二 三全総と革命的共産主義運動の現段階
 
 本論文は、一九六二年九月の同盟第三回全国委員総会(三全総)の歴史的提起をめぐって生起した、当時の同盟議長黒田寛一を筆頭とする右翼日和見主義グループの非組織的・陰謀的「分派」活動にたいし、党(同盟)と革命的共産主義運動の防衛、飛躍的強化と発展をかちとる立場から、慎重に、しかし確信にみちてこの挑戦をうけて立ち、その後こんにちにいたる革命派と反革命派の分岐を先き取り的に鮮明化させた記念碑的論稿である。なお、文中に「批判者」とあるのは、いうまでもなく黒田寛一(組織名 山本勝彦)を指す。
 
 
 昨年九月に開催されたわが同盟第三回拡大全国委員総会(以下三全総と略称)は、現段階におけるわが同盟が直面させられている実践的=組織的課題がなんであるかを基本的にさし示し、わが同盟の飛躍的発展のための決定的な環がなんであるかを基本的に開示した。
 三全総報告「日本革命的共産主義運動の飛躍的発展のために」および「三全総宣言」で基本的にあきらかにされているように、三全総は、六一年八月のわが同盟第一回大会以後のわれわれの闘争――米ソ核実験反対の反戦闘争・六二年度春闘・参院選拳闘争を主軸にたたかわれたわが同盟の活動――の全面的な総括にふまえ、(1)日本革命的共産主義運動の現時点を明確化すること、(2)わが同盟の活動、とりわけ、労働運動におけるわが同盟の組織戦術を精密化し、わが同盟と戦闘的労働者との交通を全面的に拡大するための思想的・政治的・組織的飛躍を準備すること、(3)新しい組織的課題である地区党=党組織の地区的確立のための闘争を革命的労働者党創成のためのたたかいの重要な一環として位置づけ、その成功的建設をおしすすめること、を主要な任務としたのであった。そして、三全総における白熱的な討論は、各戦線における具体的な組織活動の教訓でもって報告を深化させ、右の任務をより豊富なものに仕上げる決定的な過程をなしたのである。
 したがって、三全総を決定的契機とするわが同盟活動の方法と内容の明確化と地区党建設=党組織の地区的確立のための闘争の前進は、新しい分野の任務に直面して「不可避的」に生起する「混乱」を部分的に派生させつつも、にもかかわらず、わが同盟と日本革命的共産主義運動の当面する実践的=組織的課題、その飛躍的発展のための決定的な環がなんであるかを基本的にうちだしたものとして、わが同盟の内外からむかえられたのである。事実、六二年秋以後の一連の「経験」――日本階級闘争の危機的局面の錯綜した可能性を示した炭労の政転闘争、合化と造船の合理化反対闘争、動力車の運転保安闘争、全逓の十六時間勤務(深夜便)反対闘争におけるわが同盟の組織的活動、および、これらの闘争との有機的な結合を深化しつつ遂行された産別委員会の強化と地区党の建設のための組織的とりくみ――は、まさにわが同盟が革命的マルクス主義の基本的原理を第一回大会と三全総のきりひらいた方向にむかって具体的=媒介的に展開する任務に直面していることを鋭く提起しているのである。そして、このような展開の過程は、同時に、わが同盟の組織的活動の具体的な点検にふまえた実践的総括と理論的深化の過程にうらうちされていることが、こんにちでは決定的に重要なのである。
 もちろん、こういったからといって、われわれは、三全総の報告や「宣言」を一字一句も修正する必要もない完全なものだと主張しようとしているのではないのである。それどころか、わが同盟と日本革命的共産主義運動が直面している階級的要請をみたすためには、われわれはあまりにも未熟であり、力不足であり、しかも、日本階級闘争の最前線で苦闘している経験をきわめて不十分にしか教訓化していないのである。したがって、問題の全領域は、このような不十分さを実践的にどう突破するかということに集中しているのであり、このような実践的かまえを喪失した「批判」はディレッタンティズムいがいのなにものでもないのである。
 
