毛沢東過渡期社会論批判
    スターリン主義社会の歴史的矛盾を社会主義社会論の改訂で合理化するもの
 
 文化大革命の過程で発表された毛沢東の社会主義社会・過渡期政策論を、スターリンの破産にたいするびほう策としてのスターリン主義のあらたな歴史的適応形態として、マルクス主義世界革命論・社会主義社会論の現代的復権と過渡期政策論の現代的展開をもって批判しつくした論文である。
 
 
 いわゆる中国文化大革命の進展とともに「社会主義的所有制の成立した段階における階級闘争」にかんする毛沢東の新理論が、文革の指導理念として照らしだされてきた。
 中国の今日的危機は、直接には、大躍進政策――人民公社運動の失敗と、その調整政策をめぐる中国共産党指導部の動揺とに起因しているが、その根底には、社会主義とは何か、という「古くて新しい」実践的設問がよこたわっている。ソ連における一国社会主義建設の歴史的な行きづまりと、フルシチョフ改革をめぐる新しい矛盾の危機的累積は、ソ連官僚制の政治的動揺を準備するとともに、スターリンの一国社会主義建設理論の根底的再検討を客観的に要請せしめているが、まさにフルシチョフ改革と毛沢東新理論とは、スターリン主義の歴史的破産にたいする二つの基本的対応形態として、決定的画期をなすものである。
 従来、わが国では、新中国の現状にかんして心情的な接近が支配的であり、マルクス主義革命論に立脚した科学的な研究がないがしろにされてきたため、中国文化大革命という衝撃にたいして「三角帽子の非情さ」といった情緒的な反発の大量的な形成を許容せしめるとともに、一方、日共的な民族排外主義と、その裏返しとしての日中友好主義の発生が不可避となった。
 われわれは、善隣会館問題にみられる日共の民族排外主義への転落を鋭く糾弾していきながらも同時に、このような安易な転落の底にある従来の中国へのアプローチの方法を決定的に変革することが大切であろう。「現状を否定する現実的運動」としての革命的共産主義運動を世界史的に創成していくという実践的立場から中国社会の矛盾とその革命的打開の道を徹底的に解明することなしに、ただただ、現状への反発を毛沢東路線への「期待」としてふくらましていこうとする一部の反代々木主義者の動向にたいしては、具体的な闘争課題にそくした共同行動を展開しながらも、革命的共産主義に立脚した原則的な思想闘争を徹底的に強めていかねばならない。
 それこそが、また、苦悩する中国人民への本当の国際主義的連帯の道である。こうした意味で、毛沢東の新理論にかんして、以下、かんたんに批判的検討をおこなうことにする。
 
  中国の危機と毛沢東の新理論
 
 毛沢東の新理論(注参照)の支持者と思われる菅沼正久氏は、同氏著『中国文化大革命』(三一新書)において、「毛沢東思想に指導される中国共産党の社会主義にかんする理論は、毛沢東が一九五七年二月におこなった講話『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』に基礎づけられて、『国際共産主義運動の総路線についての論戦』の過程で、しだいに明瞭になった」と、新理論の形成過程を説明するとともに、その意義についてつぎのように総括している。
 「中国共産党とその主席毛沢東のマルクス・レーニン主義の説く階級闘争の理論にたいする貢献は、生産手段の社会主義的所有が全面的に成立した状況のもとからはじまる。レーニンがそ の死去(一九二四年一月)のためにはたしえず、スターリンがその誤った認識のために洞察しえなかった、社会主義的所有制の成立したのちにおける階級と階級闘争の理論を創造する仕事は、その後継者の手にゆだねられることとなった。マルクス・レーニン主義の学説史において中国共産党の理論が占める位置はこのようなものである」(ゴジは筆者)同じく、『歴史としてのスターリン時代』(筑摩書房、増訂版)の著者である菊地昌典氏は『現地にさぐる文化革命の底流』(『朝日新聞』六七年五月一二日)において「数多い中ソ対立の争点のなかで中国のソ連資本主義復活論ほど説得力の弱いものはない」という若干の疑問点を保留しながらも、毛沢東の新理論についてつぎのような積極的評価を与えている。
