一 レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か
―プロレタリア革命を小ブル自由主義に改作する反革命カクマルの卑劣な策動について
本論分は、『前進』600号記念論文として一九七三年夏に執筆され、のち大幅加筆されて『共産主義者』24号1173年1月1日に発表された、わが同盟の立場を全面的にあきらかにした論文である。本論分は、二重対峙・対カクマル戦のただなかにおいて、ファシスト・カクマルがレーニン主義を小ブル自由主義に反革命的に解体しようとするペテン的論理を、完膚なきまでに批判することをとおして、帝国主義段階におけるプロレタリア革命の一般理論としてのレーニン主義を七〇年代に創造的に復権した力作であり、レーニン主義革命論、帝国主義段階論、プロレタリア独裁論、レーニン主義党組織論の全分野にわたって全面的に論じた綱領的論文である。
<はじめに> 二重対峙の前進と反革命カクマルの破産
第一章 レーニン主義の「批判的継承」とは何か
第二章 レーニン主義革命論の「後進国革命論」への反動的改作
第一節 構改型「先進国革命論」への追従
第二節 民族解放闘争の否定
第三節 プロレタリア革命と民族解放闘争との結合の否定
第四節 暴力革命論の否定
第三章 レーニン帝国主義段階論のカウツキー主義的な改作
第一節 段階論と農民保護政策の問題
第二節 帝国主義の世界支配とその分肢としての植民地体制の問題
第三節 帝国主義戦争とその内乱への転化の問題
第四節 帝国主義段階とその国独資政策の問題
第四章 プロレタリア独裁論の小ブル自由主義的な改作
第一節 国家の暴力性について
第二節 暴力革命について
第三節 プロレタリア独裁論について
第四節 プロレタリア革命の軍事綱領について
第五章 レーニン主義前衛党組織論の経済主義的改作
第一節 「区別と連関」論の経済主義的本質
第二節 プロレタリア革命と前衛党の関連性について
第三節 経済主義と民同追従の「本来の戦線論」
第四節 反革命的な武装襲撃集団への純化
<結論> 反革命カクマルのレーニン主義解体のペテン的作業を粉砕せよ
<はじめに>二重対峙の前進と反革命カクマルの破産
六九年の歴史的な四・二八沖縄奪還闘争をまえにして、わたしはつぎのように書いた。
「七〇年安保闘争の内外する諸条件のうちに日本革命の緊迫性をみいだしうるもののみが、したがってまた、切迫する日本革命に勝利するという実践的立場にふまえてたたかいうるもののみが、七〇年安保闘争の革命的爆発と、それを突破口とする七〇年代日本階級闘争の永続的発展において真の勝利をおさめることができるであろう。わが〃カクマル〃派が革命をすてるか、革命がわが〃カクマル〃派をすてるか――歴史が冷酷なる回答を与えることであろう。だが、いずれにせよ、カウツキー、プレハーノフらの背教者が、つねに革命を『賃労働と資本』の矛盾の純粋的発現形態として経済主義的に夢想しながらも『賃労働と資本』の基本矛盾を基礎として具体的に現実化する革命の緊迫性のなかで『これは革命ではない』『プロレタリアートの権力奪取は時期尚早だ』と現実の革命に敵対していったことは、偶然の一致とはいえない内的関連性をもつものとして確認しておく必要があるであろう」(『共産主義者』一九号、本多論文<本選集第四巻所収>参照)
いまや、答えは明白である。
六七年羽田以来の五年間の日本階級闘争、その革命的、内乱的、武装的な発展はわが革共同とその指導下の革命勢力を歴史の試練に耐えた強大な部隊に鍛えあげるとともに、革命的左翼からの右翼日和見主義的な逃亡分子カクマルを革命と完全に分離した小ブル自由主義の集団に追いやってしまった。カクマルは、革命をみずからすて、また革命からみずからをすてられたのである。
こんにち、日本のプロレタリア階級闘争は、権力の破防法攻撃、K=K連合を背景としたカクマルの反革命的襲撃との二重の内乱的対峙を確固として推進しつつ七〇年代革命の戦略的総路線、内乱・内戦―蜂起の準備にむかって一歩一歩、確実な前進をかちとりはじめた。革命のためにたたかう勢力と、革命を阻止するためにたたかう勢力との分岐は、現在では先進的プロレタリアートのみならず広大なプロレタリアート人民の共同の認識、共同の実践としてますます拡がり、ふかまろうとしている。このようなプロレタリア階級闘争の新しい革命的戦略配置の前進に恐怖した権力とカクマルは、二重対峙下の革共同・革命勢力の強化と、プロレタリアート人民への革命的影響の拡大を阻止するために、反革命カクマルがあたかも「革命をめざす戦闘集団」であるかのように装う必要にせまられはじめた。われわれの理論的、実践的な重砲火のなかで右往「左」往しながら、カクマルが苦しまぎれにうちだしたところの、かのカクマル式「反戦闘争」論のでっち上げと、それにもとづく小ブル平和主義の「実践」がそれである。
だが、このような反革命的な装いにあざむかれるほどプロレタリアートはお人好しではない。われわれの集中的な批判のまえに欺瞞的な装いの一つひとつがはぎとられ、いまやカクマル式「反戦闘争」論の反革命的本質はみるも無残な姿をさらけだした。同盟員やシンパに『前進』や『共産主義者』を読ますことすらできないほどに狼狽したカクマルの幹部諸君が、自分たちの悄愴感をいやすために最後にしがみついたものが、レーニン主義の「批判的継承」とか「批判的再構成」とかの名のもとにおこなわれているところのレーニン主義の小ブル自由主義的な改作であり、改作された「レーニン主義」をもってするカクマル式「反戦闘争」論の「理論的」粉飾の作業である。
もちろん『前進』や『共産主義者』の批判にまともに反論することすらできなくなるほど混乱してしまった朝倉=池上らは、新しい論文を書く能力も余裕もなくなってしまっているおのれのみじめな現実を隠蔽するために、すでに反古(ほご)としての意味しかもたなくなっている昔の論文をひろいだしてきて、それに依拠して当座をしのごうと考えたのである。かくして急拠不様な姿で出版される不幸にであったのが、『批判の武器』第二集にかきあつめられたレーニン主義の反革命的改作にかかわる諸論文であり、『レーニン「国家と革命」への疑問』と題する黒田の雑文である。だが、不幸はいつまでもついてまわるものらしい。なぜならば、レーニン主義『批判の武器』や『レーニン「国家と革命」への疑問』をだすことによってカクマルがいかに「革命的な」装いをこらそうと努力しても、かえってその本質が、レーニン主義革命論の解体にあることを雄弁に証明し、かれらの反革命的努力を無にしてしまったからである。
おそらくは権力やカクマルにも「明知」のある人もあろうから、これらの小冊子が回収されるか修正されるかする日はそう遠くはないであろう。だが、現場をとらえてはなさない、というわれわれの批判精神からいって、レーニン主義の反革命的解体をかくも「古典的」におこなったカクマルの「労作」をみのがすことは失礼というものであろう。以下は、カクマルによるレーニン主義解体の作業(といってもそれは、ペテン師の「労働」のようなもので、なんの価値も創出するものではないが)を「批判的」に「再構成」することによって、その反革命的本質を決定的にあばきだし、あわせてレーニン主義革命論を革命的核心において全面的に対置し、それを現代革命の課題にみのり豊かに適用・発展させる基礎をつくりだすための「最初のあいさつ」というところである。
第一章 レーニン主義の「批判的継承」とは何か
レーニン主義革命論にたいするカクマル式改作の反革命的本質は、かれらのレーニン主義革命論の「批判的再構成」なるものの卑劣な手口をかんたんに検討するだけでも、十二分にあきらかにすることができるであろう。
第一の卑劣な手口は、レーニン主義革命論を「帝国主義段階におけるプロレタリア革命の普遍的本質論」、いいかえるなら、プロレタリア革命論の特殊段階的な一般理論を確立したものとしてうけとめ、その現代的な発展を追求するという実践的立場を徹底的に否定し、批判的再構成の名のもとにレーニン主義革命論の革命的核心を解体する方法をとっている点にある。それゆえ、かれらは、レーニンの革命論、段階論、国家論、党組織論などについてスコラ的な分析をおこなうが、それは窮極のところ「レーニンの限界と問題点」なるものを抽出するためのものでしかなく、しかも、それは、「ロシア革命=後進国革命」論、植民地・従属国革命からの「民族解放」の戦略的課題の追放、帝国主義論のカウツキー的理解、プロレタリア独裁=暴力革命論の解体、革命的前衛党組織論の経済主義的歪曲など、決定的な論点においてレーニンの革命的主張をすべて否定し解体するためにおこなわれているのである。いわばカクマルは、レーニン主義革命論の核心的主張点を破壊するために、レーニンの「批判的再構成」というペテン的作業に熱中しているのである。
第二の卑劣な手口は、帝国主義段階論の確立以後、飛躍的に発展したレーニン主義革命論を核心的につかみとり、それをもって以前の理論の実践的問題意識をうけとめ、限界を克服し、その内容豊かな発展を追求するという実践的立場を徹底的に否定し、レーニン主義革命論の「初期、中期、後期」というスコラ的な区別だてをもってレーニン主義革命論の内在的な発展を解体する方法をとっている点にある。それゆえ、かれらは、種々の理論問題、戦略問題について、段階論確立以後と以前を機械的に対比し、後者の問題性をことさらに強調するのであるが、それは、段階論確立以後の革命論の意義を明確にし、それをもって以前のそれの実践的問題意織を内在的に発展させるためではなく、確立以後においても以前の「誤謬」がいかに残っているかを証明し、全体としてレーニン主義革命論が二〇世紀のプロレタリア革命の特殊段階的な一般理論をなすものであることを否定するためにおこなわれているのである。いわば、カクマルは、レーニン主義革命論の実践的問題意識、その内在的な発展を解体するために、レーニンの「初期、中期、後期」という区別だてをペテン的に「構成」する作業に熱中しているのである。
第三の卑劣な手口は、レーニン主義革命論の決定的核心をなす帝国主義論を「資本主義の帝国主義段階におけるプロレタリア革命論の特殊段階的な一般理論」を基礎づけたもの、戦争と革命の時代に生きるプロレタリアートの基本的な時代認識を基礎づけるものとして現代的内容においてうけとめる実践的立場を徹底的に否定し、一方では帝国主義のカウツキー的理解、他方では現代世界=ポスト帝国主義段階論を口実としてレーニン帝国主義段階論の現代革命論としての意議を解体する方法をとっている点にある。それゆえかれらは、レーニンの『二つの戦術』にたいしてトロツキーの『結果と展望』を対置し、トロツキーの「帝国主義段階への突入の直感的認識」なるものを無内容に主張するのであるが、それは、かれらの「批判的再構成」なるものの理論的な粗雑さと不誠実を自己暴露しているばかりか、かれらの段階論の理解そのものが、レーニン帝国主義段階論とはまったく異質なものであることを明瞭に確証するものとしておこなわれているのである。いわばカクマルは、段階論の革命的意義、現代革命の一般理論としてのレーニン主義革命論を解体するために、帝国主義論のカウツキー的改作やトロツキーの「段階論への直感的認識」などというペテン的作業に熱中しているのである。
第四の卑劣な手口は、レーニン主義革命論を現代革命の基本戦略としての「反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略」、七〇年代革命の戦略的総路線としての「戦後世界体制の危機を反帝・反スタ世界革命へ!」「アジアを反帝・反スタ世界革命の根拠地に!」「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」「たたかうアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ!」を根底的に基礎づけるものとして発展させる実践的立場を徹底的に否定し、レーニンの「批判的再構成」なるものをもってレーニン主義革命論の実践的、現在的貫徹を解体する方法をとっている点にある。それゆえ、かれらは、レーニンの再構成とか継承とかいう言葉を洪水のように使用し、レーニンの「再構成」にかんするスコラ的な解説をながながとのべたてながらも、そのじつ、かのカクマル式「反戦闘争」論、カクマル式「ベトナム革命」論にみられるように、現代革命の実践的核心点においてはことごとくレーニン主義革命論の基本的命題の適用に反対し、その実践を破壊しようとしているのである。いわばカクマルは、レーニン主義革命論とその基本的命題の実践的=現在的貫徹を粉砕するために、レーニンの「批判的再構成」というペテン的作業に熱中しているのである。
第五の卑劣な手口は、カクマルの十・八羽田以来のたびかさなる裏切りの歴史をおしかくし、あたかもそれが、レーニン、トロツキーの革命的伝統をひきつぐものであるかのようにみせかけることを狙っている点である。いわばカクマルは、レーニン主義革命論を案切りを合理化するために再構成する方法をとっているのである。そもそもカクマル『批判の武器』第二集は、第一集と同じく全体が現実の階級闘争と無縁なスコラ主義的おしゃべりにみちているのが特徴であるが、例外的にただ一カ所「トロツキー『結果と展望』の学習のために」という論文の冒頭において日本階級闘争の分析らしきものが一ページほど記述されている。その最初の部分はつぎのとおりである。
「一九七〇年―六七・十・二一闘争以来三年間にわたって熾烈に闘い抜いてきた我々の死力 を賭けた闘いにもかかわらず、七〇年安保=沖縄闘争は日本帝国主義の勝利をもって終らざ るをえなかった」
