「武装した予言者」でなくてはならないことを提言することによって、ジャコバンに三世紀も先行する名誉と悲劇を経験したのである。
 フランス革命とその発展としてのフランス革命戦争、フランス革命戦争のブルジョア的、征服主義的な継承としてのナポレオン戦争、それにたいするヨーロッパ同盟諸国民の解放戦争、という一八〜一九世紀を画期した三〇年間の全ヨーロッパ的な内乱と戦争の過程は、戦争の政治的本質とその軍事的特質を基本的に解明する条件を世界史的にもたらしたのであった。戦争における民衆の動員とその武装の決定的重要性にかんするマキアヴェリの予見は、宗教戦争(全ヨーロッパ的内乱)においてクロムウェルのニューモデル軍やそれの排外主義的発展に抵抗したアイルランドの蜂起、低地ヨーロッパ(オランダ、ベルギー)の独立戦争などとして萌芽的様相を示しながらも、絶対主義的王政の強化と、その常備軍の示威行進的な戦争の普及のなかで歴史的な埋没を余儀なくされていたのであったが、フランス革命の大衝撃によって、ここに民衆の戦争における役割が革命的な爆発力をもって解放されるにいたったのである。
 戦争が超人間的な運命でも、仲良く交際していた国家と国家とが、突然に不可抗力の力で戦争に巻きこまれるという具合におこる不可知の事件でもなく、また、平和に生活していた国家に突然他の国家から侵略がおこなわれて戦争がおこるというものでもないこと、戦争が国家間の厳正な利害関係の衝突、いいかえるならば、国家間の利害の対立と、それにもとづく国家間の政治的・外交的な交渉が、その継続として戦闘力の行使を手段とする軍事的交渉に発展したものであり、自己の国家意思を、強力を行使して相手国家に強制しようとする積極的な政治行為であること。それゆえ戦争が激烈な絶対戦争として性格を強くするか、それとも中断と停止をともなう平静な性格に後退していくかは、戦争遂行国家の政治指導者の政治目的の大小と、それによって動員される民衆の政治的高揚の度合いによって決定されること――このような近代戦争の特徴を古典的な精密さをもって洞察し、戦争の理論を構築したものこそ、クラウゼヴィッツの『戦争論』であったのである。シャルンホルスト、グナイゼナウらとともにプロイセン軍制改革の先駆的な遂行者であり、のちにプロイセン陸軍大学の学長となったクラウゼヴィッツは、フランス革命戦争――ナポレオン戦争――同盟諸国の戦争という近代ブルジョア戦争の大爆発と、その内乱的性格にたいし確固とした考察をくわえ、戦争の政治的本質と軍事的特質を洞察する重大な手がかりを与えているのである。
 もとより、すべての天才がそうであったように、クラウゼヴィッツもまた時代の子であった。かれは、ブルジョア世界革命の古典的激動を経験することによって、戦争のもっとも絶対的な形態に近いものを考察する機会をえたのであるが、しかし、戦争の規定的動機としての政治そのものの階級的性格を捨象し、政治を政府間の対立に単純化し、近代ブルジョア戦争の内包する内乱的性格を不十分にしか把握しえなかったために、のちにみるように、フランス革命戦争――ナポレオン戦争の基軸的意義、スペインのゲリラ戦、ドイツのシレジア軍、ロシアのパルチザン闘争など同盟諸国の戦争に胚胎していた正規的主力軍とゲリラ的、パルチザン的部隊の結合のもつ政治的、軍事的意義を相対化するなど、多くの限界を示したのであった。にもかかわらず、われわれは、哲学におけるヘーゲル、経済学におけるスミスの役割を、クラウゼヴィッツが戦争論の分野においてはたしていることについて、明確にしておかなくてはならないのである。
 現代のプロレタリア世界革命の理論的・実践的な基礎をきずいたレーニンは、戦争と革命の相互関係をブルジョアジーとプロレタリアートの絶対的な敵対関係を内乱的発展にむかって集約すべきことを洞察し、内乱と蜂起、暴力革命と革命戦争の準備の方向にその実践的回答を見いだしたのであった。第一次世界大戦のさなか、帝国主義戦争を内乱に転化する厳しい理論的、実践的な苦闘の一環としてクラウゼヴィッツ『戦争論』の詳細なノートを作成したレーニンは、一九一七年五月、労働者兵士ソビエトとケレンスキー政府との内乱的対峙のなかで『戦争と革命』という卓越した講演をおこない、クラウゼヴィッツの見解についてつぎのような高い評価を与えているのであるが、まことにそれは当然のことといわねばならないのである。
 戦争哲学と戦争史にかんするもっとも著名な著述家のひとりクラウゼヴィッツの金言はひろく知られているが、それはこういっている。「戦争は別の手段による政治の継続である」と。この金言をのべた著述家は、ナポレオン戦争時代の直後に戦争の歴史を概観してこの歴史から哲学上の教訓をひきだしたのである。この著述家の根本思想は、こんにちでは思考力のある人ならだれでも無条件に自分のものにしているが、この人はすでに約八〇年まえに、戦争を関係政府や階級の政策からきりはなすことができるとか、いつの戦争も平和を破壊する攻撃があって、つづいてこの破壊された平和が回復されることにすぎないものと見ることができるとかいう、俗物的な無知な偏見とたたかったのである。けんかして、仲直りした!これは粗雑で無知な見解であって、数十年まえにくつがえされたし、また歴史上のどの戦争時代でもいくらか注意ぶかく分析しさえすれば、くつがえされるものである。
 【なお、現代アメリカの著名な数学者であり、平和研究グループの一員であるラバポートは、アメリカ帝国主義の核戦略をクラウゼヴィッツ型の戦争理論の復活であると批判し、自然災害型の戦争理論こそ「今後の平和研究の本格的課題」であると提唱している(ラバポート『現代の戦争と平和の理論』岩波書店)が、戦争の政治的本質にかんする小ブル平和主義者のこのような反発と、不可知論的な戦争論への逃亡こそ、アメリカ帝国主義の戦争政策を許容し、反戦闘争の内乱的・革命的発展を妨害する反動的こころみである。日本においてもラバポートの亜流の評論家が、クラウゼヴィッツの戦争理論を帝国主義のそれと等置し、いわゆる人民戦争論の小ブル自由主義的な解釈をこころみている(もののべ「試論、第三次大戦」『現代の眼』七一年十一月)が、そこにおいて解体されているのは帝国主義の軍隊ではなく、プロレタリア独裁国家と革命的前衛党による革命の軍隊の指導原則である。レーニンのパルチザン戦争論はもとより、毛沢東、グエン・ザップの人民戦争論を検討するならば、われわれは、そこにクラウゼヴィッツの理論の現代的な模索のこころみを発見することができるであろう。】
 
 ()戦争とその指導の原則
 
 さて、クラウゼヴィッツ戦争論が、フランス革命戦争――ナポレオン戦争とヨーロッパ同盟諸国の戦争の歴史的展開を基礎とし、その天才的な考察をとおして体系的に構成されたものであることは、すでに前節に見たところであるが、それではクラウゼヴィッツ『戦争論』は、いかなる内容をもつものであろうか。もとよりクラウゼヴィッツ『戦争論』は、大部の著作であり、その主張点をあまねく整理することはいちじるしく困難であるが、われわれの当面する戦争と革命の相互関係を解明するうえで実践的に必要な諸点を骨子的に要約するならば、クラウゼヴイッツ戦争論の意義はおおよそつぎのようなものになるであろう。
 
〔注〕クラウゼヴィッツ戦争論のより詳細な検討については、拙稿『クラウゼヴィッツ戦争論の要項』(『破防法研究』二四、二五号)を手がかりに原典そのものの攻究をされるよう切に希望する。戦争とその指導の普遍的合法則性を明確にするためには、戦争理論の古典をなす『孫子』、クラウゼヴィッツ『戦争論』の徹底した批判的摂取がたいせつである。ナポレオンが『孫子』を座右の書としたこと、ホー・チ・ミンが抗日戦争と蜂起の準備にあたって『孫子』のベトナム語訳をしたことは、第一次大戦中にレーニンがクラウゼヴィッツを研究したこととならんで有名である。普遍的な原理と現実の経験を結合することが、生きた実践的理論の基礎である。
 クラウゼヴィッツ戦争論の第一の意義は、戦争の本質が、「政治の継続」であり、「政治とは異なった他の手段をもってする政治の継続」であることを洞察した点である。
 もとより戦争は、国家間・社会的集団間の物理的強力を行使した衝突であり、相手を征服せずにはやまぬ激烈な性格を有しているものである。しかし、戦争の原因を人間の敵対感情に見いだすのは誤りである。そうではなしに、戦争をおこさせるのは、国家間、社会的集団間の利害関係の衝突であり、それにもとづく敵対的意図の激しさなのである。のちに見るように、戦争の特質は、物理的な強力を行使してわが方の意志を相手に強要しようとする一種の強力行為にあるが、こうした戦争の特質は、ほかならぬ戦争が、国家間、社会的集団間の政治目的の衝突、相互に自分の意志を相手に掟として強制しあう過程であることをあきらかにしているのである。いいかえるならば、戦争においては、政治目的が本質的な動機であり、戦争指導の基本的視点であって、軍事目標とそのための軍事行動はあくまでも政治目的の手段でなくてはならないのである。それゆえ、戦争の特性をなす激烈さを決定するのも、相手の完全な打倒をめざす絶対的形態に戦争をたかめるのも、戦争に課した政治目的とそれにもとづく敵対的意図の大きさによるのである。
 以上が、戦争の政治的本質、戦争指導における政治の優位性にかんするクラウゼヴイッツの所説のきわめて簡素な要旨であるが、戦争の原因を自然災害型の不可知論から解放し、戦争の歴史的・階級的な性格がいかなるものか、政治目的が正義なものか不正義なものか、を解明し、戦争にたいするプロレタリア階級闘争の正しい態度を決定するうえで、それらは、重要な尺度を提供しているのである。
 第二の意義は、戦争は戦闘力とその装備の対抗関係であるばかりでなく、彼我双方の政府、軍隊、国民の政治的、精神的諸力の対抗関係であることを洞察した点である。
 従来の戦争の理論は、策源論など形式主義的機械論の方向で混乱していたのにたいし、クラウゼヴィッツは、戦争指導における政府、軍隊、国民の役割、とりわけ、これらの三位一体的な要素の政治的、精神的諸力がはたす決定的な重要性をフランス革命戦争、ナポレオン戦争、同盟諸国民の戦争の経験にふまえて明確にし、戦争とその指導の法則性について形式主義的機械論を突破する根拠をもたらしているのである。
 すなわち、第一には、戦争の政治的本質についての認識にもとづいて戦争の計画、準備、遂行、講和の全過程において政治が大綱的な指導要素でなければならないこと、政府は戦争目的とその軍事目標の設定、そのために行使する戦闘力の準備、戦闘過程の大綱的な指導を貫徹しうる宏大で卓越した知力と強固な性格を要求されることである。政治目的の雄大さを文字どおり戦争の強化に結合したフランス革命政府――ナポレオン帝政の経験、ナポレオン帝国への諸国民の抵抗を同盟諸国の戦争に結合した経験を基礎に、クラウゼヴィッツは政府――政治指導のもつ決定的重要性を指摘するのである。
 第二には、軍事指導者の天才的な能力、軍隊の試練を経験した軍事的な徳、総じて軍隊指導のもつ精神的な要素が重視されていることである。周知のように、絶対主義王政のもとの軍隊は、君主直属の貴族的騎士団とその指揮下の傭兵隊、その補助的手段としての農民の賦役的召集より構成されていた。それは常備的中央軍としての集中性を有する点において中世の封建騎士団よりも強力な性格を具備していたが、(1)規模が王朝の財源の制限と募兵の困難によって限定されていたこと、(2)軍規を維持するための自律的モラルが低いため、過酷な体刑や処罰の強化をもって補強せねばならなかったこと、(3)軍の指揮系統が強力に機能しているうちは結束が固いが、形勢が悪化するといっきょに逃亡者が続出すること、そのため、(4)戦闘の形態も軍勢の威力を誇示しあう一種の軍事的示威行進のようなものにならざるをえなかったこと、という決定的な弱点を内包していたのである。フランス革命とその継続としてのフランス革命戦争は、軍隊の階級構成と指揮系統に巨大な変動をくわえ、軍隊を革命とその祖国に奉仕する軍隊に方向づけることによって、軍隊の内的規律を一変させ、戦闘形態の革命的な改善を可能にしたのであった。民衆の自発的な共和主義的蜂起と、それにもとづく軍隊への組織化(義勇軍と徴兵制にもとづく国民軍)、旧将校の共和主義的部分と革命軍出身の新将校のアマルガムの形成――こうした軍隊の革命的再構成は、一方では軍事指導者に天才的能力を発揮する機会を与えるとともに、他方では兵士の精神的自発性のもつ爆発的威力を全ヨーロッパのまえで証明したのである。
 第三には、民衆の政治動員とその軍事的武装が戦争の動向を決定する最重要の要素として明白に確認されたことである。前述したように、王朝的戦争は、基本的に職業的常備軍のあいだの示威的戦争であり、戦闘による災害を除くならば、民衆とは無縁なものとして戦争が推移したのであった。したがって、講和による勢力圏の再編成も、住民の動向をおおむね無視しておこなわれたのであった。しかし、フランス革命を画期とする民衆の政治的、軍事的爆発は、戦争の様相を決定的に変化させたのである。戦争の政治目的は、自国の民衆を動員する力となったばかりか、相手国の政府を動揺させ、民衆の獲得を可能にする武器に転化したのである。防御戦争の特権、ゲリラ的・パルチザン的戦争の有効性の問題も、敵戦闘力にたいする味方の抵抗力の徹底的な動員、味方の民衆と土地空間の根こそぎの利用という問題をぬきにしては無意味に転化せざるをえないのである。
 第三の意義は、戦争の特質が、敵の意志を屈服させ、相手にわが方の意志を掟として強要するためには「敵の戦闘力をせん滅することによって敵の抵抗力(防御)を完全に無力にしなくてはならない」ことを洞察した点である。
 従来の戦争の理論が示威行進的な一種のゲームの様相を呈していたのにたいし、クラウゼヴィッツは、フランス革命とヨーロッパ反動との全ヨーロッパ的な内乱、フランス資本主義とイギリス資本主義とのヨーロッパの覇権をめぐる衝突(したがってまた、植民地的世界の支配権をめぐる衝突)という二重の絶対的な敵対関係の基礎のうえに展開されたフランス革命戦争、ナポレオン戦争、同盟諸国の戦争にふまえて、戦争が、特質としては、究極的に「味方戦闘力の保持と敵戦闘力のせん滅」に要約されることを疑問の余地のない明快さで照らしだしたのである。エンゲルスは、フランス革命を転機として戦闘形態が横隊編成から縦隊編成に転換し、これに散兵戦闘が結合したと指摘しているが、このような変化は、軍隊の人的構成の膨張と軍規的モラルの高揚があってはじめて可能であった。もちろん、近代ブルジョア戦争においては、多くの場合、敵の完全な打倒が目的ではなく、講和による勢力関係の再編成を目的とする制限された戦争の性格が強くなるのであるが、このクラウゼヴィッツのせん滅戦の概念は、階級闘争を基礎とした非和解的な敵対関係の発展、内乱と革命、蜂起と革命戦争という現代の課題の発展のなかで、いっそうゆたかな経験と意義を獲得しはじめているのである。
 第四の意義は、防御戦争の特権、ゲリラ的・パルチザン的武装闘争のもたらした革命的衝撃力について軍事的側面からではあれ積極的な評価を与え、近代戦争においてそれらのもつ決定的な役割を洞察した点である。
 第一には、攻撃と防御の不均衡、つまり防御という戦争形式の戦略的・戦術的な有利さを明確にしたことである。もともと、防御とは敵の攻撃を「拒止」することにあるが、その特徴とするところは、敵の攻撃を「待ちうける」ことにあるのである。それゆえ、防御と言う戦争形式は攻撃者の利用せずに過ごす時間と空間はすべて防御者に有利にはたらくこと、現在は動員されていない戦争の諸力を総動員する可能性に期待できること、などの点において、彼我双方の使用する力が同一のもとでは攻撃者よりも有利な形式なのである。それゆえ、強者は攻撃をとり、弱者は防御をとるのである。
 第二には、防御は、世俗に理解されているように専守防衛を意味するものではなく、攻撃という積極的な要素をたくみに配合したものであり、攻撃者の側の弱点をすべて防御者の有利な戦線に転化していく侵攻思想が烈々とみなぎっていなければならないのである。それゆえ、防御の根底には敵にたいする報復の観念、防御における敵の征服、全面的な反撃――攻撃への転化への準備がいっかんして存在していることが肝要なのである。戦闘力の保持=敵対意志の堅持が保障されているかぎり、ナポレオンの大軍を迎撃したロシア、プロイセンの同盟軍のように勝利を獲得することができるのである。
 第三には、防御は、相対的に劣勢な勢力が、相対的に優勢な敵に対抗し、それに勝利していく戦争の形式である。もとより、防御の形式をとることは、敵が攻撃してきた場合だけ闘争しうるという消極的な目的にあまんじなければならないことを意味している。しかし、それも敵の意志を屈服させるための手段なのである。したがって、防御は、敵の打倒を求めてやまぬ烈々たる高い政治目的と、相対的に劣勢な自分の現実にかんする客観的認識を結合する戦争の形式であり、全民衆の政治的動員とその軍事的武装、敵の利用しえない時間と空間の徹底的な利用をとおして弱者が強者に勝利していく戦争の形式である。
 クラウゼヴィッツの攻撃と防御の不均衡、防御戦争の特権にかんする見解については、その体系的な批判者はもとより、支持者のあいだでも否定的意見が少なくないのであるが、しかし、それは資本主義のための戦争、帝国主義のための戦争が、防御戦争という形式と本質的に不適合である、という歴史的・階級的現実を無視するものであり、理論の実現の条件を捨象した形而上学的理解であるといわなくてはならないのである。防御戦争の特権の理論が、ゲリラ的・パルチザン的な遊撃戦の経験を水路として、革命的内乱の理論、一斉武装蜂起の準備と革命戦争の理論と結合しはじめている二〇世紀階級闘争のと現実は、クラウゼヴィッツ防御戦争論の基本的有効性を明白に立証しているのである。
 