  「文化大革命は『社会主義下の階級闘争』の名のもとに遂行されつつある。毛沢東崇拝をうちかためたものが、この過渡期階級闘争理論にあることは否定しがたい事実である。たしかに、 社会主義を遠い未来社会としてしか規定しえなかったマルクスも、史上最初のプロレタリアートによる権力奪取に成功したレーニンも、社会主義社会の諸矛盾を、階級と階級闘争の永続的存続として、はっきり認識したことはなかった」(ゴジは筆者)ところでスターリンの「一国社会主義建設の理論」、その実践的帰結としての「階級消滅論」および「階級闘争激化論」という相互に矛盾する公式は、マルクス、レーニンの社会主義社会論を「社会主義社会の一国的建設という実践にもとづいて発展させたもの」として、国際共産主義運動のスターリン主義的変質に決定的転機をもたらしたのであり、こんにちではその歴史的破産が次第にかくしおおせぬものとなっていることは周知のとおりであるが、毛沢東の新理論は、はたしてスターリンの、「一国社会主義論」の誤りを正しく止揚するものなのであろうか。
 したがってまた、中国の今日的危機を革命的に解決する理論的指針たりうるものなのであろうか。
 率直にいって、わたしは、過渡期社会にかんする毛沢東の新理論(注)なるものは、危機にたつスターリン主義の歴史的対応形態であって、けっして、国際共産主義運動のスターリン主義的変質を根底的に解決しうるものではないと考える。
 あらかじめ断言的にいうならば、マルクス、レーニンの世界革命論を「一国社会主義理論」でもって修正するというスターリンの方法の歴史的破産は、フルシチョフ改革および毛沢東新理論という二つの相対立する形態をもって、局面打開のための歴史的模索を不可避としながらも、その模索の具体的展開のうちに、スターリン主義的矛盾があらたな危機的様相をもって再生産されていく、という媒介的過程をとっているのであり、それは同時に、反スターリン主義を立脚点とするわれわれ革命的共産主義者にとって、局面打開のための歴史的模索と、その具体的展開の批判のうちに、国際共産主義運動とその指導理論の革命的回復のための現実的根拠がかくされていることを示唆しているものといえる。
 したがって、毛沢東の過渡期社会にかんする新理論を批判的に検討するという仕事は、「中国社会主義」の今日的危機を、国際共産主義運動のスターリン主義的変質のもたらした矛盾の世界史的環としてとらえかえすとともに、毛沢東の新理論の基礎をなしている「中国社会主義」の今日的危機の批判的検討をとおして、スターリン主義の革命的止揚のための実践的突破口をひらくものでなくてはならない。
 〔注〕毛沢東の新理論について
 毛沢東の新理論については、毛沢東論文というかたちでのテキストは発表されていないようなので菅沼正久著『中国文化大革命』(三一新書)にもとづいて紹介すると、新理論の骨子は大要つぎのようである。
 (1)社会主義社会は「資本主義から共産主義にいたる過渡期の社会」であり、共産主義の実現まで「同じ性質の矛盾」が社会発展の原動力となる。
 (2)社会主義社会の基本的矛盾は、その他の社会と同じように「生産力と生産関係の矛盾、上部構造と土台の矛盾」である。その矛盾には、人民内部の矛盾と、敵と味方のあいだの矛盾の二つの異った矛盾があり、矛盾の正しい処理が社会を発展させる原動力をなしている。人民内部の矛盾は、一定の条件のもとでは「敵と味方の矛盾」に転化する。この矛盾は、さまざまなかたちと、さまざまな手段をとってたたかわれる階級闘争で処理される。
 (3)社会主義の所有制は「低度の未成熟なものから高度の成熟したものに発展」する。
 (4)社会主義的所有の基礎の上にも「賃金や価格や企業の経済計算制などのブルジョア経済において完成された用具」がひきつづき導入されているため「社会主義国において資本主義が復活する可能性」がある。プロレタリア・イデオロギーに対抗するブルジョア・イデオロギーは、社会主義社会のある段階まで継承される「肉体労働と精神労働の分離、少数の知識人による文化の占有と、それに基礎をおいた社会と企業の制度」にもとづいており、そのため、文化革命は不可欠である。
 (5)過渡期としての社会主義は、「連続的な革命の過程」であると同時に「段階的な発展の過程」である。
 (6)過渡期の全過程において「資本主義社会の名残りを段階的にとり除き共産主義の要素を拡大し、共産主義を実現するための条件を準備する」が、共産主義の前提となる「社会にありあまるほどの生産物を供給するほどの生産力」は、人びとが「労働を生活の第一の欲求とする」にいたる思想を条件として達成される。したがって、肉体労働と精神労働の区別を止揚した「新しい分業」の編成、つまり文化革命が重要な意味をもってくる。
 