この文章は、こんなに短い文節であるにもかかわらず、真面目に検討しようと思えば一語ごとに批判しなければならないほど誤謬と虚偽にみちみちている。しかし、いまここではゴジック体にした右の部分についてだけ注意を呼びおこしておこう。すなわち、この論文の真の筆者である黒田寛一は、一九六七年以来の激闘の起点を十・八羽田ではなく十・二一デモにおいていることをはっきりと告白しているのである。ところでカクマルにとって六七年十・二一とは何を意味しているであろうか。それは、第一には十・八羽田闘争の大爆発に敵対して協会派、構改派、カクマルの共同闘争を組織し、機動隊の指示どおり平和デモをおこなった日であり、第二には、十・八羽田闘争の大爆発にたいし、「悪名たかきブハーリンの電撃的攻勢論の再版」という非難を権力と相呼応してわめきたてた日であり、第三には、革命的左翼の陣営からの反革命的分離を決定づけた日であった。いわば、羽田を突破口とした革命的永続闘争にたいし、カクマルが反革命的な「死力を賭け」て「熾烈に闘い抜」くことを決定したのが、カクマルにとっての六七年十・二一であったのであるが、にもかかわらず、そのような反革命的行為があたかも革命的闘争であるかのようにえがきだそうとするところにカクマルの卑劣な手口がいつもかくされている。かくのごとくレーニン主義革命論の「批判的再構成」も、階級闘争の「革命的再編成」も、カクマルには革命理論の解体、革命運動の解体いがいの何ものでもないのである。
総じていうならば、レーニン主義革命論にかんするカクマルの「批判的再構成」という名のペテン的解体作業の本質は、その卑劣な手口の数々からも明白のように、レーニン主義革命論の帝国主義段階におけるプロレタリア革命の特殊段階的な一般理論としての現代的意義を否定し、レーニンの言葉をもってレーニン主要革命論の革命的核心を解体し、それを帝国主義の利益と調和しうる小ブル自由主義の綱領に「再構成」しようとする反革命的策謀いがいの何ものでもないのである。それゆえ、かれらは、レーニンの文章を引用し、レーニン主義の理論的限界なるものについて分析するが、レーニン主義革命論をいっさいの改良主義、経済主義、小ブル平和主義から区別する核心的要素については否定するか、沈黙するかするのである。
第二章 レーニン主義革命論の「後進国革命論」への反動的改作
レーニン主義革命論にたいするカクマルの「批判的再構成」なるものの反革命的本質について、前章においてその卑劣なペテン的手口を検討し、それがレーニン主義の小ブル自由主義への反革命的改作にほかならないことを暴露したので、つぎには、カクマルの「批判的再構成」なるものの具体的な内容を積極的に検討し、かれらの卑劣な手口によって生みだされた反レーニン主義的改作の一つひとつを粉砕し、レーニン主義革命論の現代的発展の道を解明していくことにしよう。
レーニン主義革命論にたいするカクマルの反革命的改作の第一の基軸をなすところのものは、レーニン主義革命論の「帝国主義段階におけるプロレタリア革命の特殊段階的な一般理論」としての意義をまっ殺し、レーニン主義革命論をカクマル式「後進国革命論」なるものに歪曲しようとするところにある。
カクマルの「野原拓」はいう。「マルクスは産業資本主義段階に立脚しつつ、世界革命戦略の本質論的解明をおこなったのであるが、レーニンは帝国主義段階に立脚してマルクス革命論を再構成しつつ、帝国主義段階における後進国革命論を前衛党組織論を基軸として展開したのだ」(『批判の武器』第二集、五〇ページ ゴジは引用者)と。くりかえし強調される「レーニン主義革命論=帝国主義段階における後進国革命論」というカクマル式図式のなかから比較的に表現のまともなものをここに引用したのであるが、しかし、そのことは、ただそれだけで、かれらの誤謬と欺瞞の実体をなんぴとも疑いえない明瞭さで暴露するための前提的作業をなしているのである。
第一節 構改型「先進国革命論」への追従
さて、それでは、レーニン主義革命論を後進国革命論なるものに改作するカクマルの誤謬と欺瞞の特徴はどこにあるのであろうか。
第一の特徴は、いうまでもなく、ロシア革命がソビエト形態をもって実現された帝国主義本国のプロレタリア革命、抑圧民族内のプロレタリア革命であったという事実をあいまいにし、レーニン主義革命論がまずもって帝国主義本国のプロレタリア革命論、抑圧民族内のプロレタリア革命論であったという意義を清算しようとする点にある。いいかえるならば、カクマルは、レーニン主義革命論を後進国革命論なるものに歪曲することによって、帝国主義本国におけるプロレタリア革命にたいするレーニン主義革命論の原則的適用に疑問をなげかけ、いわゆる先進国革命論の名のもとに非レーニン主義的内容を密輸入する余地をつくりだそうとしているのである。
では、ロシア革命がまずもって労兵ソビエトを基礎とした帝国主義本国のプロレタリア革命であったことの意義にたいしカクマルが首尾一貫して否定し、ロシア革命=後進国革命説、レーニン主義革命論=「帝国主義段階における後進国革命論」説をとる問題性は、いったいどこにあるのであろうか。
第一には、帝国主義段階論のロシア社会への適用を解体することである。つまり、黒田とその無批判的な追従者たちは、ロシアの後進性なるものが、本質的には帝国主義諸列強間の問題、最強の資本主義諸国家間の問題であることを意図的に無視まっ殺し、あたかもロシアが帝国主義国ではなかったかのような虚構をつくりあげようとしているのである。ロシア帝国主義が、オーストリア=ハンガリー帝国とまったく同様に「諸民族の牢獄」とでもいうべき多民族国家として国家の形式的統一性のなかに支配民族と被抑圧民族の問題をかかえこんでいたこと、また、もっとも近代的な機械制大工業の発達とならんで前近代的な地主制度が広範に存続し、いまだ達成されざるブルジョア的農民革命が革命的な出口を求めて矛盾をふかめていたこと、の二点について、もとよりわれわれはいささかも過小評価しようとは考えていない。いなそれどころか、われわれは、ロシア革命が直面したこの二つの課題をもっとも重視するのであり、いささかなりともその意義をあいまいにするものにたいしては非妥協的な敵対的態度をもって臨まなくてはならないのである。このようなわれわれの態度は、ロシア社会=後進的といった一般的規定への妥協をいささかも意味するものではなく、むしろいわゆるロシア的後進性の現代的な意義をあきらかにする立場にたつものなのである。なぜならば、ロシア帝国主義の多民族国家的な構造、また、広大な農民=農業問題の存在は資本主義の世界史的発展段階に規定されて、第一には、ロシアにおける資本主義の発達が金融資本の形態をもって資本の本源的蓄積をおしすすめるかたちを基本的にとらなくてはならなかったこと、第二には、資本主義の最強の諸国による世界の分割に対抗して従来のツァー的な版図を多民族国家として再編・強化し、さらに列強的地位をたかめるためにバルカンとアジアの再分割を求めざるをえなかったこと、という二つの帝国主義的な存立条件を根拠としているのであり、断じてロシア社会の一般的な後進性の結果ではないからである。それゆえ、ツアー国家は、単純に中世的諸関係の残存に照応した絶対主義権力とみなさるべきではなく、前近代的な諸関係の広大な網を残し、それを利用しながら帝国主義的列強の道をあゆむロシア資本主義の、その危機的な構造に照応したブルジョア権力、すなわち、ボナパルティズム型の権力としてとらえかえされなくてはならないのである。
第二には、ロシア革命が帝国主義の世界支配のもっとも弱い環をぶちやぶって誕生し、世界革命の永続的発展をきりひらいたプロレタリア革命であり、労兵ソビエトを基礎とし、農民と被抑圧民族に同盟し、連帯したプロレタリア革命であったことの意義をまっ殺し、後進国革命という正体不明な規定にロシア革命を封じこめることである。すでにのべたように、ロシア資本主義の金融資本的な形成は、民族=植民地問題、農民=農業問題という二つの巨大な課題を、ロシア=ツアー帝国主義権力を打倒するロシア・プロレタリア革命に直接に結びつける社会的基礎をもたらした。レーニンを先頭とするロシア・ボルシェヴィキはこの二大課題との対決をひとときもゆるがせにすることなくたたかい、プロレタリア革命の戦略体系のなかにみごとにとりこんでいった。農民=農業問題、民族=植民地問題の革命的解決がプロレタリアートの革命的前衛党の指導のもとに達成されるのか、それとも独自の政党とプロレタリア党の連合のもとに達成されるのか――このような世界史的設問にかんしては、レーニンは正しくも慎重な態度をとった。しかし、三つのロシア革命とそのためのロシア・ボルシェヴィキの闘争の経験は、帝国主義段階における民族=植民地問題、農民=農業問題は、基本的には、プロレタリア革命を基礎とし、それと結びついてはじめて根底的に解決しうることを証明したのである。事実の問題としても、ロシア十月革命は、まずもって都市におけるプロレタリアートの革命的決起が兵士の革命的決起と結合し、労兵ソビエトを基礎としてブルジョア権力を暴力的に打倒し、労兵ソビエト臨時政府を樹立するたたかいを基軸としてうちぬかれたのであり、農民の革命的決起、被抑圧諸民族の人民の革命的決起は、労兵ソビエト権力の主導的な発展にひきだされ、それにならぶかたちで成長したのである。もちろん、プロレタリアートは、プロレタリアートの革命的前衛党の指導を基礎として、農民や被抑圧民族の人民のたたかいが独自の革命的発展をとげることを積極的に促進し、その勝利のために重大な努力をはらうであろう。しかし、このような闘争は、プロレタリアートの革命的な独裁権力を樹立するところまで発展しなくては、窮極の勝利を手にすることはできないのである。ロシア革命の経験と、その指導理論としてのレーニン主義革命論の核心は、カクマルの「後進国革命論」のような正体不明の没理論的な歪曲をはっきりと拒否しているのである。それゆえ、こんにち、われわれに必要なことは、カクマルのようにレーニン主義革命論を「帝国主義段階における後進国革命論」なるものに再構成することではなく、あくまでもプロレタリア独裁を樹立し、それにもとづいて、農民=農業問題と民族=植民地問題を解決する物質的組織的な根拠をたたかいとることにあるのである。
第三には、現代帝国主義を打倒するたたかいにたいし、レーニン主義革命論を適用することを拒否し、いわゆる先進国革命へのレーニンの不適用性を結論づけることにある。いわば、カクマルの坊っちゃんたちは「革命的」ポーズを装うためにひとまずレーニン主義革命論を承認するふりをしてみせる。ところが、承認したはずのレーニン主義革命論は、あくまでも「後進国革命論」なるものに批判的に再構成されなくてはならないのであり、そのような限定された意味においてのみ意義を有するにすぎないのである。したがって、結論的には、いわゆる先進国革命論にたいしては、レーニン主義革命論は批判的に再構成する必要すらないのであり、まったく無縁なのである。だからいわゆる先進国で「たたかう」わがカクマルには、レーニン主義革命論は、イデオロギー的批判の素材ではあっても、実践的指標ではまったくあってはならないのである。まったくうまいペテンを考えついたものである。これでは、日共宮本路線にレーニンを調和させようと四苦八苦している不破先生の方がカクマルよりも要領が悪いかのようである。もっとも、われわれの「レーニン主義革命論=帝国主義段階における後進国革命論」説への強烈なパンチに卒倒し、前後不覚の混乱におちいってしまった黒田は、やがては自分が代々木よりも劣っていることに気づき、手下のペテン師たちを使ってカクマル式小ブル自由主義にレーニンを調和させる策謀をはじめることであろう。この分野でも日共に五〇歩も一〇〇歩も遅れをとっているかれらは、こざかしい文句をはきちらしながら、宮本=不破や向坂を後からいっしょうけんめいに追いかけはじめることであろう。そして、合法左翼の主座をめぐっていっそう醜い争いをくりひろげていくであろう。しかし、わがカクマルがどうあがこうとも、レーニン主義革命論を小ブル自由主義に調和させ、レーニン主義革命論をカクマル式先進国「革命」論に改作することは、まったく不可能なのである。
ところで、周知のように、現代の帝国主義は、三〇年代以後、国家独占資本主義政策と呼ばれる一連の政策的傾向をうちだしてきた。とくに管理通貨制度を基礎とした人為的な景気刺激政策は、資本主義の基本矛盾の爆発形態としての恐慌をきわめて撹乱的な姿態にうつしだす機構をつくりだした。このような現代帝国主義の政策的傾向は、他の種々の政策と結合することによって、帝国主義段階とは異った一定の段階、あるいは、帝国主義段階内の一定の亜段階が到来したかのように理解する日和見主義の諸潮流を生みだしたのである。そしてまた、このような日和見主義の諸潮流は、レーニン主義革命論の実践的=現在的な貫徹を妨害する理論的な障壁の役割をはたしはじめているのである。しかし、このような日和見主義的見解は、次章でみるように資本主義の世界史的な発展段階の理解においてマルクス経済学のイロハ的水準以下の誤りをおかしているである。いわばかれらには、段階論の指標をなす蓄積様式論の問題と、その基礎のうえに具体的に展開される政策論の問題との次元の質的な違層がまったくわかっていないのである。もともと、現代の帝国主義は、金融資本的な蓄積様式に立脚しつつも、帝国主義から社会主義への世界史的な過渡期、そのもとでの国際階級闘争の内乱的激化という政治的条件に規定されることによって、帝国主義の経済的、政治的な諸矛盾を人為的に迂回し分散させる政策的措置をたえずとらざるをえなくなり、その結果、帝国主義の経済的、政治的な諸矛盾は、いっそう深刻なものとなり、体制的な危機としての性格をいっそう強くせざるをえないのである。現代帝国主義のこのような傾向は、日和見主義的な諸見解が夢想するように、帝国主義が国有の諸矛盾を解決しつつ、あらたな歴史的発展力を創出している過程とみなさるべきものではなく、あくまでも帝国主義に固有な諸矛盾がふかまり、いっそう困難な条件のなかで自己を貫徹している姿態としてみなさるべきものなのである。つまり、レーニンの帝国主義段階論は、現代帝国主義への不適用性が問題となるべきものなのではなく、その実践的、現在的な適用が問題とならなくてはならないのである。
