共産主義者同盟の破産は何を意味するか
 
 六〇年安保闘争の総括をめぐつて三分解した六〇年ブントにたいする革命的批判である。わが同盟の革命党創成の現実的組織戦術を基底において展開された批判は、翌六一年のブントの革命的翼との革命的統一を可能にするものであったのである。
 
 
 新安保条約をめぐるわが階級闘争の動的な展開、プロレタリア運動の挫折と敗北の現実的過程はいっさいの既成の「左翼」指導部、とりわけ「前衛党」を詐称する日共の日和見主義とその反階級的実体を自己暴露させずにはおかなかった(武井健人編著「安保闘争」参照)。民同――社会民主主義と日共――スターリン主義の規範のもとで苦闘しつづけてきた「下部」の戦闘的労働者たちは、いまや、かれらの既成指導部にむかって深刻な疑問をなげかけ、卒直な批判を口にしつつある。しかも、その革命的翼は、公然あるいは隠然と既成の指導部の組織的・政治的統制から離脱し、新しい革命的プロレタリア党の創成をめざして、いくつかの地方的グループに結集しようとしている。
 
 革命的労働者と全国委員会
 
 プロレタリアートの深部で生まれつつあるこうした変化は、日共の党官僚がいかに弾圧し中傷しようとも、けっして押しとどめることはできないであろう。「アカハタ」は、連日のように「アメ帝の手先!トロツキストを打倒せよ!」とヒステリックにわめきたてている。だが、この反トロ・カンパニアがかんだかくひびけばひびくほど、われわれは、「アカハタ」が各地でつぎつぎと日共中央に反旗をひるがえす「反逆者」についてより多くの紙面をさかざるをえないことを、よく知っているのである。こうした新しい情勢は、全学連の革命的学生運動を主体に「前衛党」をエセ的に代行してきた共産主義者同盟にたいする革命的批判、その分派闘争――分解過程の激化を不可避とし、そしてまた、わが同盟全国委員会の組織戦術のあらたな躍進と展開を自覚させずにはおかないのである。いまや、わが革命的共産主義運動は、その運動の前史を止揚し、革命的プロレタリア党への道をより大胆に追求すべき転換期にさしかかろうとしているのである。
 五六年十月のハンガリア・プロレタリアートの反乱の革命的影響のもとに胎動したわが革命的共産主義運動は、当然のこととして、当初は革命的インテリゲンチャによる先駆的な思想的運動から出発した。こうした状況は、政治的未訓練とそこから結果する根強いセクト主義を派生させ、五八年暮には解体の危機さえもたらしたのであった。だが、このような「内部的未成熟」とたたかいつつ、戦後日本唯物論のもっとも革命的伝統に依拠して展開されたわが先駆的運動は、日共――スターリン主義を根底から転覆しうる批判の武器を鋭くとぎあげ、同時に、革命的左翼の諸分派(トロツキスト同志会、革共同西分派、共産主義者同盟)との闘争において、もっとも革命的なそれゆえにもっとも理論的一貫性をもった部隊として終始したのであった。そして、このような、先駆的運動を基礎に、西分派との綱領的闘争をつうじて確立されたわが同盟(革共同)全国委員会は、新安保条約をめぐる階級闘争の激化のなかで、慎重かつ印象ぶかく戦列の最前線に登場しつつ、その政治的経験を磨きあげ、組織的力量をゆたかにし、革命的プロレタリア党への道を全力をあげて前進したのであった(『逆流に抗して』参照)。
 一年有半の安保闘争、とりわけ三度にわたる政治ストを展開した六月闘争のなかで、わが革命的労働者が示した不屈の闘志と巧妙な組織力にたいして、われわれは、それをなによりも貴重なものとして確認しなければならないのである。わが同盟の精華である革命的労働者のこうした闘争、あらたにわが戦列に参加しつつある革命的労働者のこうした経験は、わが同盟全国委員会のプロレタリア的特性をいっそう鮮明にし、同時に、その中央指導部の理論的政治的指導力の強化とそれを可能にする、組織体制の新しい情勢に対応した確立を不可避なものとしているのである。そして、こうしたわが同盟全国委員会の思想的・政治的・組織的に統一された前進のみが、共産主義者同盟の解体的危機に表象される革命的左翼運動のあらたな再編の展開を、革命的マルクス主義の勝利にむかってみちびきうるのである。いまや、わが革命的共産主義運動は、安保闘争におけるプロレタリア運動の挫折と敗北、池田内閣の成立、三池闘争の敗退という新しい情勢の展開に対応しつつ、ここ一年半の革命的左翼の活動と組織戦術にかんする徹底的な総括に立脚し、その前進の展望を明確にうちだすべき重大な時点にたっているのである。敗北からよく学びうるもののみが、勝利の道をよく照らしうるのである。
 
