三全総政治局報告ならびに宣言
 
 三全総(六二年九月)は、六〇年安保闘争後の六〇年ブントの解体と、わが同盟へのその革命的翼の結集を経て、統一・強化されたわが同盟が社共にかわるたたかう労働者党へ大きく飛躍し、現実のわが階級闘争の大地にしっかりと足をつけて前進しようとする歴史的跳躍台であった。
 三全総は本多書記長のかかる政治的・組線的方針の提起によって、わが同盟の革命党への飛躍の歴史において画期的意義を持つものである。周知のとおり、黒田=カクマルは、総会席上本決議に全面賛成しながら、しばらくのちに卑劣な策動をもって本決議への敵対行動を開始し、反革命への転落を開始したのである。
 
 第三回拡大全国委員総会宣言
 第三回拡大全国委員総会政治局報告
  はじめに
  (一) 同盟第一回大会からの一年
    (a) 第一回大会の意義/
    (b)米ソ核実験と革命的反戦闘争の前進/
    (c)選挙闘争とプロレタリア党のための闘争
  (二) 労働運動の「左傾化」と革命的共産主義運動の当面する任務
 
第三回拡大全国委員総会宣言
 
 同盟第三回拡大全国委員総会は九月に開催された。会議は同盟のたたかいの前進を反映し、その七割が労働者代議員によって構成され、討論は終始労働者代議員によってリードされてすすめられた。総会は反戦闘争、参院選拳闘争をはじめとする一年間のたたかいを総括し、革命的共産主義運動の現段階とその当面する任務をめぐつて活発な討論を展開し、これをあきらかにした。
 総会はわれわれのたたかいがいまや労働運動の全体的右傾化の逆流のなかで、無視しえない存在となっていることを確認することとともに、同時に、こうした資本と労働貴族の共同戦線に抗してたたかいつづける戦闘的職場労働者大衆に密着し、これを革命的共産主義運動の戦列にくわえてゆくたたかいが決定的に重要であること、このためにわれわれの組織戦術のいっそうの精密化と大胆・柔軟な適用こそが要求されていること、そしてこれを保障するものは強固な細胞を基礎にした産別委員会・地区党組織の確立にあること、同時に『前進』『最前線』の大胆な活用と拡大が必要であることがあきらかにされた。
 以下は、全国の労働者・同盟員にたいする第三回拡大全国委員総会のステートメントの全文である。
 
 全国の同志諸君!
 全国の労働者・学生諸君!
 わが同盟第三回拡大全国委員総会は、労働運動の右傾化のなかで苦闘をつづける全国の同志諸君の不屈のたたかいによって、わが革命的共産主義運動が力強い前進を各地でかちとっており、革命的プロレタリア党のためのたたかいが新しい段階にはいったことを確認した。
 わが同盟は、統一戦線党的偏向との非妥協的党内闘争の基礎のうえに、昨年夏の同盟第一回全国大会において、わが革命的共産主義運動の確固たる基礎を築きあげて、固い政治的思想的統一をつくりだすことに成功した。この第一回大会を契機に、わが同盟は、六〇年安保闘争以降の革命的左翼戦線の混乱を止揚し、全力を傾注して戦闘的労働者大衆の獲得のためのたたかいにとりくんでくることができた。それから一年余のあいだに、わが同盟は、反戦闘争、参院選拳闘争をたたかい、さらに春闘や反合理化闘争のなかで社民指導部やスターリン主義指導部の裏切りとたたかい、多くの戦闘的労働者大衆との生きた交通を拡げ、すぐれた革命的労働者をわれわれの戦列にむかえることに成功した。そして、こんにちにおいては、わが同盟とマルクス主義青年労働者同盟に結集した革命的労働者のたたかいは、日本労働者階級の一角に、公然と頭をもたげ、その戦闘的翼のなかに消しさることのできない存在となろうとしている。全逓青年部中央委員会における宝樹全逓委員長の革共同批判のあいさつは、民同すらわが同盟のたたかいに無関心でありえなくなったことの証左でなくてなんであろうか。
 総会は、国鉄・全逓・全電通をはじめとする公労協労働者のたたかいのなかで、動労の反合理化闘争の先頭で苦闘している同志の生々しい報告と討論をつうじて、革命的共産主義運動が、公労協の戦闘的労働者のなかに影響力を拡大していることをあきらかにした。
 総会はさらにこうした革命的労働者のたたかいが、こんにちにおいて公労協だけでなく、大阪の新日本工機のように総同盟傘下の民間御用組合においても、あるいは何万にものぼる労働者を擁する民間巨大経営の深部においても、戦闘的労働者大衆の獲得のための決定的な一歩を大胆にふみだしていることをあきらかにした。
 
 細胞を基礎に産別委・地区党の確立へ
 
 総会は、わが同盟とマル青労同に結集した革命的労働者の闘争のかかる前進にふまえ、革命的労働者党の創成のための巨大な前進をいかにたたかいとるかに、そのほとんどの時間をついやして、白熱的討論をよびおこした。それは、まったく当然なこととして、細胞の確立、強化を基礎とした地区党の建設という問題と、わが同盟と戦闘的労働者大衆との生きた交通を拡大し、労働運動の右傾化のなかで戦闘的労働運動を「防衛」するための労働運動における戦術の精密化という二点に集中した。
 今春のアメリカ核実験にたいする独自の労働者デモの教訓、そして民同指導部の労資協調主義への埋没とスターリン主義指導部の街頭主義化のなかで、局部的に反撃を試みている日本労働者階級のたたかいの現局面におけるわが同盟の闘争の教訓、あるいは、小児病的な「選挙嫌い」との闘争をつうじて、ブルジョア選挙すらも革命的共産主義運動の前進のためには貪欲に利用した参院選拳闘争の教訓。
 こうしたわが同盟のここ一年間のたたかいの教訓は、わが同盟が確固とした党組織を、経営細胞を基礎に構築することなしには、革命的共産主義運動の飛躍的前進がありえないことを教えている。強固な経営細胞を確立し、その周囲に戦闘的労働者大衆を結集させて、反帝・反スターリン主義の思想的影響力を広範につくりだすことなしには、われわれは、革命の確固たる拠点をつくりだし、民同や日共の官僚主義的支配をつき崩すことが不可能なのである。労働者の反戦デモも、ブルジョア選挙の貪欲なる利用も、またその成功的遂行のためには、経営細胞の確立・強化という姿をとったところの職場労働者の内部へのわが革命的共産主義運動の定着化を不可欠としていたのであった。
 それゆえに、わが同盟は、わが同盟の創造的組織形態である産別労働者委員会の強化・拡大とともに、すでに確立されている細胞を拠点に、工場・経営細胞建設をおしすすめて、各産業、経営の細胞を包括した地区党をつくりだし、その地区にどれほど確固として根をはらせうるかという問題に直面している。
 そしてかかる地区党のためのたたかいをつうじて、経営細胞の強化を図りつつ未組織の経営のなかにも闘争を拡大し、産別委員会の拡大・強化を同時に遂行しなくてはならない。
 総会は、こうして、地区党も産別委員会もその基礎が細胞であることをはっきりと確認した。そして総会はすでに地区党のためのたたかいをすすめている神奈川、東京南部、埼玉の経験をとりいれつつ、東京の各地区や関西等において、党建設のあらたな一歩をふみだすべく強固な思想的一致をかちとったのである。
 
 職場労働者大衆への定着
 
 ここ一年間におけるわが同盟のたたかい、なかんずく参院選拳闘争と反戦闘争は、わが革命的共産主義運動の歴史的段階を画したものであった。わが同盟は、この二つの闘争をつうじて、他のすべての「左翼」諸分派との分派闘争という歴史的時期を基本的に卒業していたのである。  わが同盟は、この二つの闘争を独自に組織するなかで、すでに戦闘的労働者大衆の獲得という課題に全力をあげてとりくむべく大胆なたたかいを開始しているのである。わが同盟は、こうして社民や日共に不満をもって戦闘的労働運動のためにたたかっている戦闘的労働者のたたかい、没階級的な平和運動に決別して米ソ核実験反対の革命的反戦闘争をたたかっている戦闘的労働者のたたかいのなかに、その活路をみいだしてきた。こうしたわが革命的共産主義運動のたたかいのなかから、わが同盟が労働運動の右傾化とたたかう「たたかう労働者党」としての巨歩を大胆にふみだすことに、総会の基本的な意義があった。
 総評一九回大会において民同は労資協調主義路線を確立し、欧米的労働組合への公然たる移行に着手した。日本共産党は、民同指導部がこうして公然と資本家階級の側に身をおいて職場労働者のたたかいを絞殺しているにもかかわらず、何ひとつとして批判をくわえることができないでいる。かれらは、ただ、「二つの敵」だの政党支持の自由あるいはソ連核実験の支持などを日本労働者膳級の苦闘の彼岸において繰りかえしているにすぎない。こうして日共は、参院選挙や党勢拡大運動などをつうじて、街頭主義化する一方、職場の内部においては日常的な職場闘争を放棄し、職場労働者の不信をかっている。総評大会や主要単産大会から青年部大会にいたるまで、日共系代議員が大幅に減少していることは、この証左でなくてなんであろうか。
 わが労働者階級は、民同指導部の労資協調主義路線のもとでも、労働者階級の日常の利益をまもるために随所で激しく資本とのたたかいをくりひろげている。労資協調主義路線を蹴とばした動労の運転保安闘争、あるいは安定賃金とたたかう新日窒水俣のたたかい、一〇万人の首切りとの対決をせまられている炭坑の山元労働者の憤激、そして一六時間勤務に反対する全逓東京のたたかい、国鉄合理化の攻撃に怒りをもやしている国鉄労働者の苦闘。
 こうした一連のたたかいはあきらかに日本労働運動が、全面的に労資協調主義に屈服したのではなく、起伏に満ちたたたかいをつづけていることを示している。それゆえにわが同盟は、反ダラ幹闘争を強化し、伝統的指導部の規範を脱して戦闘的労働運動のためにたたかう戦闘的労働者との全面的な交通をつくりだし、戦闘的労働運動の潮流を生みだすために大胆な一歩をふみださなければならない。
 総会は、わが同盟のかかる「たたかう労働者党」への成長のために、わが同盟の労働運動における組織戦術の精密化という大事業のための端初をきりひらいた。
 総会は、わが同盟が、階級協調主義や街頭主義に抗して、職場闘争の防衛と戦闘的労働運動のためにたたかう戦闘的労働者大衆の先頭にたたねばならない時が訪れていることを、職場での生々しいたたかいの現実のなかからはっきりと確認した。
 第一にそれは、わが同盟が、かかるたたかいをつうじて戦闘的労働者大衆の広範な支持を獲得し、そうして職場労働者大衆と密着化することに成功できないならば、わが革命的共産主義運動が、資本と社民、日共の攻撃の前に戦闘的労働者との結合を断たれかねないからである。
 第二にそれは、社共の組合指導部からの戦闘的労働運動の分裂が、たたかう労働者党のための闘争と結合・合流できなければ、それは必然的に組合主義的なものに矮小化され、民同指導部の左翼的補完物としてしか現実には意味をもちえなくなるからである。
 第三に、革同・高野派が無力化し、日共へ吸収されることによっていまや戦闘的労働運動の先進的担い手としては、わが同盟しか存在しえなくなっているのである。
 総会はそれゆえに、わが同盟が、職場闘争の防衛と戦闘的労働運動のためにたたかっている戦闘的労働者との生きた交通を広範につくりだすためには、わが同盟の活動から極左空論主義・組織的セクト主義を克服することの重要な意義を確認した。
 総会は、こうして革命的プロレタリア党建設のための巨歩をうちかため、わが同盟とマルクス主義青年労働者同盟に結集している革命的労働者のたたかいによって、「たたかう労働者党」の創成へ苦難にみちたたたかいを強化することを確認した。
 さらに総会は、こんにち唯一の「たたかう労働者の新聞」となっている『前進』・『最前線』の強化・拡大のために全同盟的にとり組むことを決定した。
 万国の労働者、団結せよ!
 