したがって、現代のプロレタリア革命をめざす革命的共産主義者党にとってこんにちなによりも大切なことは、ロシア革命が「後進国革命」であったという構改派的な歪曲に共鳴することでもなく、また、ロシア革命は「後進国におけるプロレタリア革命」であったというカクマル的な折衷主義に共鳴することでもないのであり、まずもってロシア革命を「帝国主義本国でのプロレタリア革命」「抑圧民族内のプロレタリア革命」として本質的に把握し、ロシア革命がうちだした革命的諸原則を現代の帝国主義国のプロレタリア革命、現代の抑圧民族内のプロレタリア革命に確固として適用・貫徹していくことでなくてはならないのである。
第二節 民族解放闘争の否定
第二の特徴は、ロシア革命を後進国革命なるものに歪曲し、レーニン主義革命論を後進国革命論なるものに歪曲する当然の結果として植民地・従属諸国の人民の革命にかんするレーニン主義的原則から「民族解放」の戦略課題を清算しようとする点にある。いいかえるなら、カクマルは、ロシアのような後進帝国主義本国の革命と植民地・従属国の民族的被抑圧人民の革命との区別をまっ殺し、「後進国」という概念を帝国主義的な支配=被支配の関係から超越した純経済主義的な内容にすりかえ、帝国主義本国の革命にも植民地・従属国の革命にも共通した観念的な「後進国革命」なるものを創造することによって、現実には、帝国主義の民族抑圧とそれにたいする被抑圧人民の民族解放のたたかいの問題を、現代革命の課題から完全に追いだそうとしているのである。
では、後進国という概念を帝国主義の支配=被支配の関係を捨象した純経済主義的な内容にすりかえ、帝国主義本国にも植民地・従属国にも共通した観念的な「後進国革命」なるものを創造するカクマルの問題性はどういうところにあるのであろうか。
第一には、帝国主義の世界支配の不可欠の分肢としての植民地・従属国支配体制を否定し、帝国主義による植民地・従属国の人民への民族的抑圧の現実を擁護していることである。
周知のように、ヨーロッパを中心として世界史的に形成された資本主義は、商人資本の巨大な蓄積と封建的な農村共同体の分解を歴史的前提として、商人資本的蓄積様式から産業資本的蓄積様式への世界史的な推転をとおして発展した。このような世界史的な過程は、封建制を解体し、世界市場をつくりだし、資本の巨大な生産力とプロレタリアートの大量的な産出をもたらし、かくすることによって共産主義革命の条件を成熟させるものとして、ひとつの進歩的な過程であった。しかし同時にまた、このような世界史的な過程は、イギリス資本主義におけるエンクロージャーやインド植民の歴史をみてもあきらかのように、銃と剣をもって直接生産者から生産手段と社会的富を暴力的に略奪する過程を本源的な条件とするものであり、いわば搾取と支配、収奪と抑圧という悲惨を全世界にまきちらし、普遍化する過程でもあった。
もちろん、資本主義がそれじしんとして特殊歴史的な一社会をなすためには、労働力の商品化を基礎とした資本蓄積の発展をもって旧社会を解体し、その特有の運動のうちに社会的生産を実現することが必要である。それゆえ、また、資本主義は、それじしんの基本矛盾を労働力の商品化、すなわち、賃労働という特殊歴史的な姿態をもって実現するのであり、恐慌という資本制的な破壊現象をもってその基本矛盾を周期的に爆発させ、それをとおして歴史的発展の条件を獲得するのであり、いわば資本主義は、労働力の商品化と、その矛盾の恐慌的な解決という非人間的な形態をとって歴史的生命力を獲得し、維持してきたのである。したがってまた、資本主義の固有の矛盾としてプロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争を必然的に生みだすのである。
しかし、同時に、こんにちはっきりと確認されなくてはならない点は、資本主義が、工業と農業、都市と農村の矛盾の問題をそれじしんとして根底的に解決することはできず、農業問題を排除する方法をとってそれを形式的に解決したということである。いいかえるならば、資本主義は、賃労働という特殊歴史的な形態をもって社会的労働過程を資本制的に包摂した結果として、内在的には労働力の商品化という固有の基本矛盾を生みだすとともに、その外部に農業問題を排除し、資本主義的生産様式の歴史的な限界性をみずから刻印したのである。ただ自由主義段階において資本主義が順調な発展をとげているあいだは、このような資本主義の歴史的な限界性は、あくまでも消極的な要素にとどまり、世界市場的にはイギリス資本主義を先進国とし、他の資本主義を後進国とする関係としてひとまず処理しえたことは、いうまでもないところである。
ところで、イギリス資本主義とインド植民地との関係として古典的な姿を示した、いわゆる民族=植民地問題は、民族的な抑圧=被抑圧という独自の領域、民族的な反乱と植民地戦争の対立という独自の領域を恒常的にともないながら、資本主義による農業問題の排除的な解決の矛盾をもっとも鋭い形態でつきだしたのである。もとより資本主義の自由主義段階にあっては、形式的には、いわゆる民族=植民地問題は、民族ブルジョアジーの形成とそれを基礎とした民族国家の確立というブルジョア的形態をとって解決されるとしたのである。しかし、現実にはわずかな例外を除いて、そのような解決の可能性は、あくまでも植民者の独立という内容において与えられたのであり、いわば支配的ヨーロッパと被支配的世界の関係を小世界的に再生産するものでしかなかったのである。つまり資本主義の重商主義段階、自由主義段階において民族的な主権国家を真に確立しえたのは、イギリスをはじめフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、オランダ、オーストリア=ハンガリー、アメリカ、ロシア、日本など若干の資本主義的な強国だけであり、他の諸国の独立は、いわば少数の資本主義的な強国のあいだの具体的な覇権と勢力均衡の結果として与えられたものにすぎなかったのである。いわばいわゆる民族=植民地問題は、民族ブルジョアジーの形成とそれにもとづく民族国家の確立というブルジョア的形態をとって解決されるものとされたのであるが、それはあくまでも一連の強国の傾向を形式的に確認したものでしかなかったのである。
しかしながら、資本主義の帝国主義段階への世界史的な推転は、一方では、農業問題を資本主義的帝国主義の特殊段階的な矛盾として重大化させるとともに、他方では、資本主義的な諸列強による世界の分割と再分割の問題、民族的な抑圧=被抑圧の関係の全世界的な構造化とそれにもとづく矛盾の爆発を決定づけたのである。すなわち、帝国主義は、資本主義的な諸強国による世界の分割の終了、金融資本的蓄積様式の確立を二つの条件として、従来のように農業問題を「外部」に排除して解決する方法から農業的小経営をそのまま金融資本的秩序に包摂し、社会的な資金集中と労働力調整の機構に再編していく方向に政治経済構造を段階的に推転するとともに、農民=農業問題の矛盾の爆発がプロレタリア革命と戦略的に結合していくのを阻止し、農民収奪機構を維持するための種々の政策的な措置をとりはじめるのである。他方、帝国主義は、イギリス帝国主義とドイツ帝国主義の対立を基軸とし、そのもとにフランス、ロシア、オーストリア=ハンガリー、アメリカ、日本などの帝国主義諸列強の対立を集約・再編しつつ、世界の再分割をめぐって激烈な抗争をもたらした。帝国主義諸国は、金融資本的蓄積様式にもとづく矛盾を他者に転嫁し、世界の再分割戦において自己に有利な勢力関係をつくりだすために、帝国主義列強間の対抗と同盟をおしすすめるとともに、資本主義的に最強な諸国と他の諸国、諸地域との関係を、自由主義段階における「先進国と後進国の関係」とは質的に性格を異にするところの「帝国主義と植民地・従属国の関係」に段階的に推転せしめたのである。
もとより、バルカンにおけるロシアやオーストリア=ハンガリーの政策、ラテン・アメリカやフィリピンにおけるアメリカの政策にみられるように、帝国主義と植民地・従属国の関係の世界的な形成は、植民地・従属諸国の「独立」を機械的に排除するものではなく、形式的な独立を推進しつつ、それを新しい政治的、経済的な従属関係に再編する傾向をともなって進行したのである。つまり、帝国主義段階における植民地・従属国体制は、一方では、従来にもましてより露骨で、より凶暴な民族抑圧を全世界的に一般化し、日常化するとともに、他方では、民族運動に妥協し、これに形式的な独立を与えたり、あるいは、民族運動をたくみに利用して旧宗主国からの独立をはかりながら、現実には新しい政治的、経済的な従属関係をつくりあげ、民族抑圧をいっそう強化する、という二つの方法をむすびつけあって成立しているのである。いわば形式的な独立すら奪われている圧倒的な従来の植民地とならんで、形式的な独立のもとで新しい植民地的な民族抑圧を強制される国ぐにがここに生みだされたのである。それゆえ、形式的な独立性のいかんにかかわらず、帝国主義的な民族抑圧は、帝国主義の世界支配の不可分の肢体としての位置を構造的にもつにいたったのであり、民族=植民地問題の根底的な解決は、ただプロレタリア世界革命の道においてのみ可能となったのである。
こんにち、アメリカを中心とする帝国主義諸列強は、特殊戦後的な条件のもとで、植民地・従属国の人民にたいする支配の機構を再編成し、民族的な抑圧を維持するために、もっとも陰険で、もっとも凶暴な攻撃をくわえている。すなわち、第二次世界大戦とそれにもとづく旧宗主国の伝統的な植民地支配の崩壊、民族解放闘争の壮大な高揚と、それのプロレタリア世界革命との結合の方向、という種々の条件のもとで、戦後帝国主義は、基本的には、旧植民地諸国の独立を承認しながらも、それらを新しい政治的、経済的な従属関係に再編成し、後進国・半植民地の人民にたいし新しい民族抑圧を強制し、民族=植民地問題の革命的解決をめざして前進するたたかいにたいしては、凶暴な武力的攻撃をもってこたえてきたのである。それゆえ、帝国主義諸国と後進国・半植民地諸国の戦後的な関係を帝国主義的な支配=被支配の関係として科学的に理解することに敵対し、あたかもそれが帝国主義的な支配=被支配にかかわりのない経済主義的な関係(つまり、自由主義段階におけるイギリス資本主義とドイツ資本主義の関係のようなもの)であるかのようにえがきだす反革命カクマルの策動は、帝国主義の現実の民族抑圧を美化し、帝国主義戦後世界体制の重大な構成要素をなしている現代植民地体制を擁護しようとする許しがたい反人民的攻撃いがいのなにものでもないのである。
第二には、現代プロレタリア革命における民族=植民地問題の意義を無視まっ殺し、後進国・半植民地人民の民族解放闘争のプロレタリア的発展を妨害しようとしていることである。
すでにみてきたように、帝国主義の世界支配は、その不可分の肢体として植民地・従属国支配体制を生みだし、それを帝国主義の延命のための重大な条件とするのである。それゆえ、植民地・従属国の人民は、帝国主義的な民族抑圧をうちやぶり、真の解放をかちとるためには、帝国主義の暴力的な民族支配をプロレタリアート人民の革命的暴力をもって粉砕し、まずもって民族解放闘争の決定的な勝利を達成しなくてはならないのである。また、全世界のプロレタリアートは、自己解放のための世界革命の事業の重大な一環として民族解放闘争を位置づけ、民族=植民地問題の世界史的な解決のために前進しなくてはならないのである。まさに、植民地・後進国の人民の民族解放闘争とプロレタリア世界革命をむすびつけ、両者の正しい発展的解決の道をきりひらいたところに、レーニン主義革命論のもっとも現代的な特徴のひとつがあるのである。レーニン主義革命論を実践的=現在的に貫徹しうるかいなかの重大な試金石のひとつは、ほかならぬ民族=植民地問題にたいするプロレタリア革命の戦略的=理論的な展望をうちだしうるかどうかにかかっているのである。