  新理論の誤りは何か
 
 毛沢東の新理論の第一の理論的誤りは、資本主義から共産主義への「過渡期社会」と、共産主義の第一段階としての「社会主義社会」という二つの歴史的段階を完全に同一視していることである。
 マルクスは、『ゴータ綱領批判』において未来社会の原理的規定を与えているが、そこでは明白に、共産主義社会(その低次の段階としての社会主義と、その高次の段階としての狭義の共産主義からなるもの)と、共産主義社会への過渡期社会とを区別し、後者に照応する国家が「プロレタリアートの革命的独裁」である、としている。
 また、共産主義社会にかんしては、「資本主義社会から長い生みの苦しみの後に生まれ出たばかりの共産主義社会の第一段階」としての社会主義社会では「ひとつの形態における等量の労働が他の形態における等量の労働にたいして交換される」ところの等量労働交換の分配原則が不可避であり、労働給付という平等の尺度がブルジョア的権利として残存することを強調し、それに照応して「こんにちの国家機能に類似する、いかなる社会的機能が残るか」と設問しているが、ここでの「国家」がプロレタリア独裁国家を意味せず、レーニンの規定する「ブルジョアなきブルジョア国家」「非政治的国家」をさしていることはあきらかである。
 ところが、毛沢東の新理論にあっては、過渡期と社会主義段階とを同一視し、前者から後者(無階級社会)への意識的移行を不可能にしている。
 もちろん、問題は、文献学的比較におわるものではない。
 なぜならば、マルクスの未来社会論は空想の産物としてではなく、まさに逆に、資本主義社会という社会的生産の特殊歴史的な形態の具体的解明をとおして形成された社会原則と資本制的経済法則(価値法則)との統一的把握を原理的基礎とするものであるからである。階級対立の止揚、国家の死滅という問題は、価値法則の意識的廃棄と結びついており、この関係を無視することは、商品生産の基礎のうえに貨幣の廃棄を夢想したブルードンの愚をくりかえすものである。
 毛沢東の新理論の第二の理論的誤りは、過渡期と社会主義段階を同一視することによって「階級闘争」を無階級社会としての社会主義社会に密輸入したことである。
 かつて、スターリンは、一国社会主義論をもってマルクス主義世界革命論を解体し、過渡期から社会主義段階への移行へのメルクマールを小商品生産の集団化に矮小化するという理論的暴力を強行しながらも、マルクス、レーニンの未来社会論にかんする「一定の考慮」から社会主義段階=無階級社会という基本的命題を修正することが出来なかった。その結果、ソ連過渡期社会のスターリン主義的変質にもとづく国内階級闘争の激化を「整合的に説明」しえぬため、矛盾の要因を「国際帝国主義の反革命的干渉」に機械的に結びつけ、オールド・ボルシェヴィキをつぎつぎと粛清裁判の被告席に送った。
 だが、粛清裁判を契機とするスターリン主義官僚制の確立を「階級消滅論」をもって説明することは観念論であって、問題は、ロシア革命の一国社会主義的変質を基礎とする矛盾の累積と、それにたいする官僚層の動揺へのスターリン的反動にあったといわねばならない。
 スターリンのこうした方法にたいして、毛沢東は、過渡期=社会主義段階という新理論を踏台に「社会主義段階における階級闘争の永遠性」という新テーゼを導入し、スターリンにおける「階級消滅論」と「階級闘争激化論」の矛盾を現実にあわせて解決したのである。もちろん、この新理論が、ソ連共産党指導部の「修正主義」的腐敗や、中国共産党指導部内の「実権派」的堕落をいかに解決するかという実践的課題と関係していることも無視しえない。だが、現実の矛盾を社会主義にむかって止揚するという実践的立場を放棄して、「他の社会と同じ性質の矛盾」を社会主義社会に永遠化することは、スターリン主義的反動の合理化論である。これでは、階級および階級対立の死滅、それにもとづくプロレタリア独裁の解体、それらの経済的基礎としての等量労働交換=労働証書制の実現、そして、なによりも世界革命の勝利という過渡期止揚=社会主義段階への世界史的移行の条件は、永遠の彼岸においやられてしまう。
 毛沢東新理論の第三の理論的誤りは、「少数の知識人による文化の占有」という過渡期社会のはじめの段階で社会問題化する知識人・技術者の問題と、社会主義段階にも残存する分業の問題とを混同し、後者の段階でも分業から階級が発生し、それを克服するため階級闘争が激化するという驚くべき理論的基礎づけをおこなっていることである。