 革命的学生運動と全国委員会
 
 このような革命的共産主義運動の前進は、同時に、全学連と革命的学生運動に「寄生」し、その大衆的声望にのぼせあがった小ブル的急進主義者――共産主義者同盟学連派との闘争を不可避とするのである。革命的労働者から共産主義者同盟になげかけられ深刻な批判からなにひとつ学ぼうともせず、それどころか逆に、こうした批判に対応した内部批判にたいして、ただ「右翼日和見主義」のレッテル粘りしかしえないところの、この現代の「革命の錬金術師」たちは、「むかしの錬金技師の固定観念のなかにあった思想的混乱と偏狭性をわかちもつ」ことによって「革命的奇跡をおこなうはずの考案に没頭」し、「現存政府の倒壊という手じかな目的以外には他のなんの目的ももたない」のである(マルクス「フランスの陰謀家とスパイ」参照)。政治的ボヘミアンたるかれら小ブル急進主義者たちの性格は、偏狭、自己過信、無節操、そして放ろうである。
 たとえば、こんにち、全学連執行部を掌握している共産主義者同盟の諸君は、七月はじめには安保闘争を「ブルジョアジーにたいする政治的勝利」と評価し、マルクス主義学生同盟の諸君にたいして「敗北など口にするのは敗北主義だ」と恫喝したにもかかわらず、九月はじめには、はやくも「勝利と総括したのは、過大評価であった」(全学連第二五回中央委員会報告)などと奇妙な自己批判をやってのけるのである。もちろん、かれらは、こうした変化について「情勢の発展が総括を豊富にし深化させたのだ」というであろう。だがこのような言訳は、かれらが、七月には安保闘争に有頂天になった大衆の熱気、九月には三池闘争の裏切られた挫折――敗退による大衆の敗北感を、素直に表現する大衆政治家でしかないことの、自己証左である。かくしてわが小ブル急進主義者は、時期はずれの「挫折感」に焦燥を覚えつつ、「最後のブルジョア政策」池田内閣にむかって「最後の突撃」をいどもうとしている。
 全学連指導部の「姫岡理論」と「東大意見書」の分裂に表象される小ブル的急進主義者の分解と没落の過程は、まさに、安保闘争の高揚と挫折――敗北からみちびかれた偉大な教訓の現実化である。なぜなら、四月――六月の政治的激動は、民同と日共の日和見主義を根底的に露呈させたばかりでなく、同時に、全学連の革命的学生運動に依拠し、ただそれに依拠することによって大衆運動の「左翼化」を意図したところの共産主義者同盟の小ブル急進主義的実態を暴露し、その解体の危機と没落を必然化したのである。共産主義者同盟の弔鐘は、かくてなりわたる!
 
 小ブル急進主義との決別
 
 われわれは、いまや、首都のわが革命的学生諸君の闘争を中心に、全学連指導部の小ブル急進主義にたいして断固とした闘争宣言を発しなければならない。こうした傾向を克服し、その頑固な信徒に別れを告げることなしには、わが革命的共産主義運動の前進は、けっしてありえないであろう。このようなわれわれの立場は、直接に大衆運動の分裂を意味するものではけっしてない。いなむしろ、こんにちでも革命的学生の多数が小ブル急進主義の規範のもとにあり、戦闘的労働者の多くが、革命的学生運動への同情と小ブル急進主義者への支持を混同している状況のもとにあっては学生戦線におけるわが革命的共産主義者の任務は、自己の組織的独立と理論的立脚点を確固として堅持し全学連指導部にたいするわれわれの批判を公然と大衆のまえに提示しつつ、もっとも戦闘的な戦士として革命的学生運動の先頭にたってたたかい、そして、こうした闘争をつうじて革命的学生と戦闘的労働者を小ブル急進主義の桎梏から解放し、革命的マルクス主義の旗のもとに結集することでなければならない。
 われわれのこのような断固とした小ブル急進主義者との闘争の展開は、かならずや、一方の極点に単純実践主義者を硬直させていくと同時に、他方の極点に、こうした状況に批判的な革命的マルクス主義者をつぎつぎと結晶させていくであろう。そして、.こうした両極分解の進行は、逆に、わが同盟全国委員会の強化を絶対的任務とするばかりか、その革命的脱皮すら不可避とするであろう。
 いまや、わが革命的共産主義運動は、五八年秋をはるかに上まわる新しい再編の時期をむかえようとしているのである。ブルジョアジーの衆望を担って登場した池田新内閣は、三池の激突の「調停者」としてみごとにその任をはたすことによって、新安保条約の強行成立をめぐる政治的激動の最後の波をブルジョア的に収束し、政治的安定を回復するという支配階級の最初の任務を成功させたのである。
 こうした政治的安定を基礎に一気に十一月総選挙に勝利したうえで、池田内閣は、治安体制を強化しつつ、大胆な財政投融資をテコに日本資本主義の飛躍的発展をかちとり、そのための徹底的合理化と教育のブルジョア的改革を強行しようとするであろう。われわれ革命的共産主弟者は、こうした新情勢に対処し、ただちに反撃の準備にとりかからなくてはならない。九・七文部省抗議、九二五首相官邸デモを突破口に展開される街頭デモンストレーションを基軸に、池田内閣の反労働者的攻撃の焦点と全体的姿を明白にプロレタリアートに説明し、暴露し、全戦線における個別的闘争を池田内閣打倒の一大契機としなければならない。こうした任務を真に革命的に遂行するためには、こんにちのわれわれの力は、いまだにあまりにも微弱である。だが、既成の「左翼」指導部から急速に分離しつつある革命的労働者の補強によって、このような状況を止揚すべき実体的根拠が獲得されるべき日は、いまや近づきつつあるのである。
            (『前進』一五号一九六〇年九月一五日 に掲載)