 ()戦争とその指導の原則(つづき)
 
 もとよりクラウゼヴィッツ戦争論が、いくたの問題点を有していることは、その時代的前提からして当然である。それでは、クラウゼヴイッツ戦争論の問題点はどこにあるのか、戦争と革命の相互関係を解明する実践的観点から、つぎに検討して見ることにしよう。
 クラウゼヴィッツの戦争論の第一の問題点は、政治が政府意志の決定的遂行課程と同一視されているために、戦争の本来の政治目的と、民衆を戦争に動員するための政治目的とが矛盾的に展開することである。
 もともと戦争の本質が国家の支配階級の政治の継続であり、関係諸国の支配階級のあいだの勢力関係の再編成の過程であるとするならば、国家の最高指導者にとって、戦争が民衆を排除した地点でおこなわれることがもっとも望ましいのはいうまでもないところである。しかし、フランス革命戦争を画期として国民戦争の優位性が明白となったため、戦争の最高の意志決定者としての国家=支配階級は、自分たちの固有の特殊利害を防衛するためには、国家を主体とする戦争行為のなかに民衆を積極的に包摂していくことが必要となったのである。その結果、国家権力は、戦争に課した本来の政治目的とならんで、民衆を戦争に動員するためのイデオロギー的な政治目的をもつことが必要となったのである。まさにこのような政治目的の二重化は、民衆の戦争への動員とその武装が、さしあたって国家意志の実現のための手段としての意義と役割を有しているにもかかわらず、同時に、国家の戦争行為が民衆の動向によって決定的に左右される危険を内包している、という近代ブルジョア戦争の矛盾的構造に基礎づけられているのである。
 クラウゼヴィッツは、政治目的のこのような分離に無自覚のままで、政府と国民との一致を国家最高指導者の天才をもって保証しようとするのであるが、それは国家の強権のもとでの擬制的統一でしかないのである。それゆえ、戦争の政治目的の分離は、ただ戦争の最高の意志決定者と戦争の現実的の担い手である民衆とを「民衆の動員とその武装」を基礎にして統一することをもってはじめて解決される。もちろん、政治目的の統一は、プロレタリア独裁国家の樹立と革命的前衛党の指導を不可欠の条件とするのであるが、しかし、プロレタリア国家の革命戦争といえども、政治目的の二重性は、容易に解消されるとはいいえないのである。ブルジョア戦争にたいするプロレタリア国家の革命戦争の独自性は、戦争を規定する政治目的が戦争に動員される民衆の利益に結びついているばかりでなく、戦争にむかっての民衆の政治的動員とその軍事的武装がプロレタリア国家の政治目的を決定=遂行する過程をなす、という構造をとって政治目的の二重性を解決していくことができるところにあるのである。革命的前衛党の指導こそ、政治目的の二重化とその革命的統一を不断に実現していく決定的な基礎である。
 第二の問題点は、政治と戦争の関係、戦争における政治目的と戦争指導の関係について、前者が後者の知性として定立されているのもかかわらず、それが外在的規制関係に終始し、軍隊における政治の内在的な貫徹が機械的に無視されていることである。
 すでに見たように、近代ブルジョア戦争の特殊性は、戦争における民衆の動向の決定的な増大と、戦争の政治目的のブルジョア的階級性との矛盾を基礎として、国家の最高指導者の設定する本来の戦争目的と、民衆をその戦争目的にむかって動員していくための政治目的とに二重化していくところにあるが、このような戦争指導の矛盾的な構造は、軍隊に対する関係としては、軍隊を総体として非政治的な機構に仮象し、それを政治目的の実現のための手段として機能させる、という構造としてああわれるのである。フランス革命戦争は、職業軍人を中核とする絶対主義王政下の軍隊とは質的に相違し、民衆の共和主義的蜂起を基礎として遂行されたものであり、その民衆的性格は圧倒的であったが、そこにあってさえも、軍隊の非政治的閉鎖性はきわめて濃厚であった。
 軍隊のこのような非政治的機構化と、兵士内部での政治活動の排除は、一方では、軍隊をブルジョア的政治目的の道具に単純化するとともに、他方では、軍隊内部の自発的な軍規を解体し、権威主義的な指揮系統の復活を容易にしたのである。絶対主義的な軍隊機構を「国民皆兵」を基礎にしてブルジョア的軍隊に開明したプロイセンなどの諸国にあっては、政治目的の二重化の矛盾は、政治の機械的排除、軍規の権威主義的強化として厳しく反映したのである。
 しかし、軍隊の非政治的機構化の仮象と、その結果としてのブルジョア的階級利益への軍隊の従属(その議会的表現としてのシビリアン・コントロール)と、兵士の自律的なモラルの解体=権威主義的な軍規の強化は、戦争目的、軍事目標、行動原則を確固として堅持して戦争指導を貫徹していくうえで政治目的の二重化の矛盾をいっそう深刻なものにするのである。戦争の政治目的をめぐる政府と民衆の対立の激化は、軍隊内部の一体性の仮象の崩壊として遅かれ早かれ内在化せざるをえず、このような軍隊内部の政治目的の分解は、軍隊=軍事問題のもつ過度への極限性に媒介されて、急速に権力問題に転化せざるをえないのである。
 クラウゼヴィッツは、ここにおいても軍事指導者の天才的な英明と、兵士の軍事的徳のたかさに期待し、「十分に吟味された原則こそすぐれた真実である」との確信を堅持し、「最初の原則」を貫徹することが困難と動揺にたいする正しい態度である、というすぐれた行動原則を提起している。しかし、クラウゼヴィッツにあっては、軍隊のブルジョア的本質と軍隊の民衆的構成との矛盾、軍隊内部の政治目的の潜在的、顕在的な二重化を根底的に解決する方向を提示することができず、「最初の原則」(ここではブルジョア支配階級の政治目的と軍事目標)を堅持すべきことのみが強調されているだけなのである。
 それゆえ、戦争指導における原則堅持の問題は、戦争の政治目的の二重性を「軍隊内部に積極的に政治(階級闘争)をもちこむ」方向で不断に止揚していくことによって保証されるのである。それは根底的には、民衆の政治的動員とその軍事的武装を基礎とした新しい人民の革命軍を創成し、発展させていく過程いがいのなにものでもないのである。革命的前衛党に指導されたプロレタリア独裁のための軍隊、これこそ軍隊の軍事的天才と軍事的徳を自発的な英雄主義をもって爆発させる根拠なのである。
 第三の問題点は、戦争の特質について「わが方の戦闘力の保持と敵戦闘力のせん滅」をとおして敵の意志を屈服させる一種の強力行為であると正しく洞察しながらも、敵戦闘力のせん滅と言う手段のもつ固有の政治的意義をあいまいにしていることである。 もともと近代ブルジョア戦争の究極目標は、敵の意志を屈服させ、わが方の意志を相手に強要するところにあるが、その内容は、敵の完全な打倒と講和の締結という二つの次元の異なる目的をふくんでおり、現実的には後者の次元の問題にたえず集約していくのである。ところが、周知のように講和という戦争の終結の方法は、交戦諸国間の勢力関係の再編成、覇権的地位と対抗的な勢力均衡の再編成であり、究極的には同一の階級的利害に立脚した強盗的分け前の分割戦いがいのなにものでもないのである。このような講和に逆規定された近代ブルジョア戦争の性格は、戦争の本来の性格、絶対的な敵対関係を基礎とした絶対戦争の概念とのあいだに固有の矛盾を有しているのである。
 クラウゼヴィッツは、この矛盾を戦争の絶対的形態と現実的形態との概念的関係に整理し、後者については戦争の性格が政治によって手直しされたもの、前者については政治的目的の雄大さによって戦争の性格が爆発的に表現されたものとして説明し、政治の優位性を確定しのであった。しかし、近代ブルジョア戦争にあっては、戦争の究極目標が講和であり、勢力関係の保持と拡大であるいじょう、戦争の現実的形態が本質的基軸とならざるをえず、せん滅戦という軍事思想は、ブルジョア的階級利害のたんなる手段的意義しかもちえず、その固有の政治的意義をあくまでも制限しつづけなくてはならないのである。
 国家態国家という戦争のブルジョア的形式から「敵戦闘力のせん滅」の概念を解放し、階級対階級、革命対反革命の絶対的な敵対的関係の基礎のうえに「せん滅戦」思想を位置づけたとき、それは従来の手段的規定性を突破し、革命的な政治性をゆたかにもったものとして新しい飛躍を開始するのである。敵戦闘力のせん滅=味方戦闘力の保持・強化という相互規定的な軍事思想は、敵の完全な打倒、全民衆の政治的動員とその軍事的武装というプロレタリア革命の軍事思想と結合して、敵の政治目的の破産と民衆的基礎の解体、味方の政治目的の高揚と民衆的基礎の拡大、敵の政治目的の完全な打倒と味方の政治目的への敵味方の全民衆の結合という内乱的、革命的展望を軍事的に表現するものに転化していくのである。かくして、政治宣伝とせん滅戦は、敵を完全に打倒し、わが方の政治目的を達成していくための強力な武器となるのである。革命的前衛党の指導のもとでの政治と軍事の高度の統一という課題は、敵戦闘力のせん滅というもっとも激烈な軍事過程においても内容ゆたかに貫徹しはじめるのである。
 第四の問題点は、防御戦争の特権、ゲリラ的、パルチザン的闘争形態にかんして手段的側面からの規定に終始しているため、民衆の動員と武装そのもののもつ軍事的な優位性と、それの内包する革命性を統一的に把握することができなかったことである。
 すでにのべたように、攻撃と防御の不均衡は、後者の特徴が「待ちうける」ことにあるために、敵の利用しえない時間と空間をすべて利用できること、民衆の政治的動員とその軍事的武装が徹底的におこないうることの二点から基礎づけられるのである。防御戦争と、そこで生起する民衆の蜂起、ゲリラ的、パルチザン的武装闘争こそ、防御の特権をもっとも全面的に享受するものなのである。クラウゼヴイッツは、プロイセン、ロシアの後退戦の経験を正しく総括して防御戦争の特権を明確にするとともに、スペイン、オーストリア、プロイセン、ロシアにおけるゲリラ的、パルチザン的武装闘争の優位性について、貴族主義的反発を排除してその役割を冷静に評価したのであった。にもかかわらず、クラウゼヴィッツには、フランス革命戦争によって画期された戦争の質的変化、民衆の蜂起とその継続としての戦争という特徴を国民皆兵という形式においてしか把握しえなかったのであり、それゆえ、民衆のゲリラ的、パルチザン的武装闘争とフランス革命戦争との等質性がまさに民間人の政治的・党派人的な蜂起にあること、まさにこうした戦争の方向こそ近代以後の戦争をもっとも根底的に特徴づけているところのものであることについて、十分に認識することができなかったのである。
 防御戦争と、そこにおける正規軍とゲリラ的・パルチザン的武装闘争の結合という戦争の形式は、少数をもって多数に対抗し、相対的に劣勢な力が相対的に優勢な力に対抗し、敵の利用しえないすべての時間と空間を利用し、民衆の根こそぎの動員=武装をもって敵に勝利しようとするものであり、弱者が強者を征服する戦争の形式なのである。しかし、同時にそれは、民衆の政治的、社会的諸力を思いきって解放することなしには不可能なのである。それゆえ、防御戦争はつぎのような特徴をもつことになるのである。
 第一には、国家間の戦争の規定に、民衆蜂起という名の民間人の政治的・党派人的(パルチザン)な反乱、いうならば内乱的な要素を積極的に包摂するのである。国家によって保証された非政治的な正規の戦闘員集団から、自分の政治的・人間的な所信だけに唯一の根拠をもつ非正規の民間戦闘員集団に、戦争の担い手の決定的な転換が開始されるのである。戦争における民衆的基礎の増大という近代以後の戦争の特徴が、ここに積極的表現をもって登場するのである。
 第二には、正規軍とゲリラ的・パルチザン的武装闘争との結合、民衆蜂起を基礎としたゲリラ的・パルチザン的武装闘争の発展と、それからの正規的主力軍の形成、という二つの過程をとおして、新しい型の革命軍の創設が問題とならざるをえないいことである。一般的には革命軍は、戦争とその指導の法則性に照応して主力軍・地方軍・民兵の構成をとるであろうが、軍の三要素のうちもっとも基礎的なものは民兵制度である。民兵制度は、全民衆の動員とその武装の政治的保障なのである。
 第三には、民衆の関与する生産力と生産関係、民衆の生活上の諸交通形態のすべてが、敵を包囲せん滅する軍事的諸力として作用することである。いいかえるならば、敵は、大地と人間の総体の反乱に遭遇するわけである。敵の利用しえないすべての時間と空間、敵のもっているすべての弱点が、全民衆の政治的動員とその軍事的武装、強大な防御戦略と積極的な進攻思想によって、味方の有利な戦線に転化するのである。戦線の無限の拡散と、決定的時点における戦闘力の主導的な集中こそ、勝利の要諦である。 第四には、民衆の政治的動員とその軍事的武装、敵戦闘力の包囲せん滅、敵の政治目的とその民衆的基礎の解体という過程を基礎として、戦争指導の新しい政治的重心が形成され強化されることである。このような政治的重心の積極的な体系こそ、革命的前衛党とその指導的中核とするプロレタリア独裁国家である。
 防御戦争が以上の四つの特徴を強力に具備したとき、防御戦争はその最後の段階としての総反攻をむかえるのであり、防御における報復、防御における征服という最初からの確信を全面的に達成する情勢に突入するのである。敵戦闘力の包囲、せん滅、解体、摂取というせん滅戦の高度の課題、敵の政治目的の打倒と民衆的基礎の解体、敵本国における人民的総反乱という防御戦争の革命的最終目標が、ここに実践的任務として提起されるにいたるのである。
 