 
第三回拡大全国委員総会政治局報告
 
はじめに
 
 同志諸君!
 安保闘争以後の革命的左翼戦線の混乱を止揚し、日本革命的共産主義運動の強化と発展のための思想的・政治的出発点を確立した歴史的第一回大会から、すでに一年の歳月がたった。この一年間わが同盟は、マルクス主義青年労働者同盟に結集した革命的労働者とともに、米ソ核実験反対の反戦闘争、大幅賃上げと合理化反対の六二年春季闘争、参議院選挙闘争を主軸に、不屈のたたかいを展開し、反帝・反スターリン主義の革命的プロレタリア党の創成のための条件をきりひらいてきた。昨年の第一回大会以後、数多くの新しい革命的労働者が、これらの闘争をたたかうなかでわが同盟の戦列にくわわり、その○○人が、この総会にオブザーバーとして参加していることを報告したい。
 民社党、社会党および共産党の卑劣な圧迫と策動にもかかわらず、いまようやく、わが同盟のたたかいは日本労働者階級の戦闘的翼のなかに消しさることのできぬ関心と影響をもたらしはじめている。いまようやく、わが同盟のたたかいは資本家階級と労働貴族の二重の抑圧をはねかえして、戦闘的労働運動の内部に強固な革命的中核を確立し、労資協調の新路線に抗してすすむ独自の潮流を形成するところまで発展しようとしている。わが同盟第三回全国委員総会は、このような情勢のなかで、いま開かれようとしている。したがって、この総会の任務は、第一に、ここ一年間のわが同盟の闘争を総括し、日本革命的共産主義運動の現時点を明確化することであり、第二に、以上の確認のうえにたって、わが同盟の活動、とりわけ、労働運動にたいするわが同盟の組織戦術を徹底的に精密化し、わが同盟と戦闘的労働者との交通を全面的に拡大するための思想的・政治的飛躍を準備することであり、第三に、先進的地域においてすでにそのたたかいが開始されつつある地区党のたたかいを基礎に、この教訓を全国的に拡大し、革命的労働者の単一的・全国的政治組織の結成のための決定的な第一歩を大胆にふみだすことである。
 
 (一) 同盟第一回大会からの一年
 (a) 第一回大会の意義
 
 昨年八月、わが同盟(全国委員会)は、五六年以来の苦難にみちた闘争の歴史にふまえ、第一回大会の成功的な開催をかちとり、日本革命的共産主義運動の巨大な前進のための礎石をうちかためた。この第一回大会は、一方では、日本共産党第八回大会をめぐる日本スターリン主義運動の主流派と春日的反対派との分裂、他方では、共産主義者同盟の破産とその左右の分解、という情勢を背景に、わが同盟の基本的路線をあきらかにするという任務をもっていた。当時、日本共産党は、日共第八回大会をめぐつて主流派と春日的反対派との対立が激化し、構造改革路線を理論的支柱とする春日的反対派の離党が相つぐという状況にあった。安保闘争の過程のなかで急激に拡大しつつあった日本共産党にたいする不満と反代々木的な地方的グループの若干の形成は、こうした日本共産党の分裂と複合することによって、反パルタイ連合″主義的な幻想を生みだしていた。しかも、かって共産主義者同盟に所属していた若干の地方的グループは、革命的マルクス主義による自己変革の道を中途で放棄し、構造改革派との接近をふかめつつ反パルタイ連合″的野合を求めはじめていた。六一年六月の六全代″から同年八月の第一回大会のあいだにわが同盟の内部に生まれた組織論的動揺は、まさにこのような反パルタイ連合″主義にたいする日和見主義にその政治的基礎があったのであり、革命的マルクス主義に立脚した労働者党のための闘争の決定的意義にたいする完全な無自覚にその思想的根源があったのである。また、共産主義的学生運動″という称号に代表される学生運動内の極左セクト主義的な傾向は、共学同″的な右翼的組織論の裏返しであり、自己をスターリン主義運動の戦術左翼の延長線上にしか位置づけることのできなかった共産主義者同盟の誤謬の再現であったのである。それゆえ、六全代″から第一回大会にかけてのわが同盟内のいっさいの党内闘争は、日本革命的共産主義運動の解体を準備し、わが同盟を反パルタイ連合≠フ一分派に矮小化しようとする諸傾向との非和解的闘争に発展せずにはおかなかったのである。
  第一回大会は六全代≠契機に表面化した組織論的動揺との非和解的な党内闘争を基礎にしてはじめて成功をかちとりえた。第一回大会は、白熱的な討論をとおして、まず第一に反パルタイ連合″主義の反動的役割をあきらかにした。非中心的な自立的集団の連合などという主張は、スターリン主義にたいする形式主義的・機能主義的な批判≠ナしかないのである。なぜならば、もしこのような反パルタイ連合主義者の主張が正しいとするならば、スターリン主義の誤謬は、すべてその中央集権主義″にあったということになり、行きつくところ、その責任は、レーニンの党のための闘争にあったということになるからである(事実、わが同盟から逃亡した芳村三郎や、姫岡玲治は、『先駆』や『論争』でレーニン主義の組織論に思いつき的な非難をくわえ、清水幾太郎は、『月刊社会党』で前衛組織論に機能主義的な評注をくわえ、かくして、わが同盟を批判しようとしている)。だが、われわれは、スターリン主義とレーニン主義を混同し、スターリン主義を否定すると称して革命的プロレタリア党のためにたたかう革命的労働者に敵対し、結局は社会民主主義か、無政府主義に転落していくであろうこのような傾向を、まずもってわが同盟の戦列から徹底的にたたきだすことが必要だったのである。
 第一回大会は、第二に、革命的共産主義運動を日本共産党(スターリン義運動)内の左翼的分派の直接的な延長線に位置づけ、スターリン主義と革命的共産主義の分裂の決定的な断絶≠無視しようとする総括の方法を徹底的にうちたおしたのである。共産主義者同盟綱領や田川和夫の『日本共産党史』に代表される方法、つまり、日本共産党にたいする一対一対応的な批判のうえに革命的共産主義運動の必然性をとらえようとするならば、わが同盟の活動は、不可避的に、日本共産党にたいするたんなる戦術的批判にとどまり、独自的発展の道をみずから閉ざすことになるであろう。春日的反対派にたいする幻想は、まさに自分の立場の徹底的な無自覚から発生するのである。スターリン主義運動の分解過程をいかに″革命的共産主義運動の前進の条件に転化するか、じつにこの一点に、われわれのすべての課題はかかっていたのである。こんにちでは、春日的反対派の破産とその右翼的本質は、赤裸々に暴露されている。だが、革命的共産主義者は、その端初(ママ)のうちに、その歴史的運命をみぬくことが大切なのである。
 第一回大会があきらかにした第三の点は、したがって、わが同盟を強化し、革命的マルクス主義に立脚した革命的労働者の中核的結集をなしとげることなしには、日本プロレタリア運動のこんにちの危機を突破することはできないという、きわめて単純な立場であった。帝国主義とスターリン主義の二重の抑圧のなかで苦闘する現代プロレタリアートの唯一の革命的立場は、反帝・反スターリン主義の革命的共産主義運動の立場であり、これいがいにいかなる解放の道もないのである。
 いかに困難であろうとも、われわれは、この道をとおって解放の大道をきりひらかなくてはならない。若き日本革命的共産主義運動の未成熟から生まれる欠陥、弱点をあげつらうのではなくして革命的マルクス主義を自分の立場としてこのような欠陥、弱点を克服し、わが同盟を革命的プロレタリアートの政治的同盟に鍛えあげるために、すべての同盟員が全力をあげてたたかうことが確認されたのであった。
 第一回大会は、第四に、革命的共産主義運動の内部に存在する極左セクト主義を克服し、わが同盟が労働者人民の大衆運動と広範に結合し、その闘争をとおしてわが同盟の政治的・思想的影響力を拡大するための闘争戦術の検討の必要性を呼びかけたのである。昨年暮の第一回全国委員総会で確認されたように、昨年九月のソ連核実験反対闘争を契機にわが同盟が組織した革命的反戦闘争の思想的準備は、すでに、第一回大会の第四報告のなかで確立されていたのである。
 われわれは、第一回大会で以上だけでは完全に要約しえない数多くの教訓をかちとることに成功したが、もっとも重要なことは、大会の白熱的な討論をつうじて、同盟の政治的思想的統一をかちとるための基礎を完全にうちかため、同時に、わが同盟の中央指導体制をがっちりとつくりあげることに成功したことである。昨年九月の第一回大会からこんにちの第三回全国委員総会にいたる一年有余の闘争は、明確に、わが同盟第一回大会のさし示した方向の基本的正当性をはっきりと証明している。われわれは、この第三回全国委員総会において、第一回大会の基本路線にふまえつつ、ここ一年の階級闘争の経験を徹底的に総括し、大胆に次のステップを用意しなければならない。
 