 まず後者の問題から検討すると、毛沢東が、社会主義段階=「生産手段共有の兄弟的労働社会」という歴史規定に、まったく無知であるということである。
 たしかにエンゲルスは、「分業は階級への諸家族の分裂をみちびく」という意味のことを『家族、私有財産、国家の起源』のなかで指摘している。だが、そこから社会主義段階に残存する社会的分業をもって、直接に階級発生の可能性を論証することは、「消費手段の分配はつねにただ生産諸条件自体の分配の結果たるにすぎない。しかし後者(生産諸条件のこと――筆者)の分配は生産様式自体の特質である」(マルクス『ゴータ綱領批判』)という社会原則にかんする基本的無理解の別の表現であり、エンゲルスのあずかりしらぬことである。生産手段の共有のうえにたち、「個人的労働はもはや間接にではなく直接に総労働の構成部分として存在する」共産主義社会に「階級」が存在し、「階級闘争」が社会発展の原動力になるとはひとを愚ろうするもはなはだしい。
 つぎに前者の問題であるが、これは、基本的には、過渡期におけるプロレタリア権力の政治問題であり、その観点をもってする経済政策の問題である。
 もともと、プロレタリア権力は過渡期の擬制的労賃制を可能なかぎり平等主義的傾向に近つけようと努力するが、ときに、あるいはかなりの時期にわたって、革命前の高級技術者たちを革命権力に協力させるために妥協的に高給を支払う場合が生ずる。ソ連ではネップの時代にこうした妥協が一般化し農村におけるクラーク(富農層)の台頭とともに、革命権力をゆるがしながら、党・政府の幹部の堕落をふかめていったが、こうした傾向は、小商品生産を暴力的に一掃した農業集団化ののちに、逆に、賃金格差の累進的拡大として「スターリン賃金体系」のうちに包摂され再生産されていった。
 その画期をなすのがスターリンの「新しい情勢――経済建設の新しい任務」(一九三一年六月)における平等主義反対の提起であった。
 つまりスターリンは、社会主義における人間的「不平等」を「社会的不平等」にすりかえて過渡期の賃金政策の平等主義原則を破壊したのであるが、中国でも一九五四年九月の全国人民代表大会で周恩来首相が「平等主義批判」をうちだすことで、これが体系的にひきつがれ、その結果として知識人や党・政府幹部の格差が拡大したのである。
 したがって、知識――文化の占有が特権に転化するかどうか、という問題は、過渡期の分配政策のスターリン主義的歪曲と関係した具体的事項であって、これをただちに一般化することは、プロレタリア権力の過渡期経済政策論の破壊いがいのなにものでもない。
 以上の検討であきらかなように、毛沢東の新理論は、マルクス・レーニンの未来社会論を過渡期社会のスターリン主義的変質にそって修正したものであり、スターリン主義の歴史的危機の理論的反映である。
 
   新理論の誤りの歴史的前提
 
 毛沢東の新理論の誤謬の第一の前提は、過渡期の歴史的成立根拠についてなんらの理論的検討もおこなわれていないことである。
 すでに指摘したように、資本主義社会から共産主義社会のあいだに、前者から後者への長い政治的過渡期が存在する。
 この過渡期は、瀬死の資本主義と生まれいでんとする共産主義のあいだの闘争の時期、いいかえれば「敗北したが根絶されていない資本主義と、生まれはしたがまだまったく微力な共産主義の闘争の時期」(レーニン『プロレタリア独裁期における経済と政治』)であり、この階級闘争を推進する政治的実体が、プロレタリア権力である。勝利したプロレタリアートは、支配階級としてたえず自己を再組織しながら、国際帝国主義の世界史的打倒にむかって、過渡期社会の社会主義的前進のために最大限の努力をかたむけることは、いうまでもない。
 だが、問題は、世界革命の永遠的発展と、革命に勝利した国における権力と経済とのあいだの具体的な相互関係をめぐつて起こってくるのである。もともと、マルクスおよびレーニンの未来社会論は、基本的には『資本論』として体系化されたマルクス経済学の原理的な逆規定として構成されたものであり、資本主義から共産主義への世界史的移行期における過渡期社会の権力と経済という具体的問題を対象とするものではなかった。