 第二章 暴力の構造――戦争と社会
 
 クラウゼヴイッツの考察によって、われわれは、ひとまず、近代的な文明国家間の戦争の本質が政治目的の衝突であることを見たのであるが、ここから二つの問題が生じてくることはいうまでもない。その第一は、戦争の唯一の規定的な動機が政治であるとするならば、近代社会はなぜ政治にたいし戦争的手段を不可避とさせるのであろうか、という問題である。いいかえるならば、資本制社会ならびに、その帝国主義段階にとって、戦争はいかなる意味をもっているのか、という問題である。その第二は、近代戦争においてたしかに政治と軍事は明確な分離を前提としたうえで、その政治優位的な結合を論ずることができるが、近代以前、とりわけ野蛮な諸民族のように政治と軍事のに契機が混然と統一されているような場合には、いかなる内的契機において戦争はおこなわれるであろうか、という問題である。いいかえるならば、人間社会にとって戦争はいかなる意味をもつのか、という問題である。第一の問題は、第四章、第五章において検討することとして、ここではまず第二の問題から検討をすすめることにしよう。
 【なお、誤解のないよう、ここであらかじめ確認しておかなくてはならないことは、戦争の本質がくまなくあきらかになるには、近代ブルジョア戦争が全面的に展開し、その現実的過程をとおして政治と軍事との内在的関係が、分離と結合の過程として現実的態様を示すことが必要であったのであり、それゆえ以下の分析の前提には、あくまで背後の論理として戦争の近代的形態にかんする認識がふまえられている、という点である。それは、のちに見るように国家の本質が、近代における政治的国家と市民社会の分離を歴史的前提として全面的にあきらかになる過程と同じ論理をもっているものといえるであろう。クラウゼヴィッツが指摘し、エンゲルスが好んで使ったところの、かの金言「小麦のことを知りたかったなら、黄金なす小麦の穂波を見よ」は、ここでも真理なのである。】
 
 () 暴力の社会史的本質
 
 さて、われわれは、これから戦争と政治にかんするクラウゼヴイッツの古典的な考察を前提として、戦争と社会にかかわる社会史的な考察へすすもうとするのであるが、その場合われわれの研究にたいし重要な手がかりを与えてくれるのは、「戦争とは相手にわが方の意志を強制するための一種の強力行為である」という戦争の暴力的特質にかんするクラウゼヴィッツの規定である。そして戦争としての戦争のこの暴力的特質こそ、政治と軍事とが混然一体となっている未開時代の戦争から、古代、中世の戦争、さらにクラウゼヴィッツ的な近代的戦争をへて、最後には政治と軍事とがもっとも高度に統一された革命戦争にいたる歴史上のすべての戦争を基本的に特徴づけるものなのである。すなわち、戦争が暴力行為の一種であるとするならば、それは人間の社会的な交通形態の特殊な現実形態とみなさなくてはならないのである。いいかえるならば、戦争は、超社会的な自然現象ではなくして、人間生活の社会的生産を基礎とし、そのうえに積極的に展開される極度に意識的な社会行動なのである。したがって、いかに戦争が意志強制の強力行為であるといっても、いな、そうであるからこそ、戦争は彼我双方の社会的生産の歴史的段階を絶対的な条件とするのであり、けっしてその条件をこえうるものではないのである。
 ところで暴力とは、いったいなんなのであろうか。こんにちでは、一般に暴力は人間性に反する粗暴な行為であるかのように説明する傾向が支配的なのであるが、このような見解は、じつは民衆の暴力の復権を恐怖した支配階級の思想いがいのなにものでもないのであり、その本質とするところは、暴力を支配階級の手に独占しようとする反動的な意図なのである。このような思想の鼓吹者たちは、一方では、角材や石や火炎ビン程度で武装した労働者、学生にたいし過激派とか暴力学生とか非難しながらも、他方では、バットや木刀で武装した自警団を称賛し、棍棒やピストルをもち、重装備で身を固めた警官隊や、民衆にたいする逮捕監禁、人質作戦の武器である留置場や監獄制度を積極的に維持し、軍艦や飛行機やロケットや戦車や大砲や小銃で武装した軍隊を容認し、核の傘を支持しているのである。まさにこのような矛盾こそいわゆる暴力論が往々にしておちいりやすい危険なのである。だが暴力は、かならずしも人間性に敵対する粗暴な行為を意味するものではなく、人間社会の共同利害を守るための共同意志の積極的な行為なのである。すなわち、本質的に規定するならば、暴力とは共同体の対立的表現、あるいは対立的に表現されたところの共同性であり人間性にふかく根ざしたところの人間的行為である。
 もうすこし詳細に暴力の内部構造をみるならば、第一には、それが共同意志の形成過程と共同意志の強制過程の二つの契機の統一として成立しうる特殊な意識行為であることがあきらかになるであろう。検事のいわゆる集団暴力の立証において共同謀議なるものが問題となるのも、そのかぎりでは無関係とはいえないのであるが、ともかく、相手にわが方の意志を強制するという暴力の直接の発現形態の背景には、つねに強制すべき意志そのものの形成がなんらかの様式でおこなわれなくてはならないのである。人間が人間にたいして意志の強制をおこなうという異常な――しかり、そのかぎりでは非人間的な――行為をおこなうには、その前提に一定の共同利益にたいする同意やそれにたいする反対意志の存在が不可欠なのである。一般には、暴力はいわゆる強制行為とされ、事実また強制行為なのであるが、しかしわれわれは同時にそれが本質的には一種の意志行為であり、しかも共同意志の形成とその実現として発動されるという構造を見おとしてはならないのである。
 いいかえるならば、暴力は、他者あるいは内部の他者への対立を前提として形成される共同意志の表現過程であり、本質的には意志形成と意志強制の主体のあいだに共同体的な関係があるものとされなくてはならないのである。そして、「共同利益」とそれにもとづく「共同意志」にたいして別の「共同利益」とそれにもとづく「共同意志」が形成され、両者のあいだでそれが衝突し、政治的暴力としての権力をめぐって排他的な闘争をおこなうことが、いわゆる内乱や革命の社会的な意識を規定する過程であり、その暴力論的意味なのである。したがって、共同意志の形成過程と共同意志の強制過程とは、相互規定的な関係にたつものなのであり、前者の要素を捨象して後者の要素にのみ暴力を単純化しようとすることは誤りというほかはないのである。共同意志の形成と強制の過程は、本質的には、その主体的担い手において統一されなくてはならないのである。
 第二には、暴力はその発現の形式として、内部規範と外部対抗と言う二つの要素の統一として成立するのである。内部規範は、いうまでもなく共同利害とそれにもとづく共同意志の形成を前提として、その対象化された共同意志の統制への同意という構造をとってあらわれるのである。いわば、共同意志の形成過程の主体とその強制過程の対象とは、全体と部分の関係をなしているのである。これにたいして外部対抗は、共同利害を外部の侵害から共同的に防衛し、かつまた他者の共同利害=共同意志に自己の共同利害=共同意志を強制する過程としてあらわれるのである。いわばここでは、共同利害と共同利害、共同意志と共同意志の衝突という姿態をとるのであり、一方の勝利、他方の敗北という結果をとってその対立は決着づけられていくのである。しかも重要なことは、内部規範と外部対抗という二つの要素は、形式的に分離されているとはいえ、同時に、共同利害とそれにもとづく対象化された共同意志の実現という意味において統一されているのである。
 もとより、他者への対抗という要素を暴力は絶対的な条件としているのであり、それゆえこのような限定性を止揚したとき、人間は完全な共同性と主体性の統一を獲得するのであり、自然と人間、人間と人間の本源的関係の無限の発展が実現するのであるが、にもかかわらず、ここでわれわれは、対立という限定的な緊張が内部分裂としてあらわれず、共同意志の形成とその実現としてあらわれる人間の共同体的資質に注目すべきであろう。いいかえるならば、外部対抗を保障する決定的な根拠は内部規範にあるのである。団結と戦闘精神が闘争勝利の基礎をなすゆえんである。 第三には、暴力は、共同利害の実体的基礎をなす社会的生産と、それにもとづく社会的意識に規定されたものである。すでに見たように暴力が、共同意志の形成と強制の統一、内部規範と外部対抗の統一という構造をもっているとするならば、その究極の基礎が暴力の実体をなす成員そのものの存在のしかたそのものにあることは明瞭であろう。共同意志を生みだし、それを維持していく成員の現実の生活、すなわち成員の生活の社会的生産(労働ならびに生殖)とその意識のあり方が暴力を規定するのであって、暴力がそのあり方を規定するのではないのである。いいかえるならば、暴力は原理的には共同利害を前提とし、それを擁護するための人間的な行為なのであって、その意味では、共同利害をつくりだしたり、共同利害を貫徹する手段なのである。つまり、共同利害にもとづく共同意志の形成とその対象化された意志を知性としつつ、共同利害を擁護し、維持し、発展させていくためのテコとして強制行為が発現していくのである。もちろん共同意志、したがってまたその基礎としての共同利害が他者の存在を前提にしていることは、それ自身としては社会的交通の低さと狭さの生みだした矛盾であり、共同意志が暴力という形態をとる歴史的根拠なのであるが、しかしながら暴力は交通形態の部分性の結果であって、それを生みだした究極の要因とはけっしていえないことはすでに指摘したとおりである。
 ところで周知のように、デューリングは暴力と社会的生産との関連について前者を主要な契機として評価し、後者の疎外を前者の結果とみなそうとしたのであったが、そのような見解は、エンゲルスが的確に批判したように転倒した問題のたて方であり、現実の経済的事実に合致するものではないのであり、それゆえ暴力の構造そのものにかんする無知を暴露したものといわねばならないのである。デューリングのように私有財産や社会的不平等の成立を暴力をもって説明しようとする俗説はこんにちも跡をたたないのであるが、共有財産に基礎をもつ原始共同体においては、暴力は私有財産や支配、被支配関係を生みだす根拠であったどころか、まさに逆に、共同利害、すなわち共同体の成員の人間生活の社会的生産過程(労働における自分の生活の生産と生殖における他人の生活の生産の二契機の統一)の意識的規範であり、したがってまた、社会的生産の物質的な前提条件をなす土地をふくむ生産手段の共同所有ならびに共同管理と、それを基礎とした社会的総労働の比例的な配分と生産物の社会的分配、さらに、かかる労働過程を基礎とした生殖=人間関係を規制する意識的規範としての役割をはたしていたのである。まさにこのような、暴力の暴力としての社会史的本質が解体されたとき、暴力は、私有財産と社会的支配隷属諸関係を維持する擬制的な暴力としての国家権力=政治的暴力と、このような特殊利益に対抗する潜在的暴力とに分裂していくのである。それは共同利害、共同意志の社会的分裂の反映いがいのなにものでもないである。
 第四には、暴力は、たれなる意志行為ではなく、それを発動するためには物質的な前提条件、なわち手段が必要であるということである。そしてこの手段を決定するものは、暴力の実体をなす成員そのものの社会的生産の歴史的水準なのである。すなわち、暴力は共同意志の形成と強制の過程の統一を根拠とするのであるが、しかしそのためにはまず、相手の意志を粉砕するための手段との結合が不可欠なのである。鉄拳の制裁という思想こそその原点をなすものである。それゆえ、あたかも、機械が人間の筋肉系統の延長であるように、鉄拳にかわる武器が、鉄拳の延長として登場するのである。自己の身体の一部分を意志発動の手段としたように、武器が共同意志を表現するための手段としての役割を担うべく登場するのであり、それはあたかも、共同意志を思想的に対象化するためにはペンが必要とされるのと同様である。
 では、その手段はいったいどこからやってくるのだろうか。もとより暴力の手段は、天から降るものでも地から湧くものでもなく、その時代の社会的生産の物質的手段から選びだされるか、それに若干の改善をくわえたものとして実用化するのである。すなわち、生産手段と生活手段のすべてが、刑法の用語でいえば用法上の凶器に転化する可能性をもっているのである。猟師が弓矢、鉄砲を武器とするように、農民がスキ、クワを武器とするように、手近にある生産や生活のための手段のなかから最初の武器があらわれるのである。もちろん、武器という使用目的にそって手段に技術的な改良がくわえられ、それが武器としての特有の論理をもって蓄積され管理されることは事実である。優秀な武器が劣悪な武器をうちまかすことは、生産手段の改良の歴史と同様なのであって、武器が開発や準備の問題を自然発生性にまかすことは、暴力の意識行為としての本質を否定するにひとしいのであるが、しかし同時に、われわれは、武器という特殊の手段の歴史的特質は、あくまで生産力の発展の結果を利用したものであること、しかもその武器の技術的水準は、相手に強制するわが方の意志の性格そのものによって逆規定されたものであることを見おとしてはならないのである。
 つまり、武器は、自己の共同意志を表現し、他者の意志を屈服させる手段なのであり、それゆえ、衝突しあう意志の内容と程度におうじて、武器のしめる比重も役割も変化していくのである。極端な例をあげれば、ストライキの鎮圧に核兵器を使用するわけにはいかないのである。逆にいうならば、共同意志の形成とその強制という暴力の発動過程にとって、武器の調達と、その開発改良の問題は、けっして決定的な困難ではありえないのである。人間は、それが必要であると決意したならばその解決の手がかりをすでにえたに等しいのであるが、こうした関係は武器にかんしてはいっそう真理なのである。それは、意志強制行為の手段という、目的の特殊性に本質的に規定されているのである。
 