 (b) 米ソ核実験と革命的反戦闘争の前進
 
 昨年九月に再開されたソ連官僚政府の一連の核実験は、第一回大会で基本的に確立された反戦闘争戦術の最初の適用の試練であった。すでに六一年八月のわが同盟第一回大会は、日本革命的共産主義運動に内在する「原水禁運動」にたいするセクト主義的な態度ならびに「帝国主義の打倒なくして平和なし」という原則的立場を直接に「原水禁運動」に対置するという極左空論主義的傾向について、根本的な検討をよびかけた。もちろん階級対立が根絶されないかぎり戦争の問題が解決されえないことは、いうまでもないであろう。スターリン主義者によっておこなわれてきた旧来の「平和擁護運動」が、このような戦争の基本的原因をなす帝国主義的階級支配との闘争ときりはなして「平和」を語るばかりか、戦争に反対し核実験に反対する労働者人民の闘争を「平和共存」という現状維持の安全弁にすりかえ、かくして、現実には、各国人民の反戦平和のたたかいをソ連圏官僚制を防衛するための外交的補助手段に利用してきたこと、このようなスターリン主義的な「平和擁護運動」にたいし、われわれが、何よりもまず帝国主義打倒という現状変革の方向をうちだしたのは、その限りではまったく正しいことであった。だが、問題はもう一歩先のところにあるのである。というのは、われわれ革命的共産主義者にとってこんにち必要なのは、平和などといっていても仕様がない、とこの運動に召還主義的な態度をとったり、原水禁運動にたいして外在的に帝国主義打倒の方針を呼びかけたりすることではなくして、スターリン主義的な現状維持の袋小路のなかに封じこめられている労働者人民の「反核実験・反核戦争」のバネをどう現状変革の主体的運動に組織するか、そのために、労働者人民の反核実験・反核戦争の闘争の全気孔をふさいでいるスターリン主義的な原水禁運動をどう解体すべきか、という一点にかかっているからである。
 日本革命的共産主義運動に内在する、反戦闘争にたいするこのようなセクト的召還主義、極左的空論主義は、日本における反スターリン主義運動=革命的共産主義運動の歴史的な過程、すなわち全学連の五八年の転換のなしくずし的な性格のなかにその要因があったのである。周知のように、全学連を中心とする日本学生運動は、四八年以来、スターリン主義的な平和擁護運動のもっとも中心的な部隊であり、日本共産党以上に国際スターリン主義官僚の意向に敏感に反応した戦線であった。こんにち、武井昭夫、香山健一、といった元全学連官僚をはじめ、ソ連=赤色帝国主義論を唱える佐久間元までの一連の汚物どもが、あたかも、かつての全学連が「反対派」であったように偽証しているが、疑いもなくかつての全学連は、日本におけるもっともスターリン主義的な翼だったのである。かれらは自己のスターリン主義者としての立場を自己批判するのでなしに、それを隠蔽するために歴史を書きかえているのである。それゆえ、全学連が過去のスターリン主義的汚物をとりはらい、反帝・反スターリン主義戦線の一翼にまで成長・転化するには、スターリン主義とのきびしい対決をとおして革命的マルクス主義への自己変革のたたかいをすすめていた先駆的闘争がまずもって不可欠であったのである。だが、五八年の全学連の転換は全体的にいうならば、スターリン主義者としての自己との徹底的な対決をとおしてかちとられたというより、五六年以来の平和擁護闘争の完全な破綻と、いわゆる階級闘争(勤評闘争・警職法闘争)への移行、日本共産党の分裂と全学連派の排除という現状からの直接的に運動論的・機能的な転換であったのである。そのために、過去の平和擁護運動の具体的検討は何ひとつ試みられず、なげ捨てられ、核実験に反対する労働者人民の意向はすべてスターリン主義的な規範のもとに放置されたのである。したがって、このような召還主義的・空論主義的な傾向を克服し、スターリン主義的原水禁運動の解体――革命的反戦闘争への労働者人民大衆の動員という任務を明確化するためには、日本における革命的共産主義運動の全面的な検討、とりわけ、五八年の全学連の転換のなしくずし的性格の根本的批判が不可欠であったのであり、同時に、日本原水禁運動の現状にどうきりこむかという実践的問いが不可避だったのである。
 革命的共産主義者が、核戦争に反対する労働者人民の先頭にたってたたかい、労働者人民の反戦の契機をスターリン主義的な平和擁護でなしに、帝国主義とスターリン主義との対決の方向に組織していく、という第一回大会の基本的提起は、それゆえ、ソ連官僚政府の核実験再開を契機とする米ソ核実験競争の再開という新しい情勢に、日本革命的共産主義運動がいちはやく明確な方針をうちだし、革命的反戦闘争を先駆的にきりひらいていく主体的根拠となったのである。周知のように、このソ連官僚政府の一方的核実験で完全に混乱のルツボにほうりこまれた日本原水協は、この核実験に疑問をもつ民衆にむかって何ひとつとして答えることができず、日に日に違う説明をしなければならなかったのである。こうした状況のなかで、一方で、日本共産党は「ソ連核実験支持」をはっきりとうちだし、他方で核禁会議系の右翼社会民主主義者によって核実験反対運動を「人類の悲願」にすりかえるカンパニアがはじめられていた。これら過去のいっさいの「平和運動」の指導部が示した態度に共通するただひとつのものは、国際的なプロレタリア階級の主体的立場が完全にぬけおちていることである。わが同盟が提起した「米ソ核実験反対」の革命的反戦闘争は、まさに日本(世界)原水禁運動の混乱をうちやぶり、日本労働者階級の革命的魂をふるいおこす新しいいぶきとして登場した。帝国主義とスターリン主義の権力政治にひき裂かれた国際プロレタリアートを団結させ、いっさいの搾取と抑圧を粉砕してプロレタリア独裁を永続的に樹立していく世界革命運動の荒々しい魂を、この米ソ核実験反対の革命的反戦闘争は、直感的に日本労働者階級の内部に呼びさましたのである。だからこそ、この革命的反戦闘争の訴えは、日本共産党の経営細胞のなかにまで深刻な動揺をもたらしたのである。
 わが同盟の提起したこの革命的反戦闘争にたいして、左翼的仮面をかぶったいくつかの批判が苦しまぎれに生まれた。その一つは社学同や、社青同学生班や、西分派の諸君のもので「反戦闘争とは自国の権力との闘争であるから、政暴法や憲法改悪とたたかうのが反戦闘争で、米ソ核実験反対だけを直接にいうのは小ブル平和主義だ」というのである。風と桶屋式のこういう批判がまったく問題にもならないことは、こんにちでは、これらの諸君が恥ずかしそうに米ソ核実験反対のスローガンをかかげていることでもはっきりしている。だが、N造船の社研の諸君が、現在でもわが反戦闘争にたいして非実践的で、無理論的な非難をくわえ、あまつさえ、わが同盟の革命的労働者党のための闘争にたいして反抗し、佐久間のごとき革命の脱落者とともに「第三の道」をあゆもうとして幾度となく恥しらずな失敗をくりかえしていることについて、はっきり、壊滅的な批判をくわえることが必要である。
 社研の諸君は、わが反戦闘争をスターリンの平和運動論と同一のものだということを論証しようと懸命になっている。だが、このような試みは、自分の墓穴をふかく掘るだけである。いったい、スターリンの一国社会主義論を捨象して、スターリンの平和運動論を問題にするようなことは、理論的にも実践的にも誤りである。そもそも、わが社研の諸君には、世界各国で現実に起こりつつある核実験(核武装)反対のたたかいをどう革命的共産主義運動の主体的契機に転化していくのか、という実践的な問いが少しもないのである。核兵器でもピストルでも武器は武器だ、などというへ理屈は、まったくナンセンスである。「第三の道」について、いまさら何もいうことはないのである。
 すでに報告したように、わが同盟の訴えた米ソ核実験反対のたたかいは、日本労働者階級の先進的部分と全学連のなかに、力強い反響をよんだ。全学連は昨年九月の第二八回中央委員会で米ソ核実験反対の反戦闘争を先駆的にたたかいぬくことを決議し、また革命的労働者は、全逓東京地区青年部大会等で日本共産党の妨害をうちやぶって米ソ核実験反対の決議をかちとることによって、わが同盟の訴えに応えたのである。もちろん、戦闘的労働者や左翼的学生(知識人)の広汎な層は、ソ連の核実験に直感的な批判をもちながらも、「平和のトリデ・ソ連」の防衛というスターリン主義の神話にひきずられて、明確に自己の労働者的主体性をつきだすことに躊躇を抱いていた。しかも、日本労働運動の指導部を「二分」している社会党と共産党とは、奇妙な統一戦線を形成して、革命的労働者の米ソ核実験反対の闘争を抑えつけるために必死になっていたのである。労働者大衆の米ソ核実験反対の反戦闘争の具体的妨害者は、ほかならぬいつも「平和、平和」といっていた共産党や社会党の連中だったのであり、したがって、米ソ核実験反対のたたかいは、不可避的に不断につづけられる労働運動内部の反ダラ幹闘争とかたく結合せざるをえないのである。革命的労働者を中核に拡大されつつある米ソ核実験反対のたたかいは、帝国主義とスターリン主義の二重苦にあえぐ全世界のプロレタリアートの国際的に結ばれた反戦闘争こそが、核実験をはねかえし、核戦争を阻止しうる唯一の力であることを鮮明にすることによって、帝国主義とスターリン主義に地域的にひき裂かれ、忘れさられていた国際プロレタリアートの立場(反帝・反スターリン主義の革命的共産主義)が感動をもって戦闘的労働者のなかに伝えられていく新しい条件をきりひらいていったのである。
 だが昨年秋、この革命的反戦闘争がわが同盟から提起されたとき、この闘争をまったく「戦術的」問題としてしか理解しえない傾向が、わが同盟の内部にも生れたのである。その第一は、東京の学生細胞の内部に発生した誤りであるが、それは、この反戦闘争をスターリン主義的な平和擁護運動との相関においてとらえずに、戦術的問題として矮小化して「自衛隊の獲得」の問題にすりかえたり、イギリス百人委員会の闘争にたいして小ブル平和主義というレッテルをセクト主義的にはりつけたり、あるいは、反帝・反スタの反戦闘争というかたちで、具体的な統一戦線(統一行動)のまえに反帝・反スターリン主義という綱領的課題をセクト主義的に押しつけたりする、といった極左空論主義的・セクト主義的・最大限綱領主義的な偏向であった。このような偏向の発生根拠は、あきらかに、問題を「戦術的」にしかとらえない小ブル急進主義である。なぜならこれらの同志たちは、こんにちのわれわれの反戦闘争の主要な課題が、労働者階級を帝国主義とスターリン主義の二重の規範から解放し、反帝・反スターリン主義にむかって階級的団結を拡大し、ふかめていくことである点をまったく見失っていたからである。それゆえ、福岡の学生細胞(九州地方委員会)の同志たちのいわゆる「右翼的偏向」の発生根拠は、同志たちがどのように大迎に「人類的危機」と「人類史的危機」について史的唯物論の知識をひけらかそうとも、米ソ核実験に反対する労働者人民の反戦闘争をとおしてスターリン主義的平和運動を解体し、労働者階級を帝国主義とスターリン主義の規範から解放し、革命的階級としていかに形成していくべきか、という実践的かまえをまったく欠如していることにあるのである。
 昨年九月のソ連官僚政府の核実験の再開を契機に前進を開始したわが革命的反戦闘争は、最大限綱領主義的偏向や極左空論主義、そしてまた、右翼的な人道主義的な偏向をもその運動の内外に生み出しつつも、組織的な討論と運動の経験にふまえて大衆的に克服し、破産し解体しつつある日本原水禁運動にかわる新しい核実験反対運動の一定の潮流をつくりだし、同時に、アメリカ、イギリス、西ドイツ、カナダ等々の国ぐにでたたかわれている非スターリン主義者の運動と未来ある連帯の方向をかちとったのである。こんにち、社会党や民同の連中は、ソ連核実験に反対すべきだと日本共産党を批判している。だがわれわれは、一貫してかれらが日本共産党と一緒に革命的労働者の反戦闘争を抑制し、全学連を原水協から除名するのに手をかしたことをはっきり知っている。わが同盟を先頭とする米ソ核実験反対の反戦闘争が、ようやく困難な壁をやぶって前進し、広汎な大衆と生きいきとした交通をもちはじめてきたことをみて、社会党や民同の連中は、原水禁大会で破廉恥にも「ソ連核実験反対」を叫ぶことで大衆の歓心を買おうとし、あまつさえ、ソ連核実験反対をエサに反戦闘争から労働者的主体性を骨抜きにしてしまおうと策動しているのである。それゆえ、われわれのソ連核実験反対の宣伝・扇動は、こんにち、より明確に革命的反戦闘争の根拠となっているプロレタリア国際主義の立場をうちだし、同時に、日本資本家階級との協調の道をあゆむ社会民主主義にたいする非妥協的闘争との生きいきとした結合の方向を追求する必要があるのである。
 第八回原水禁大会をめぐる社共の対立の激化と日本原水協の事実上の解体は、全学連のモスクワ赤い広場デモと鮮かな対照をえがきながら、日本原水禁運動の破産をくつきりと映しだしている。このような破産は、われわれの昨年来の革命的反戦闘争が存在しなかったならば、けっしてありえなかったであろう。だが、労働者階級の内部における革命的反戦闘争は、まだほんの端緒的な段階にあることをはっきりと確認する必要があるであろう。戦闘的労働者の圧倒的部分は、いぜんとして、ソ連核実験にたいする直感的批判と階級的立場との「ジレンマ」に苦悩しており、日ごとに激化する社会党と共産党との対立を憂慮しているのである。われわれは職場で幹部の「無指導」に反発しながら歯をくいしばって苦闘している戦闘的労働者の広汎な層のなかに、革命的反戦闘争をもちこみ、その思想を定着させるために、ありとあらゆる可能な道を追求しなければならないのである。われわれは、わが革命的反戦闘争をただたんにわが同盟の周辺の若干のものだけが密教的に宣教していくような矮小なイメージでとらえてはならない。職場の全労働者を大胆にわれわれのスローガンのもとに組織するかまえが必要なのである。このことは、何も反帝・反スターリン主義を全労働者に強制するということを意味するものではない。そうではなくて、反帝・反スターリン主義の立場にたっている革命的労働者が、それぞれの単産・職場の具体的状況にふまえてスターリン主義的な原水禁運動を解体し、日本共産党の反労働者的な排外主義の背骨をたたき折り、職場労働者を「革命的反戦闘争」の思想で組織するための具体的戦術を明確にし、その戦術を徹底的に貫徹する勇気が必要なのである。国鉄のある職場では、職場大会を開いて、そこで日共系の活動家と徹底的に論争し、大衆的に浮き上らせるようなたたかいがおこなわれているが、こうした経験を本当に全体化していくために全力をあげてたたかわなくてはならない。
 われわれは、明確に米ソ核実験に反対する先駆的な労働者デモの意義について再確認しなければならない。労働者階級の直接的な抗議行動の開始は、日本における革命的反戦闘争の様相を一挙に変化させるであろう。そのために、わが同盟は、六二年春の「労働者デモ」にかんする論争を教訓としつつ、労働者デモを実現するための可能性を貧欲に追求しなければならない。ブルジョア法によって許されている政治的自由の限度まですら、われわれはいっていないのである。われわれの行動の規範は、ブルジョア権力の弾圧の度合ではなくして、労働者階級の主体的反応の度合なのである。労働者の反戦デモの意義を明確にしつつ、同時に職場労働者のあいだで根気づよく「ソ連核実験」の反労働者的本質を扇動し、労働者階級の階級的な反戦闘争、国際的に団結した労働者の反戦闘争のみが、唯一の活路であることを宣伝するために、職場大会、有志の座談会から、職場の茶のみ話しの機会まで有効に利用しなければならない。なぜならば、このような革命的反戦闘争の運動と思想が広汎な労働者に影響を与えていないかぎり、どんな決定的瞬間が訪れたとしても、労働者階級はけっして反戦闘争にたちあがることはないであろうからである。そしてまた、こんにちにおける労働者の反戦デモの意味は、敵にあたえる直接の打撃効果そのものよりも、労働者大衆の内部に起こる政治的変化の力学にあるのであり、だからこそ、それは決定的意義をもつのである。
 