ところで、われわれは、現代プロレタリア革命における民族=植民地問題の革命的意義、民族解放闘争にたいするプロレタリア革命党の原則的態度としてつぎの五つの視点を提起してきた。すなわち第一点としては、民族=植民地問題を真に解決するためには、プロレタリア世界革命の達成とそれにもとづく共産主義の実現を世界史的にかちとらなくてはならないことである。われわれは、スターリン主義者のように、民族問題の根底的解決をブルジョア的主権国家の確立の問題や一国社会主義論にもとづく自力更生的な社会建設の問題にすりかえるのではなく、あくまでも帝国主義の全世界的な打倒とそれを世界史的な前提とした共産主義の実現、国家とその国境的障壁の死滅を展望した共産主義的な原理のなかに設定するのである。第二点としては、民族=植民地問題を真に解決するためには、プロレタリア独裁国家とプロレタリア革命党の指導をまずもって実現しなくてはならないことである。われわれは、スターリン主義者のように、民族=植民地問題をプロレタリア革命から切断し、二段階戦略的に固定化するのではなく、あくまでもプロレタリア革命党の指導のもとにプロレタリア独裁国家をかちとり、それを維持していくなかで解決していくのである。第三点としては、植民地・従属国の人民の革命的決起において決定的な戦略課題をなすところのものは民族解放と土地革命である、ということである。われわれは、もとより民族解放と土地革命の問題を二段階戦略の枠のなかに限定するスターリン主義者の見地に反対する。しかし、同時に、二段階戦略反対の名にかくれて民族解放と土地革命の戦略課題を否定し、それをプロレタリア革命から切断する経済主義者の見地にも反対する。土地革命をもって農民を植民者の大プランテーションや地主の土地支配から解放するとともに、帝国主義の民族抑圧を決定的にうちくだくたたかいをとおして植民地・従属国のプロレタリアート人民を解放の主体としてうち鍛えていくこと、まずもってこの一点に植民地・従属国の人民の革命的決起の中心課題があるのである。第四点としては、プロレタリアートとその革命的前衛党の指導のもとに農民の圧倒的な動員をかちとることである。もともと民族=植民地問題の社会的内容は、農民=農業問題である。われわれは、民族解放と土地革命を戦略的テコとして農民の圧倒的な動員をかちとることによって、民族=植民地問題の革命的解決の政治的基礎をうちかためることができるのである。第五点としては、帝国主義にたいする革命戦争が、基本的な動員形態、基本的な戦闘形態となる、ということである。民族解放・革命戦争は、帝国主義の民族抑圧をうちくだき、人民の自己解放の主体的陣地を形成するための人民の革命的暴力の主要な現実形態である。それは、帝国主義の民族抑圧をうちくだくための最大の闘争手段であるとともに、帝国主義にたいして植民地・従属国のプロレタリアート人民の革命的動員をかちとり、その革命的能力、革命的共同性をうち鍛える主要な組織形態をなしているのである。まさに、以上の五つの視点を、帝国主義の反人民的な攻撃とスターリン主義者の反革命的な歪曲からまもりぬき、その発展をただしくみちびきだすことが現代プロレタリア世界革命における民族解放闘争の戦略的意義の基本的な内容をなしているのである。
反革命カクマルは、レーニン主義革命論を後進国革命論なるものに限定し、それを帝国主義の民族抑圧=被抑圧から超越した経済主義的内容にすりかえ、しかも、民族解放の課題を「民族主義」として否定することによって、現代プロレタリア世界革命の戦略的意義を無視まっ殺し、民族=植民地問題にかかわるレーニンの理論的、実践的な見地を今日的に貫徹することに反対しているのである。いいかえるならば、かれらの真の動機は、民族=植民地問題のプロレタリア的解決そのものにあるのではなく、理論的な装いのもとに、帝国主義の現代植民地体制、後進国・半植民地支配体制を擁護し、民族解放・革命戦争を主要な形態とする現代の民族解放闘争に敵対する裏切りの理論的な口実をつくりだすことにあるのである。だからこそ、反革命カクマルの「理論的」ペテン師どもは、レーニン民族理論にかんする訓古学的な詐術に熱中することはあっても、現代の民族解放闘争にたいする真面目なとりくみなどひとかけらとして示すことができないのである。ただただ、わが反革命カクマルにあっては、民族問題を否定するために民族問題にとりくむことが必要なのである。つまり、かれらの狙いは、植民地・従属国の人民が民族解放・革命戦争に決起すること、それにたいし帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアートが革命的連帯の立場にたち、現代帝国主義の後進国・半植民地支配、民族的な支配=被抑圧を根底的に廃絶するためにたたかうことを、プロレタリア世界革命を「民族主義的にゆがめ」「固定化」するものだと非難することにある。だからこそ、民族=植民地問題を「民族感情の問題」なるものにすりかえ、しかも、その「民族感情」なるものは、プロレタリア革命にむかって「たかめられ、止揚される」ための素地でしかない、とはずかしめることが必要となるのである。
したがって、現代のプロレタリア革命をめざす革命的共産主義者党にとってこんにちなによりも大切なことは、レーニン民族理論の「批判的再構成」の名のもとに民族解放の戦略課題をまっ殺し、後進国・半植民地の人民の現代の革命にたいし、「民族主義」の悪罵をなげかけることでは断じてなく、民族解放・革命戦争を主要な形態として発展している後進国・半植民地人民の民族解放闘争を徹底的に推進し、スターリン主義者による歪曲をねばり強く粉砕していくことでなくてはならないのである。民族解放の課題は、それじしんとして徹底的に追求されなくてはならないのであり、まさにそうすることによって、プロレタリアートのみならず広大な被抑圧人民をプロレタリア革命の大事業に進んで参加させる条件をつくりだすことができるのである。レーニン主義革命論は、民族理論、民族解放闘争の理論において現代革命のもっとも核心的な分野を構成しているのである。
第三節 プロレタリア革命と民族解放闘争との結合の否定
第三の特徴は、ロシア革命が植民地・従属諸国の人民の民族解放のたたかいと連帯し、自国の帝国主義の支配を打倒し労働者国家を樹立することをとおして、民族=植民地問題のプロレタリア的解決の道を示した最初の革命であったという偉大な歴史的事実をまっ殺し、レーニン主義革命論から帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアートの革命的蜂起と植民地・従属諸国の人民の民族蜂起との結合というもっとも現代的な革命的核心をぬきさろうとしている点にある。いいかえるならばカクマルは、植民地・従属国の人民の民族解放闘争と連帯し、帝国主義の植民地支配、民族抑圧を打倒する国際主義的任務を帝国主義本国のプロレタリア革命、抑圧民族内のプロレタリア革命から追放し、かくすることによって、帝国主義の民族抑圧とプロレタリア階級闘争を調和させようとしているのである。
では、帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリア革命の独自の課題から、植民地・従属国の人民の民族解放闘争、本国内の被抑圧民族のたたかいとの革命的連帯の問題、また、帝国主義的な民族排外主義との闘争の問題を追放し、まっ殺しようとする反革命カクマルの策動の問題はどこにあるのであろうか。
第一には、プロレタリアートの共産主義的な自己解放の原理にたいする許しがたい敵対である。
周知のように、プロレタリア革命は、現代社会のもっとも普遍的な被搾取者、被抑圧者をなすプロレタリアートが、プロレタリア階級闘争とその特殊な継続としてのプロレタリア独裁を歴史的テコとして資本家的私有財産を積極的に止揚し、一階級による他階級の搾取、一民族による他民族の抑圧を根底的に廃絶し、人間の全人間的な解放を実現することを独自の世界史的な使命としている。
もともと現代帝国主義の本質的社会構造をなす資本主義社会は、近代ブルジョア革命をとおして、封建的諸関係を解体しつつ誕生したものであり、社会を構成する各成員を財産の有無、宗教の相違にかかわらず平等の権利をもった自由な市民として政治的に解放することをたてまえとするものであった。いわば、近代ブルジョア社会の各成員は、政治的国家の公民という精神的側面においては、国民という「虚偽の共同性」を与えられたのである。しかし、市民社会の諸個人という物質的側面においては、かれらは、個別的=階級的な利害の赤裸々な衝突の現実的展開をとおして生活しているのである。自由・平等・博愛という近代ブルジョア革命のスローガンにもかかわらず、資本主義制度のもとにあっては、社会の各成員は、類的存在としての人間生活を完全に喪失しており、かわりに諸個人のあいだの、諸階級のあいだの諸利害の衝突が際限なくつづけられており、ブルジョア的な搾取と抑圧が無慈悲にくりひろげられているのである。このような資本主義社会における人間生活の物質的分裂をもっとも普遍的に示すものこそ、労働力の商品化であり、それを基礎としたプロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争なのである。
ところで、資本主義社会の特殊歴史的な性格は、生産手段の資本家的所有=労働力の商品化の矛盾を絶対的な基礎として、社会に必要な生活手段と、それを生産する生産手段を、資本家のための剰余価値の生産を規定的動機として、商品形態をもって生産するところにある。いいかえるならば、資本主義社会においては、生産の客体的条件をなす自然と、生産の主体的条件をなす労働者とが分離していることを歴史的前提として、「人間の永遠的な自然条件としての労働過程」の主体的な担い手である労働者は、労働から分離された自然であり、労働者の疎外された労働の対象化である資本の従属物になりさがるのであり、資本家のために剰余価値を生産できるあいだだけ生存することが許される奴隷的存在に転倒しているのである。それゆえ、労働者は、このような社会的な関係が変革されないかぎり、はたらけばはたらくだけ、資本家の支配力を強め、労働者の隷属を強めることになるのである。すなわち、労働者は、労働力を商品化し、資本のもとで賃労働することをとおして、資本家のために生活手段と生産手段を商品として生産し、資本家のために剰余価値を生産するとともに、賃労働と資本の階級関係そのものを再生産しているのである。
[注]なお、剰余価値の生産の問題について若干、付言すると、剰余価値とは、労働における必要労働と 剰余労働の分割を基礎として、剰余労働を資本制的に転化したものといえよう。一般的にいって、人間 労働は、その特定の労働のうちに、労働者ならびにその家族の生活を維持するための必要労働の部分 と、それを超える剰余労働の部分とを含むのであるが、資本主義社会においては、必要労働の部分は 労働者に賃金として支払われ、剰余労働の部分は、剰余価値として資本家に搾取されるのである。しか も、資本家は、剰余価値が生産されるそのかぎりにおいてのみ、労働者を雇用し、資本家的生産をおこ なうのであるから、資本制的な社会関係の根底的変革なしに分配関係の改善を努力することは、基本 的には不可能なのである。また、労働力の商品化を基礎とするかぎりでは、人間労働の技術的発展は、 労働者の人間的生活の実現としてではなく、資本蓄積の発展として、労働者の人間的生活のいっそうの 喪失として、あらわれるのである。
ところで、史的唯物論のスターリン主義的な歪曲に抗し、マルクスの史的唯物論の再建をめざしたは ずの黒田寛一は、その小ブル自由主義的な姿勢に規定されて、労働における必要労働と剰余労働の 問題(ならびに、それを基礎とした剰余価値の生産の問題)を史的唯物論の基本的命題から完全に排除 する誤りにおちいっているのである。もともと黒田の労働論なるものはマルクス『経哲草稿』の「疎外され た労働」論を固定的にくりかえすだけで、剰余価値の暴露というマルクス経済学の重大な実践的任務と 機械的にきりはなされた地点においてそれをおこなっているのであるが、このような黒田社会観の観念 的傾向は、黒田におけるマルクス経済学の完全な無知・欠落、マルクス国家論の小ブル自由主義的な 理解とならんで、黒田理論のもっとも核心的な誤りをなしているのである。
したがって、労働者が人間としての本源的な生活をとりもどすためには、人間生活の物質的生産のための客体的条件と主体的条件との資本制的分離と、それにもとづく労働力の商品化、つまり人間労働の資本制的自己疎外を根底的に廃絶していかなくてはならないのである。すなわち、プロレタリアートは、自己解放をとおして人間全体の解放をかちとり、また、人間全体の解放を条件として自己を解放する共産主義的な観点にたって、プロレタリア階級闘争をおしすすめ、プロレタリア独裁をたたかいとり、それを基礎として資本家的私有財産を没収し、社会の全成員の人間的生活を実現する見地のもとに社会的生産を計画的に組織し、かくして社会の階級への分裂、民族的な抑圧=被抑圧を根底的に廃絶し、人間の全人間的な解放を達成していくのである。それゆえ、プロレタリアートは、自分たちの直接の、狭い職業的な利害をもってプロレタリアートの真の階級的利害にかえるべきではなく、あくまでも共産主義的な窮極目標をめざし、それをたたかいとることを唯一の階級利害としなくてはならないのである。いいかえるならば、ブルジョア的秩序が必然的にうみだすところの民族的な抑圧=被抑圧の関係、前近代的な差別=被差別の関係の残存、資本制的な社会関係があらたにつくりだす種々の抑圧と迫害。こうした地上のいっさいの問題にたいし、労働者は、自分たちの解放のためのたたかいの一環としてとらえかえし、その廃絶のためにたたかわなくてはならないのである。プロレタリアートは、プロレタリア革命の主体的な担い手であるとともに、民主主義と民族解放をもとめる人民の終始一貫した革命的前衛であり、また、そうであることによって人民の首領としての不動の地位を確立することができるのである。
第二には、帝国主義の民族排外主義の攻撃にたいするプロレタリアートのたたかいを否定し、武装解除することである。
すでに検討してきたように、プロレタリアートは、自己解放をとおして人間の全人間的な解放をかちとるとともに、人間の全人間的な解放を条件として自己解放をかちとる、という独自の世界史的使命をもつ階級である。もともと支配的な民族による他民族の抑圧と、それにたいする被抑圧民族の人民の民族解放のたたかいの問題は、プロレタリアートじしんの問題であり、マルクス主義の終始一貫した主要なテーマのひとつであった。プロレタリアートとその革命的前衛党の課題から民族=植民地問題を追放しようとする努力は、アイルランド問題やポーランド問題をみれば一見して明白のように、マルクス、エンゲルスらの先覚によって鋭く拒否されたところである。「他民族を抑圧する民族は、けっして自由ではありえない」というエンゲルスの名言は、階級支配と民族抑圧の関連、階級闘争と民族解放闘争の関連を内的につきだしたものとして、当時もこんにちも、ともに変らぬ重大な意義をもっている。プロレタリア階級闘争における民族=植民地問題の意義は、このような意味において、資本主義が帝国主義段階に発展するまえから一定の原則的位置をかちとっていたのである。