 () 暴力の分裂――政治と軍事
 
 以上で暴力の社会史的本質とその構造がほぼ明快になつたものと思われるので、われわれは、つぎに暴力の分裂とその社会史的な根拠について検討することにしよう。すでに見てきたように、暴力は、相手に自分の意志を強制する行為であり、その社会的根拠をなすものは、共同利害と、それにもとづく共同意志の形成なのであるが、しかし社会の階級社会への転化を歴史的前提とする場合には、暴力は直接に共同意志にもとづく行為としては実現せず、特殊利害とそれにもとづく特殊意志が、あたかも一般的利害を表現するかのように自分の意志を形成し、それを社会一般に強制する過程としてあらわれるのである。もちろん、このような特殊意志の暴力としての発現、いいかえるならば暴力の国家権力=政治的暴力への転化にもかかわらず、政治的暴力は、自己の一般的利害を維持するために、社会的生産のための条件の法的規範と、その強制力としての役割をはたすものであり、またそのことをとおして住民を政治的暴力の権威のもとに統合していくのであり、さらに近代社会にあっては、選挙、公教育、報道、労働組合、同業組合などの社会的通路をとおして社会的諸利害を支配的特殊利害のもとに包摂し、あたかも住民全体の一般的意志を代表するものであるかのようにふるまうのである。
 しかしすでにここでは、暴力は共同意志の実現過程としての本質、すなわち共同意志の形成とその強制の統一性は機械的に破壊されてしまっており、社会のなかの特殊な階級利害とそれにもとづく特殊意志の強制過程としてのみ実現しうるにすぎないのである。もとより、政治的暴力が国家権力として自己を確立し維持していくためには、住民にたいする軍事的威圧を前提としながらも同時に、社会的な諸利害を形式的に止揚し、社会共同の利益の擁護者としてふるまうのであり、まさに国家の本質は、このような共同体の幻想的形態、あるいは虚偽の共同性にあるのであるが、その過程的構造の特質は、支配階級の特殊利害のもとに住民の諸利害を集約し、それをあたかも共同利害の実現であるかのように強制するところにあるのである。その結果、住民の圧倒的多数は、意志形成=強制の過程としての暴力から疎外されてしまい、暴力は住民の圧倒的多数にたいする強制の手段として自己疎外を完成させるのである。
 他方、このような政治的暴力から疎外された住民の内部で共同意志を形成し、特殊利害=国家権力にたいし、これを表現=強制しようとすると、政治的暴力はこれを「暴力」として抑圧解体するために、それこそ凶暴な暴力行為として発現するのである。社会史的にみるならば、暴力は、特殊利害を一般利害として表現する政治暴力と、それにそれに疎外されながら、それに対抗して共同意志を実現しようとする民衆の暴力とに分裂するのである。それゆえ、このような分裂は根底的には、社会内部における利害関係の分裂を基礎としたものであるいじょう、社会的利害関係の根底的解決なしにはその止揚は不可能なのであり、社会の社会的矛盾や階級対立が基底的に解決されないにもかかわらず、その社会が非暴力的な現象をとっているとすれば、それは後者の暴力が前者の暴力によって完全に制圧されてしまっていることの結果的表現いがいのなにものでもないのである。したがってまた、国家権力の政治暴力に対する民衆の暴力もそれが暴力として自己を貫徹するためには、一個の政治的暴力、一個の国家権力として自己を完成することを要求されるのである。そのかぎりでは、プロレタリアートの革命的暴力もまた、その特殊利害を住民全体の共同利害の実現過程として表現せざるをえないのであるが、それが従来の政治権力と根本的に相違する点は、特殊利害と共同利害との矛盾を内在的に止揚する歴史的根拠をもつところにある。
 なお、公的暴力は、すでに見たように近代以後、自分の存立が危険にさらされた場合、すなわち 戦争と内乱の危機に直面した場合に、住民の多数を自分の暴力過程に積極的に統合し包摂しようとする傾向を強くするのであるが、もちろんそれは、暴力の社会的分裂の止揚を意味するものではなく、それを擬制的に解決しようとしたものにすぎないのである。しかし、同時に注意すべきことは、このような解決の方法は、分裂を止揚するための客観条件を準備する過程ともいえるのである。ところで、暴力のこのような社会的分裂をもたらした究極の歴史的根拠は、いうまでもなく土地、労働手段など、生産の客体的諸条件が共有財産から私有財産に転化したことにあった。われわれは、すでに暴力の社会的本質が、共同意志の形成および強制の統一として発現する特殊な意識行為であることを見たのであるが、成員のあいだで共同意志が不断に形成され、実現されていくためには、その成員たちの人間生活の社会的生産とそのための物質的諸条件との関係とが、共同体的に組織されなくてはならないことはいうまでもないであろう。もともと人間生活の永遠の条件をなす社会的生産は、労働における自己の生活の生産と、生殖における他人の生活の生産の、二契機の統一としてあらわれるのであり、前者は自然にたいする人間の支配力を、後者は前者を前提とした人間と人間との関係を、根底的に基礎づけるものなのである。そして暴力は、一方では共同利害のための内的規範として、他方では、外部からの侵害への対抗としての役割をはたしたのである。だが、社会的生産のための客体的自然条件をなす土地および生産手段の私有財産への転化、したがってまた剰余生産物の生産者から他者への転化が歴史的に形成されるようになると、暴力の内発的契機をなす共同利害=共同意志の分離が不可避となるのである。
 エンゲルスが指摘するように、共同体社会から支配隷属諸関係をもつ階級社会への転化は、第一には、「共同の利益を保全し、対抗する利益を防ぐための機関」における「職務執行の世襲化」、「他の諸群とのかっとうがますにつれて増大してくるこの機関の不可避」化とその「独立化」とをとおして支配階級が形成されるようになったこと、第二には、生産力の一定の発展の結果として剰余労働の形成が可能となり、そのために従来まで皆殺しにされていた共同体間闘争の捕虜が奴隷として勝利者の社会の内部に包摂されるようになったこと、という相互に規定的な過程をとおして成立したのであったが、その決定的なテコをなしたものこそ、自然にたいする人間の支配力の個人的=家族的独占への転化、つまり私有財産の成立であった。その結果、特定の家族の他の家族への支配、家族関係の私有財産、権力の維持機構への転化、家父長制と女性の従属的身分化などという生殖関係の疎外がはじまるのである。暴力は、共同利害と、それにもとづく共同意志の意識行為から、私有財産と支配隷属関係を維持する特殊な意志=強制行為としての国家権力=政治暴力に転化することになるのである。暴力は、私有財産を生みだしたのではなく、逆に私有財産の成立が暴力の社会的分裂と、その支配的要素の政治的暴力への転化を生みだしたのである。
 かくして、社会の階級社会への転化とともに、暴力は国家権力=政治的暴力に転化するのであるが、それが社会=国家の内部にあっては住民にたいする支配力として発動することはすでに指摘したとおりである。古代社会にあっては奴隷、中世社会にあっては農民の剰余労働を収奪し、その支配的社会機構を維持する強制力として暴力は機能するのである。したがって、このような社会にあっては、支配階級は、その特殊利害を実現するために、自己を一個の暴力として組織しつづけることが必要となるのである。寺院でさえ、それが自立した宗教権力であるかぎりでは、イデオロギー的統合のみならず独自の武装力を不可欠の要素としたのはいうまでもないところである。
 また、暴力の政治的暴力への転化に照応して、いわゆる共同利害の対象化された内部規範は、支配的な社会関係を維持する外的強制過程としての支配権に転化していくのであり、そのイデオロギー的表現が法規範であるといえるであろう。他方、暴力の外部対抗的な要素は、支配権の防衛ならびに、その外延的拡大のための過程に転化し、覇権と、それへの防衛的対抗として独自の領域をもっにいたるのである。戦争は、支配階級の天与の職業として独立したわけである。個々の支配階級は、自己の支配圏を他の支配者の侵略から防衛し、必要とあらば支配権の外延的拡大を求めて侵略をおこなわなくてはならず、いわば覇権と勢力均衡の矛盾のうちに生きることを宿命とされるのである。
 戦争は、支配階級にとって、その支配権、すなわち経済的利益(社会的余剰労働)の強制的収奪権を維持し拡大するための決定的手段として登場するのである。いわば、前者(支配権)は社会の内部における共同利害の階級的諸利害への転化を基礎として階級的な特殊意識を一般的意志として形成し、強制していく垂直的なものであるとすれば、後者(戦争)は個別的な支配者、国家権力者のあいだの階級的特殊利害が、支配権の分割をめぐって争覇する水平的なものなのである。にもかかわらず、戦争は往々にして、かえって国内での諸利害の対立を止揚するものであるかのように現象するのである。しかし戦争は、私有財産をつくるものでも経済的利害を直接にもたらすものでもなく、せいぜいその所有者を移動したり、その処分権を獲得するためのものでしかないのであり、究極的には支配権の維持と拡大、そのもとでの剰余労働の収奪の問題に帰着せざるをえないのである。
 もちろん、われわれは、戦争がその国家の存立条件であったような場合を知っているのである。すなわち、ローマ帝国とモンゴル帝国である。ここでは不断に拡大する戦争が、富の増大を保障し、膨張する内部的矛盾を解決するための事業となったのである。だが、われわれは一歩ふみこんでその内部構造を見るならば、ローマ帝国の巨大な軍事体制と、それを基礎とした不断の征服戦争が、奴隷を獲得し、ローマ帝国の物質的基礎過程としての奴隷労働を維持するためのものだったことにすぐ気づくのである。奴隷労働という特殊歴史的な労働様式、すなわち、ムチと死の恐怖をテコとした直接の強制労働は、直接の労働者から労働する喜びを完全に奪いさってしまうのであり、それゆえ、その消耗の度合いが強く、二代三代にわたる再生産は困難なためにたえず新鮮な奴隷労働力を補給することが不可避となるのであるが、戦争はこうした奴隷労働の矛盾の必然的なあらわれであった。したがって、栄華をきわめたローマ帝国が、ゲルマン民族の永続的な襲撃に遭遇して崩壊し、古代的な奴隷労働にかわって封建的な農奴労働、すなわち、農民の一定の自主性にもとづいて農村共同体的に労働がおこなわれ、領主は土地所有権を基礎としてその剰余労働を経済外的に収奪する過程が一般化したのは、当然というほかなかったのである。
 他方、ジンギス・カンを始祖とするモンゴル帝国は、農耕社会と遊牧地帯の交渉点において、遊牧部族を軍事組織に再編成し、大砂塵のように周辺の農耕社会をつぎつぎと襲撃し、富を略奪し、文化を破壊しつくしたのであった。モンゴルの部族にとって、戦争は自分の社会的生産を維持していく主要な交通形態であった。それは、ある意味では戦争の究極的な目的をこえたものともいえたのである。すなわち、戦争は、クラウゼヴィッツのいうように、武力による敵の征服、つまり、敵戦闘力のせん滅にもとづく敵の意志の屈服を目的とするものであるが、ジンギス・カンの遠征軍は、戦争可能戦力の絶滅=住民の皆殺しの恐怖を内包していたのであった。だが、このような征服の方法は、それ自身のうちに矛盾をもっている。第一には、遠征軍はそれ自身として特有の歴史的社会をなしているのであるが、にもかかわらず、それは自己の外部の社会に蓄積された富と、その略奪とを生活の前提としているために、不断に新しい敵を発見し、略奪をつづけなければならず、世界を征服しつくすならば、同時に自己を解体せざるをえないことである。第二は、被征服民の文化の再生産が不可能なほどに破壊するために、その脅威があきらかになるにつれて、住民の総武装を基礎とした強力な防御戦に遭遇する機会も多くなり、容易に軍事的勝利を獲得しえなくなるのである。かくして、モンゴルの遠征軍は、中国に進出した元帝国や、ロシア公国のように、被征服民族の社会的生産の様式を自分の軍事的支配機構のうちに強制的に包摂し、被征服民族の生産する富と文化のうえに君臨する支配階級に変容していくことによって、その矛盾をいちおう解決するのである。
 要約するならば、モンゴルなどの征服戦争民族は、いかに壮大に見えようとも、それ自身の特殊な歴史をもちつつ、その矛盾の発展をとおして、文化的諸民族の周辺で登場し、周辺の諸民族の富と文化を略奪し破壊しながらも、究極的には自己崩壊するか、それとも被征服民族の政治的、軍事的上部構造に変容していくことによって、かえって、その社会の歴史的様式のうちに同化し溶解されていってしまうのである。こうした意味では、どんなに強大な戦争でも、しょせん、生産の物質的諸条件と社会的剰余労働の分配、社会的生殖関係への男と女の分配にかんする支配階級間、人間集団間の闘争として総括されていかねばならないのである。
 したがって、戦争は、いかにそれが強力な意志行為であろうと、戦闘は手段なのであって、その目的とするところは、支配階級の特殊利害としての支配権維持と、その外延的な版図の拡大と防御にあるのである。いいかえるならば、戦争をとおして支配圏の拡大に成功したとしても、あらたに征服した地域とその住民を自己の支配機構のもとに統合しえなかったり、あるいは、戦争によって自国の経済が疲弊してしまうようでは、なんの意味もないのである。『孫子』は「善く兵を用いる者は、役は再び籍せず、糧は三度は載せず、用を国に取り、糧を敵に因る。故に軍食足るべきなり」「故に、敵を殺す者は怒なり。敵の利を取る者は貨なり」(作戦篇)とすぐれた洞察を示しているのであるが、戦争と国富との関係を社会的に規定し、その脈絡において戦争を政治的目的にそって統制していこうとする思想を示したものといえるであろう。
 事実、近代的ブルジョア戦争の軍事的天才ナポレオンは、戦争の費用を敵国からの略奪と賠償をもって決済する原則を確立するとともに、征服地域の維持をはかるために、その政治経済的な改革をもって旧支配層の政治的権威を解体したのである。かくして、戦争が、支配階級にとって合理的な基礎をもちうるためには、敵戦闘力のせん滅という死闘原則は、究極目標としてはあらわれず、敵の意志を屈服させることによって、敵国との有利な講和をとりつけることによって新しい勢力均衡を形成するか、あるいは、併合した地域の住民を自己の支配体制のもとに再編成するかするための、意志強制の手段として発動するのである。つまり、賠償をとりたてるにせよ、新しい勢力関係がつくりだされるにせよ、領土の拡大がおこなわれるにせよ、また、その他の条件もふくむいくつかの組合せがおこなわれようとも、戦争は支配力の強化に集約されることが、いっさいの究極目的とならなければならないのである。
 こうして国家権力=政治的暴力は、内政と外交、政治と軍事とに機能的に分化することによって、支配権と戦争との関係を整合しようとするのである。すなわち、支配権の政治過程を内政として確定するとともに、争覇戦と勢力均衡の政治過程を外政として確定することをとおして両者を統一的に操作する政治的視座を確立し、その両過程の統一のうちに政治と軍事の具体的な関係を貫徹していくことになるのである。
 それゆえ、注意しなくてはならないことは、政治は平和的表現をとり、軍事は暴力的表現をとるという粗雑な俗説に足をとられてはならない、ということである。政治は目的を規定し、軍事は手段を規定するのであり、それは、支配階級の特殊意志を実現していく過程としての政治的暴力において統一されている。政治的暴力がより平和的な形態をとって発現するのか、それとも、政治的暴力がより強権的な形態をとって発現するのかは、抵抗する民衆の側の意志の強大さ、雄大さの程度によるのである。立場をかえていえば、国家権力に対抗する民衆の側の意志が強大かつ雄大なものであるかどうか、とりわけ、その闘争に課した政治的目的の大小によって、戦闘形態も変化していくのである。つまり、一般的にいうならば、自己の意志を強制すべき相手の意志が強烈であれば、ますます闘争は激烈となり、反対に、相手の意志が微弱であればそれだけ闘争は平静となるのである。これは相互に転移しうる闘争の法則性であるといえるであろう。そして、この点では、国家間の衝突でも、国家権力と民衆との衝突でも、それゆえ、外政でも内政でも、すこしも変わりはないのである。
 