 (c) 選挙闘争とプロレタリア党のための闘争
 
 六二年六月参院選挙に独自候補をたてて参加する、という、わが同盟第二回全国委員総会の決議は、安保闘争以後、急激に分解と再編の道をあゆみつつあった革命的左翼戦線の内外に深刻な反響をもたらした。
 君らはいつから議会主義者になったのか――、忠告とも嘲笑ともつかぬ喧騒が、この決議をめぐって小ブルジョア的同伴者たちのあいだで起こった。自己の力を過信している、とある社会学者は判断した。選挙が終ったら革共同はツブれるだろう、とある詩人は予言した。じつさいには選挙はやらないのではないかと思っている、とあるソ連学者は独白した。だが、われわれは選挙闘争の「試練」に耐え、そして、六二年の九月には、まだ革共同はつぶれてはいないのである。
 率直にいって、昨年暮に「参院選挙参加」を決定したものの、そもそも選挙でどのくらいカネがかかるのか、さっぱり見当もつかない状態であった。わが同盟のなかには、選挙についての「経験者」がただの一人もいなかった。だが、われわれがはじめに解決しなければならなかった問題は、そのような技術的なことではなくして、わが同盟の内外に存在する小児病的な「選挙嫌い」との闘争であった。安保闘争以後、都市小ブルジョア層の内部で流行しつつあった選挙闘争にたいする直接的な反発は、わが同盟の内部にも無視しえぬ影響をもたらしていたのである。
 周知のように、安保改定をめぐる五九年――六〇年の政治的激動は、いたるところで、労働者人民の自然成長的な戦闘性が社会党・共産党の日和見主義的な「指導性」と衝突する局面をつくりだした。そして同時に、このような一連の事件は、労働者人民の内部に社会党や共産党の伝統的「指導性」を打破することのできる革命的指導性が生みだされなくてはならない、という反省を先進的な労働者のあいだに自覚させていった。安保闘争について、社会党や共産党の腐敗・堕落した指導者たちは「偉大な勝利」であると称讃したが、実際には安保闘争の最後の二字が「敗北」で終っていることは、革命的労働者にとってこんにちではもう常識である。だが、安保闘争の敗北においてうちやぶられたのは、労働者階級の革命性ではなくて、その「前革命的・伝統的付随物」であり、まだ労働者階級が脱却していなかったところの社会党・共産党の「人物や幻想や観念や計画」であったのである。
 だから、労働者階級に必要なことは、社会党や共産党のように無責任な「勝利感」にひたるのではなくて、安保闘争の敗北の検討をとおして社会党や共産党と決別し、革命的マルクス主義に立脚した労働者党の創成のためにたたかうことであった。だが、当時、全学連指導部を掌握し革命的左翼戦線の「多数派」とみなされていた共産主義者同盟の少ブル急進主義的な安保総括をめぐる分裂と解体、わが同盟指導部の政治的未成熟とその複合的結果としての革命的左翼戦線の革命的再編のための闘争の決定的立ち遅れは、安保闘争の過程ですすみつつあった戦闘的労働者と伝統的指導部との分裂を徹底化し、戦闘的労働者を社会民主主義とスターリン主義の規範のもとから解放し、反帝・反スターリン主義の旗のもとに組織すべき闘争をきわめて部分的なものにしてしまったのである。そればかりか、一度は共産主義者同盟の政治的影響下にあった戦闘的労働者のなかからふたたび社会党、共産党に復帰するものすらあらわれるという状況すら生まれたのであった。
 しかも、六〇年十月の衆議院選挙にたいする革命的共産主義運動の事実上の召還主義は、安保闘争の一連の敗北のなかですすみつつあった戦闘的労働者と社会党・共産党指導部との対立、スターリン主義と革命的共産主義の分裂を隠蔽し、保守対革新という伝統的図式のなかに労働者大衆が埋没していく状況に手をつけることができなかったのである。そのうえ、西・大原らの西分派の諸君は、恥知らずにも社会党・共産党への投票を呼びかけることによって、伝統的指導部の裏切りの統一戦線にみずからくわわったのである。
 もちろん、わが同盟の革命的労働者を中心として六〇年秋から労働者階級の深部で準備されていたマルクス主義青年労働者同盟結成のためのたたかい、六一年一月の歴史的創立大会は、安保闘争以後の表面的混乱の背後で、革命的労働者の党のための闘争が営々としてつづけられており、労働者階級がその「前革命的・伝統的付随物」をうちたおし、支配階級を転覆するための「手中のテコ」をますます固めつつあることを鮮明にしたのであった。
 だが、安保闘争の末期に勝利の前夜だと有頂天になっていた一部の急進主義的な知識人や学生は激動がすぎさりブルジョア的安静がもどってくると今度は秩序一般にイライラと感情をたかぶらせるか、仮眠と称してフテ寝したりしはじめ、革命的プロレタリアの苦闘にたいして、パブロフの犬のように歯をむきだしたのである。
 たしかに、社会党や共産党のあまりにも露骨な議会主義的堕落は労働者がこんにちの労働運動の危機を直視し、その原因をなしている社会民主主義とスターリン主義から根本的に決別するための契機をなしている。だが、労働者階級の内部で新しい革命的指導性の形成のためにたたかっている革命的労働者にとって、ただたんに社会党や共産党の議会戦術に直接的に反発して「棄権」したり選挙闘争に「反対」するだけでは何の役にもたたないのである。なぜならば、このような方法では社会党や共産党に不満だが棄権では労働者の立場を表明できないから一票入れておこう、と考えている労働者にたいして、本当に対決することはできないからである。
 労働者大衆を議会主義の軛から解放し、資本家階級の国家権力を粉砕し、労働者国家を樹立するための闘争にたちあがらせるためにはまずもって議会主義的幻想から自由な共産主義的労働者の組織的指導性が必要であることはいうまでもないが、こんにちもっと重要なことは、革命的マルクス主義で武装された前衛的部隊が労働者階級の内部でその屈折した全戦線にわたって、つまり、選挙闘争という手段すら利用してその独自的闘争の分野を拡大することである。われわれがこの参院選挙に独自候補をたてて参加することを決定した原理的前提には、ロシア革命におけるボルシェヴィキの創造的な議会(選挙)戦術の歴史的教訓=革命的議会主義があることはもちろんであるが、同時に、この選挙戦術を決定した基本的立場が日本における革命的共産主義運動の現実に根ざしていることをはっきりと確認しておく必要があるであろう。
 それゆえ、選挙闘争の準備にあたってまずわが同盟がしなければならなかったところの「選挙嫌い」=ブルジョア的議会制にたいする小ブル的潔癖感との闘争は、わが同盟に残存する小ブル的母斑との闘争であり、わが同盟を清潔な批判的グループに矮小化しようとする反動的同伴者たちとの闘争であったのである。もちろん、選挙闘争への参加は、わが同盟が議会主義に転落する危険の一つの客観的条件をなすであろう。だが、かつてレーニンが喝破したように、誤謬を恐れては何もできないのである。
 すでにみてきたように、われわれの選挙闘争にたいする都市小ブル・インテリゲンチャの反発はハンガリア革命を契機として開始されたスターリン主義と革命的共産主義との分裂によってつき動かされながらも、自己の立場を反代々木というかたちでしかうけとることのできない、その小ブル性に基礎をもっているのである。だからこそ、かの仮眠の詩人・吉本隆明は井汲卓一や前野良や清水幾太郎や浅田光輝や森田実といった連中と一緒になって反革共同綱領の署名運動をはじめ、また「偉大な」社会学者・清水幾太郎は、構造改革派のお先棒をかついで『月刊社会党』でレーニン主義組織論にたいする機能主義的批判をくわえることによって、そのいきつくところを暴露したのである。
 選挙闘争は、若き日本革命的共産主義運動にとって、ひとつの「試練」であった。やがて訪れるであろう階級対階級の決戦にくらべるならば、この試練がエピソード以上のものではないことは、いうまでもないであろう。だが、われわれは、六二年度前半の政治史のなかで、革命的共産主義運動の周辺をさまよっている自称新左翼の本質をあばきだし、その破産を刻印するとともに、革命的共産主義運動がより大胆に戦闘的労働者との交通を拡大していく接点を広範につくりだすことに成功した。われわれは、いつまでも安保闘争左派の図式にとどまることはできない。総評大会をはじめとする民同的労働運動の右傾化と日共の底しれぬ街頭化のなかで、職場労働者の利益を徹底的に貫徹しようとする戦闘的労働運動は、必然的に資本家階級とダラ幹の統一戦線に対決をせまられていくであろう。革命的共産主義運動は、社会党と共産党によって日に日に裏切られていく戦闘的組合活動家の広範な層のなかに不抜の拠点を確立するために、そのいっさいの組織戦術を再調整することが必要なのである。
 選挙の結果があきらかに示しているように組織労働者の圧倒的多数は社会党か共産党を支持している。この現実をうちやぶって、どんなに困難であろうと、すでに形成されつつある革命的中核を軸にわれわれの闘争を横に拡大しつつ拠点の設定へとむかわなくてはならない。われわれの活動、とくに情宣活動に根づよくこびりついている極左セクト主義を真剣に克服したたかう労働者の現実的・日常的生活感覚にふかく根ざした活動に方向を転換することが、いまや緊急の課題となりつつある。