 わが同盟を先進的部隊とする日本革命的共産主義運動は、こんにち、われわれがまだ経験したことのない歴史的に新しい局面にむかって前進しようとしているのである。国際的なプロレタリア運動が露骨な階級協調主義を完成した社会民主主義と地方的共産主義に転落した「マルクス主義」=スターリン主義の二潮流に基本的に支配され、ほぼ完全に革命的プロレタリア運動が解体させられてしまった二〇世紀後半の階級情勢のもとで、革命的プロレタリアの闘争が勝利するためには、まずもって労働組合内部における社会民主主義とスターリン主義の度しがたい指導者を徹底的に暴露し、主要な分野において完全に追いだすまで闘争がおしすすめられなくてはならないのであり、そしてそのためには、社会民主主義とスターリン主義から決別した革命家の組織が不可欠の前提条件となることはいうまでもないのである。まさにこのような革命家の組織(党・同盟)の活動のみが現実的な労働者階級の「イデオロギー的危機」を克服するための唯一の根拠をなすのである。だがだからこそ革命的共産主義者は、党と階級と大衆の再結合の方向にむかって、社会民主主義やスターリン主義の支配する労働組合(運動)の内部で根気づよく活動の場を拡大し、既成の指導部に反逆するいっさいの戦闘的潮流と結合、その最良の部分をわが戦列に獲得するための闘争=組織戦術に習熟し、実際的活動にうつすことが絶対に必要なのである。
 わが同盟が一般的=抽象的に党と階級と大衆の弁証法を確認するのみならず、こんにちにおいてその組織活動をとおして階級情況とふかく結合すること、行動の能力、活動の方法と内容をたかめることに失敗するならば、わが同盟と日本革命的共産主義運動は、労働者階級の本隊から孤立したセクト的集団に転落してしまうであろう。
 わが同盟が三全総において「戦闘的労働運動の防衛」という実践的=組織的課題を提起し、労働(組合)運動における革命的共産主義者の闘争=組織戦術の「精密化」という実践的=組織的課題を現実的任務としてとりくむことを決定した主体的立場は、まさに、同盟の活動の方法と内容、行動の能力をいかにたかめるかという一点にかかわっていたのであり、したがって、直接にはそれらは、革命的労働者党を創成するための組織戦術の決定的な一環をなしており、その総括の次元は――狭義の誤解をおそれずにいうならば――党のための闘争に集約されるのである。だが同時に、このような課題をわれわれが提起する根底には、労働運動の右傾化に抗してたたかう日本労働者階級の階級的情況のなかに、革命的に正しく把握されたすべての日常的スローガンのなかに、革命の「目標」が弁証法的に内在しているという確信がよこたわっていることを確認することも可能なのである。
 われわれは、このような任務を遂行するのに必要な組織的経験をほんのわずかしかもっていないのである。わが同盟の同志たちは、若干の同志たちを除けば、労働組合運動の知識も未熟で、ほとんど政治的活動にたずさわって三、四年というところである。しかも、反帝・反スターリン主義を革命戦略とする二〇世紀後半の世界革命段階において、われわれ革命的共産主義者は、第四インターナショナル(トロツキズム)の敗北と壊滅の歴史という、「お手本」とするにはあまりに皮肉な教訓のほかにはほんのわずかな実例しか知らないのである。
 にもかかわらず、われわれ革命的共産主義者は、「労働者大衆のいるところでこそはたらかなくてはならない」のであり、労働組合の「指導者たち」(直接間接に、ブルジョアジーや警察とむすびついている指導者たち)の「言いがかり、あげ足とり、侮辱、迫害」にもまけず、「労働組合にはいりこみ、そこにとどまって、そのなかでどんなことであろうと共産主義的な活動をすることができさえするならば、そのためには、これらのすべてのものに対抗し、ありとあらゆる犠牲にあまんじ――必要なら――あらゆる策略にうったえ、巧妙にたちまわり、非合法的手段をとり、口をつぐみ、真実をかくすことをこころえなければならない」 (レーニン『共産主義における〈左翼〉小児病』)のである。
 レーニン、トロツキーの時代のコミンテルンの決議が幾度となく強調しているように、若い共産主義者の党は、どんなに未熟であろうとも、いな、そうだとすればよりいっそう、労働(組合)運動における闘争=組織戦術を精密化し、その活動を強化し、習熟することが大切なのである。
 三全総で明確に現実的な任務として提起された方針は、わが同盟の基本路線と外在的な地点から突然にうちだされたものではけっしてないのである。それは、わが同盟第一回大会以後の、いな、それ以前からのわが同志たちが創意的に組織活動のなかで具体化し、経験化しつつあった一連の方向に、同盟としての明確な組織的展望を与えたものにすぎないのである。ただ、こんにちの日本労働運動の「指導部」が改良のための闘争とプロレタリア革命のあいだに万里の長城を築いてしまっているばかりか、炭労の政転闘争であきらかなように、改良のための闘争の任務すら裏切っていることが、ますます広範な戦闘的労働者のなかに深刻な動揺と退廃をもたらしつつある階級状況のなかで、戦闘的労働運動の「防衛」という任務を、革命的労働者党のための闘争の決定的な環としてうちだした点に現段階的な特徴があるのである。
 