 () 戦争と民衆
 
 最後に、戦争と住民との関係について検討して本章の考察を終わるとしよう。すでに見たように、戦争の本質は、国家間の重大な利害の衝突なのであるが、こうした事情は、近代以前においては、戦争が支配階級の事業、つまり、帝国や王朝の独自の仕事であり、騎士や傭兵隊や常備軍の任務であったのであって、多くの住民は、地形や地勢と同様に客体的条件にすぎなかったのである。いいかえるならば、戦争にとって住民は、帝国や王朝、それゆえ、騎士や傭兵隊や常備軍を経済的に支える消極的要素であった。土地の所有が同時に、そこに依拠する草木や鳥獣の自由な処分権を意味したように、版図(=支配権)の確認は、そこに生活する住民の剰余労働の処分権の獲得につうじたのであり、またそれだからこそ、支配権の外延的拡大、あるいは維持が重大な事業になるのであるが、にもかかわらず、それはあくまで政治的、経済的目的にかんすることであって、戦争そのものでは、住民は、まったく消極的な要素であったといってよいのである。
 ところが、このような従来の戦争と住民の関係にかんして根底的な批判を提起したのが、ニッコロ・マキアヴェリであった。すなわち、前節で見たように、イタリア・ルネッサンスの渦中にあったマキアヴェリは、内政と外交、政治と軍事、支配権と戦争、覇権と勢力均衡の内的構造を冷徹に分析し、国家権力の枢要が住民にたいする関係にあることを鋭くあばきだしたのである。覇権は支配権として定着してはじめて安定するのであり、支配者にとってもっとも恐るべきは、住民の反乱であると、マキアヴェリは洞察することによって、政治と軍事の矛盾を「支配の論理」のもとに解決してみせたわけである。かくして、マキアヴェリは、君主、すなわち国家支配者の原則として、まず第一に実力(ヴィルトウ)をあげ、幸運よりは悪逆を、悪逆よりは実力を称揚するとともに、他国の援助や幸運で支配権をえても実力にそれが転化しないかぎり、脆弱なものであることを警告するのである。第二には、住民の支持をあげ、これが支配権の枢要であることを力説するのである。この点にかんして、マキアヴェリは、新しく併合した地域の住民にたいして守備隊派遣のやり方がいかに無力であるかを指摘するとともに、自治の経験をもった住民が支配者にとっていかに恐るべき存在であるか注意を喚起するのである。もっとも、それは、一方では、支配者にとって自分の支配地域の民衆の共和主義的蜂起の恐るべきを注意し、他方では、外敵の侵略にたいしては民衆の共和主義的蜂起をもって対抗するならば不敗であることを主張するという矛盾した構造をとっており、このような提起の仕方がマキアヴェリがカメレオン的と評されるゆえんであるが、しかし、このような逆転可能な論理こそ、暴力の社会的分裂の生みだした矛盾であり、マキアヴェリの名誉であっても、その不明のゆえとはいえないのである。第三には、イタリアを外敵から守るためには、従来のように外国の同盟軍に依存したり、傭兵隊や常備軍に期待したりすることはできず、なによりもまず、イタリアの強力な統一を実現しその軍事的基礎して住民共和主義的蜂起とそれにもとづく民兵制度を採用すべきことを強く訴えるのである。もろん、それは、フィレンツェの君主メディチへの進言という形態からもあきらかのように、矛盾にみちた言説となっているのであるが、にもかかわらず、民兵制度にかんするマキアヴェリのジャコバン的主張は、戦争の動向の決定的要素として住民の問題を積極的にとりあげたものとして、不滅の光を戦争の理論になげかけているのである。イタリア・ルネッサンスにおける永続革命が政治史的にも、文芸史的にも近代革命の先駆をなしたように、戦争の構造を支配権と覇権、政治と軍事の統一として解明するとともに、戦争における決定的要因として住民の態度に着目し、共和主義的蜂起と、それにもとづく民兵制度の意義を照らしだしたマキアヴェリの功績は、ボルテール、モンテスキュー、ルソーらの考察を媒介として、フランス革命戦争におけるジャコバンの急進的民主主義に継承され、クラウゼヴィッツのいわゆる攻撃と防御の不均衡の理論、ならびにマルクス・レーニンの全民衆の武装化の理論をとおして、プロレタリア革命の軍事思想として発展してきたのである。マキアヴェリをもって権謀術数の理論としてしか理解しえないものは、ジャコバン以前の迷豪(めいもう)であり、およそプロレタリア権力の問題を論ずる資格を欠くものというほかはないのである。
   〔付記〕本章には、七〇年二月末に獄中で執筆した「戦争論にかんする覚え書」の一部をそのまま採用した。そのため他の諸章の文体との若干のズレが気になるが、時間の都合でこういう形で発表せざるをえなかった。読者諸君の許しを乞うしだいである。
 
 第三章 暴力革命・内乱・蜂起・革命戦争
 
 プロレタリア暴力革命と、その観点に立脚した革命的内乱の理論、蜂起と革命戦争の理論は、暴力の社会史的な本質とその疎外にかんするマルクス主義の暴力論、資本主義・帝国主義の世界支配とそれに対抗するプロレタリア階級闘争の実践的結論であり、帝国主義の植民地支配、労働者階級人民大衆への弾圧の政治の継続としての帝国主義戦争、その強盗的な政治目的、時代おくれの軍事思想・戦闘形態を粉砕し、世界革命と人民の正義の政治目的、全人民の政治的動員とその軍事的武装、科学的な戦略思想と英雄的な戦闘精神をもって、敵の完全な打倒をめざす革命的武装闘争の指導原則である。
 プロレタリア暴力革命は、労働者階級と人民大衆の自己解放のための唯一の道である。プロレタリア暴力革命が必要であるのは、たんに支配階級が他のどんな方法によっても打倒されえないからだけではなく、さらに打倒する階級と人民が、ただプロレタリア暴力革命においてのみ、いっさいのふるい汚物をはらいのけて、社会の新しい樹立の力を与えられるようになりうるからである。プロレタリア暴力革命は、「敵の出方」や「一定の条件」や「身のほど知らぬ敵の反撃」なるものによって採用される革命の戦術的形態を意味するものではなく、プロレタリアート人民の自己解放の本質的な規定性を意味しているのである。
 