 すでにみたように、今年度前半の日本政治史を決定した参院選挙へのわが同盟の参加は、ブルジョア選挙政治にたいする小ブル的潔癖主義との非妥協的闘争をとおしてかちとることができたが、だが同時に、ブルジョア議会選挙へのわが革命的共産主義運動の介入は、ブルジョア階級の政治的三百代言どもやプロレタリア階級の内部に巣くう裏切り者どもの共演する議会主義への讃歌にたいする痛切な弾劾の闘争だったのである。
 消費者物価の「倍増」で昨年春闘で獲得したわずかな賃上げを帳消しにしていながら、平然と国民生活の向上をスローガンに参院選挙戦の勝利を狙う自民党にたいして、同じ土俵のうえで物価値上げの責は自民党にあると主張する社会党や民社党、物価値上げは米日反動の戦争政策が原因だと訴える共産党、こうした愚劣な論戦のかげで、日日あくなくつづけられるブルジョア階級の搾取と圧制の実情を具体的に暴露し、ブルジョア的代議政治がこうした搾取と専制をおおいかくすイチジクの葉であることを糾弾するとともに、同時に、労働者の味方のような顔をしながら、そのじつブルジョア階級の搾取と専制に反逆するプロレタリア大衆の闘争を抑圧し、ブルジョア議会への「労働者」議員の進出がプロレタリア解放の道であるかのように欺瞞するいっさいの「革新」政党を弾劾し、新しい革命的労働者党の創成の必要を訴えるための演壇として、選挙闘争を徹底的に利用すること、ここにわが同盟が今回の参院選挙に参加した主要な立場があったのである。
 参院選挙を理由に今年の春闘がまったく中途半端にうちきられ、春闘の最中には闘争を裏切るために「団結と統一」をまもっていた民社党や社会党や共産党が、選挙になると醜悪な派閥争いをくりひろげる状況をまえにして、戦闘的労働者のあいだに、あきらかに、いったいどこに労働者の政治的組織があるのか、という深刻な反省がひろがりはじめている。だが、このような反省は、革命的マルクス主義に立脚したプロレタリア党のための闘争と結合し合流する方向を欠如するならば、ブルジョア階級との部分的戦闘を自己目的化する組合主義を拡大する温床になるだけなのである。政治的ニヒリズムはけっして、民同的な日本的組合主義をうちやぶる力にならない。それどころかこんにち、労働者階級の内部にまん延しつつある政治(政党)ニヒリズムは、現実には、太田、岩井らの「総評貴族」たちの組合主義を支える左右の柱になっているのである。
 政治の問題は政党にお願いして、組合は経済的闘争を担当する、という民同の新路線にたいしていや政治闘争は重要だ、として反労働者的な日共政治路線を現実の労働者の闘争と無関係にもちこもうとする日本共産党の活動は、ますます労働者を民同の規範のもとにおいやっているのである。民同の「経済闘争」に何ひとつ批判をくわえず結果論的なケチをつけるくらいで、これに無関係に「政治闘争」の重要性を一般的に主張することでは、何の役にもたたない。だから職場の労働者たちは、各単産大会の代議員選挙にみられるように、参院選挙で共産党に投票しても職場投票では日共系の代議員は入れないというシッペ返しをみせたりしはじめているのである。
 わが同盟の参院選挙への参加は、このような日本労働者階級の政治的流動化の端初を積極的にとらえ、民社党や社会党の泥試合に絶望しはじめている戦闘的労働者にむかって、新しい労働者党を創成するために自分自身がたちあがる必要を大胆に訴えるためであった。なぜならば、すでにみたように、伝統的指導部と戦闘的労働者の分裂はあくまで労働者階級の自己解放をめざす新しい革命的共産主義運動が形成されるための客観的条件のひとつをなすのであって、このような条件を革命的マルクス主義に立脚した労働者党の創成の主体的契機にどう転化するか、これこそわれわれの当面する中心的課題だったからである。
 民社党や社会党や共産党は、みごとな統一戦線をはって、われわれの声から労働者の耳をふさごうとした。また、わが同盟の内部に残っている小児病的な極左空論主義や政治的な未熟さは、わが同盟の選挙闘争が職場で苦闘している戦闘的労働者と広範囲な交流をつくりだしていくことを妨げた。われわれは、この選挙闘争の過程のなかで、赤裸々に自己暴露したわが同盟のさまざまな弱点について、大胆に自己切開を開始しなければならない。労働者階級の現実意識と闘争を捨象して「反議会主義」を自立した闘争としてかかげるような弱点を明確に克服しなければならない。こんにちでは、「反議会主義」の闘争は、革命的労働者党のための闘争の一契機をなすのであって、けっして、その逆ではないのである。そして、このような党のための闘争のみが、労働者大衆がブルジョア的代議政治の足カセを断ち切って、プロレタリア独裁=コンミューンへの大道にむかう主体的条件を準備するのである。
 このような極左空論主義や「反議会主義」の自立化にもかかわらず、いな、このような誤りを一つひとつ克服しつつ選挙闘争をたたかうことによって、われわれは、日本革命的共産主義運動の前進をかちとってきたのである。
 日本共産党のむちやくちやな紙の洪水で本当にトロツキストは絶滅したものと思っていた多くの労働者は、この参院選拳闘争の過程のなかで日本革命的共産主義運動が「まえにも増して」強力に登場してきたことに関心をよせはじめている。しかも、すくなからぬ職場労働者は自分の職場で執拗につづけられている戦闘的労働運動がわが同盟の活動と関係があることを具体的に知りはじめているのである。わが同盟の訴えが無責任な「口先だけ」のものでないことを、戦闘的労働者は直感的にみぬきはじめているのである。だからこそ、日本共産党は、ふたたび、必死になって「反トロツキスト」宣伝を展開することでその動揺をおさめようとしだしたのである。
 以上からも明瞭のように、選挙闘争は腐敗堕落した社会民主主義者やスターリン主義者にたいするきわめて高度な党派闘争だったのである。昨年秋からの反戦闘争の成果、五七年以来、営々としてつづけられてきた労働運動の内部における革命的プロレタリア党のための闘争の成果を党派闘争として総括するための機会として、われわれは選挙闘争をとらえかえすことが必要なのである。保守対革新という固定化した政治的図式から労働者階級を解放し、労働者階級の自己解放のための主体的立場をプロレタリア党のための闘争として確立していくためにも、選挙闘争は、日本の労働者人民のわが同盟にたいする態度=政治的支持の変化を正しく測定する機会である。
 だが同時に、この選挙の結果そのものを日本におけるありとあらゆる政治勢力が注目していたことについて、われわれは、すこしも過小評価してはならないのである。わが同盟が参院選挙闘争に参加するのはこれを革命の演壇として利用するためだから、票の数は問題ではない、という考えはあきらかに誤っている。反帝・反スターリン主義の革命的共産主義運動にたいする労働者人民の増減する支持の結果は、疑いもなく、一定の政治的比重を敵と味方に強制するのである。
 日本労働運動の右旋回は、たとえ民同やその理論的追従者たる構造改革論者がどんなに美しく飾りたてようとも明確な事実である。政転闘争の美名にかくれて着々と進行する日本労働運動の労資協調路線への転落のなかで、職場でたたかっている労働者は、どうこの袋小路を突破すべきかと苦悩している。かつての高野派(総評反主流派)や国鉄革同の分解と日本共産党への「移行」は、このような苦悩の反映だといえなくはなかろう。だが、労働組合の幹部はいざしらず、じつさいに職場で活動している労働者は、日本共産党への「移行」が闘争を放棄する道であることを直感している。
 こんにちの日本労働運動の内部における基本的対立は、多くの評論家が考えているように、太田や岩井の総評幹部と高野派日共連合軍とのあいだにあるわけではけっしてないのである。先日の炭労大会や国鉄動力車大会であきらかになったように、現場に直結した労働者代議員は、民同系であろうとなかろうと、資本とのたたかいをどうすすめるかの一点で幹部を非妥協的につきあげはじめている。
 日本共産党お得意の「二つの敵論」などは、この論争のなかに介入する余地すらなかったのである。この事実は、たんなるエピソードではない。日本労働者階級の内部で起こりつつある新しい変化の明確な反映なのである。原水禁世界大会をめぐる社会党と共産党の泥試合は、このような変化、このような本質的対立の出現をおおいかくすための茶番である。
 参院選挙へのわが同盟の参加は、日本革命的共産主義運動が新左翼を自称する諸分派との闘争を基本的に解決して新しい時代にはいりつつあることをはっきりと宣言した。戦闘的労働者との交通の大胆な拡大、工場・職場細胞を基礎にした産別委員会と地区党の建設を当面の環とする革命的労働者の単一の全国的な前衛組織への前進、これが参院選拳闘争の結論である。
 