 三全総で基本的にうちだされた闘争=組織戦術にたいして、はやくも西分派やブント共旗派という二つのセクト的なグループから「経済主義」だという的はずれな「批判」がなげかけられている。卒直にいって、極左空論主義を代表する急進的インテリの二つのグループがわが同盟の前進にたいして反発と軽蔑の表情をともに示したことは、われわれにとってそれほど不愉快ではないのである。だが、わが同盟の内部にまで、三全総で基本的にあきらかにされた実践的課題についてすこしも理解できないばかりか、「労働運動主義」だなどという非実践的な反発を示す日和見主義が発生し、しかも、陰謀的な非組織的「分派」活動と有機的に結合することによって、きわめて有害な解党主義を拡大しつつあるとしたならば、問題はけっして容易ではないであろう。
 わが同盟の一部指導的同志、学生組織のかなりの指導的同志、そしてこれに同調する若干の労働者組織の同志は、ごく最近になって「三全総は労働運動主義だ」「組織戦術がない」「いかにがない」などという宗教的呪文を唱えはじめ「党内闘争」の遊戯に興奮している。だが、その内容はじつにみじめで貧弱なものである。過去の活動の方法と内容、過去の組織形態、過去の教条にしがみつくことが一番「安全」な方法で基本的路線をつらぬくものだ、と考えているらしいわが偏狭にして低劣な感性と思考様式のもち主たちは、「組織戦術がない」などと呪文を唱えれば、たちどころに当面する組織的困難は突破しうるとでも空想しているらしいのである。
 すでに見てきたように、当面するわが同盟の実践的=組織的課題は、労働運動内部におけるわが同盟の活動の方法と内容、行動の能力をいかにたかめるか、戦闘的労働者との結合を拡大しつつ職場細胞を基礎とした産別委・地区党の建設をいかにすすめるのか、というすぐれて具体的なたたかいなのである。したがって、「組織戦術がない」などという問題のたてかた自体が完全に観念的なのであり、だからこそ「ではどうするのだ」という疑問にたいしては、何ひとつ具体的に答えることができないのである。そして、その行きつくどころは、「それ自体としては革命的闘争ではない反戦闘争を、いかに革命闘争としてたたかうか」などという理論的・実践的混乱を露呈するか、あるいは、動力車の運転保安闘争を「ケルンのための闘争」と無媒介的に規定することで総括をすませてしまうようなセクト主義におちいることなのである。だが、このような神秘主義的な日和見主義は、いかに「理論的」な装いをこらそうとしても、その本質は、いちはやく革命的労働者を実体とする組織的党内闘争の開始と前進によってあばかれはじめたのである。
 
 三全総で基本的にうちだされたわが同盟の実践的=組織的課題にたいする日和見主義は、まずもって、(1)戦闘的労働運動の「防衛」のための労働運動における闘争=組織戦術の精密化という方針の「背後にある思想」は労働者主義でしかない、(2)地区党建設=党組織の地区的確立と産別労働者委員会との「関係」が理論的に解明されていない、という二点をめぐつて公然と登場した。
 すでにのべてきたことからもあきらかなように、(1)の問題は、じつに、日本階級闘争の具体的な状況とそこにおける革命的共産主義者の闘争=組織戦術、とくに、労働(組合)運動におけるわが同盟の活動の方法と内容、行動の能力にかかわる問題である。したがって、わが同盟の組織活動の実践的点検にふまえた組織方針と(大衆)闘争方針と具体的に結合して提出されてのみ意味をもつのであり、「その背後にある思想」などが非分析的に語られるような神秘主義的方法によっては混乱しか生みだしえないのである。そこには、大衆闘争と党建設にかんする一般的な説明はあたえられてはいるが、「ではいまどうなのか」という実践的な疑問にはなにひとつ答えられてはいないのである。だからこそ、このような批判の空論主義的傾向が政治局会議において徹底的に糾弾されたのちに、この「失敗」を克服するために執筆された一文書においても、「闘争戦術と組織戦術とを有機的に結合した闘争=組織戦術を具体的に提起することなしには、動力車労組の、また全逓の当面のたたかいを勝利的に遂行すると同時に、それを労働戦線全体に拡大していくことはけっしてできない」ということは確認されてはいるが、だが、どこにも「闘争=組織戦術を具体的に提起」することはできないのである。