このような民族=植民地問題にかんするマルクス主義的な観点は、こんにちつぎのような事情において、いっそう重大な発展を求められているのである。すなわち、第一点としては、資本主義が自由主義段階から帝国主義段階に世界史的に推転することによって、また、それに対応したレーニンの実践的、理論的なたたかいによって、帝国主義の民族的な抑圧とそれにたいする植民地・従属国の人民の民族解放闘争の問題が、プロレタリア世界革命の重大な戦略問題にひきあげられたことである。第二点としては、民族解放・革命戦争を主要な形態とする民族解放闘争が帝国主義戦後世界体制を根底的につきくずす巨大な革命的展望をもって発展しはじめたことによって、また、民族解放・革命戦争を主要な形態とする民族解放闘争と、帝国主義本国におけるプロレタリア革命との革命的結合が現実の戦略的課題としてうかびあがることによって、レーニン主義の民族理論をスターリン主義的な歪曲からときはなし、民族解放闘争の真の革命的発展をきりひらくことが緊急の理論的=実践的な任務となっていることである。第三点としては、現代帝国主義がプロレタリアート支配において民族排外主義の攻撃を重要な手段としてますます意図的に使いはじめていることによって、また、社会民主主義とスターリン主義が帝国主義の民族排外主義の攻撃にますます屈服をふかめていることによって、帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリア革命にとって、後進国・半植民地の人民の民族解放闘争との革命的連帯、民族排外主義との闘争がきわめて重大な戦略課題になりはじめていることである。
とくに第三点に関連して重視しなくてはならないことは、帝国主義本国内における民族抑圧の問題、いわゆるポグロム(少数民族の大量虐殺)の問題、また、帝国主義本国内の被抑圧民族の人民のたたかいの問題が、プロレタリア革命の重大な戦略課題として提起されはじめている点である。三〇年代におけるドイツ帝国主義のユダヤ人まっ殺政策、大震災における日本帝国主義の朝鮮人大量虐殺、アメリカ帝国主義における黒人抑圧政策、ヨーロッパ帝国主義諸国における移動労働者政策などに象徴される帝国主義本国内の民族抑圧の問題は、日常生活における差別問題と恒常的にむすびついており、それだけに、プロレタリアートとその革命的前衛党にとって原則的で、恒常的な闘争課題とならなくてはならないのである。
第三には、レーニンの「帝国主義戦争を内乱へ!」の革命的スローガンを実践的=現在的に貫徹することを「レーニン教条主義」の名のもとに拒否し、植民地・従属国の人民の民族解放闘争と帝国主義本国のプロレタリア革命との世界史的な結合の問題、とくに帝国主義の侵略の政治とその継続としての侵略戦争にたいするプロレタリアート人民の闘争を内乱に転化すべき戦略的任務をまっ殺しようとしていることである。
第一次世界大戦において、第二インターを構成する各国の党が帝国主義の民族排外主義の攻撃に屈服し、祖国防衛の路線に転落していったとき、レーニンとその党は、確固として「帝国主義戦争を内乱へ!」の革命的スローガンをかかげ、第二インターの社会排外主義的な堕落に抗してたたかいぬいた。このようなレーニンとその党の態度を基本的にうみだしたところのものは、(1)帝国主義段階論の確立、(2)帝国主義世界戦争とその内乱・革命戦争への転化の展望、(3)帝国主義本国のプロレタリアートの革命的蜂起と植民地・従属国の人民の民族蜂起の結合、の三点であるといえるであろう。いわば「帝国主義戦争を内乱へ!」の革命的スローガンは、帝国主義段階論とそれにもとづく帝国主義世界戦争論に立脚しつつ、帝国主義世界戦争を本国プロレタリアートの革命的蜂起、植民地・従属国の人民の民族蜂起に転化し、内乱と革命戦争の高揚にひきつごうとしたものである。
こんにち、アメリカ帝国主義と日本帝国主義のベトナム=アジア共同侵略の激化とその絶望的な行きづまりのなかで、アメリカ、日本をはじめとする世界のプロレタリアートは、帝国主義の後進国・半植民地支配体制の根底的な動揺とその巻きかえしのための絶望的攻撃の危機を帝国主義本国そのものの内乱に転化するための戦略的総路線を真剣に求めはじめているのである。後進国・半植民地の人民の民族解放闘争(その主要な形態としての民族解放・革命戦争)と連帯し、帝国主義の侵略を内乱に転化するたたかいの路線だけが、帝国主義の侵略と戦争の政策に対抗し、それを粉砕する唯一の道である。
したがって、現代のプロレタリア革命をめざす革命的共産主義者党にとってこんにちなによりも大切なことは、後進国・半植民地の人民の民族解放闘争にたいし抽象的な「解放闘争」なるもの(ベトナム民族解放闘争を「ベトナム解放闘争」にすりかえるカクマル的ペテンに注意せよ!)を対置し、帝国主義の民族排外主義のまえにプロレタリアートを屈服させることでは断じてなく、後進国・半植民地の人民の民族解放闘争(現代における主要な形態としての民族解放・革命戦争)との連帯を強固にうちかためつつ、帝国主義の侵略、民族抑圧にたいし断固として対決し、帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアート人民の内部に根深く再生産されている民族排外主義とねばりづよくたたかいぬき、自国帝国主義打倒をとおして真の国際主義的連帯をかちとっていくことでなくてはならないのである。
第四節 暴力革命の否定
第四の特徴は、ロシア革命がペトログラード・ソビエトを先頭とするプロレタリアート人民の一斉武装蜂起、ブルジョア権力の暴力的打倒をとおして勝利したこと、そしてまた、ロシア・ブルジョアジーの抵抗とそれに呼応した帝国主義諸国の干渉戦争にたいし労働者農民の総武装=新しい人民の革命軍の創設をもって対峙し、熾烈な内戦・革命戦争をとおして維持されたプロレタリア革命であることを完全に忘れさろうとしている点にある。いいかえるならば、カクマルは、ロシア革命を後進国革命なるものに改作することによって、プロレタリア独裁が本質的にも現実的にも革命的暴力に絶対的に立脚した権力であることを否定し、プロレタリア革命の軍事綱領を完全に追放し、かくして、いわゆる先進国革命の名のもとに暴力革命論を拒否し、議会主義やゼネスト革命論(プロレタリア革命の小ブル的組合主義への改作)の密輸入をはかろうとしているのである。
では、レーニン主義革命論を構改派型の後進国革命論なるものに改作しようとする反革命カクマルの策動は、暴力革命論の問題、プロレタリア革命の軍事綱領の問題においては、どのような問題をもたらすであろうか。
第一には、プロレタリア革命の本質をなす暴力性を否定し、暴力革命を条件に応じて採用したり放棄したりするところの「手段的方策」のようなものにすりかえ、マルクス、エンゲルス、レーニンの暴力革命論を解体まっ殺しようとしていることである。
周知のように、マルクス主義とその党は、「既成の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ、その目的を達成できる」ことを首尾一貫して公然と宣言してきた。のちにみるように(第四章参照)、プロレタリア革命は、その根底的な革命性からして本質的に暴力革命としてのみ実現することができるのである。もとよりプロレタリアートとブルジョアジー、革命と反革命の具体的な力関係に照応して革命の暴力性は種々の具体的形態をとってあらわれるであろう。しかし、いかに多様な形態をとろうとも、プロレタリア革命がプロレタリア革命であるかぎり、暴力革命としての本質は、かならず貫徹されなくてはならないのである。プロレタリア革命の暴力的本質を否定し、いわゆる暴力性の発現を敵階級の出方から説明する方法は、戦術的な方策としてはともかく、理論的な問題としては、日和見主義いがいのなにものでもないのである。反革命の白色テロにたいし、革命の赤色テロをもって対峙し、白色テロを粉砕して赤色テロの勝利をたたかいとること、これなしには、いかなるプロレタリア革命も、勝利を手にすることはできないのである。
事実、人類が経験した二つの典型的なプロレタリア革命であるパリ・コンミューンとロシア革命は、暴力革命の目的意識的な貫徹だけがプロレタリアートに真の勝利をもたらしうることを教えているのである。すなわち、最初の経験であるパリ・コンミューンは、プロレタリアートの革命的独裁を実現するうえで「天をも揺がす大衆の創意」(マルクス『クーゲルマンへの手紙』)を発揮した。しかし、パリ・コンミューンは、その政治的指導部の思想的未成熟を決定的な根拠として、大衆の創意を、反革命の抵抗を粉砕し全国民を統一するプロレタリアートの革命的暴力にまで積極的にたかめることができなかった。その結果、パリのプロレタリア権力は、ベルサイユを頂点とする反動的フランスに対峙しえず、血の海に沈んだのである。いいかえるならば、パリ・コンミューンは、ブルジョアジーが身の程をわきまえてパリを攻撃せず、フランスの地方勢力の反動的組織化をすすめることを放置したのであるが、まさに、プロレタリア革命の軍事綱領にたいするこのような消極的な態度こそ、パリ・コンミューンの敗北のもっとも決定的な要因をなしていたのである。他方、一九一七年のロシア革命は、プロレタリアートとブルジョアジー、革命的ソビエトと改良主義的、反革命的ソビエトの内乱的な対峙状況を基礎として、ペトログラード、モスクワを先頭とする革命的労兵ソビエトによる全ロシアの暴力的独裁として実現された。いいかえるならば、ブルジョアジーが治安的な観点からプロレタリアートの反乱制圧に腐心していたとき、ボルシェヴィキの強力な革命的指導のもとに結集したペトログラードの革命的な労兵ソビエトは、暴力革命論に立脚した目的意識的な一斉武装蜂起の一撃をもって生産と交通の要枢を軍事的に征服し、それを基礎として中央集権的な革命政府の樹立と、全国的な連続蜂起をおしすすめ、革命的ロシアの統一に勝利したのである。
第二には、プロレタリアートの革命的な武装蜂起が、プロレタリア革命の目的意識的な本質のもっとも白熱した政治的表現形態であることを否定し、プロレタリアートの武装蜂起を小ブル自由主義的な自然発生性に屈服させようとしていることである。
周知のように、プロレタリア革命の特徴は、目的意識性にある。ブルジョア革命は、封建的秩序の一定の解体と、それにもとづくブルジョア的社会関係の一定の形成を歴史的根拠として実現される。それにたいし、プロレタリア革命は、資本の飛躍的な生産力と、プロレタリアートの大量的産出を世界史的な前提条件として成立するが、しかし、ブルジョア革命のように、それじしんとして再生産される独自のプロレタリア的社会関係をもつものではないのである。プロレタリア革命の現実的根拠は、ただプロレタリアートの階級闘争と、それに立脚した共産主義的な目的意識性、その党的な実体の運動いがいのなにものでもないのである。プロレタリア独裁の樹立をめざす武装蜂起の白熱した過程は、共産主義的な目的意識性が政治的=軍事的な表現形態においてみずからをプロレタリア的社会関係に結晶させるところの、いわば命がけの飛躍をなしているのである。それゆえプロレタリア革命の目的意識性は、まずもってプロレタリア前衛党の蜂起の計画的、系統的な準備とその貫徹の問題をとおしてきびしく問いかえされるのである。
プロレタリア革命の共産主義的な目的意識性に無自覚な日和見主義的傾向は、往々にして、いわゆるソビエト(労働者評議会)形態を美化する表現をとってあらわれるものである。すなわち、かれらによると、いわゆるソビエトは、それじたいとして革命的であり、武装蜂起の準備においてもそれじたいとして予定調和的に正しく解決しうるものであるかのように描かれているのである。しかし、日和見主義者たちがなんといおうとも、いわゆるソビエトが、それじたいとして革命的であるものでもなく、また、自動的に権力問題を解決しうるものでもないことは、一九一七年のロシア二月革命や一九一八年十一月のドイツ革命の経験をみてみるならば、あまりにも明白ではなかろうか。ソビエト(ロシアの場合)やレーテ(ドイツの場合)として形成されたところの労働者の団結形態は、たしかにプロレタリア独裁をめざす革命的前衛党からみるならば、階級的な闘争機関であるとともに、プロレタリアートの武装蜂起の機関、きたるべきプロレタリア独裁権力の萌芽形態をなすものでなくてはならないのである。つまり、プロレタリアートの革命的前衛党は、一定の革命情勢のもとでプロレタリアート全体の階級的な闘争組織として生みだされた、いわゆるソビエトを、プロレタリア独裁のための階級的な国家組織にまで目的意識的にたかめなくてはならないのである。いいかえるならば、いわゆるソビエトを階級的な闘争機関から階級的な国家機関に転化させる問題、すなわち、革命的前衛党の蜂起の指導の問題をぬきにしてソビエト一般を美化し、ソビエト一般に予定調和的に権力問題や武装問題を解消するものは、プロレタリア革命の最後の敵対者なのである。