 () 暴力革命論の基礎
 
 プロレタリア暴力革命の必然性は、基本的にはつぎの歴史的条件に求められるであろう。
 第一には、ブルジョア社会の階級支配が、政治的国家と市民社会の分裂という二重の構造をもっておこなわれているため、プロレタリアート人民の自己解放は、全人間的、全社会的な解放でなくてはならないということである。もともと近代ブルジョア社会は、中世的な封建的、身分的な社会関係の解体をとおして誕生したものであり、社会の成員をなす諸個人は、財産の有無にかかわらず、政治的にはまったく平等であるという原則をとっている。また、政治的国家の中枢をなす政府は、諸個人の参政権の行使(選挙での投票)によって、その多数意志を一般意志として執行する機関として設定されている。しかし、このような政治的、精神的側面での平等は、現実には観念的虚構いがいのなにものでもないのである。なぜならば、ブルジョア階級は、現実には市民社会においてブルジョア的私有財産(土地をふくむ生産手段の資本家的所有)によってプロレタリアートの支配と搾取を実現しており、しかも、この階級支配によって保障される巨大な富と権威とによって政治的国家を決定的に掌握し、政府をブルジョア政治委員会にかえてしまっているからである。それゆえ、ブルジョア的社会関係を根底的に変革せずに、既成の政治制度の枠内で改革をこころみることは、プロレタリアート人民をブルジョア支配の奴隷として永遠にしばりつける道である。プロレタリアート人民は、議会主義的改善や組合主義的改良でなく、いっさいの搾取と支配、抑圧と差別、苦悩と悲惨を総体として根絶する全人間的な解放においてのみ自分を解放することができるのである。
 第二には、賃労働と資本の矛盾、プロレタリアートとブルジョアジーの階級対立は、ただプロレタリアートによる資本家的私有財産の積極的止揚をとおしてのみ達成されるということである。労働者階級は、人間社会の永遠の自然条件である労働過程の主要な担い手であるにもかかわらず、生産の客体的自然条件である土地と生産手段から分離された結果、自分の労働能力を資本家階級に売って、わずかの生活費をかせぐみじめな境遇におちいっている。労働者の活動を主体的側面として生産される資本の巨大な富は、それが巨大になればなるほど、労働者の価値はますますみじめとなり、永遠に賃金奴隷の道をあゆまざるをえない。まさに資本主義の基本矛盾は、生産手段の資本家的所有=労働力の商品化に集約されているのである。それゆえ、プロレタリアートが自分を解放するためには、自分の労働の疎外された対象化としての資本家的私有財産を資本家から没収して労働者の共同所有にかえ、その基礎のうえに労働の人間的解放を実現していかなくてはならないのである。,労働者階級は、資本家的財産を専制的に侵害し、その成果を暴力的に防衛することをとおしてはじめて、自分の共産主義的全体性を回復することができるのである。
 第三には、プロレタリア階級闘争をとおしてブルジョア国家機構を完全に粉砕し、プロレタリアートの独裁国家を樹立することなしには、資本家的私有財産のプロレタリア的止揚も、プロレタリアート人民の全人間的解放もありえない、ということである。すでに見たように、ブルジョア支配階級は、市民社会の根幹において生産と交通の圧倒的部分を支配しているばかりか、その巨大な富と権威とをもって国家機構を完全に掌握している。ブルジョア国家を構成する尨大な官僚機構、軍隊と警察は、ブルジョア私有財産制度を維持し、資本家階級によるプロレタリアート人民の搾取と収奪を防衛しているのである。そればかりか、ブルジョアジーとその国家は、プロレタリア階級闘争を議会主義、組合主義の方向に堕落させ、プロレタリア運動の内部に形成される反革命的分子を使って、プロレタリアート人民の革命闘争を妨害し、鎮圧しようとするのである。それゆえ、労働者階級と人民大衆は、人類解放の世界史的な大事業を達成するには、プロレタリア階級闘争の革命的展開をとおして、いっさいの反革命を粉砕し、ブルジョア国家権力を暴力的に打倒し、プロレタリア独裁国家を樹立し、社会的生産(労働と生殖)の人間的組織化の前提条件をかちとらなくてはならないのである。もちろん、プロレタリア独裁国家の樹立は、共産主義的究極目標ではなく、資本主義と共産主義の世界史的な激突を特徴とする過渡期に照応したものであり、ブルジョア国家の全世界的な打倒を、ブルジョア反革命の完全な粉砕と、それを基礎とする共産主義(その低次の段階である社会主義)社会の建設の開始とともに「生産と生産物の管理のための特殊な機関」に推転し、それも社会的生産の共産主義的組織化の進展にともなって死滅していくのであるが、にもかかわらずこのような共産主義的な展望は、国家死滅を準備する国家としてのプロレタリア独裁国家の樹立なしには達成されえないのである。
 第四には、プロレタリア革命の暴力性の問題は、革命の達成すべき歴史的任務の雄大さ、革命の人間私的な根底性に基礎づけられたものであり、暴力はプロレタリアート人民の革命的共同性、偉大な世界史的事業を達成する能力を回復するための不可欠の表現形態である、ということである。もともと共産主義革命の暴力性の根拠は、プロレタリアートによる「ブルジョア的私有財産の専制的侵害」(マルクス『宣言』)のもつ決定的な意義に規定づけられている。しかし、われわれは、この規定の内包する意義について、ただたんにブルジョア的所有権の侵犯の不可避性というような理解におしとどめてはならない。そうではなしに、われわれは、労働力の商品化という「平等」の交換過程をとおして形成される労働者の非人間的現実の根拠であるブルジョア的私有財産を、プロレタリアートが専制的に没収し、労働者階級の共有財産として転化していく暴力的過程が、まさにプロレタリアートの革命的共同性を現実に形成し、自己解放の物質的前提条件とその主体的な自覚と能力を統一的に創成する過程である、と積極的に位置づけることから出発しなくてはならないのである。プロレタリアート人民の革命的蜂起とその武装の問題、革命的前衛党の指導のもとでの計画的、系統的準備の問題は、プロレタリア暴力革命のもっとも高度な内容をなすものである。平和革命になるか暴力革命になるかは敵の出方による、という見解(日共)、一定の条件のもとで、しかも敵が身のほどを知らずに反撃してきた場合には暴力革命をとることもある、という見解(カクマル)をもって、プロレタリア暴力革命に敵対するものは、プロレタリアート人民の革命性、自己解放の事業のもっとも深部の敵対者である。
 〔注〕 暴力は革命の助産婦である、というとき、革命の担い手と革命の助産婦である暴力の担い手が統一されていることを無視して、あたかも暴力が革命の外部にあって、それが革命をとりあげるように考えるのは、暴力革命にたいする許しがたい反革命的敵対の理論である。もともと 社会法則が人間の活動をとおして実現するという特殊性を見うしない、エンゲルスの比喩を実体化し、その地点からわれわれの暴力論を批判しようなどというのは、二重の誤りであり愚の骨頂である。
 
 第五には、プロレタリア暴力革命は、プロレタリア人民の革命的前衛等の建設とその指導なくして真の勝利を勝ちとることはできない、ということである。もとより労働者階級の解放は、労働者階級自身の事業である。プロレタリアート人民は、他のどんな勢力にも解放の事業を期待することはできない。人間にたいする支配と搾取の状態をもっとも普遍的に経験しているプロレタリアートは、ただ自分の力で自分を解放し、また、そうすることによっていっさいの支配と搾取をなくし全人類の全人間的な解放を達成する世界史的な任務を有しているのである。いいかえるならば、プロレタリアートは、人類の経験しているいっさいの支配と搾取、抑圧と差別、苦悩と悲惨をなくすることによってはじめて本当の人間的解放を獲得することができるのである。それゆえ、プロレタリアートとその解放の事業に結集した全人民大衆は、ブルジョアジーの階級支配を打倒し、ブルジョア的私有財産を没収し、その基礎のうえに自然と人間の全面的な奪還を実現していくためには、自分たちを一個の政治的支配階級にたかめなくてはならないのである。
 しかし、このような歴史的過程は、けっしてプロレタリアート人民の自然発生的な決起と闘争の総和として与えられるものではなく、プロレタリアートの革命的前衛党の建設とその指導を媒介として発展していくのである。プロレタリアートとブルジョアジーの敵対的な階級闘争を基礎とした権力奪取の問題、労働者階級と被抑圧諸階級、諸階層の同盟の問題、労働者階級の内部における革命的翼による中間的翼の教育と指導、革命的翼に組織された部隊と、反革命に買収され組織された部隊との闘争の問題は、すべて党の建設とその指導なくして正しくは解決することはできないのである。プロレタリア階級闘争の最良の部分を結集し、訓練し、革命にむかって戦略的に配置していく作業は、ただ党としてのみ可能である。プロレタリア階級闘争の最高の意識形態、最高の団結形態、最高の闘争形態として党を建設し、党の革命戦略、闘争戦術、組織戦術にもとづいてプロレタリア階級闘争を計画的・系統的に指導することによって、プロレタリアート人民は、心をひとつにして反革命と弾圧を粉砕し、革命勝利の道をあゆむことができるのである。
 党のための闘争と党としての闘争の問題は、党の建設とその指導の問題として要約されるのである。党の成員を「幹部」として教育し養成する問題は、プロレタリア階級闘争の指導、内乱と蜂起の準備の決定的な要素である。革命の戦略にふさわしい質をもった闘争の永続的な展開、革命戦略にむかってのプロレタリア階級闘争の戦略的大前進運動の政治的基礎は、党の建設とその指導の強化である。革命的前衛党の建設、革命的政治勢力、政治的基礎の建設、革命的武装勢力の建設を三要素とする革命勢力の建設事業は、プロレタリア暴力革命、内乱と蜂起の準備、革命戦争の完遂の基本的基礎である。
 
 () 内乱と蜂起の準備の問題
 
 つぎに、プロレタリア暴力革命の政治的、軍事的結節点をなす内乱と蜂起の準備の問題について検討することにしよう。
 第一には、革命の当面する中心問題であるブルジョア国家権力の暴力的打倒にむかって階級の諸勢力を戦略的に配置し、革命的内乱とプロレタリアート人民の一斉武装蜂起を計画的、系統的に準備する問題である。
 周知のように革命戦略の基本問題は国家権力の問題である。右翼日和見主義であれ、極左空論主義であれ、いっさいの日和見主義は、この真実を忘却し、隠蔽するところからはじまるのである。プロレタリア階級闘争にたいする革命的前衛党の指導は、革命的情勢の有無にかかわらず、いっか
んして権力問題にかかわる革命戦略を全階級、全人民の前に公然と提起し、その観点からいっさいのプロレタリア階級闘争を総括し、革命的蜂起を計画的、系統的に準備するものでなくてはならないのである。革命的情勢が到来したら党を設立するとか、一定の条件のもとでは武装闘争もありうる、という階級と人民をたぶらかす理由をもうけて、国家権力の暴力的打倒の革命戦略と、そのための蜂起の準備の問題をあいまいにするものは、労働者運動の内部でブルジョアジーの政策を表現するものであり、小ブルジョアの利益と、ほんのひとにぎりのブルジョア化した労働者とブルジョアジーとの同盟の利益をあらわすものである。
 しかし、同時に確認しなくてはならないのは、「時機尚早」の名のもとに権力問題を回避し、内乱と蜂起の準備に反対してきた日和見主義的翼は、権力の伝統的支配の方法が行きづまり、革命の現実性が切迫しはじめるや、歴史上ただひとつの例外もなしに、権力打倒と武装蜂起の準備を妨害し、破壊するために、その組織と影響力のすべてを発動し、反革命としての本質を顕在化しはじめることである。それゆえ、革命的なプロレタリアート人民とその革命的前衛党は、プロレタリア階級闘争の恒常的な活動のなかで、国家権力の暴力的打倒の革命戦略と、そのための内乱と蜂起の準備の思想をもって大衆を不断に教育し、日和見主義と反革命にたいする革命的警戒心を大衆の末端にまで行きわたらせておくことが必要なのである。
〔注〕労働者の武装、全人民の武装にかんするマルクス主義の原則、蜂起の準備とその日的意識的、計画的、系統的な指導にかんするマルクス主義の原則を破壊することを重要な党派性としている反革命カクマルは、代々木スターリン主義者と同様に、自分たちの反革命的本質を隠蔽するために「マルクス主義の用語」を使うというペテン師的なやり方をとる。すなわち、反革命カクマルも「一定の段階」では武装する場合がある、というのである。それでは「一定の段階」とはなにかというと、労働者ソビエトが支配的となり、権力が「身のほども知らずに襲撃をくわえてきた場合」とのことである。もともと反革命カクマルは、「革命闘争とプロ革への歴史的過程における階級闘争を区別することで種々の混乱から根底的に自由になる」と、反政府でも反権力でも革命闘争でもない階級闘争の永遠化を切望しているのであり、しょせん、このような言辞は、一定の段階の非現実性を前提した逃げ口上いがいのなにものでもないのである。
 しかし、ここでは百歩ゆずって「ともに革命をめざすもの」の意見として検討すると、こんどはかれらの革命論なるものが、党の指導を欠如した自然発生性への無条件的なよりかかりの理論であることが明白となるのである。まず第一には、方法論的にいうと「区別」は異常に強調されているが、「関連」はいささかも論じられていないことである。世界革命と個々の革命との関係でもそうであるが、個別の特殊性の認識はあくまで全体との関連を把握することからはじまらなくてはならないのである。当問題にかんしていうと、「プロ革への歴史的過程における階級闘争」においていかに武装を準備するのか、という関連性が絶対的前提とされなくてはならないのである。第二には、権力の暴力性、武装力が、あたかもソビエトが支配的となった段階ではじめて現象するものであるかのように考えていることである。かれらは、権力がプロレタリアート人民にくわえている恒常的な弾圧のもっている意味も、「プロ革への歴史的過程」において生じるプロレタリアート人民と権力との暴力的な対峙が全人民の武装、武装蜂起の準備過程としての意義をもっていることも、けっして真剣に考慮しようとはしないのである。なぜなら、権力の弾圧の問題、権力と人民との対時の問題は、革共同や中核派に関係があっても、カクマルとは完全に無縁であることを、かれらはよく知っているからである。中核派からの反革命的区別性の必要なゆえんである。第三には、武装の問題、蜂起の問題について、それが一定の段階になると自動的に解決されるものであるかのように設定されていることである。いわば、武装と蜂起にかんする自然発生性の理論、自動的武装論の構造を理論的にはとっていることである。「一定の段階」が到来する以前の段階において、プロレタリアート人民の広大な部分があらかじめ「全人民の武装」の思想で教育されていなかったなら、また、革命的前衛党によって計画的、系統的に蜂起が準備されていなかったとしたら、どうして一定の段階になるとプロレタリアート人民の武装が実現することになるのだろうか。武装の問題、蜂起の準備の問題は、階級闘争のなかでもっとも目的意識的な過程(正しい意味での技術的過程)である。ところが、わがカクマルによると、このような目的意識的過程ですら自然発生的に解決されるのだ、というのである。これでは、いったいなぜ党の建設とその指導が必要になるのか、まったく不思議というほかはないのである。第四には、全人民の武装の思想、蜂起の準備のための党の目的意識的、系統的な活動に反対し、そのいっさいの萌芽を物理的に破壊することをこんにちの実践的結論としていることである。かれらは、「一定の段階」における武装の問題を自然発生性にゆだねるだけでなく、そのうえ武装の思想、蜂起の準備を破壊することを思想的、組織的任務とするというのである。これでどうして「一定の段階」になるとプロレタリアート人民の武装が実現するのだろうか。かつてカウツキーやプレハーノフは、まだ武器をとるべきでない、といって蜂起に反対し、革命的武装解放勢力を鎮圧するための国家権力と反革命の軍事的同盟を支持したのであったが、まさにカクマルの目的とするところはカウツキーやプレハーノフの道いがいのなにものでもないことは、もはや明々白々ではなかろうか。これでもわれわれは、カクマルとの内乱的対峙を「同じく革命をめざすもののあいだの闘争」として評価しなければならないのだとしたら、それは革命と反革命の同盟を要求するに等しいことになるのである。
 