 労働運動の「右傾化」と革命的共産主義運動の当面する任務
 
(a) 混乱と分裂のうちに幕を閉じた原水禁八回大会をめぐって社会党と共産党とのあいだで口汚い批判の応酬がおこなわれている。『社会新報』と『アカハタ』は、その紙面の大半(というより、ほとんどすべて)を割いて「日共の暴挙」とか「社会党の反民主的行為」とかいう非難をなげつけあい、自分たちこそが本当に核実験反対運動をおし進めうるのだと、主張しあっている。『社会新報』や『アカハタ』を見ていると、原水禁大会で誰が暴力をふるったのか、をはっきりとすることが、あたかも日本労働者階級の中心課題であるかのようである。
 だが、不思議なことには、これほど口汚い論争が十数日にわたってくりひろげられているにもかかわらず、アメリカやソ連の核実験に反対する大衆的抗議行動は、ただのひとつも、かれらによって組織されてはいない。ソ連核実験に反対する労働者階級の意志をふみにじって「原水禁大会」をソ連核実験支持の大会にすりかえた日本共産党は論外としても、原水禁大会に江田書記長を先頭にのりこみ乱闘を辞さずに「ソ連核実験反対」決議を要求したはずの社会党は、いくたびとなくソ連官僚政府の核実験がおこなわれているにもかかわらず、みせかけの抗議行動すら呼びかけようとしていない。
 この単純な事実のなかに、社会党と共産党とのあいだでおこなわれている論争と対立の本当の姿が映しだされているのではなかろうか。つまり、共産党や社会党にとっては核実験反対の大衆運動をいかに組織するのか、という問題は、主要な関心事ではないのである。
 もし日本共産党が本当にアメリカ帝国主義の「戦争政策」と対決しようとしているのならば、なぜ今年の春にアメリカ資本家政府が太平洋核実験を強行したとき、労働者人民の憤激を大衆行動に組織しようとしなかったのか――こういう疑問にかれらはけっして答えようとはしない。なぜならば、日本共産党にとってアメリカ核実験は反米排外主義を煽るための手段でしかないのであり、全世界の労働者階級の核実験反対・反戦のたたかいで核実験を粉砕し核戦争を阻止するといった労働者的原則はふりかえりみられさえしないからである。もともと、かれらは、労働者の反戦闘争なぞ考えてみもしないし、信用しもしないのである。ソ連特権官僚の手中に握られた巨大な兵器のみが現実的にして信頼しうる「平和の保障」なのである。
 このような事情は、社会党においても完全に同様なのである。たしかに、社会党は、原永禁大会において「ソ連核実験反対」を強硬に主張した。だが、このことは、社会党が労働者の反戦闘争の立場から基本的に主張していることをすこしも意味しないのである。それどころか、社会党は、労働者人民の核実験反対闘争を資本家も労働者も一丸となった「人道主義的」運動にすりかえ、核実験を強行する資本家や特権官僚にたいしてまったく無害なものにしようとしている。かれらがソ連核実験に反対するのは、大衆を欺瞞するための方策にすぎないのである。だからこそ、社会党は、自分の政治的保身のために、共産党と手をくんで全学連を原水協から除名したり、米ソ核実験反対闘争を提起した青年労働者を脅迫したりするのである。さらに驚くべきことには最近になって社会党の飛鳥田国民運動委員長は「ボストーク三、四号打上げ以後はソ連核実験反対のスローガンは適当ではなくなったのではないか」と無責任なことをつぶやきはじめているのである。
 いったい、資本家やスターリニスト官僚が自己の特殊的利益のために核実験の報復的シリーズをくりかえしている世界政治の現実に直面して、社会党のようにただたんに核実験反対は政治的問題ではなくて「人道主義的」運動にすべきである、と主張することは、何を意味するであろうか。労働者階級がソ連官僚政府の核実験に反対し抗議するのは、社会党のように米ソどちらにも反対しなければ筋がとおらないというような無原則的な理由からではないのである。もちろん、いずれの核実験にも反対、という素朴な平和主義の立場から、多くの労働者や学生や市民が米ソ核実験反対闘争に参加してくることを、革命的労働者は、あらかじめ拒否したり、排除したりするものではない。だが、革命的な労働者階級は、核実験反対闘争のこのような素朴な平和主義的立場を自由な討論と大衆運動の行動をとおして克服し、労働者的国際主義の立場に不断にたかめるためにたたかわなくてはならない。革命的な労働者階級は、ソ連核実験が労働者的立場を喪失したソ連圏特権官僚の排外主義的外交政策の具体的あらわれであり、全世界の労働者の階級闘争にたいする官僚主義的な恫喝と分裂の政策であると考えるからこそ、断固として反対闘争にたちあがりはじめているのである。
 それゆえ、アメリカとソ連の核実験に反対し、自国の核武装に反対する労働者階級のたたかいはより新しい層を不断に運動のなかに包摂しつつ、帝国主義とスターリン主義を打倒しうる労働者階級の革命的運動を創成するための有利な条件を広範囲につくりだすことになるであろう。それは、核実験にたいする労働者人民の怒りを現状維持的な平和擁護運動の中立主義の袋小路に封印するのではなしに、核実験を強行し、現代的核戦争の基因をなしている帝国主義とスターリン主義を打倒し、本当の労働者国家を樹立するための革命的共産主義運動の不可欠の要素をなすのである。核兵器は特殊な兵器であるかどうか、とか、そもそも反戦闘争とは何か、というような無味乾燥なへ理屈をならべたてるN造船社研の諸君の非実践的本質は、現代革命運動における核実験問題の役割にかんする憐れむべき無感覚に由来しているのである。ここ一年間における国際的反戦闘争のひろがりと日本革命的共産主義運動の前進は、N造船社研の観念的批判にたいする無慈悲な回答をなしており、先般の参議院選挙闘争と原水禁長崎大会の現実は、大言壮語の実体を明瞭にしているのである。
 原水禁八回大会の混乱と分裂というかたちで露呈した原水禁運動の破産は、まさに、昨年の秋いらい国際的な連帯をふかめつつ日本でイギリスでアメリカでドイツでカナダで北欧でくりひろげられている米ソ核実験反対の反戦闘争の前進と鮮明な対照をなしながら進行している。もはや、日本労働者階級にとって必要なことは、原水協の主導権をめぐる社会党と共産党の泥試合にかかわりなしに、いな、この泥試合すらも徹底的に「利用」しながら、青年労働者の創意のもとに独自に、かつ多様な形態でもって労働者人民の反戦行動を展開するための準備を開始することでなければならない。とくに、ソ連核実験に疑問をもちながらも、反対することは労働者階級の立場を裏切ることになるのではないか、と躊躇している職場の活動家にたいし、徹底的な討論の機会をつくりだすために、あらゆる可能性を追求しなければならない。社会党式の「人道主義的」平和運動の基盤になっている労働者の遅れた層のなかではなしに、もっとも戦闘的な労働者のなかに反戦闘争の中堅的担い手と支持層を拡大するために最大の配慮をはらう必要があるのである。
 このことは、次のような深刻な階級闘争の事情によっていっそう重要性をもっているのである。すなわち、原水禁第八回大会の混乱と分裂をめぐる社会党と共産党の口汚い泥試合の背後で、日本労働運動の全面的な右傾化が静かに進行しており、原水禁大会の混乱と分裂をめぐる喧騒がこのような右傾化をカモフラージュする煙幕の役割をはたしているのである。日本共産党は、原水禁第八回大会で社会党との主導権争いに勝利したことで有頂天になって「小ブル平和主義の破産」などとワメき散らしている。だが、主要単産の組合大会の代議員選挙において、共産党系の代議員はどこでも一様に後退しているのであり、いくつかの例外を除いては、この後退した空席をより露骨な改良主義・企業防衛主義的潮流がうめており、しかも、旧来の民同的指導部が全体的に自由労連式の企業防衛主義の強化にむかって組合の官僚主義的統制の傾向を強めつつ、職場闘争を封殺する方向に進みつつあることについて、共産党はいささかも心を痛めようとはしないのである。
 原水禁大会における共産党の勝利と主要単産労組における経済主義的路線の勝利、というこの対照的な事態のなかに、こんにちの日本階級闘争の深刻な問題がはらまれていることを明白にしなければならない。もちろん、スターリン主義から社会民主主義への道をあゆむ構造改革派にとってはこのような総評の新路線は労働運動の新しい可能性をきりひらくものに映るだろうし、また、ますます議会主義への道をあゆむ日本共産党にとっては「日教組や私鉄労連など最近の労働組合にかんする商業新聞の記事は、一様に労働組合が経済闘争一本に転換しているかのように報じています……。これは反動陣営が意識的に労働組合を経済主義のワク内にとじこめようとする意図を表わしたもので、大会はけっしてかれらの望むようにはなっていません」(『アカハタ』八月一四日号)ということになるのである。つまり、日本共産党と構造改革派は、正反対の視点からだが、日本労働運動が直面している重大な危機についてまったく無感覚なのである。
 だが現場で苦闘している労働者には、このような間抜けな「楽観主義」に身をゆだねる余裕はない。せまりくる資本攻勢と対応して着々と進行する民同指導部の組合統制の強化は、日本労働運動の底しれぬ墜落をふかめつつ、同時に、青年労働者の戦闘的翼を不可避的に革命的共産主義の戦列にむかわせつつある。革命運動の総体的な後退局面のなかで起こる錯綜した攻撃と防衛の不連続線において、戦闘的労働者と革命的共産主義運動の接点は拡大されつつある。だから革命的労働者の組織戦術は、必然的に、具体的で柔軟なものであることを要求されるのである。
 
(b) 総評第一九回大会における政転路線の確立は、日本労働運動の民同的指導部が公然と企業防衛・労資協調の方向に進路をとりつつあることを明白にしている。太田、岩井を先頭とする民同的指導部はブルジョアジーの好意ある歓迎と構造改革派の理論的援護射撃をうけながら西欧の社民的ダラ幹の教訓を学んで堂々と資本家階級の側へあゆみはじめた。
 もちろん、民同のダラ幹連中がいままで、別に労働者階級の利益の立場にたっていたというわけではない。かれらは、五二年――五六年のあいだに日本共産党あるいは高野派から総評の主導権を奪うために、日共=高野派の「政治主義=民族主義」にたいする労働者階級の批判を巧妙にとりいれ戦闘的労働者の圧力に押されて「戦闘的経済闘争主義」のポーズをとり、日本共産党や高野派の没階級的な政治主義にたいして一応の左翼性を誇示してきたのであった。
 民同的指導部は一方では、階級意識は未成熟だが資本との直接の闘争には極度に戦闘性を示す日本労働者階級にたいする政治的妥協として、みせかけの戦闘性を示すとともに、他方では独占資本との上層の接合をふかめ、労働者の闘争を決定的段階で裏切るという伝統的社会民主主義の方法をとってきたのである。だが安保改定後、巨大な資本蓄積を基礎に安定した政治秩序を着々と築きあげてきた日本資本家階級は、貿易自由化を契機とする国際的市場競争の赤裸々な発展を前にして、民同的指導部のみせかけの「戦闘性」すら徹底的に奪いとるという労働者階級への攻撃を強化してきたのである。しかも、日本独占資本の高度化は労働者階級に超過利潤の恩恵をこうむる「新中間層」を肥大化させ、民同的指導部が公然と企業防衛路線に移行する基礎をつくりだしたのである。
 このような民同的指導部の右傾化は、日本労働運動の危機をより深刻化するとともに、また、いままで民同的指導部の規範のもとで苦闘していた戦闘的労働者のあいだに動揺と疑問を広範に生みだし、民同的指導部と戦闘的労働者の分裂の契機をいたるところでつくりだしているのである。企業防衛と労資協調の新路線は、現実の階級闘争の過程のなかで、労働者の日常の利益を守るためにたたかわれている日本労働運動の全戦線において強い抵抗をうけており、けっして全面的勝利をかちとってはいないのである。日本労働者階級は、総体的な後退のなかで、凹凸に富んだ戦線で攻防のたたかいをつづけているのである。
 だが総評反主流を形成する日本共産党と高野派は、民同的指導部のこのような企業防衛・労資協調の新路線にたいし何ひとつ批判をくわえることができず、政党支持の自由とか対中ソ貿易の拡大とかソ連核実験支持といった、労働者の現実の闘争からまったくうきあがった批判?をくりかえしているだけである。それゆえ、民同的指導部の露骨な右傾化に反発して日本共産党に接近した労働者は、ここでも何ひとつ労働者的な闘争の方向を与えられず、日本共産党の街頭主義的な愚民政策に堕落するか、無党派活動家として職場主義的活動に沈潜するという結果を生みだしている。
 こんにち、日本共産党も高野派も、民同的指導部の新路線にたいして、いかなる批判も、いかなる方針もけっして対置することはできない。かれらは、職場細胞にたいして来年度の地方選挙の方針とか原水禁大会をめぐる社会党非難の指針を提示することはできても、民同的指導部の経済闘争の方針とどうたたかうか、をすこしもあきらかにできないのである。だからこそ、ふたたび、日本共産党の職場細胞や高野派系の活動家のあいだで「党はどうかしているのではないか」という動揺と分解がはじまろうとしているのである。
 このような日本労働運動の現状は、日本革命的共産主義運動の前進のための新しい条件を広範につくりだしているのである。わが同盟は日本労働運動の総体的な後退のなかで、攻撃と防衛の錯綜した戦線で苦闘する戦闘的労働者との全面的な交流をつくりだすために全力をあげてたたかうための組織戦術の再調整をただちに開始しなければならないのである。
 なぜならば、戦闘的労働者の伝統的指導部との分裂は、革命的マルクス主義に立脚した労働者党のための闘争と結合し合流する方向が与えられないならば、必然的に職場主義的なワクのなかに退化することによって、現実には民同的労働運動の左右の補完物に転落してしまうからである。そしてまた、わが同盟がこのような戦闘的労働者との全面的な交流・接点の拡大に成功するならば、戦闘的労働者の「防衛」のための闘争は革命的共産主義運動の力強い進撃の戦場に転化するであろうからである。
 