事実、一九一七年のロシア革命においては、階級的な闘争組織であるはずのソビエトも、メンシェヴィキの指導のもとにおいては「労働者をブルジョアジーに従属させる道具」(レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』)になりさがっていたのである。だからこそ、レーニンを先頭とするボルシェヴィキは、ブルジョアジーおよびその同盟者であるメンシェヴィキとの内乱的な対峙をとおして、ソビエトを「労働者をブルジョアジーに従属させる道具」から「ブルジョアジーにたいする労働者の革命的暴力の機関」に革命化するために困難なたたかいをすすめなくてはならなかったのであり、また、このような転化に基本的に成功することによってはじめて、ソビエトを蜂起の機関、国家の機関にたかめることが可能となったのである。他方、一九一八年のドイツ革命においては、キール軍港の水兵の反乱からはじまり、ベルリンを中心として巨大な高揚をみせたプロレタリアートと兵士の革命闘争は、ただちに労働者兵士の闘争組織としてレーテ(評議会)を生みだし、帝政支配を一挙に崩壊させた。兵士と同盟したドイツのプロレタリアートは、ドイツ帝国主義の戦争政策にたいする革命的反乱をとおして事実上すでにドイツの支配者になっていたのである。問題はただ、帝政将校とそのもとに結集した反革命的義勇兵と対峙し、これを革命的暴力をもって粉砕しつつ、ドイツ社民党とドイツの自由主義ブルジョアジーの同盟の手から労兵レーテに権力を奪取することを確認するだけで十分であった。しかし、ドイツにおける革命的な翼の決定的な未成熟、社民党の圧倒的な指導力、という対照的な政治配置は、レーテをして「労働者をブルジョアジーに従属させる道具」に変質せしめ、レーテの名をもって自由主義ブルジョアジーと社民党の同盟のもとにあるところのブルジョア独裁国家に信任を与える悲劇を生みだしたのである。
第三には、プロレタリア革命が内乱および革命戦争なしには真の勝利をかちとりえないことを否定し、プロレタリア革命の声事鋼領をことごとく解体しようとしていることである。
周知のように、プロレタリア独裁とは、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの革命的暴力によってたたかいとられ、維持されているところの権力である。それゆえ、プロレタリア独裁がその成立と維持の過程をとおして、ブルジョアジーの反革命的な政治的暴力と対峙し、その抵抗を粉砕することを第一義的な任務としていることは、まったく当然のことである。プロレタリアートの権力奪取に先行し、あるいは後続して、プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争が、多くの場合、内乱としての性格を帯びるのは、そのためである。いいかえるならば、プロレタリア独裁は、プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争の内乱的な発展の産物であり、内乱をプロレタリアートの勝利のもとに集約する革命手段いがいのなにものでもないのである。したがって、プロレタリア独裁を論じて、それに先行するプロレタリアートの内乱の戦略を否定するものは、プロレタリアートがブルジョアジーの奴隷として生きることを永遠化するものであり、プロレタリア独裁を論じて、それに関連して継起するブルジョアジーの内乱的抵抗の鎮圧の問題を否定するものは、プロレタリアートがブルジョアジーの主人として生きることを拒否するものである。プロレタリアートの革命的武装をブルジョアジーの政治的暴力の発動にたいする戦術的な対応のようにえがきだし、その場合だけ革命の暴力を許容しようとする日和見主義者の主張は、軍事的にいうならば、革命とは内乱・内戦―蜂起をとおしてプロレタリアートが国家を征服することいがいのなにものでもないことを無視まっ殺し、プロレタリア革命の軍事綱領を小ブル自由主義の抵抗権の論理に従属させようとするものである。
事実、一八七一年のパリ・コンミューンをはじめとして、いっさいのプロレタリア革命は、内乱の歴史であった。ブルジョア革命の二大典型をなすところのイギリスの清教徒革命とフランス大革命は、ともに内乱の歴史であり、人民の総武装をもってする反革命の暴力的抵抗の暴力的粉砕の歴史であったが、プロレタリア革命の二つの古典をなすところのパリ・コンミューンとロシア十月革命は、いっそう根底的な内乱の歴史であり、プロレタリアートと人民の総武装をもって反革命の暴力的抵抗の暴力的粉砕をいっそう根底的におしすすめた歴史であった。すなわち、ブルジョア革命は、反革命の暴力に対峙し、それを粉砕するための「手段」として人民の総武装にうったえたのであったが、プロレタリア革命は、反革命の暴力に対峙し、それを粉砕するための「手段」としてのみならず、プロレタリアートの革命的共同性、歴史的能力性を培養し、国家そのものの死滅をみちびきだす現実的な道筋としてプロレタリアートの総武装をおしすすめるのである。
同様に、プロレタリア独裁は、プロレタリア国家体系とブルジョア国家体系との世界的な革命戦争の問題をみちびきだすのである。もとより革命戦争がどのような規範と内容をもって発展するかは、国際階級闘争の具体的な力関係、その特殊な総括としての国際政治の具体的な局面によって決定されるであろう。しかし、直接の革命戦争として爆発していようと、また、革命戦争の特殊な間合いとしての平和が存在しようと、対立する二つの階級的諸国家体系のあいだの非和解的な対峙、対立する二つの階級的諸軍事体系のあいだの非和解的な対峙は、一方が他方を完全に屈服させるまでけっして完全な安定をもたらすことはないのである。革命戦争は、プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争の特殊な継続であり、国際的な規範に転化した内乱である。しかも、ロシア革命以後の世界史的な局面、すなわち、帝国主義から社会主義への世界史的な過渡期の情勢のもとにあっては、内乱と革命戦争との相互の結合は、ますます不可避となっているのである。プロレタリア階級闘争は、その発展にともなって、内乱と革命戦争の結合、すなわち、国際的な規範の内乱としての様相を濃くしているのである。
もとより帝国主義の基幹部が延命し、その条件のもとで国際共産主義運動の主要な部分がスターリン主義的に変質し、帝国主義と社会主義の世界史的な分裂が帝国主義とスターリン主義の平和共存的変容形態として現象している現代世界にあっては、階級闘争の内乱的=革命戦争的な発展は、客体的、主体的な種々の要因によって幾多の変形を強制されざるをえないのである。国際帝国主義の体制的危機をかけた強大な軍事力の国際的結合と、その集中的な圧力は、プロレタリアートの革命的蜂起、被抑圧民族の人民の民族蜂起にたいしいちじるしい困難をもたらしている。また、帝国主義にたいする国際スターリン主義の際限なき後退、屈服と、その危機を突破するための恐るべき反人民的な策動は、プロレタリアートの革命的蜂起、被抑圧民族の人民の民族蜂起にたいし、よりいちじるしい困難をもたらしている。しかし、帝国主義の攻撃がいかにつよまろうと、スターリン主義の裏切りがいかにふかまろうと、プロレタリアートとブルジョアジーの対立、帝国主義と後進国・半値民地の人民の対立、スターリン主義とプロレタリアート人民の対立は、ますます非和解的なものとなっており、革命的、内乱的、武装的な方法なしでは解決しえない性格にますます発展しているのである。戦後世界体制の崩壊的危機のかぎりない深化のなかで、それを反帝国主義・反スターリン主義世界革命に転化すべき革命的プロレタリアートの任務は、後進国・半植民地の人民の民族解放闘争(その主要な形態としての民族解放・革命戦争)と帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリア革命とを正しく結合することに決定的にむすびつきはじめているのである。したがって、現代のプロレタリア革命をめざす革命的共産主義者党にとってこんにちなによりも大切なことは、ロシア革命=後進国革命という虚偽の定式をつくりあげることによって、いわゆる先進国革命から暴力革命の原則、プロレタリア独裁の原則、内乱と革命戦争の原則を追放しまっ殺することでは断じてなく、現代の帝国主義本国のプロレタリアートの革命、現代の抑圧民族内のプロレタリアートの革命に、ロシア革命によって実践的に検証された暴力革命の原則、プロレタリア独裁の原則、内乱と革命戦争の原則を確固として適用し、実現することでなくてはならないのである。
第三章 レーニン帝国主義段階論のカウツキー的な改作
レーニン主義革命論にたいするカクマルの反革命的改作の第二の基軸をなすところのものは、レーニンの帝国主義段階論を「戦争と革命の時代」に生きるプロレタリアートの基本的時代認識を基礎づけるものとして理解すること、すなわち資本主義の歴史的生命力のいきづまりと、その世界革命への転化にかかわる世界史的認識の理論としてとらえることを拒否し、帝国主義段階論なるものを、カウツキー流の政策的追求の傾向のようなものに歪曲しようとするところにある。
第一節 段階論と農民保護政策の問題
第一の特徴は、帝国主義の世界支配の構造とその崩壊の条件をあきらかにするというレーニンの実践的立場に敵対し、帝国主義論を帝国主義の農民保護政策の体系のようなものに単純化している点にある。いいかえるならば、カクマルにとって帝国主義段階論の意義は、帝国主義を資本主義の最高の段階、プロレタリア革命の前夜として把握し、革命の現実性の客体的成熟を解明するところにあるのではなく、レーニンが帝国主義段階論以前に立脚していた「農民の両極分解論」の誤りを非実践的に確認し、トロツキーの「ロシアの政治経済構造の認識、その帝国主義段階への突入の直感」なるものが「宇野弘蔵によって解明された帝国主義段階の経済的特徴の把握に極めて接近した認識をなしている」などという独断的な主張を証明し、レーニン的労農同盟論をトロツキー的永続革命論の右翼的解釈にひくめようとしているところにあるのである。
もともとトロツキーの資本主義観は、『共産主義者』二四号拙稿「第四インターの歴史的破産」(本書第二巻所収)でも指摘しているように、パルブスの世界資本主義論の系譜をひくものであり、マルクスが産業資本的蓄積様式を基礎に把握した原理論的認識とも、レーニンが金融資本的蓄積様式を基礎に把握した段階論的認識とも、決定的に異質な構造をもったものである。カクマルの諸君は別のところではまったく無責任にも、トロツキーの「世界経済論が帝国主義論を欠如した粗雑きわまりないもの」(滑川論文)であることをしぶしぶ承認しているが、帝国主義段階論に立脚した世界認識のないところで「段階論への直感」や「段階論にきわめて接近した認識」が成立しうるかのように理解しているところに、カクマルの「帝国主義段階論」なるもののカウツキー以下的な社民的性格が自己暴露されているのである。
ところで、カクマル反革命集団の理解する段階論とはなんであろうか。それはかれらの説明するところによると「帝国主義段階への突入によって二大階級への両極分解はかならずしも促進されない。それは独占資本が農民の分解を阻止し、中小企業を温存するという政策をとるからである」(同前、ゴジは引用者)という程度のものにすぎない。つまり、帝国主義の農民保護政策、中小企業育成政策のようなものにすぎないのである。これでは「宇野弘蔵によって解明された帝国主義段階の経済的特徴」などと引きあいに出された宇野弘蔵の方がいい迷惑というものであろう。
では、帝国主義段階論の農民保護政策体系のようなものへのカウツキー主義的な改作の問題となる点はどこにあるのであろうか。
第一には、帝国主義論が資本主義の世界史的発展段階にかかわる規定であること、それゆえ、帝国主義論の基本問題が帝国主義の経済的、政治代軍事的な世界支配とその再分割戦の世界戦争としての爆発の不可避性の解明にあることを完全に破壊していることである。前章で検討したように、産業資本的蓄積様式にもとづく資本主義の自由主義段階から金融資本的蓄積様式にもとづく資本主義の帝国主義段階への世界史的推転を基礎として、世界市場における農業問題は、一方では植民地問題として、他方では国内農業問題として構造的矛盾に転化するのであるが、カクマルのように帝国主義の世界支配とその再分割戦の問題を捨象したところで農業問題を解明しようとすることは、農民問題のプロレタリア的解決の世界史的根拠をまっ殺するにほかならないのである。
第二には、農民=農業問題におけるレーニンの実践的立場、段階論構築にかんするレーニン的方法論の優位性を完全に見うしなっていることである。もともとレーニンが帝国主義段階論を確立する過程にあってレーニンがマルクスのいわゆる農民分解論の視点を徹底してロシア社会の戦略的解明に適用し、そのことによって生ずる理論と現実の矛盾を原理論と段階論の分離として逆転的に解決したことは、レーニンの限界を意味するものではなく、レーニンの方法論の卓越した位置を示すものである。カクマルのように、トロツキーの「直感的認識」なるものによってレーニンの「労農独裁論」をスコラ的に批判することは実践的にはまったく無意味であり、マルクス主義のレーニン主義的発展をベルンシュタイン主義的修正に屈服させるものである。なぜならば、このような批判の方法によっては、トロツキーではなく、レーニンにおいてはじめて帝国主義段階論が確立されたことの理論的、実践的根拠を正しくつかみとることは不可能だからである。それゆえ、ロシアにおけるプロレタリア独裁の樹立の見地から農民=農業問題に計画的、系統的に肉迫したレーニンの実践的立場にたって、労農独裁論から労農同盟論へのレーニン的前進を理論的・実践的に解明し、カクマルの反革命的おしゃべりに死の鉄槌をくわえてやることは、われわれに残された緊急の課題である。