 批判の空論主義的「傾向」は、(2)の問題にかんする地点においてそれがほかならぬ理論的解明という課題にむけられているにもかかわらず、より拡大されているのである。たしかに、地区党組織と産別委員会の「関係」にかんする党組織構成の本質的解明が不十分であることを指摘するかぎりにおいて、批判者は正当性を要求する権利をもっているといえる。だが、批判者がさらに産別労働者委員会を党の一般的組織構成との関連において組織本質論的に解明しようとしたとき、そしてまた、地区党建設=党組織の地区的確立という課題が、組織的な現実的任務として提起されている現段階における産別労働者委員会の「意義と役割」に言及しょうとしたとき、このような正当性は完全に消えさり、かわりに理論的誤謬と組織的な混乱が赤裸々となるのである。
 なぜならば、ここにおいては、党の本質的組織構成をあきらかにしようとする大仰な身ぶりと、空論主義的な願望にもかかわらず、コミンテルンの組織テーゼの平凡な議案があるだけであり、産別労働者委員会にかんしては「革命党の一般的組織構成そのものの内部に位置づけられるものではない」などという非実践的な概念の遊戯と「産業別の闘いの機関」などという無内容な規定がおこなわれているだけだからである。しかも、このような規定が従来の産業別労働者委員会の規定にかわる現段階的なものとして提起されることによって、それは理論的誤謬にとどまらず、われわれの党建設の過程における産別労働者委員会の意義と役割を過少評価するものとして、産別労働者委員会の確立と強化、地区党建設=党組織の地区的(地方的)確立のためのたたかいにたいして実践的=組織的な混乱の一因をなしたのである。
 
 さらに重要なことには、批判者は、「地区党」と産別労働者委員会の「関係」にかんする本質論的解明をおこなうためにあれこれと図式主義的な解釈に熱中しているが、にもかかわらず、地区党の建設=党組織の地区的確立という実践的、組織的課題がなぜ今日的な任務として提起されたのか、についてまったく結果論的にしか接近しえないのである。どうやら、あまりあわてて読んだのでコミンテルンの組織テーゼの総説につぎのような一節があったのをすぐに忘れてしまったようである。
 「共産党(革命党と読め――引用者)にとって絶対的に正しく、かつかえることのできない唯一の組織形態はありえない。プロレタリア階級闘争の条件は、とどまることを知らぬ変遷の過程における変化に従属するものであり、プロレタリア前衛の組織は、つねに、これらの変化に対応する適切な形態をさがさねばならない」しかも、コミンテルンの革命家たちとはちがって、ここでは、党の一般的組織構成の問題が同盟の組織活動の方法と内容という問題、あるいは、労働者階級の階級意識をどうたかめるかという問題とまったく切りはなされた次元で論じられているにすぎないのである。
 かつてレーニンもいったように、われわれは「空想的な人的素材」や「とくにわれわれがつくりだした人的素材」を使って社会主義をつくりだすことはできないのであり、革命を遂行し、勝利をみちびく人的素材は「資本制社会において教育され、資本制社会によって堕落せしめられた人間から成りたっている」のである。したがって、共産主義的意識をもった前衛的グループは、職業上の分業によって生活と意識が分裂せしめられ、資本の無政府的法則性によって職業上の区別・産業上の区別に組織されている労働者階級のなかで、職業上・産業別の偏狭な意識、組合主義的な利己心によって、資本への反逆が分裂せしめられている労働者階級のなかで、共産主義的意識、階級的に統一された意識をたかめるためにたたかわなければならないのである。
 だからこそ革命的共産主義者は、とざされた運動である改良のための運動にたいしても「革命的闘争の利益にとって無条件に有利で、プロレタリアートの自主性と自覚と戦闘力を無条件にたかめる」(レーニン)ために参加し、たたかうのである。そして、このような組織的任務に耐えるためにも、われわれは、自己を革命的マルクス主義の思想で武装することが不可欠なのである。したがって、われわれは、このような大衆の行動形態と結合した革命的な組織活動のなかで不断に形成される階級意識を、その最高の形態としての労働者の革命党に結合させていくのである。産別労働者委員会とその基礎である職場細胞は、このような闘争の前線にたった指導部であり、先頭部隊であり、産業別に生起する労働者の闘争と不断の交通を確保する革命の橋頭堡である。