(c) 同盟の当面する第一の任務は、戦闘的労働運動と反ダラ幹闘争の意義について明確にし、わが同盟の内部に根強く残存している極左空論主義と組織的セクト主義を克服して戦闘的労働者と革命的共産主義運動の接点を全面的に拡大し、交通するための方向をうちかためることである。
 すでにみたように、総評の民同的指導部は「浴衣がけのストライキ」論をふりまわし、「スト投票八割」論をぶつことによって、巧妙に日本労働運動から「戦闘性」をぬきとるために準備している。そのためにまず、職場闘争を有名無実化していっさいの闘争を中央交渉にあずける体制をつくり、闘争のヘゲモニーを職場労働者の手からダラ幹の手に完全に移行させようとしているのである。
 こうした日本資本家階級の労働政策の変化と、これに対応した民同指導部の公然たる右傾化は、逆に、後退戦の局面で突出する戦闘的労働運動を「防衛」し再組織するためのすべての任務が、わが同盟の肩のうえに重々しく課せられていることを明確にしているのである。資本との日常的な戦闘、資本との経済闘争を直接的に拡大するだけでは、労働者階級は資本の鉄鎖をたちきり自己解放の大業をなしとげることができないことはいうまでもない。サンジカリストや労農派のようなゼネストの自己目的化は、あきらかに、労働者階級の戦闘性を奴隷的生活の改良という枠のなかに封じこめるものである。だがレーニンがかつていったように、労働者階級は、資本との日常的な戦闘をとおして資本を打倒するための主体的力量を蓄積するのであり、「ストライキには革命のヒドラ(怪物)がかくれているのである」。それゆえ、このような労働者階級の資本との闘争の全戦線のバリケードのうえに革命的共産主義の旗がうちたてられることが必要なのである。攻撃こそは最大の防御であることを実践をとおして労働者大衆にあきらかにするとともに、このたたかいのなかでわが同盟をたたかう労働者階級の戦闘的部隊にきたえあげなくてはならないのである。
 総評民同的指導部の欧米的労働運動への露骨な移行、職場活動家にたいする資本家階級の圧迫強化、日本共産党の際限のない街頭化、等々の条件は、職場闘争の余地をますます狭くし、戦闘的労働運動の炎をますます弱めるであろう。だがわれわれは、このような後退の流れに抗して、職場闘争の防衛と強化、戦闘的ストライキの実現と拡大のために全力をつくし、そのたたかいのなかで、戦闘的労働者との接点を大胆に拡大し、かれらをわが革命的共産主義運動の実体的な担い手に変革していくという困難な道を選んだのである。
 そしてまたこのような戦闘的労働運動の「防衛」のための闘争は不可避的に、労働者階級の「中間層」に依拠した民同的指導部にたいする反幹部闘争と結合し合流する新しい条件をつくりだすであろう。民同的指導部や構造改革派の連中は、「労働運動の国際的教訓」と称して反幹部闘争を封殺するために必死になっており、また、日本共産党や高野派の連中は、「統一と団結」をまもるためと称して戦闘的労働者の反幹部闘争を抑圧している。だが、革命運動の歴史的経験は、別の教訓を示している。すなわち、労働運動の後退と資本主義の平和的発展は、必然的に労働者階級の内部に階層的分化と階級意識の分裂を広範につくりだし、労働運動の日和見主義的翼との分裂を進行させるのである。
 もちろん、このような分裂は、「大衆の存在そのものが革命的」(コミンテルン第三回大会)であろような革命的(前革命的)情勢における「労働運動の帝国主義と社会主義の分裂」とは明確に区別されねばならない。こんにちの分裂は労働運動の後退から前進にかけての長い起伏にとんだ情勢におけるものであり、それゆえ、不断に孤立と集中砲火の危機をはらんだ左翼的分裂なのである。だがロシア革命におけるレーニンとボルシェヴィキの闘争が教えているように、このような時期において革命的戦闘的翼を「日和見主義」的翼から執拗に分裂させ、プロレタリア党に組織することなしには、けっして、きたるべき情勢の高揚に応えることはできないのである。社民的(民同的)・スターリン主義的指導部との決定的分裂の不断の拡大こそ、日本革命の勝利のための大道である。
 しかし、日本労働運動の戦闘的労働者の伝統的指導部との分裂、反幹部闘争の深化のためには、まずもって、わが同盟がその内部に残存する極左的空論主義・セクト的最大限綱領主義を大胆に克服することが不可欠なのである。労働者大衆、いな、戦闘的労働者の政治意識に先まわりして高踏的断定をふりまわして、みずからその結合を断ち切ってしまうような誤りをくりかえしてはならない。とくにこのことは「同盟名入りのビラ」の内容に関連がふかいが、民同的指導部や日共的指導部の規範のもとにある労働者にむかって、はじめから職場労働者の感情や意識を無視してダラ幹攻撃をはじめるような稚拙な方法を真剣に再検討する必要がある。
 もちろん、ダラ幹にたいする攻撃と暴露が、憤激の直接の契機になる場合もあるが、いずれにしても、まず、労働者大衆が納得しうる具体的扇動から出発することが大切であり、先験的(ア・プリオリ)にダラ幹はダラ幹だから間違っているというような断定をさけ、可能なかぎり労働者大衆自身の行動をとおして、ダラ幹を糾弾し労働運動の戦闘化のためにたちあがるように、十分に注意する必要があるのである。革命的反戦闘争の組織化にあたって昨年秋に露呈した「最大限綱領主義」的偏向の克服の教訓をこの分野にしっかりと適用することである。したがってまた、われわれは、たとえ民同的指導部のもとであろうと、日本共産党指導部のもとであろうと、労働者が自分の生活と権利をまもるためにたたかいにたちあがるかぎり、そのいっさいの闘争を支持しその先頭にたってたたかい、民同や日共の反労働者的本質を具体的に弾劾し、戦闘的労働者を不断に伝統的指導部から分裂させ、革命的プロレタリア党のための闘争に組織していくためにたたかわなくてはならないのである。
 
(d) 同盟の当面する第二の任務は、昨年来の革命的反戦闘争の成果と教訓にふまえ、原水禁世界大会の分裂と日本原水協の事実上の解体というスターリン主義的「平和擁護運動」の全面的な危機を徹底化しつつ、労働者人民大衆を独自に「米ソ核実験に反対する」反戦闘争に動員するためにわが同盟が全力をあげてたたかう方向を具体的にあきらかにすることである。
 われわれはこの革命的反戦闘争を推進するにあたって、反戦闘争の前に「反帝・反スターリン主義」の綱領的立場を強制する極左セクト主義的偏向を克服するとともに、この反戦闘争をマル青労同やわが同盟の身うちだけの闘争に限定してしまうようなセクト主義的な自己統制をうちやぶってたたかいを前進させる必要があるのである。米ソ核実験反対の革命的反戦闘争の思想と運動を大胆に労働者大衆のなかにもちこむならば、日本革命的共産主義運動は以前よりもはるかにひろい大衆的基盤のうちに前進することができるであろう。わが同盟は、十月五日の東京南部の労働者・学生の集い″を皮切りに全国各地で開催される反戦集会を徹底的に活用しつつ、職場のなかに革命的反戦闘争の思想と運動をもちこみ定着化させるために、いっさいの日和見主義を粉砕してすすまなくてはならない。
 スターリン主義的平和運動の危機に便乗して、日本ブルジョア階級とその左翼的安全弁である民同=社会党は、日本共産党にたいして「ソ連核実験反対」を要求しながら、そのうらで、核実験に反対する労働者人民の力を市民的超階級的「平和運動」に封じこめ、完全に骨抜きにしようとしている。われわれは、わが革命的反戦闘争が社会党の没階級的な「平和運動」論と根本的に対立するものであることを鮮明かつ具体的に示すことが絶対に必要である。社会党や構造改革派の主張する平和運動論は、あきらかに、昨年秋からのわれわれの「米ソ核実験反対」の反戦闘争の成果をさん奪し、これをブルジョア階級の下僕にすりかえるための恥しらずな詐欺である。それゆえ、わが同盟は、以前にもましてわが米ソ核実験反対闘争の根底にある革命的労働者の思想を説得的かつ精力的に宣伝する必要に直面しているのである。
 かくしてわれわれは、米ソ核実験反対のたたかいを反戦闘争として徹底的に労働者人民大衆のなかにもちこみつつ、同時に、このたたかいを基礎に世界各国の反戦闘争との連帯をふかめ反戦闘争をとおして各国の労働者のあいだの現実的な団結をつくりだしていくべきであろう。だが、このような連帯は、あくまで各国の運動の現実的な連帯であって、このような立場を欠如した活動は反動いがいの何物でもないのである。それゆえ、わが同盟は、日本における反戦闘争の現実的展開を基礎に国際的な反戦闘争の連帯と交通を拡大し、その相互の思想的な闘争を強化しつつ、同時に、このような国際的反戦闘争の発展を基礎にして、反帝・反スターリン主義の世界革命運動における反戦闘争の現実的な意義について理論的に深化するための必要な処置をとらねばならない。
 