第三には、農民分解の停滞が金融資本的蓄積様式の結果としてではなく、農民保護政策の結果として説明されるという帝国主義美化の理論におちいっていることである。いわばカクマルは帝国主義の政策によって農業問題がひきおこされたり、解決されたりするかのようにプロレタリアートと農民に説明し、農民=農業問題の根底的解決がプロレタリア革命の道いがいにないことを否定する理論的ペテンをひそかに準備しているのである。しかし、カクマルがどのように事実をいつわろうとも、農民分解の停滞=小農固定化の傾向は、産業資本形態から金融資本形態への資本蓄積様式の世界史的・段階的推転を根底的根拠としているのである。いわゆる農民保護政策は、農民収奪・農民支配の金融資本的形態(それは労働者搾取・労働者支配のそれと対応している)が必然的に生みだす諸矛盾の累積とその爆発を補足的にとりつくろおうとするものであり、プロレタリア革命と農民との結合を予防反革命的に切断し、帝国主義の支配と収奪を維持するための農民収奪政策いがいのなにものでもないのである。ところが、カクマルには帝国主義の政策によって農民の没落が阻止され、その結果、農民のブルジョア的経営が保証されるようになったかのごとくみえるのである。帝国主義政策の万能性にたいするカクマルの信頼は、段階論のような理論的領域にまでかくも根深く浸透しているのである。【宇野経済学にかんして付論すると、わが「滑川」は自分の漫画的な政策原因説があたかも宇野経済学の所説と一致しているかのように粉飾しているが、残念ながら宇野政策論の意義は政策を段階的発展に対応するもの(いわば政策結果説)として把握しているところにあり、わが「滑川」説とはまったく縁もゆかりもないのである。つまり、わが「滑川」は、宇野政策論について粉飾的に言及することによって、なんと宇野『経済政策論』すら読んでいないこと(読んでいたとすれば通常の読解力すらもちあわせていないこと)をみごとに自己暴露したのである。「剰余価値法則」や「帝国主義=最大限利潤説」などコンマ以下の主張をもって「宇野経済学批判」を唱えた黒田寛一の厚顔無恥ぶりとなんとお似合なことであろうか。】
第四には、プロレタリア革命と農民=農業問題との戦略的結合を首尾一貫して追究したレーニンの実践的立場に敵対し、レーニンの労農同盟論を、トロツキー的永続革命論(しかも、カクマル的=右翼的に解釈されたそれ)の補完物にひくめる目的をもって、レーニン的「両極分解論」なるものの批判をおこなっていることである。まえにのべたように、帝国主義段階論の確立以前の時期においてレーニンがマルクス経済学原理論に立脚し両極分解論的視角をもってロシア革命の戦略的分析をおこなったことは、理論的方法としては当然の作業であり、パルブス、トロツキーのように「直感」をもって理論を修正することはけっして正しい態度ということはできないのである。しかし、同時に重要な点は、帝国主義段階におけるプロレタリア革命が農民=農業問題を重大な戦略的課題としてかかえこむことについてトロツキーが直感的にも理論的にも確固とした認識をもちえなかったのにたいし、レーニンが当初から首尾一貫して農民=農業問題のプロレタリア的解決にかんし実践的対決の態度を確固としてもちつづけたことである。それゆえ、もしも「直感的認識」という視点をもって一九〇五年のレーニンとトロツキーを対比するならば、ロシア社会の政治経済的認識においても、またロシア革命の戦略的認識においても、段階論上の核心的事実にたいし決定的アプローチをおこなっていたのがレーニンであったことは、いささかも疑いようのない歴史的事実である。にもかかわらず、カクマルがこのように執拗にトロツキーの「直感的認識」を称揚し、レーニンの「労農独裁論」をスコラ的に批判するのはなぜであろうか。いうまでもなく、それは、労農独裁論を「プロレタリア独裁下の労農同盟」論に止揚するのではなく、プロレタリア独裁の戦略課題から農民=農業問題を追放し、プロレタリアートと農民の同盟を破壊するためである。いわばカクマルは、帝国主義を「農民の分解を阻止する独占資本の政策」のようなものに歪曲することによって、農民=農業問題のプロレタリア的解決の道をとざし、労農同盟の革命的発展を破壊しようとしているのである。
第二節 帝国主義の世界支配とその分肢としての植民地体制の問題
第二の特徴は、「帝国主義とは資本主義の一発展段階であり、そこでは独占体と金融資本との支配がつくりだされ、資本の輸出が顕著な重要性をもつにいたり、国際トラストによる世界の分割がはじまり、資本主義的最強国によるいっさいの領土の分割が完了している」(レーニン『帝国主義論』)というレーニンの明確な定義に敵対し、帝国主義の世界支配、その不可分の肢体としての植民地支配体制、帝国主義と植民地・従属諸国の被抑圧民族との敵対関係の形成を否定しようとする点にある。いいかえるなら、カクマル反革命集団には、帝国主義とは「農民の分解を阻止する独占資本の政策」のようなものでしかないのであり、そこには「独占体と金融資本との支配」も「資本の輸出」も「国際トラストによる世界の分割」も「資本主義的最強国によるいっさいの領土の分割」も、まったく存在しないのである。
レーニン主義革命論の「批判的再構成」の名のもとにレーニン主義革命論の革命的核心をことごとく改作し、解体することを「かくされた目的」とする、このレーニン主義『批判の武器』第二集には、段階論の内容にかんしては「農民分解阻止政策論」ともいうべき社民的理論の説明がいくどもくりかえされるが、どの論文のどの部分をみても帝国主義の世界支配という決定的内容についての言及を発見することはできないのである。これははたして偶然であろうか。いやけっしてそうではないことは、カクマルの「批判的継承」や「批判的再構成」なるものの卑劣な手口をすでに知っているわれわれにはあまりにも明白である。日本帝国主義やそれに追従する小ブル・イデオローグが、こんにち帝国主義の世界支配の現実を否定するのにやっきになっているのにたいし、わがカクマルは、戦後帝国主義から後進国・半植民地体制を「理論的に」まっ殺してみせたばかりか、レーニンの帝国主義段階論からさえ帝国主義の世界支配という核心的問題点を「理論的に」忘れてみせたのである。なんとみごとなことか!
もっとも、反革命の側にも「公平」を保証してやるとするならば、さきにも引用したように、例外的にただひとり「滑川」が、トロツキーの国際革命論に関連してトロツキーの「世界経済論が帝国主義論を欠如した粗雑きわまりないものである」とつぶやいていることを紹介しておくのも悪いことではないであろう。すでに検討したように、死にいたるまでパルブス流の世界資本主義論の影響から脱出することができず、レーニンの帝国主義段階論の革命的核心を理解することができなかったトロツキーにたいし、カクマルの「滑川」は、一方では、トロツキーにはレーニンになかった「帝国主義段階への突入という直感的認識」があったと讃美し、他方では、トロツキーの世界経済論にはレーニンの帝国主義論が「欠如」していると非難しているのである。
ところで、トロツキー世界経済論における帝国主義論の欠如とはいかなるものであろうか。わが「滑川」によると、それは、(1)トロツキーが「帝国主義段階における経済法則たる不均等発展の法則」を資本主義の経済法則であるかのようにとらえたばかりか、歴史の一般法則にまで拡大してしまったこと、(2)現代帝国主義の構造を水平化と対立矛盾の弁証法なるもので把握しようとしたこと(3)現象論的な世界経済の分析から直接、一国社会主義的綱領の誤りと世界革命の必然性をみちびきだそうとすること、の三点でしかないのである。すなわち、わが「滑川」は、他の黒田追従主義者にたいして独自性をもつがゆえに、トロツキー世界資本主義論をなんとか批判しようと努力するのであるが、結局のところ、黒田=カクマルの小ブル自由主義的本質に根本的に規定されて、不均等発展の法則にかんする論理主義的位置づけのようなことしかおこないえないのである。
では、帝国主義の世界支配にかんするカクマルの完全なる沈黙の意味するところのものはなんであろうか。
第一には、帝国主義とは、まずもってプロレタリアート人民にたいする金融資本とその独占体の経済的、政治=軍事的な支配と略奪の形態にかかわる問題であることをあいまいにし、帝国主義を経済政策体系のようなものに単純化し、独占体と金融資本の支配にたいするプロレタリアート人民の屈服をもたらそうとしていることである。
周知のように、資本主義の階級支配の特殊歴史的な性格は、生産手段の資本家的所有=労働力の商品化という商品関係を基礎としてブルジョアジーによるプロレタリアートの支配と搾取がおこなわれているところにあり、奴隷制や封建制などの他の特殊歴史的な社会のように直接の人格的、身分的な強制にもとづいていないところにある。もちろん、植民地・従属国の人民にたいする際限なき野蛮な略奪の政治と、その継続としてのたえることなき植民地戦争を資本の本源的蓄積の巨大な歴史的前提として資本主義が発展してきたことは、いうまでもないところである。しかし、同時に、資本主義が資本主義として特殊歴史的な一社会をなすためには、生産手段の資本家的所有=労働力の商品化という基本矛盾を基礎として社会的生産の資本制的展開を実現することが必要であり、そのかぎりにおいては、ブルジョアジーとプロレタリアートの二大階級に全社会を分解するものとして発展せざるをえないのである。産業資本的蓄積様式にもとづく資本主義の自由主義段階においては、資本主義はそのようなものとして傾向的に発展していたのであり、それゆえにこそ、マルクス『資本論』に結実した資本主義の経済学原理論的な解明も可能であったのである。したがって、資本主義の自由主義段階では、資本家階級は、主要にはその階級支配の基軸を市民社会的原理(商品関係)を媒介として実現したのであり、政治的国家は、いわばブルジョア的私有財産秩序を保安するのに必要な最小限度においてのみ機能することをもって最善としたのである。
しかし、固定資本の巨大化にもとづく資本蓄積の段階論的形態変化(産業資本から金融資本への推転)は、資本主義の階級支配の形態をも決定的に変化させるものとなった。すなわち、金融資本は、利潤の資本への転化という資本の自律的展開をもって発展する産業資本にたいし、独占にもとづく巨大な利潤を独自に資本に蓄積しつつ同時に非資本主義諸関係で形成される資金の社会的集中をも資本に転化していく機構をつくりだした点において段階的独自性をもつものであるが、このような資本蓄積の形態変化は、労働者支配において複雑な階層的分裂を利用した分断支配をもたらすとともに、一方では農民など小商品生産者の収奪機構、他方では植民地・従属国の構造的な収奪機構をつくりだすことがあらためて重要となり、それを維持するためのアメとムチの政策を決定的に強化するようになるのである。それゆえ、帝国主義段階における資本主義は、世界支配の問題と不可分に結びつかざるをえないのであり、帝国主義諸列強による世界の分割、その再分割をめぐる争闘と同盟として自己を登場させざるをえないのであるが、それは同時に、国内体制の帝国主義的再編成、プロレタリアート人民の支配と搾取、抑圧と収奪のための機構の経済的、政治=軍事的強化として作用するのである。
第二には、帝国主義が最強の資本主義諸国による世界の支配であること、もっと厳密にいえば、「国際的資本家団体による世界の分割」を基礎にして「帝国主義諸列強」によるいっさいの領士の分割がおこなわれている時代であることをあいまいにし、帝国主義の世界支配にたいするプロレタリアート人民の屈服をもたらそうとしていることである。
すでにのべたように、帝国主義とは、金融資本的蓄積様式を基礎とした資本主義の特殊な一発展段階であり、世界市場の分割にもとづく国内市場の独占の形成と植民地支配を特徴にしている。いいかえるならば、ドイツをはじめとする後進資本主義諸国が、イギリスを中心にして形成された世界市場のなかで自国の資本主義的発展を促進し、世界の強国としての一定の地位を形成するためには、重化学工業を基軸とした資本主義の選択的な発展が必要であり、それを保障するものとして金融資本的蓄積様式の傾向と国内市場の独占的分断が当初の段階より不可避であったが、このような過程の急速な発展は、イギリス資本主義の防衛的対抗を転機として世界の分割、世界の領士の完全な分割をめぐる資本主義的最強国内の争闘と同盟を決定的なものにしたのである。いわば資本の輸出、世界の再分割という帝国主義段階に固有な特徴は、金融資本の世界支配の確立の必然的結果であり、帝国主義の世界支配の具体的な現実形態なのである。それゆえ、帝国主義段階における資本主義の運動は、帝国主義の世界支配、帝国主義列強による世界の分割をめぐる争闘と同盟として展開するのであり、個々の国の国民経済的利益もまた、この世界的運動に従属したものとして集約されざるをえないのである。
[注]過渡期の平和共存的変容形態としての現代世界においても、いぜんとして帝国主義の基本的運動 原則は、帝国主義の世界支配であり、帝国主義諸列強による世界の分割であり、そのための帝国主義 諸列強間の争闘と同盟である。もとより、現代帝国主義の運動が、プロレタリア革命とその一翼としての 民族解放闘争によって根底的にゆさぶられており、またスターリン主義諸国の一国社会主義的対応によ って種々の制約をうけていることは、疑うべからざる事実である。スターリン主義の歴史的な裏切り性、反 革命性は、このような帝国主義の世界支配の打倒、帝国主義の基本的延命の打破にプロレタリア解放 の基本原理をみいだそうとせず、世界革命の過渡期を一国社会主義的に固定化し、プロレタリア運動と その歴史的産物としての過渡期社会を一国社会主義と平和共存政策に従属させ、変質させるところに ある。現代帝国主義が基幹部分で延命し、世界市場の圧倒的部分を支配している現在の情勢のもとに あっては、現代世界の発展基軸はあくまでも帝国主義の世界支配とその矛盾の展開であり、いわばスタ ーリン主義は、このような矛盾の基軸的展開を打倒しえず、むしろそれにまきこまれ、歴史的破産とそこ から脱出するための反革命的な敵対策動をますます強めるものとしてあらわれるのである。それゆえ、プ ロレタリア革命とその一翼としての民族解放闘争の発展は、帝国主義の世界支配とその矛盾の爆発とし て基本的にはとらえられるべきであり、カクマルのように帝国主義とスターリン主義の体制間矛盾から説 明さるべきではないのである。また、そのようなものであるからこそ、プロレタリア革命とその一翼としての 民族解放闘争は、帝国主義の世界支配を打倒し、世界革命のスターリン主義的歪曲を突破し、世界革 命を完遂する世界史的任務を要求されることになるのである。