 第二には、帝国主義に危機と、それから反動的に脱出するための侵略と戦争、反革命と暗黒政治の攻撃にたいし、革命的内乱の戦略思想をもってプロレタリア階級闘争を永続的に指導する問題である。
 すでに指摘したように、革命の基本問題は、国家権力の打倒にむかってほうきを準備することである。しかし、帝国主義の破局的危機の時代にあっては、革命の問題は、具体的には帝国主義の「国内平和」か、革命的内乱か、というないようをとって不断に提起されるのであり、この具体的分岐を回避したところでは、革命の問題も、抽象的な反対物に転化してしまうであろう。換言するならば、民衆の一人ひとりが革命と反革命の内乱的対峙のなかに全人格的になげこまれ、その選択を迫られるのであり、党のみがその外部にあることはありえないのである。もちろん、革命的内乱が提起される政治的・経済的契機、それに照応した革命的前衛党の戦略スローガンが、各国帝国主義の危機の固有の構造や、そこからの脱出の攻撃の基本方向によって、種々の具体的変化が生ずるのは、おおいにありうることである。しかし、いかなる具体的契機をとろうとも、侵略と戦争の時代における革命の現実的なあり方が、内乱の形態を回避したところにありえないことは、きわめて明白である。
 本質的には、革命が国家権力と革命的大衆の闘争、資本家階級と労働者階級、人民大衆の闘争を基軸とする垂直的な内乱の構造をとることはいうまでもないところであるが、しかし同時に確認されなくてはならないことは、現実的には、革命の展開過程が、権力対人民の闘争を基軸としつつ、帝国主義によって動員された「人民」と、革命党によって動員された人民との水平的な内乱の構造をともなって進行することである。もともと革命の政治的過程は、革命の原理が内乱の論理として具体的に進展し、ふたたび革命の原理として止揚されていく構造をもつものであるが、帝国主義の危機の時代においては、内乱の問題が、革命の問題と同時に永続的に現実していくのである。それゆえ、革命的内乱の問題はプロレタリアート人民の武装蜂起と権力奪取と、それにたいする帝国主義の反革命的反乱として生起するだけでなく、一斉武装蜂起と権力奪取の段階に先行するプロレタリア階級闘争においても、戦略的視点としてたえず一定の現実的物質化を要請されるのである。
 第三には、プロレタリアート人民の一斉武装蜂起にむかっての準備の一環として、プロレタリア大衆闘争の武装自衛を積極的に位置づけるとともに、蜂起のための意識的準備、経験蓄積の過渡的な闘争形態をつくりだす問題である。
 周知のように、帝国主義の体制的危機が深刻となり、労働者人民の運動にたいする弾圧が無慈悲となり、労働者人民の生活と権利にたいする政策が破壊的な性格を強めてくる情勢のもとにあっては、プロレタリアート人民の闘争がいったん高揚するならば、好むと好まざるとにかかわらず、国家権力との暴力的な衝突・対峙の関係に急速に発展せざるをえず、体制の根底的否定へ革命の質の問題を鮮明にすることが必要となるのである。このような階級関係の形成は、不可避的に、プロレタリアート人民に、その闘争の貫徹にかかわるものとして武装自衛を提起するであろう。トロツキー流にいうならば、ストライキにピケが必要なように、革命的闘争にもそれに照応した武装形態が必要となるのである。革命的前衛党は、このようなプロレタリア階級闘争の内乱的発展の情勢のもとでは、権力奪取のための蜂起、決戦的性格をもつ諸蜂起、政治闘争の蜂起的貫徹を三形態とするプロレタリア人民の武装蜂起を準備し、そこにむかって党と人民を動員訓練する観点から武装自衛を位置づけてたたかうのである。権力との闘争はもとより、民間の反革命的私兵との武装衝突もここでは、武装自衛を強化し、内乱的敵対関係を拡大するテコとして意識的に作用するのである。他方、プロレタリアート人民と権力、反革命集団の激闘の一般化、密集した反革命の強化とプロレタリアート人民の大衆的闘争の対峙の情勢のなかで、一個の武装勢力として自己を形成したグループのゲリラ的・パルチザン的武装闘争が萌芽的に開始されるであろう。もとよりこのようなグループの多くが、初期の段階にあっては、大衆の革命性、大衆の政治的動員とその軍事的武装の勝利の道に確信をもつことのできぬ日和見主義者や、革命的前衛党を建設することの困難に挫折した敗北主義者によってしめられることは、おおいにありうることである。革命的プロレタリアートとその前衛党は、プロレタリアート人民の一斉武装蜂起を準備する観点から、小ブル的な日和見主義、敗北主義の方向をもつ武装闘争にたいし、確固とした批判的立場を堅持するであろう。まさに革命的プロレタリアートとその前衛党は、プロレタリアート人民の革命的内乱への動員とその武装の革命的方向にたって全人民の武装を援助し促進し、みずからも一個の武装勢力として直接間接に敵と対峙し、全人民の武装の最先端を形成するものとしての恒常的武装勢力の建設を積極的に推進し、それをもって日和見主義、敗北主義の傾向を実践的に克服するであろう。
 帝国主義軍隊を革命的に解体し、兵士を獲得し、人民の革命的武装勢力との合流をとおして新しい人民の革命軍の創成をかちとるためのたたかい、帝国主義の危機と攻撃の方向と真正面から対峙した革命的戦略の総路線にむかって、プロレタリアート人民を政治的に大動員し、革命勢力を戦略的・組織的に強化し、プロレタリア階級闘争の内乱的・革命的発展をかいとっていくたたかい、という恒常的大事業と固く結合し、相互に強めあうものとしてはじめて、革命的武装勢力の建設(建軍)とそのための意識的準備・経験蓄積の闘争組織形態の問題は、正しく解決されるのである。
第四には、プロレタリアート人民の武装蜂起の準備と貫徹をとおして、革命的前衛党の指導のもとに革命的内乱期における政治と軍事の高度の統一を実現していく問題である。
 いうまでもなく、革命的内乱期におけるプロレタリア階級闘争の指導、武装蜂起の準備と勝利的な貫徹の問題は、革命的前衛党のきわめて高度な指導性を要求されるのである。内乱的闘争のための強力な革命的政治勢力、政治的基礎の建設と革命的武装勢力の建設、戦略目標にむかってプロレタリア人民の政治的大動員とその軍事的武装を統一していくれきしてき任務は、原則的で柔軟な、進行的で慎重な指導の系統がなくては達成することは不可能である。
 戦争の指導と同じく、内乱期のプロレタリア階級闘争、蜂起の準備を指導するものは、プロレタリア暴力革命の観点であり、それに立脚した党の政治指導である。革命的前衛党の政治指導だけが、軍事を政治と結びつけ、革命的武装勢力を強力な政治的基礎に結びつけ、革命的武装勢力へのプロレタリアート人民の結集を保障し、革命的武装勢力の政治的内容をたかめる決定的な力である。恒常的に襲いかかる国家権力の弾圧と反革命集団の攻撃を粉砕し、革命勢力と革命的武装勢力を保持強化し、革命的内乱期の政治と軍事、蜂起の準備を勝利的に達成していくためには、指導における自然発生性への追従の傾向、現実の客観的な力関係の認識を軽視し、指導を扇動にすりかえる傾向、党・革命勢力・革命的武装勢力の構造的な関係とその独自的な強化に無理解な傾向、などの諸傾向との非妥協的な闘争をおしすすめることがたいせつであろう。革命的前衛党の建設、革命のための強大な政治勢力、政治的基礎の建設、革命的武装勢力の建設という三つの任務、総じていえば革命勢力の保持と強化を達成する任務は、革命的内乱期におけるプロレタリア階級闘争、プロレタリアート人民の一斉武装蜂起の準備のための闘争の唯一絶対の基礎である。クラウゼヴィッツの「味方戦闘力の保持と敵戦闘力のせん滅」という戦争の絶対的原則は、内乱と蜂起の準備というプロレタリア暴力革命の凝縮した過程においては、決定的に重要な政治原則としての意義を有しているのである。
 
 () 革命戦争の基本的特徴
 
 プロレタリア暴力革命論に基礎をもつ革命戦争は、プロレタリアート人民の一斉武装蜂起とプロレタリア独裁の樹立の政治の特殊な継続であり、また、革命的内乱期におけるプロレタリア階級闘争の爆発の特殊な継続である。要約的にいうならば「階級闘争から生じて、革命的諸階級によって遂行され、直接の革命的意義をもつような戦争」(レーニン)である。
 
 (1) 世界革命と人民の正義の目的
 
 革命戦争の第一の特徴は、世界革命とプロレタリア独裁の目的、人民の正義の要求を達成するための戦争であり、帝国主義と反革命の完全な打倒をめざす戦争である。
 マルクス主義の見地から見て、戦争をどう評価すべきか、戦争にたいしてどういう態度をとるか、を検討する場合の基本的問題は、なにが原因でこの戦争がおこなわれているか、それを準備し指導したのはどの階級か、という点である。戦争を自然災害のようにみなして絶対的に反対する小ブル平和主義の立場とは異なり、マルクス主義者は、戦争を階級闘争とそこにおける諸階級の政治の継続として評価するのであり、革命を政治目的とするものと反革命を政治目的とするもの、被抑圧民族の防御と解放をめざす正義の戦争と帝国主義の攻撃と侵略のための不正義の戦争とを明確に区別するのである。
 革命戦争は、国際階級闘争とその特殊な総括である国際政治の情勢によって促進もされ、抑制もされるであろう。革命戦争を推進する階級の現状、それと対峙する帝国主義と反革命の勢力との具体的な力関係に照応して、革命戦争が爆発的な進展をとげる場合も、また講和をふくめ戦争状態が停止あるいは鎮静する場合もあるであろう。しかし、どのような交戦=平和の状態をとろうとも、プロレタリアート人民の革命戦争は、敵の完全な打倒、征服するか屈服するか、という絶対戦争の雄大な政治目的を堅持し、その達成までどんな困難をものりこえて前進するのである。それゆえ、革命戦争は、世界革命の利益に従属した高度に政治的な戦争である。それは、プロレタリア独裁の国家のもとにプロレタリアート人民をあらゆる形式で動員し武装し、全人民が心を一つにしてたたかう戦争であるばかりか、敵戦闘力をせん滅し、政治宣伝と政治動員で敵を包囲し、敵の政治目的と民衆的基礎を徹底的に解体し、あらたな人民的反乱と国際主義的団結をつくりだして敵の完全な打倒をめざしてたたかう戦争である。
 
 (2) 内乱としての政治的・軍事的性格
 
 第二に特徴は、プロレタリアート人民の国際主義的な団結の思想と展望をもった階級戦争であり、国際的・国内的内乱としての性格をもった戦争である。
 革命戦争の規模が、主として国内的内乱の様相をとるか、国家間の戦争をふくむ国際的内乱の様相をとるかは、国際階級闘争とその特殊な総括である国際政治の情勢に照応して決定されるであろう。しかし、国内戦争であろうと国際戦争であろうと、革命戦争は、階級と階級の戦争、プロレタリア独裁国家(とそれを求める人民)とブルジョア独裁国家との戦争という国際的内乱の性格をもって発展せざるをえない。対立する二つの階級的諸国家体系のあいだの衝突、対立する二つの階級的諸軍隊体系のあいだの衝突こそ、革命戦争の本質である。
 もちろん、プロレタリアート人民によるブルジョア国家の打倒とプロレタリア独裁国家の樹立は、多くの場合、個々の国家の統治規模に対応するものとして進行する。それは、本質的には国家というものの地方的限定性に照応するものであり、プロレタリアートの解放の事業が、さしあたって自分を政治的支配階級にたかめることによって政治的国家支配の死滅の条件を準備する、という弁証法的構造をとることに照応しているのである。プロレタリア階級闘争の戦略問題が、個々の国家の打倒と、そのための蜂起の準備に結びついて提起されねばならない事実を観念的に捨象して、世界革命戦略と具体的な戦略問題との同一性と区別性を混同することは、小ブル的幻想いがいのなにものでもないのである。それゆえ一国に生起した革命が、巨大な世界的衝撃をもたらし、国際階級闘争の偉大な高揚の口火としての役割を確固としてはたしながらも、国際政治の一定の均衡の結果、干渉戦争の野望が成功せず、帝国主義と革命国家との一時的な並存状態が生ずることは十分にありうることである。しかし、このような不安定な均衡が、革命の側の主導権のもとであれ反革命の側の主導権のもとであれ、やがて崩壊し、かわって両者の激烈な衝突がひきおこされることもまた、疑いのないところである。
 ロシア革命にたいする帝国主義の干渉戦争と、それを契機として爆発した革命戦争について、レーニンは『ロシア共産党の綱領草案』においてつぎのようにのべている。
 帝国主義戦争は、われわれの目のまえで不可避的に、プロレタリアートを先頭とする被搾取勤労大衆の、搾取者にたいする、ブルジョアジーにたいする内乱に転化したし、また転化しつつある。
 プロレタリアートの攻撃が増大するにつれて増大し、とくに個々の国ぐにでプロレタリアートが勝利した結果強まっている搾取者の反抗も、またブルジョアジーの国際的連帯と国際的組織性も、すべては、個々の国の内部における内乱を、プロレタリア諸国と資本の支配を守護しようとするブルジョア諸国とのあいだの革命戦争に結びつける結果となっている。……われわれの目のまえで展開している、また一九一九年末以来とくに急速に展開している、国際的内乱のこの発展過程は、総じて、資本主義のもとでの階級闘争の合法則的な産物であって、国際プロレタリア革命の勝利にいたる合法則的な一段階である。
 
 帝国主義の侵略戦争の攻撃に抵抗し、個々の国ぐににおいてこれを内乱に転化し、ブルジョア独裁国家にかえてプロレタリア国際国家を樹立するプロレタリアート人民の偉大な闘争は、遅かれ早かれ、帝国主義諸国家体系との衝突に発展せざるをえないが、このような革命戦争の勝利を確固として獲得していくためには、階級闘争の見地、国際的内乱の見とおしが必要であることを、レーニンはここで教えているのである。帝国主義の軍隊にたいし革命の軍隊を対峙するとともに、革命の軍隊を徹底した政治的軍隊として鍛えあげ、革命の軍隊を支える巨大な政治的基礎をつくりあげるためには、この革命戦争と個々の国ぐにの階級闘争とを具体的に結びつけ、帝国主義戦争に反対する種々の集会、行進や政治的ストライキの段階から全人民的内乱、権力樹立と革命戦争への合流の段階までの全過程を、内乱的対立を深化し、一斉武装蜂起を準備する戦略的見地にたって、低いものから高いものへと具体的に発展させることが重要なのである。革命戦争を内乱の内容をもって強化すること、この見地をもって個々の国ぐにの階級闘争を発展させ、国際的内乱に永続的に結びつけていくこと、これが革命戦争の勝利の道である。
 