 ところが、資本主義の帝国主義段階への世界史的推転は、帝国主義諸列強の相互の激烈な闘争をとおして、きわめて複雑な政治情勢をつくりだすとともに、他方、非資本主義的諸関係の社会的変革を世界革命の過程に包摂してしまったのであり、その結果、世界革命の永続的発展という問題も異常なまでに複雑な歴史過程をとらざるをえないこととなった。
 過渡期の権力と経済という問題は、マルクス世界革命論に立脚した未来社会論を原理的規定としながら国際経済と国内経済の具体的な相互関係のうちに、そしてまた、国際階級闘争と国内階級闘争の具体的な相互関係のうちに、具体的に解決されていくのであって、あらかじめ処方箋を与えられているというわけにはいかない。
 しかし、以上の問題は、こうした具休的条件のもとでは、未来社会論の原理的規定などは「現実」のまえに第二次的な実践的意義しかもたないかのような経験主義的反応を不断に生みだす歴史的前提となる。たとえば、革命のロシアは、二〇年代の中葉において、ドイツ革命の敗北によって一国的に孤立したが、こうした具体的情勢は、世界の労働者階級にたいし、一方では、この一国的孤立を打破して、いかに世界革命の永続的発展を推進していくか、という第一義的任務のあらたな展開を提起するとともに、他方では、工業が脆弱で農民が圧倒的な国で勝利した工業プロレタリアートが、世界革命の永続的発展との結合を追求しながらもそこにむかって、なお今日的に工業と農業の社会主義的組織化をどう準備していくか、という過渡期の政策的課題を具体的日程にのぼらせた。
 スターリンの一国社会主義建設の理論は、こうした具体的情勢に具体的に対処するものであるかのごとくに登場し、国際共産主義運動のスターリン主義的変質のテコとなっていったが、それは同時に、過渡期社会論のきわめて「現実」的な修正の過程であり、マルクス世界革命論の解体の過程であった。
 したがって、われわれは、歴史的過渡期の要請する具体的課題に具体的に対処しながら、その対処のうちにきびしくマルクス世界革命論の内在的貫徹を達成していかねばならないが、それは「具体」の名をもってするスターリン主義擁護論との非妥協的闘争を不可避としている。
 過渡期社会とは、まさしく、資本主義から共産主義への世界史的移行の時代、帝国主義と社会主義との世界史的分裂の時代とに照応する歴史的社会である以上、過渡期から社会主義段階への移行は本質的には、帝国主義の世界史的打倒を条件としている。ところが毛沢東の新理論にあっては延命した帝国主義と中国社会との具体的な相互関係など現世的に存在しないかのようにあつかわれている。
 一国社会主義論的に想定された純粋の過渡期社会!
 だが、それはつぎにみるように、過渡期社会のスターリン主義的変質形態の理論的表現にすぎない。毛沢東は、軍事予算の不可避性を社会主義社会論のうちにどう必然化するのであろうか。
 毛沢東の新理論の誤謬の第二の前提は、世界革命の平和共存的変容形態を「永遠の歴史的前提」にしていることである。
 現代世界の歴史規定にかんしては、革共同第三回大会報告を検討してもらうとして、ここでは、中国社会との具体的な関係においてつぎの四点をかんたんに指摘するにとどめたい。
 第一点は、帝国主義の基本的延命と、中国革命の危機との関係が外在的にしか把握されていない、という点である。いいかえるならば、帝国主義の打倒をとおして中国の困難を解決するというレーニン的観点(ロシア革命とドイツ革命の結合)が完全に欠如しているということである。
 毛沢東の中国革命論の原点をなす「新民主主義論」において、かれは、(1)中国人民の解放が帝国主義と国内買弁反動を一掃する反帝民主の革命の道にあることを明確にするとともに、(2)この革命がロシア革命を突破口とする世界プロレタリア社会主義革命の一構成部分となることを指摘し、(3)革命をとおして実現する新民主主義の社会では、労働者階級、農民、民族的小資産階級、民族的資本階級の四つの階級の連合独裁が達成されるものと強調している。
 ところで、問題は第一のテーゼと関係するわけであるが、ここでは帝国主義の一掃なしには中国人民の解放はないという考えが強烈に確認されている。だが、中国人民の解放は、帝国主義勢力の一掃では端初的な政治条件を獲得したのにすぎないのであり、つぎには、社会主義にむかっての過渡期の経済と政治が、帝国主義打倒との関係において提起されねばならないにもかかわらず、その関係が完全に切断されており、反帝が政治的要請としてしか把えられていないという致命的弱点をもっている。