 だが、それゆえに、職業上の、また、産業別の偏狭な意識の革命党への侵入との困難な闘争にうちかたねばならないのであり、このような闘争は、同時に、全国的=階級的な革命党への統一の過程として実現されていくのである。地区党建設=党組織の地区的確立のための闘争は、全国的な党組織の有機的な1部である地区党をとおして、この過程を地区的に創成していくたたかいなのであり革命党のための闘争の決定的な環をなすものである。
 
 だが、このような地区党建設=党組織の地区的確立という新しい組織的任務にたいする非実践的反発=日和見主義は、「政治局は選挙の体制をつくるために地区党を提起している」などという完全に転倒した意識、革命的議会主義にかんする驚くべき無理解を背景にして登場したこと、そしてまた、同盟の組織活動の現状にかんする徹底的な事実誤認と歪曲、同盟指導にかんする非主体的=客観主義的「批判」をともなって現象したこと、これらの条件によってさらに名状しがたい地点にまで拡大され、深刻なものとなっているのである。そして、わが同盟の指導的機関の一部に発生したこのような日和見主義の熱病は、三全総にまったく非実践的にしか参加しえず、その意義についてその後も理解しえず、「混乱」していた学生組織の指導的同志のかなりの部分に感染することによって、同盟の危機を生みだしたのである。わが学生組織の指導的同志たち――といっても、すべてではないが――は、三全線で基本的にうちだされた実践的=組織的課題、とくに、労働運動における革命的共産主義者の闘争=組織戦術という新しい組織的任務にかんする自己の無理解を「革命的共産主義者としての自己の危機」として主体的に追求するのではなしに、三全総は誤りだなどという宗教的啓示にとびつくことによって内部危機をいやそうとしている。だからこそ、かれらは、犯罪者が犯罪の現場を注意ぶかく避けてとおるように、三全総のまわりを「……がない」などと呪文を唱えながらまわるだけで、けっして、主体的には対決しようとはしないのである。革命的インテリゲンチアとして、これほどの腐敗があるだろうか!
 
 ところで、わが批判者が地区党建設=党組織の地区的確立という新しい組織的任務にたいして批判的見解をもっているらしいことが公然と同盟内であきらかになったのは、三全総の直前に開催された指導的機関の会議の席上であった。しかも、「コミンテルンには地区党組織があったのか」などという低水準な訓古学的な疑問をともなって……。
 すなわち、(1)地区党などというと代々木の連中は選挙のためだと思うのではないか、(2)地区党という概念はあるのか、という欺瞞的で空論的な疑問をのべることによって、自己の立場の一端を表明し、討論によって一致が確認されたにもかかわらず、ふたたび、三全総の席上において同じ意見をのべることによって万場をあぜんとさせたのである。
 だが、わが同盟が地区党建設=党組織の地区的確立という実践的=組織的課題を現実的任務として組織的にとりくむことが可能になった前提には、すでに指摘したように数年間にわたる日本革命的共産主義運動、その実体的担い手を創造するための苦闘と前進があるのであり、地区党建設=党組織の地区的確立という組織的任務が参議院選挙の総括と関連して提起されたとしても、それはまさに、この参議院選挙が、わが同盟と日本革命的共産主義運動の最高の到達点であったからにほかならないのである。したがって、この批判者のように、選挙闘争とプロレタリア党のための闘争の歴史的・論理的関係を混乱させ、転倒させて「地区党建設の背後には選挙のためという思想がある」などとやみくもに断定することは、自分自身の選挙闘争にかんする実践的=理論的な混乱の証左いがいの何ものでもないのである。
 もちろん、確立された地区党組織は、全国的組織の有機的な構成部分として、全国的に展開される政治=経済闘争の地区的な指導部隊をなすのであり、このような意味において、選挙闘争においても、地区組織は、その地区における宣伝・扇動・行動のきわめて強力な組織的推進部隊としての役割をはたすであろうし、同時に、選挙闘争を地区党組織の強化と拡大のために貪欲に「利用」しつくすためにたたかうであろう。