(e) 同盟の当面する第三の任務は、日本における革命的共産主義運動の現段階を明確化し、革命的労働者の産別委員会と地区党の建設をとおして、革命的労働者の単一の全国的政治同盟の結成のために全力をあげてたたかう方向を確立することである。
 すでにわれわれは、戦闘的労働運動のなかにふかく根をおろし、労働者人民の内部にひろく革命的反戦闘争の思想と運動を定着化させることの必要性についてかんたんにみてきた。だがこのような任務を実現していくためにはまずもって、革命的労働者の中核的な前衛的な部隊の確立と強化が不可欠の前提であるばかりでなく、労働者階級の内部における反幹部闘争と反戦闘争の成果をうち固め日本革命の大道をきりひらく唯一の集約点が、革命的労働者党のための闘争であることを、こんにちふたたび明白に確認しなければならない。
 このような革命的労働者党のための闘争ときりはなされて、もし戦闘的労働運動の意義や反戦闘争の重要性が語られるならば、それはあきらかに別な命題に転化するであろう。
 日本共産党の規範からは決別しつつも反スターリン主義の革命的マルクス主義の立場に自己を徹底しえない若干のグループは、自己を「新左翼」という現象論的な名称で規定することによって地方的グループに退化しつつ、こんにちわが同盟とマル青労同を母体に前進しつつある革命的労働者党のための闘争にたいして誹謗し中傷するという一点で奇妙な統一戦線を形成している。かれらは破廉恥にも「スターリン主義」と、レーニン主義の党のための闘争を混同し、われわれのたたかいにたいしてスターリン主義の烙印を押しつけようと最大の努力をはらっている。だが、このような試みこそ無駄な努力というものである。われわれは構造改革派や反パルタイ連合主義者や自称新左翼の諸君のように、スターリン主義運動の解体の結果的表現である「左翼的」諸分派の非集中的な存在を、直接的に肯定するような立場と無縁であり、また新左翼を自称するN社研のように、地方的共産主義化した「左翼的」譜分派の糾合のうえに新党を夢みるという立場を絶対に承認しえない。それどころか、わが同盟は、N社研をはじめいっさいの中間主義的分派を非妥協的に解体し、わが同盟の旗のもとに個別に組織するという方針を明確にとるべきである。スターリン主義運動の解体過程で歴史的に形成される「非スターリン主義的」分派は、革命的共産主義とスターリン主義の闘争の中間主義的産物であり、それゆえこのような「左翼的」諸分派の革命的解体と革命的翼の獲得のために、われわれは、闘争をつづけなければならないのである。
 だが、革命的労働者党のための闘争の当面する任務が、このような「左翼的」諸分派との闘争にあると考えている同志がいるとしたら、その同志はあきらかに日本革命的共産主義運動の現段階を見失っているのである。わが同盟は、民同的指導部の労資協調=企業防衛の新路線と日本共産党の街頭化にたいして職場闘争の防衛と戦闘的労働運動のために「反幹部闘争」にたちあがらざるをえない戦闘的労働者のなかに、そしてまた社会党や共産党の没階級的平和運動と決別して革命的反戦闘争をたたかう戦闘的労働者のなかに、いっさいの活路を見出すべきなのである。われわれは「たたかう労働者党をつくろう」というスローガンをかかげて参議院選挙をたたかったが、革命的労働者党のための闘争がわが同盟やマル青労同の闘争と別のところにあるように考えることは無意味である。まさに、わが同盟とマル青労同の現実の闘争のなかに、革命的労働者党のためのもっとも現実的な基盤があるのである。われわれは、この事実から出発するのである。
 もちろん、われわれは、わが同盟が日本革命の勝利にむかって労働者階級を動員すべき革命党としてあまりに非力であり、あまりに未成熟であることを率直に認めるべきであろう。だが、にもかかわらず、わが同盟は今日すでに○○の産業に革命的中核を確立し、〇の産業に産別労働者委員会を組織するところまでその組織的たたかいをすすめてきたのである。
 われわれは、この主体的力量に決定的にふまえ、すでに組織的中核の存在する工場と経営を革命的左翼戦線の難攻不落の拠点にうちかためるために、まず全力を傾注する必要がある。職場のなかにたたかう中核を確固として形成し、労働者大衆をそのまわりにしっかりと結びつけることなしには、けっして、革命的労働者党のための闘争を躍進させえないであろうからである。それゆえ、まず足もとを固め、それを拠点にして産別的に、地区的にわれわれの闘争を拡大し、定着させるというプログラムを明確化する必要がある。すでに『組織論序説』で基本的にあきらかにされているように、わが同盟の産別労働者委員会という組織形態は、日本における反スターリン主義=革命的共産主義運動の歴史的形成の労働者的本質から直接に規定されたものであり、わが同盟の創造的な組織戦術の根底によこたわる主体的拠点だったのである。それゆえ、われわれは、すでに産別委員会をもつ先進的経営の闘争にふかく学びながら、全産業に産別委員会を形成するためにたたかわなくてはならない。とくに、わが同盟は、民間単産における闘争のたちおくれを克服するために大きな努力をはらうべきである。
 だが、われわれは、産別的な労働者委員会とその細胞の縦わり的な組織と、その中央的な連合だけでは、けっして革命的労働者党を創成することができないというレーニン主義的原則をはっきりと確認していかなければならないのである。わが同盟は第三回全国委員総会を出発点として、すでに産別労働者委員会の指導のもとに組織されている工場、経営細胞を確立・強化するための具体的体制を固めつつ、ここを拠点として各産業別の工場・経営細胞を包括した地区党をつくりだす必要がますます焦眉のものとなりつつあるのである。われわれは、このような地区党をもつことによって、一つの産業のなかで資本との個別的な部分的な戦闘をつづけている戦闘的労働者を、その限定された職場を、より広大な戦線に位置づける条件を拡大させ、資本との全戦線にわたる戦闘を遂行しうる革命的労働者党の一員に自己変革せしめうるのである。
 わが同盟とマル青労同に結集した革命的労働者を中核とする地区党のための闘争は、まさに革命的労働者党のための闘争の当面する中心的な環である。わが同盟政治局とマル青労同中執委員会はすでに地区党のための闘争をすすめつつある東京南部・中部・東部・北部、川崎、埼玉南部のたたかいを突破口に、地区党を東京の全地区に、全国の主要な工業都市に拡大するために、慎重な計画と大胆な実行を準備する任務を成功的にすすめるべきである。この地区党は、マル青労同の地区か、わが同盟の地区か、などと区別だてに苦慮することは無意味である。問題は、すでにわが同盟とマル青労同に結集している革命的労働者を中核にして、わが同盟の指導のもとに、地区的革命党組織を数産業、十数経営にまたがって組織しその地区にがっちりと定着させ、同時にこのような地区党の組織的闘争をとおして産別委員会の足もとを拡大し強化し、未組織の工場と経営のなかにわれわれの闘争を拡大していけるかどうかにかかっているのである。そしてまた、このような地区党のための闘争の推進は、わが同盟とマル青労同との併立という「歴史的限定性」を突破して、日本革命的共産主義運動が唯一の全国的な革命的労働者の同盟(党)を形成するための実体的基盤を保障する最大の力となるであろう。
 
(f) わが同盟の当面する第四の任務は、旧来の機関紙(誌)活動、情宣活動にいろこく残っているセクト的な極左空論主義と形式主義的なきまり文句を大胆に突破し、『前進』『最前線』をたたかう労働者の武器にするために徹底的に、かつ根気づよくたたかう方向をきりひらくために全員が決意をかためることである。
 周知のように、レーニンは、ロシア革命党の形成と発展のための最大の武器として全国的政治新聞の重要性に注目し、つねに、その革命的成長と防衛のための闘争の先頭にたっていた。革命的な全国的政治新聞は、革命当時のロシアよりもはるかに資本主義的に発展し、労働者の教育程度もはるかにたかいわが国においては、レーニンの時代よりももっと大きな政治的重要性をもつであろう。資本との個別的な戦場における労働者の闘争を全国に結びつけ、反帝国主義・反スターリン主義の旗のもとに幾百万の労働者大衆を動員するためには、われわれは、革命的マルクス主義に立脚した恒常的で系統的な大衆的な労働者新聞をもたねばならないのである。こんにち、わが国の労働者階級のなかには、幾百万ものブルジョア商業新聞をはじめとして、『アカハタ』『社会新報』『組合新聞』等々のさまざまな傾向の政治新聞が、洪水のようにもちこまれている。そしてこれらの膨大な紙の弾丸は、戦闘的労働者のたたかいにたいする反動的ないっせい砲火としての役割をはたしているのである。もちろん、われわれは、大衆社会論者や小ブル的急進主義者のように、この事実から直接に悲観主義的な結論をくだそうとは思わない。このような悲観主義からは『思想の科学』式の客観主義か「小ブル陰謀家」流の一揆主義しか生まれないことを、われわれは、よく知っている。一九〇五年のロシア革命や一九五六年のハンガリア革命がみごとに立証しているように、革命的激動の到来は、一挙に労働者大衆を旧意識から解放し、共産主義的意識の大量的産出の条件をもたらすのである。だが、歴史的な闘争で訓練された革命的指導部と前衛的労働者の部隊、そして日刊の大衆的な革命新聞が存在しないならば、このような革命的激動は敗北の序章となるであろう。
 われわれは、こんにち、○○○○部の発行部数をもつ週刊の新聞である『前進』と『最前線』をもっており、○○○○人の固定読者をもっている。このような事実は、数年前には予想もつかなかったことであり、現在でも、ある程度の政治的経験をもった組織外の人間にとって、かなり意外な数であるといえる。だが、われわれはこのような現状に甘んずることは許されない。わが同盟は、アナキスト連盟や「永久反パルタイ主義」者のように、地の塩であることに自己陶酔してはならない。だがそのためにはまずもって、わが同盟に内在する機関紙活動にたいする過小評価を徹底的に粉砕することである。われわれは、わが機関紙活動の壁の一つが、ほかならぬ前進編集局のこれまでの「片手間」主義とセクト的空論主義と、固着したきまり文句=形式主義にあったことを卒直にみとめねばならないであろう。このような『前進』の欠陥は、いちぢるしく、わが同盟の負の条件となっているのである。われわれは、『前進』を根本的に体質改善し、闘う労働者と生きいきと交通する紙面をつくりだすために努力しなければならない。だが、同時に、われわれは、全同盟と金同調者に訴える。――『前進』と『最前線』を一部でも多く戦闘的労働者の手にわたすために、最大限の努力を傾注せよ、と。
 『アカハタ』の熱烈な紙数拡大運動にたいする反感から、われわれが、機関紙の読者を増すという仕事をちょっとでも過小評価するようなワナにおちこむとしたら、これほどばかげたことはないのである。『前進』や『最前線』の読者を労働者のあいだに拡大していくという仕事は、一時的な片手間なものではないのである。一枚の機関紙の継続的配布は、戦闘的労働者の思想的変革をかちとり、一人ひとりわが同盟に組織されていく宣教師と組織者の役割をはたすのである。わが同盟の一部には『前進』や『最前線』を同盟内の通達か内部情報のように組織内の人間だけに配布しているというようなところもあるが、われわれはこのような日和見主義を断固として克服していかねばならない。もちろん、国家権力と職制、民同と代々木の圧迫のもとで運動をすすめなくてはならないという悪条件はある。だが、戦前の日本やツアーのロシアのもとでは、革命家達はわれわれに数倍する困難のもとでたたかったのである。われわれは『前進』や『最前線』を同盟員や政治的同調者の狭い枠から解きはなち、職場で苦闘する戦闘的労働者のなかに大胆にもちこみ機関紙の購読をとおして政治的同調者に、そして同志に獲得していくというやり方に明瞭に転換するべきであろう。それゆえわが同盟のすべての同志は、自分の職場や単産で機関紙の読者を拡大するだけではなしに、学校時代の友人や研修所(養成学校)時代の知人などにたいしても、あらゆる方法で『前進』や『最前線』をもちこむためにたたかうことが必要である。だが、このような『前進』や『最前線』の読者を組織するための闘争は、同時に、編集局に通信と紙代を送り、読者や細胞の批判を伝える活動と結合しないならば、それは生命力のないものとなるであろう。このような闘争に成功するならばわれわれは、機関紙の読者を、数カ月のうちに○○○○部から○○○○○部へと倍加させることもそれほど困難な仕事ではないであろう。そして、このような試練にわが同志が耐えうるならばわれわれは、選挙闘争当時よりも、はるかに眺望のきく高所まで登ることができるであろう。
 
 同志諸君! われわれは、昨年八月の第一回大会において満場一致で次のことを確認した。
 春日新党というかたちをとって実現したスターリン主義運動の崩壊過程の第二段階の開始は、疑いもなくスターリン主義運動と革命的共産主義運動の分裂の中間主義的産物であり、したがって革命的左翼戦線のいぜんとして四分五裂した状況を止揚し統一するための左翼的プレッシャーとなるよりは、逆に左翼(革命的マルクス主義)にむかうものにたえず逡巡を与える右翼的引力としての役割をはたすことによって、反動的性格をますます明らかにするであろう。われわれは、春日新党よりも強力なバイタリティをもっており、何よりも思想的統一を基礎とした組織的団結をもっている。たとえわれわれにむかって一時的にどんな圧迫がくわえられようとも、また、その道がどんなにけわしくても反帝・反スターリン主義の旗のもとに前進する革命的共産主義運動こそが、勝利の大道であることをふかく確信して、自己の戦列をかためてたたかおう。このような試練に耐えぬいて、次の段階につきぬけたとき、われわれがこんにちでは予想もつかないような緑の平野がわれわれの視界の前に拡がっているにちがいないのである。
 われわれはあれやこれやの「既成」の革命的左翼の地方的サークルの統一のために腐心するような偏狭な視野のもとの無駄な努力にわれわれの組織的展望をしばりつけることなく、プロレタリア運動の内部で日常的に深化しつつある左翼的分裂に依拠して前進していこう。こうした過程のなかでこそ、諸分派のわが戦列への革命的な統一と止揚もまた、可能となるであろう。
 
 それから一年。まだ、われわれは緑の平野にたってはいない。だが、未来はすこしずつ視界を拡げている。みたまえ、一年まえに流行をきわめた構造改革派のこんにちの没落とその正体の露出は目に余るものではないか。一年まえに「反パルタイ連合」の革命的意義や革共同の分裂についておしゃべりしていた「名士」たちは、みせかけの革命性すらなげすてて戦線逃亡し、いまでは声すら耳にしないではないか。
 「人をして語るにまかせよ、汝の道を歩め」である。反帝・反スターリン主義の世界革命の勝利にむかって、ともに前進しよう。
                  (『共産主義者』八号一九六三年六月に掲載)