 それは同時に、共産主義実現の条件は何か、という根底的設問とつながることであるが、植民地支配からやっとぬけだしたばかりの貧弱な国民的富と文化を基礎として社会主義を準備するという途方もない困難を条件づけているのである。
 第二点は、ソ連をはじめとするいわゆる社会主義諸国との関係である。周知のように、中国における社会主義運動の登場は、ロシア革命の衝撃を契機とするものであり、当然、毛沢東も無前提的に革命後のソ連の援助を期待していたようである。だがソ連過渡期社会のスターリン主義的変質は、いわゆる社会主義的国際協力にたいする中国の「期待」を無残にふみにじり、中国がいわゆる自力更生論に防衛的に後退する決定的条件になったのである。
 この点については、別稿で具体的分析をおこなおうと思っているが、毛沢東の新理論との関係に限定していうならば、このような国際主義のスターリン主義的続落にたいし一方では、これをフルシチョフ修正主義の策動として矮小化するとともに、他方では、こうした変革さるべき国際的関係を前提化することによって「自力更生」を原則にたかめるという誤った対応におちいっている。
第三点は、中国やソ連におけるプロレタリア独裁の反動的解体と無関係に、過渡期の階級闘争を問題にしていることである。
 こんにちの中国における官僚的堕落は「少数の知識人による文化の占有」のうちに一般的基礎をみいだすべきではなく、中国第三次革命(四九年)におけるプロレタリアートの未組織化と、その後の支配階級としての組織化の努力の放棄、つまりプロレタリア権力の実体的基礎としての労働者工場評議会の未形成のうちに具体的に解明されるべきものである。いわゆる実権派の形成が、大躍進の調整期に結びついているとするならば、なぜ政策の調整が官僚的腐敗に転化するのか、という問題が、労働者階級のヘゲモニーとの関連で考察されねばならないにもかかわらず、毛沢東の新理論にあっては、社会的分業という一般的基礎のうちに解消されている。
 もともと、過渡期の政治権力にかんして、毛沢東は、労働者階級、農民、民族的小資産家階級、民族的資本家階級の連合独裁を想定していたが、これを、地主、反動的小資産家階級、買弁的資本家階級という打倒対象と対照すると、毛沢東の労働者階級観の本質にせまることが出来る。
 第三次中国革命における労働者階級の受動的性格は、第二次革命における労働者階級の敗北(一九二七年)、農村への党主力の移動と農民戦争の激化、そして、日本侵略軍による都市工業の破壊という各種の歴史的条件の複合的結果であるとはいえ、それは同時に、中国共産党指導部の都市労働者階級にたいする反マルクス主義的態度と官僚的工作の具体的対象化でもあったことを明白に確認しておく必要がある。
 したがって、問題は「権力の奪取」の過程のみならず、過渡期の緒過程に関連してくるのである。実権派にたいするいわゆる奪権闘争のなかで「上海コンミューン」の創成が問題化したが、それは、二七年以来の四〇年間の労働者階級の政治的空白のもつ歴史的意味をまざまざと示唆しているものといえよう。
 第四点は、過渡期の具体的な経済政策が完全に欠如していることである。不思議なことに、この新理論には、ソ連や中国における経済建設の全体的な過程的分析がすこしも基礎づけられていないばかりか、なぜ大躍進政策――人民公社運動は失敗したのか、という肝心な総括が、すべて自然災害とソ連援助中止のうちにすりかえられている。
 それゆえ、奪権闘争のかけ声は勇ましいが、人民公社をどうするのか、国営企業の計画と管理をどうすすめるのか、分配政策の平等主義的発展をどうきりひらくのかという、農業政策・工業政策・擬制的労賃政策の基本的追究がないがしろとなり、それがあらたな混乱をくりかえす政策的基礎に転化しはじめている。事態は、プロレタリア権力論の復活とならんで、スターリン主義的な国有化、集団化、工業化の理論の全面的な再検討を要請しているので、これなしにはこんにちの危機をけっして解決することはできないであろう。
 われわれは、世界革命の勝利の方向にむかって、中国革命と日本革命の具体的結合を現実的に追求しながら、同時に、マルクス世界革命論の現代的再建をとおして、現代世界の根底的止揚への綱領的展望を準備せねばならない。
 それこそが、苦悩する中国人民への生きた階級的連帯のあかしである。それゆえ、いっさいの局面打開の鍵として、日本階級闘争の死活をかけた前進が、いま、われわれに要求されているのである。
        (『前進』三三八号一九六七年六月一二日 に掲載)