 したがって地区党組織は、選挙闘争に役立つし、役立てなくてはならないのであり、選挙闘争をとおして労働者大衆を革命党の影響のもとに動員し、革命党を客観的に強化するためにたたかわなければならないのであり、このような任務に耐えることによって党を鍛えあげる最前線にたたねばならないのである。
 だがこのような確認は、すこしも組織の任務が選挙闘争につきることを意味するものではないし、いわんや、地区党建設=党組織の地区的確立という新しい組織的任務が選挙闘争のための現実的課題となったことを意味するものでもないのである。
 
 党組織の地区的確立のための実践的=組織的な課題の遂行は、この批判者が個人的にどのように妄想し、断定しようとも、政治局の組織的指導のもとに各地区の労働者組織の指導的同志たちの組織的とりぐみをとおして実現していったのである。「地区か産別か」などという非実践的な混乱や、「産別と地区党との有機的な関係をいかに確立するか」という新しい実践的=組織的課題の遂行の過程で生起した実践的=理論的な問題を解決するための現実的な保証は、じつにこのような地区党建設=党組織の地区的確立のための組織的活動の具体的な点検を基礎とした実践的総括と理論的深化の過程のなかにのみあるのである。
 実践者が認識者であるという主体的立場=実践的唯物論の立場にたって、同盟の組織的活動を事実をもとに具体的に点検し、産別委員会と地区党の確立と強化のために苦闘している同志たちとともに、わが同盟の当面する実践的=組織的課題のために組織的にとりくむというかまえであったならば、豊富な理論的実績をもつわが批判者は、当然、「選挙のための地区党」などという転倒した意識を払拭し、全同盟の先頭にたってわが同盟と日本革命的共産主義運動の飛躍的な発展をきりひらくためにたたかっていたであろう。
 「組織上の方策が正しいことは組織が成立するための、欠くべからざる前提条件である。それ にもかかわらず、共産主義の組織は、ただ闘争をつうじてのみこれを実現することができる。
 そして、この組織は、まさにこうした結合形態が正しいことと必要なことを、すべての党員が自己 の経験をつうじて知ることによってのみ、これを実現しうるのである」(ルカーチ『組織論』)   だが批判者は、このような実践的=媒介的立場にたつことができないのである。党と大衆行動との弁証法を革命への過程的な論理としてとらえることができないのである。ただそこにあるものは、党のための闘争の恐るべき単純化であり、労働者階級の大衆行動=闘争形健との結合を喪失した矮小な閉鎖的な党にかんする宗教的な憧憬だけである。だからこそ、このような非実践的立場からは、党の組織構成にかんする正しい解明も不可能なのであり、その行きつくところは「意外にも」解党主義なのである。
 日和見主義のいきつくところは党と党規律の否定である――と、レーニンはロシア革命とボルシェヴイキの活動の教訓をのべた有名な論文のなかで強調している。わが同盟の内部に発生した日和見主義もまた例外なしに党と党規律の否定を実践している。たしかに、わが同盟の内部に生じた日和見主義は、度はずれな「党のための闘争」の強調、セクト主義にまでたかめられた党派的利益の貫徹などを特徴として登場した。したがってこの日和見主義のなかに「党と党規律の否定」をみるのは、いかにも的はずれなことに思えるであろう。にもかかわらず、このような矛盾が可能であり、現実的であるところにこの日和見主義の秘密があるのである。
 われわれ革命的共産主義者は、いかなる意味においても党内闘争の自由を否定しないし、革命と党の利益のためには、分派闘争をすらあえて遂行するであろう。なぜならば、正規の党機関をとおしてはもはや革命と党の利益を防衛しえないと判断したならば、分派闘争をとおして革命党の原則と政策のためにたたかうことは、革命的共産主義者として当然のことだからである。だが、このような判断は、革命と党の全体的な利益にかかわるものであり、小ブルジョア的な気まぐれと無責任さはいかなるものも介在することは許されないのである。したがって、同盟の内部、とくに指導的機関に生じた思想的・政治的・組織的な対立が全同盟的な闘争に拡大される場合には、慎重な組織的配慮が必要なのであり、いわんや、このような対立が分派闘争として組織的に遂行される場合には、これに関連した指導的同志の全同盟にたいする明確な意志表示と組織的責任が必要である。支配階級にたいする防衛的な組織上の措置と革命党の内的な自由とは対立するものではないのである。分派は革命党の内部にむかっては公開されているべきなのである。同盟内のすべての同志には、だれが、なぜ、このような立場にたっているのか、を完全に理解する条件が等しく与えられねばならないのである。