 (3) 全人民の動員とその武装
 
 第三の特徴は、暴力革命の思想、全人民の武装、全人民の政治動員とその軍事的武装を基礎とした戦争であり、相対的に劣勢な革命勢力が、相対的に優勢な帝国主義勢力とたたかって、しだいに勢力を強化し、やがて敵を完全に打倒していく人民の勝利の戦争である。
 すでにのべたように、帝国主義の崩壊の全過程、社会主義社会の誕生には、暴力が不可避的にともなうこと、大衆の暴力の爆発こそが歴史の転形の決定的な力であることは、プロレタリア革命の根本的問題である。帝国主義の時代から社会主義の時代への世界史的な過渡の時代にあっては、プロレタリアートとブルジョアジー、革命と反革命の対立は、絶対的な敵対関係、大量の暴力的・軍事的解決なしには決着しえない政治的対立としての性格をおびている。階級闘争における諸階級の政治は、その継続として暴力的、軍事的衝突に発展せざるをえない。プロレタリア階級闘争の諸勢力は、権力と反革命に屈服してその体制内の適当な位置を与えられて奴隷頭としての裏切りの道を選ぶか、それとも、奴隷の鉄鎖を断ちきって内乱と蜂起の準備の道を選ぶのか、ひとしく問われるであろう。共産主義から逃亡し、反革命との共存と連合を求める諸君の道は前者であり、共産主義を堅持し、革命の勝利に未来と生死をかける戦士の道は後者である。革命的前衛党を先頭とするプロレタリアート人民の雄大な革命的目的、団結と暴力への不抜の努力だけが、後者の道をまもり、後者の道の勝利を約束しているのである。
 もとより資本主義、帝国主義の国家権力、それと結合した反革命の諸勢力は強大である。かれらは、社会の物質的生産力の圧倒的部分を握っており、巨大な軍事力、警察力によって武装し援助されている。そのうえ、資本主義の諸関係、帝国主義の諸機構を基礎としてイデオロギー的諸傾向を資本と権力の支配下に結びつけているのである。他方、プロレタリアート人民の革命勢力の側は、自分たちの生活を細々と維持していくための微々たる手段(そまつな家やアパートの一室、ほんのすこしの家庭用具とわずかな貨幣など)を除いては、なにひとつ富をもっていないのであり、しかも、権力と反革命によって日常的に分断され、監視され、徹底的な武装解除の危険のもとにさらされているのである。プロレタリアート人民とその革命勢力は、まさに、このような圧倒的な劣勢から出発するのである。工場や職場、生活点や学園における小さな、しかし永続的戦闘、政治的・経済的な対立をめぐる局地的な、また全社会的な動揺と闘争への参加、マルクス主義の学習とプロレタリア革命の確信の形成、こうしたさまざまな過程をとおして萌芽的な団結の諸形態を、党の建設とその指導のもとでプロレタリア階級闘争の戦略的大前進運動に不断に結びつけ、プロレタリアート人民の革命性、全人民の暴力、全人民の武装の絶対的勝利性への不動の確信をもって、内乱と蜂起の準備を計画的、系統的に推進するのである。個々の国ぐににおける階級闘争の発展の合法則性、内乱と蜂起の準備の計画性、系統性こそ、革命戦争の絶対的な基礎なのである。
 個々の国ぐにの階級闘争においてプロレタリアート人民が、党の指導のもとに烈々たる革命的確信をもって団結し、国家権力や反革命との永続的な闘争をとおして闘争の高揚と革命勢力の建設と強化を不断にかちとり、圧倒的に劣勢な革命勢力で圧倒的に優勢な権力と反革命の勢力に対抗し、権力の弾圧や反革命の襲撃をはねかえして全人民の動員とその武装を前進させ、しだいに力関係を変化させ、内乱と蜂起の準備を完遂させていったように、革命戦争もまた、敵味方の客観的な力関係にふまえて戦争の有利な形式と戦闘の時点と形態を主導的に敵に強制し、戦争によって戦争を養い、戦争によって戦士を増やし、戦争によって武装を強化し、戦争によって労働者人民を教育し、戦争によって革命的目的を高揚させ、かくして相対的に劣勢な革命勢力が強大で優秀な物質力で武装した優勢な反革命の武装勢力を打倒していく過程である。まさにこのような、弱者が強者に対抗し勝利していく革命戦争の基礎は、全人民の武装であり、大衆の暴力の高揚である。党の指導のもとにプロレタリアート人民の革命への確信と情熱を高揚させ、全人民を戦争の政治目的にむかって動員し教育し、プロレタリア民兵制を基礎に中央主力軍、地方軍を三要素とする革命的武装勢力を建設強化し、その政治的基礎を強化し、党、政治勢力・政治的基礎、軍の三位一体的な団結をかちとること、まさにこの過程にこそ、全人民の武装をかちとる唯一の道があるのである。
 
〔注〕 もとよりすべての革命戦争が、劣勢な革命勢力が優勢な反革命に対抗し、戦争をもって戦争を養う指導原則をもってかならず勝利するというものではない。そうではなしに、この合法則的な指導原則に立脚し、この合法則的な指導原則を実践した革命戦争だけが勝利しうるのである。
 
 (4) 戦争を消滅する戦争
 
 第四の特徴は、帝国主義の不正義な利益のために人類の荒廃と惨禍をもたらしている帝国義の戦争をなくし、社会主義を準備することによって戦争そのものの消滅をめざす戦争である。
 周知のように、革命的な共産主義者は、帝国主義の戦争に反対し、その野蛮で残忍な戦禍と荒廃を激しく非難する。しかし、小ブル平和主義者と異なり、革命的な共産主義者は、(1)戦争が別の手段による政治の継続であること、戦争にさきだつ各国の政治、各階級の政治、それと不可分の経済的・歴史的事情との結びつきをもっていること、(2)人類の階級分裂をなくし、人間による人間の搾取をなくし、ある民族による他の民族の抑圧をことごとくなくし、社会主義をうちたてなくては戦争をなくすることはできないこと、(3)正義の戦争と不正義の戦争をはっきりと区別し、帝国主義の抑圧と侵略にたいする被抑圧民族の戦争、帝国主義ブルジョアジーにたいするプロレタリアート人民の内乱と革命戦争の正当性、進歩製、必然性を完全に認めること、の三原則にたって戦争を評価し、それにたいする態度を決定するのである。
 帝国主義の戦争は、戦争にさきだつ政治、戦争前にいわゆる「平和的な」手段で目的を達していた帝国主義の階級支配の継続であり、植民地にたいする抑圧と皆殺し戦争の継続である。帝国主義の平和なるものは、労働者人民のブルジョアジーへの内乱的闘争を鎮圧し、幾億の植民地人民への恒常的な戦争、凶暴な殺りく、武器をもたない人民の皆殺し、というもはや戦争といえないような戦争をおこなうことによって維持されてきたのである。帝国主義の世界戦争は、帝国主義の「平和な」時代における労働者人民、植民地人民への抑圧と殺りくのやり方が帝国主義どうしの対立にもちこまれただけのことである。それゆえ、帝国主義の戦争は、植民地人民の抑圧のための戦争であろうと、プロレタリアート人民の革命を鎮圧し絶滅するための戦争であろうと、また世界支配のための帝国主義諸国間の戦争であろうと、すべて不正義と反動の戦争である。
 これにたいし、プロレタリアート人民の革命戦争は、プロレタリア階級闘争から生じ、革命的な諸階級によって遂行され、世界革命と人民の正義を政治目的とした、直接の革命的意義をもつような戦争である。それは、少数の搾取者、抑圧者を敵とするプロレタリアート人民の民主主義的に組織された戦争であり、帝国主義の支配と搾取、階級支配と民族抑圧をなくし、帝国主義の利害に従属し、カースト的な支配機構と過酷な軍規によってのみ保持されている帝国主義の軍隊を解体し、かわりに全人民の武装という全人民が実際に自由を享受できる制度にかえる戦争である。
 以上の点によって、まさに革命戦争は、正当性、進歩性、必然性をもっているのであるが、しかし、革命戦争のもっとも偉大な意義は、社会主義を達成し、人類の解放をかちとる準備としてそれが遂行されることであり、戦争をなくす戦争、軍備をなくす武装という人類史上かつて例を見ない決定的意義をもったものである、ということである。全人民の武装は、過渡期の労働者国家、プロレタリア独裁国家に照応した制度であり、反革命の抵抗と反革命の干渉戦争を粉砕し、プロレタリア世界革命を遂行する武装力であり、社会主義にむかっての生産手段と労働力の社会的配分と管理、生産物の管理と配分、ブルジョア家族制度の解体と新しい生殖関係の形成を保障する暴力的保障であるばかりでなく、同時に、反革命のせん滅、人民の自己改造をとおして暴力を共同意志の形成と自己規制という完全に人間的な力にたかめていく決定的水路としての意義を有しているのである。
 
 (5) 党の指導する戦争
 
 第五の特徴は、革命的前衛党の指導のもとに結集したプロレタリアート人民の戦争であり、革命的前衛党の革命戦略と軍事思想、戦争遂行勢力の建設、政治闘争と武装闘争を結合した高度の戦争指導の計画的、系統的な強化によって発展していく戦争である。
 すでにのべてきたように、革命戦争の強力な性格は、基本的には、(1)革命的目的の正しさ、人民の正義の要求にもとづいた戦争であること、(2)階級闘争と内乱の戦略をもった戦争であること、(3)暴力革命の思想、全人民の動員とその武装をもって劣勢な革命勢力が優勢な反革命勢力に勝利していく戦争であること、(4)戦争をなくす戦争、軍備をなくす武装であることにあるが、このような雄大な目的をもちながら多大な形式をもって発展する戦争を統一的に指導するには、(5)党に指導され党の指導によって発展する戦争、という性格が絶対的に付与されなくてはならないのである。
 まず第一には、革命的前衛党が全人民を動員し戦争に決起させていくよう正しい革命戦略と戦略的総路線、すなわち、世界革命の目的と人民の正義の目的にもとづき、内乱と蜂起を準備し、革命戦争の勝利の基礎を建設できるような革命戦争と軍事思想を確立することが重要である。このような戦略的総路線を確定する基礎は、国際的な階級闘争の普遍的な教訓、内乱と蜂起、革命戦争の合法則性と、個々の国ぐにの階級闘争の特殊的な経験、内乱と蜂起、革命戦争の特殊的な合法則性とを結合することにある。それはただ党の目的意識的な活動の結果として可能である。
 第二には、革命的前衛党が全人民をたたかいに動員する政治闘争において、人民の優位性と強大な政治力量をかちとることに成功することが重要である。正しい戦略戦術に立脚した政治闘争の激化と政治的緊張の異常なたかまりのなかで、内乱と蜂起、革命戦争のための政治勢力、政治的基礎の建設、革命的武装勢力の建設を確固として達成することである。強大な政治的力量の建設の敗北を軍事的冒険でのりきろうとするものは、国際的な階級闘争の経験、内乱と蜂起、革命戦争の合法則性をふみにじるものである。
 第三には、革命的前衛党が個々の国ぐにの階級闘争の現実を出発点として、低いところから高いところにむかって計画的・系統的に内乱と蜂起の準備、革命戦争の準備をすすめることが重要である。内乱と蜂起、革命戦争の問題は、ブルジョア独裁権力を打倒し、プロレタリア独裁権力を樹立し、それを維持していく最高の闘争形態である。それはただ、自然発生的傾向ときびしくたたかい、極度に目的意識的な指導の系統があってはじめて可能なのである。
 第四には、革命的前衛党が政治闘争と武装闘争を結合し、合法と非合法、公然と非公然の活動を結合し、主力軍の戦争と遊撃隊の戦争を結合し、ありとあらゆる形式でもって全人民を動員し、武装し、敵の制圧しえない時間と空間をすべて革命の戦線にくみかえてしまうことが重要である。いいかえるならば、戦線の重層的構造化をもって、たえず革命勢力の主導権のもとにもっとも有利な闘争の形式をつかみとり、その勝利を戦略的大前進運動に結びつけていくことである。
 第五には、革命的前衛党が大衆のすぐれた部分をたえず党に組織し、党員を「幹部」に教育養成し、党の指導組織系統を建設し、闘争での党の全面的・集中的・統一的な指導の実行をつくりだすことが重要である。『第二インターナショナルの崩壊』という有名な論文のなかで、レーニンは、帝国主義戦争の時代の階級闘争の新しい形態のすぐれた見本として軍隊をあげ、「この組織のすぐれているのは、ただそれが、柔軟であると同時に、幾百万という人々に統一的な意志を与えることができるかである」と指摘し、「一つの目的のために、一つの意志によって鼓舞された幾百万という人びとが、情勢の変化と闘争の要請に応じて、その交通形態や行動形態を変え、活動の場所や方法を変え、器材や兵器を変える場合、それが組織と呼ばれるのである。同じことはブルジョアジーにたいする労働者階級の闘争にもあてはまる」とのべている。軍隊の組織性をプロレタリア運動の基礎のうえに革命的目的と高い政治的内容をもって発展させたものこそ、革命的前衛党である。党の建設と党指導の強化の問題は、革命勢力の建設と発展の要であり、プロレタリアート人民の革命戦争の勝利の保障である。相対的に劣勢な革命勢力が雄大な目的をもって相対的に優勢な反革命勢力と対峙し、敵の目的と態勢、その強さと弱さ、味方の目的と態勢、その強さと弱さの客観的な認識にふまえ、味方の弱点を防衛し敵の弱点を攻撃し、有利な時点と有利な形式で主導的に戦闘を展開し、あらゆる形式で全人民の動員とその武装をかちとり、その前進する基礎のうえに戦争をもって戦争を養い、戦争をもって政治目的と革命精神の高揚をはかるという原則を貫徹し、もって相対的に劣勢であった革命勢力が発展強化し、相対的に優勢であった反革命勢力を追いつめ、それを完全に打倒していてことこそ、革命戦争の基本的特徴をなすものであるが、まさに、このような革命戦争の特徴を積極的に貫徹する根本の基礎は、党の建設、指導の強化なのである。
    (一九七二年六月)