 だが、わが日和見主義は、同盟の内部で対立が組織的にあきらかにされるまえに、同盟の背後で陰謀的に組織され、あらかじめ閉鎖的な方法で伝導されていったのである。かの一連の私的通信と私的文書の非組織的な配布、しかも、注意ぶかく政治局をはじめとする指導的機関の入手を避けるためにとられた陰謀的な方法は、あきらかに、この日和見主義の反プロレタリア的な本質を露骨に示しているのである。批判者は、論争の未展開な十一月初旬の段階において宗派的な学生フラクを招集していたばかりか、学生組織の指導的同志の一人の得意な講釈によると、なんと驚くべきことにはすでに八月のマル学同第四回大会の以前から「フラク」を組織していたというのである。つまり、きわめて歪曲され、部分化された形態であれ、ともかくも批判者から疑問=批判らしいものが正規の党組織に提起されるずっと以前に非組織的「分派」を策動していたわけである。批判者とその同調者たちは、十一・三〇闘争をめぐる学生組織の指導上の「混乱」を利用して政治局への肉体的な反発を組織し、三全総でうちだされた実践的=組織的課題にたいする日和見主義の支柱にしようとしたのである。だからこそ、学生組織の同志たちの多くは、指導的同志たちから天下り的に「三全総は労働運動主義だ」「政治局は毛沢東主義だ」という結論のみが強制されるだけで、かんじんの労働運動におけるわが同盟の闘争=組織戦術についてはなんの論証も、なんの実践的解答もなしに放置されているのである。
 したがって学生の指導的同志の多くは、こんにちでも批判者の言動を無批判的にうけいれ「党のための闘争」をわめきたて「大衆運動主義との決別」を宣言してまわっているにもかかわらず、すこしも自己の細胞の活動、マル学同の組織化をたかめることができず、それどころか、じつさいには、党=同盟を階級的利害から宗派的、サークル的利害に分解させる陰謀的な「分派」活動の先兵になることによって「党のための闘争」の妨害物に転化しつつあるのである。
 
 革命党の組織的規律、組織的な「内」的活動を形式的なものとして過小評価し、かわりに「共産主義的自覚」を直接的=無媒介的に提起することは、革命党の組織的問題にかんする恐るべき無知・無自覚の表現なのである。革命党の組織性という問題は、かつてルカーチも解明したように、革命にかんするたんなる技術的な問題としてだけでなく、革命にかんするもっとも重大な精神的問題としてとりあげられることが大切なのである。だが、わが批判者は、口先では組織問題の意義について強調するが、そして、ややもするとこんどのように組織の外的活動にたいして内的活動を一面的に強調する誤りを犯しがちであるが、にもかかわらず、現実の組織的活動の過程においては「個人への無批判的追従と追随」を「思想と行動における統一性」の保証だと考えたバクーニンと同様に、指導部にたいして外的=個人的にしか、かかわりえないのである。
 このような個人主義的な方法は、わが同盟と日本革命的共産主義運動がまだサークル的な段階にあり、労働者階級の内部に弱小な基礎しかもっていなかった状況では、相互の交通が個人的な方法で容易に確保しうるという意味で、かならずしも直接的に組織問題としてとりあげられることもなかった。五八年――五九年におけるわが同盟の解体と敗北の問題、「規律違反」をめぐる組織混乱の問題は、わが批判者の個人的な失敗としてではなく、このような誤りを客観的に可能ならしめる原因の根本的な克服を組織問題として提起されることによって、五九年秋からの全国委員会の結成のための闘争の主体的契機に転化したのである。したがって、組織問題として「解体と敗北」を提起することは、同時にあらゆる階級状況にたいする独自の感受性をたかめ、また階級闘争の発展のあらゆる契機から学びとる能力をたかめることであり、そしてまた、われわれの運動に残存する日本革命にかんするスターリン主義的な綱領的把握を科学的に克服することであったのである。だが批判者とその無批判的追従者たちが、この歴史的教訓からすこしも反省的に学びとっていないとするならば、革命党の組織性にかんするこのような日和見主義、革命党の規律を個別的な「自覚」にすりかえる自由主義的な解党主義は、わが同盟と日本革命的共産主義運動が第一回大会以後にかちとった組織的前進、拡大されゆく階級的な基礎にたいして、あきらかに、非妥協的な矛盾にまで発展せざるをえなかったのである。
 
 だからこそ、批判者の非組織的「分派」活動に参加している若干の労働者組織の同志たちは、自分自身が組織的に実践してきたたたかいを具体的に点検し、新しい階級的状況とそこにおけるわが同盟の実践的=組織的課題をいかに実現していくのか、という実践的立場を放棄して、ただただ、清算主義的な総括と空論主義的な原則の確認しかなしえないのである。すなわち、労働(組合)運動の内部で革命的共産主義運動の創成のためにたたかってきた自分自身の闘争、そのたたかいをとおしてきりひらいてきたわが同盟の組織的な現実からの清算主義的な「決別」なしには、いかなる同志といえどもこのような日和見主義とその陰謀的な「分派」に自己の位置をみいだしえないであろう。新しい日和見主義の本質は、じつにわが革命的共産主義運動の組織的な前進と階級情況との生きた有機的な現実が、不可避的にわれわれに提起している新しい闘争=組織戦術にたいする無自覚であり、新しい階級的局面と結合した組織的任務からの恐怖にみちた退却である。
 したがって、わが同盟と日本革命的共産主義運動の飛躍的発展は、まずもってこのような日和見主義との非妥協的な闘争にわが同盟が耐えぬくことなしにはありえないのである。
 地区党建設=党組織の地区的確立のための闘争の生きた経験は、批判者の理論的、実践的な「混乱」を克服するための地区党組織の指導的同志たちのたたかいの過程こそが、同時に地区党の建設のたたかいの過程であったことをはっきりと示している。そしてまた、産別労働者委員会の組織的確立と活動の新しい展開は、三全総で基本的にうちだされたわが同盟の活動の方法と内容、行動の能力にかんする方策、労働運動における闘争=組織戦術の具体的な適用をめぐる思想的・政治的・組織的深化をとおして苦難な道をきりひらきはじめているのである。
 
 三全総で基本的にうちだされた実践的=組織的課題にたいする日和見主義、党規律を小ブル的な「自覚」にすりかえる解党主義と結合した日和見主義は、関東と関西の労働者組織を先頭とする組織的な党内闘争という鉄の一撃によって、みじめな自己弁護と戦線逃亡をうみだしはじめているのである。当初の思想闘争のカン高い喧騒はどこかに消えさり、革命的労働者の大衆的監視を避けてコソコソと陰謀的な「フラク会議」を開催し、そのうえ恥しらずにも「われわれが分派なのではなく、多数派こそが分派なのである」などと血迷った自己欺瞞に逃避しようとしている。われわれは当初、同盟内に生じた日和見主義を組織的な論争をとおして解決しようとして、そのための組織的措置を重視した。だが、批判者の陰謀的な「分派」活動は、このような政治局の措置を非同志的にふみにじったのである。われわれは、行政的処分によって日和見主義を克服しようとする結論にたいし根気づよくたたかうであろう。
 
 少数派の同志諸君、プロレタリア的公明さで分派闘争を展開したまえ。そして、それによって結果するすべての政治的・組織的責任を自分の手でうけとめたまえ!
 われわれは、討論の自由を保証する、組織的規律をまもるかぎりいっさいの論争上の文書の配布を保証する、と約束してきた。にもかかわらず、批判者とそれに追従する少数派の同志諸君は「組織的に配布すると約束する必要はない」などと的はずれな反抗を示すばかりか、わが同盟の学習組織である労大を数人の個別的な策謀によって組織破壊し、批判者を無批判的に絶対視し追従する秘密同盟をわが同盟内につくりあげようとしているのである。しかも、この秘密同盟の指導的同志は、一月下旬の学生の「分派」会議で「勝つためにはいかなる策謀も許される」と主張しており、また、ある同志は、「フラクを秘密にするのは出席者がわかると説得されるからだ」といっている。これが、「共産主義的自覚」にもとづく「分派」の実体である。
 批判者はさかんに、「わが同盟の基本路線は風前の灯だ」とわめきたてている。だがそれは、自己の日和見主義の転倒した意識の反映いがいの何ものでもないのである。いまや、日和見主義の基本路線は「風前の灯」となりつつある。だが、わが同盟の基本路線は、厳然として、日和見主義とたたかい、わが同盟と日本革命的共産主義運動の飛躍的前進のためにたたかう労働者組織のなかに息づき、発展しているのである。
 
     (『前進』第一二〇、一二一、一二二号 一九六三年二月四、一一、一八日に掲載)