第三には、帝国主義の世界支配の不可分の肢体としての植民地体制、帝国主義と植民地・従属国の被抑圧民族との敵対関係の形成の意義をあいまいにし、帝国主義の現代植民地体制、帝国主義の民族排外主義にたいするプロレタリアート人民の屈服をもたらそうとしていることである。
帝国主義の世界支配は、その不可分の肢体として植民地体制を生みださざるをえない。すなわちまず資本主義の最強の諸国は、本国において金融資本の独占的な支配の体制をつくりだし、独占的資本家団体に巨大な超過利潤を保証し、その犠牲を労働者人民に転嫁する搾取と収奪の機構をつくりだすとともに、いわば国内体制とその矛盾を外延的に拡大するものとして世界の市場的・領士的な分割のための強盗的な野望をもやし、世界のいたるところに帝国主義と植民地・従属国の敵対関係をつくりだすのである。また、資本主義の最強の諸国は、列強間の争闘から世界支配の権益をまもるために巨大な軍事力をもって相互に対抗し、植民地・従属国の人民の抵抗を鎮圧するために強力な軍隊をそれらの国ぐにに派遣し、陰険な分割統治とその継続としての暴虐な植民地戦争をもって植民地・従属国における支配と収奪を維持しようとするのである。さらに、資本主義の最強の諸国は、植民地体制と金融資本の支配機構を基礎とした尨大な超過利潤の一部分をもってプロレタリアートの上層部を買収し、プロレタリア運動を帝国主義の利益に和解できるものにつくりかえ、民族排外主義、植民地主義の泥沼にプロレタリアート人民を思想的、政治的に動員しようとするとともに、帝国主義の世界支配の根底的な打倒をめざす革命的なプロレタリアート人民の運動に対し暴虐な内乱鎮圧型の弾圧をもってそれを壊滅しようとするのである。したがって帝国主義段階におけるプロレタリア革命は、不可分の戦略的課題として植民地・従属国の人民の民族解放闘争を生みだし、民族=植民地問題のプロレタリア的解決の問題を決定的におしだすのである。帝国主義の世界支配の構造に対応して、プロレタリア革命は、植民地体制の打倒の問題、民族排外主義、植民地主義との闘争の問題、民族=植民地問題のプロレタリア的解決の問題を固有の戦略課題にたかめることを要求されているのである。
第三節 帝国主義戦争とその内乱への転化の問題
第三の特徴は、帝国主義段階の革命的核心をなす世界戦争の問題、世界戦争がひきおこす革命的情勢の成熟、世界戦争を内乱に転化すべきプロレタリアートの革命闘争の問題を完全に無視まっ殺し、「帝国主義戦争を内乱へ!」というレーニンの革命的スローガンを「大衆操作のための機能論」として軽侮しさろうとする点である。いいかえるならば、カクマル反革命集団には、こんにちのカクマル式「反戦闘争」の反革命的本質を隠蔽し、それに「革命的粉飾」をほどこすためには、帝国主義段階論から帝国主義の世界支配、その不可分の肢体である植民地体制の問題をまっ殺したばかりか、そのうえ帝国主義の世界戦争、その内乱への転化の問題を無視まっ殺することが不可避となるのである。
すでにのべたように、レーニンが帝国主義段階論を確立する過程にあって、農民=農業問題のはたした役割は、じつに巨大なものがある。それゆえ、農民=農業問題のプロレタリア的解決にむかって、計画的、系統的に戦略論的な接近をはかったレーニンの実践的立場に立脚して、労農独裁論から労農同盟論に飛躍的に前進した過程を理論的、実践的に解明し、農民=農業問題にかんするプロレタリア革命の指導原則を今日的に確立することは、まさに緊急の課題といわねばならない。
しかし、そのような任務とならんで、いな、ある意味ではその前提的な作業として決定的になしとげられなければならない緊急の課題は、レーニンの帝国主義段階論の確立の過程における帝国主義世界戦争とその内乱への転化の問題のもつ決定的な重要性を明確に把握し、帝国主義段階論の経済主義的理解を徹底的に粉砕することである。戦争と革命の時代にかんするプロレタリアートの基本的時代認識を基礎づけるものとして帝国主義段階論をまずもってうけとめること――まさにこの一点に帝国主義段階論の真に現代的な発展の道があるのである。
資本主義一般にかんするマルクスの原理論的構成の主要な実践的課題は、資本主義の基本矛盾(労働力の商品化)が周期的恐慌現象として爆発的にあらわれることの解明にあったのであるが、資本主義の帝国主義段階にかんするレーニンの段階論的構成のそれは、あくまでも帝国主義諸列強の世界支配とその再分割の矛盾が帝国主義戦争としてけいれん的に爆発することの解明でなくてはならなかったのである。しかもそのさい重要な点は、帝国主義の世界戦争が革命的情勢を成熟させるということ、それゆえ、各国のプロレタリアートが帝国主義戦争を内乱に転化するために革命的闘争手段の宣伝と準備に本格的にとりくまなくてはならないことの二点を世界戦争の不可避性の問題とかたく結合して把握すべきだということである。
ところが、反革命カクマルにとっては、問題はまったく転倒した姿であらわれる。すなわち、小ブル自由主義の観念で完全に腐敗してしまったかれらの頭脳には、(1)戦争が、それに先だつ各国の政治、経済、社会の状態と結びついており、それらの目的意識的な継続としてあること、(2)それゆえ、戦争をなくすためには、戦争を不可避としている各国の政治、経済、社会の状態をなくさなくてはならないこと、(3)戦争には、反動的で強盗的な略奪の政治の継続としての不正義の戦争と、進歩的で人民的な解放の政治の継続としての正義の戦争があること、(4)不正義の戦争によって生ずる反動的秩序の動揺を利用して、これを反動的秩序そのものの廃絶に転化すること、というマルクス主義の戦争問題にかんする原則的立場がいささかも理解されなくなり、ただただ戦争一般の否定という小ブル平和主義の態度が生まれてくるのである。では、革命と切断した地点で「反戦闘争」を夢想するカクマル式平和主義の根底的な問題性はどこにあるのであろうか。
第一には、戦争と革命の基本問題にかんするマルクス主義の指導原則にかんしてイロハ的なことさえわかっていない、ということである。疑わしくば、黒田寛一『現代における平和と革命』ならびに同『ヒューマニズムとマルクス主義』所収論文「現代における戦争と革命」を読んでみたまえ。そこには、フルシチョフの平和共存論や日共の平和擁護運動にたいする小ブル平和主義に立脚した道徳的憤激の叫びはあっても、戦争とは何か、平和とは何か、戦争にたいするプロレタリア的態度とは何か、という基本問題にかんする論理的規定がただのひとかけらも存在していないことを、諸君はただちに気づくであろう。黒田やカクマルには、戦争の問題をプロレタリア的な根底性において対象化する決意も能力ももちあわせていないのであり、ただそこにあるところのものは、現代の平和にたいする小ブル的焦燥感であり、内乱=革命戦争にたいする小ブル的恐怖心であり、両者のあいだをおろおろとさまよう小ブル的平和主義のつぶやきである。
第二には、帝国主義の世界戦争にかんするレーニン的評価に敵対し、帝国主義戦争が帝国主義の政治と経済にかたく結びついており、その継続として生起することをできるだけあいまいにし、帝国主義戦争にたいするプロレタリアート人民の科学的認識を混乱させようとしていることである。帝国主義の基本的特徴は、すでにいくたびも確認したように、帝国主義の世界支配であり、資本主義の最強の諸国による世界の市場的、領土的分割であり、世界の再分割をめぐる資本主義的列強間の争闘と同盟の激化である。帝国主義の世界戦争は、まさにこのような帝国主義の基本的特徴の軍事的な継続いがいのなにものでもないのである。いいかえるならば、帝国主義の世界戦争はプロレタリアート人民の革命運動にたいする弾圧の政治の継続であり、植民地・従属国の人民の抵抗運動にたいする虐殺の政治の継続であり、プロレタリアートと被抑圧人民にたいする暴虐が帝国主義列強間の衝突として継続したものである。それゆえ、帝国主義の平和と帝国主義の戦争の固有の結びつきを暴露せずに戦争の問題を論ずる黒田=カクマルの態度は、帝国主義戦争にたいする正しい認識を妨害し、帝国主義戦争を戦争一般にすりかえる小ブル平和主義の立場いがいのなにものでもないのである。
第三には、帝国主義戦争にたいするマルクス主義的な原則に敵対し、帝国主義戦争をなくすためには帝国主義の政治、それと結びついている経済、社会の状態をなくさなくてはならないことをできるだけあいまいにし、帝国主義戦争にたいするプロレタリアート人民の革命的態度を混乱させようとしていることである。プロレタリアート人民の帝国主義戦争にたいする革命的反戦闘争の立場は、帝国主義の戦争にたいして帝国主義の平和を対置する小ブル平和主義の立場とは決定的に異なり、帝国主義の戦争にたいするプロレタリアート人民の批判を帝国主義そのものをなくすところまでたかめようとするものである。前者は、レーニンとボルシェヴィキの道であり、後者はカウツキー、エーベルト、シャイデマン、ノスケとドイツ社民党の道である。後者の道の終点にはやがてヒトラーと世界戦争が姿をあらわすのである。それゆえ帝国主義の世界支配をなくし、帝国主義諸列強による世界の市場的、領土的分割をなくし、世界の再分割をめぐる帝国主義諸列強間の争闘と同盟の関係をなくす革命的なコースだけが、ただひとつ帝国主義戦争とその根拠を完全になくすことができるのである。まさに、この重大なレーニン的命題を否定しそれを平和共存政策にすりかえたところにスターリン、フルシチョフを先駆とするマルクス主義戦争論の根底的な歪曲があったのであるが、わが黒田=カクマルは、このような基本問題との対決を回避したところでフルシチョフの平和共存論批判なるものをおこなうのであり、その結果が社民系原水禁の小ブル平和主義と同じところに落ちつくのは理の当然である。
第四には、正義の戦争と不正義の戦争との区別にかんするマルクス、レーニンの革命的命題に敵対し、プロレタリアート人民の革命的蜂起、植民地・従属国の人民の民族蜂起、それらの継続としての内乱、革命戦争と、帝国主義の支配と搾取、抑圧と収奪の反動的体制を維持し、プロレタリアート人民への弾圧と虐殺の政治の継続としての帝国主義戦争との絶対的な相違をできるだけあいまいにし、帝国主義にたいするプロレタリアート人民の武装闘争の意義を混乱させようとしていることである。マルクス主義の戦争論は、戦争一般に平和一般を対置し、正義の戦争と不正義の戦争との区別、正義の平和と不正義の平和との区別をまっ殺する小ブル平和主義の戦争論とは決定的に異なり、プロレタリアート人民の革命的正義のための戦争、植民地・従属諸国の人民の民族解放のための戦争を帝国主義の戦争から明確に区別し、革命戦争、民族戦争の革命的発展を断固として推進する立場にたつのである。なぜならば、革命戦争、民族戦争は帝国主義の支配と抑圧、搾取と収奪、弾圧と虐殺の不正義な政治にたいし、プロレタリアート人民の完全な正義の政治を実現し、プロレタリアート人民を総武装することによって正義の権威と自由の行動をプロレタリアート人民に保障し、かくして戦争を根底的に消滅する条件を準備するものだからである。それゆえ、黒田やカクマルのように、正義の戦争と不正義の戦争との区別をまっ殺し、革命戦争、民族戦争(その現代的な高次の発展形態としての民族解放・革命戦争)の意義を否定する立場から戦争論、反戦闘争論をあつかうことは、マルクス主義を小ブル平和主義にすりかえるものであり、帝国主義の戦争をプロレタリアート人民から擁護するものである。
第五には、帝国主義戦争と革命情勢の関連にかんするレーニン的問題意識に敵対し、帝国主義戦争による革命情勢の成熟の問題、反戦闘争と革命的手段の問題、帝国主義戦争の内乱への転化の問題をできるだけあいまいにし、帝国主義戦争を内乱に転化するためのプロレタリアート人民の革命的準備の意義を混乱させようとしていることである。帝国主義戦争にたいするマルクス主義の基本原則は、すでに検討してきたように、帝国主義戦争と帝国主義の世界支配との固有の結びつきをしっかりとつかみとり、帝国主義戦争にたいするプロレタリアート人民の反戦闘争を帝国主義の世界支配そのものをなくすところまでたかめ、帝国主義の世界支配を打倒するための革命戦争、民族戦争を積極的に推進するところにあるが、このような世界史的な任務を正しく遂行していくためには、プロレタリアート人民は、帝国主義世界戦争によってもたらされた帝国主義世界支配の動揺と情勢の流動化のなかで、帝国主義戦争を内乱へ!の革命的戦略を高々とかかげ、革命党の指導のもとに合法的闘争手段と非合法的闘争手段、政治的闘争手段と武装的闘争手段を有機的に結合し、革命的蜂起の計画的、系統的な準備を確固としておしすすめ、それに勝利しなくてはならないのである。いわば、帝国主義戦争にたいするプロレタリアート人民の革命的態度は、蜂起の準備というもっとも目的意識的な任務のなかに凝固した内容を問われるのである。それゆえ、黒田やカクマルのように、内乱の戦略に敵対し、蜂起の計画的、系統的準備に敵対し、反戦闘争を革命から切断することは、プロレタリアート人民の革命的反戦闘争を小ブル平和主義の立場に売りわたすものであり、帝国主義の戦争を現実に擁護する役割をはたすものなのである。
したがって、現代のプロレタリア革命を本当に勝利させるためには、カクマルのように段階論から帝国主義世界戦争とその内乱への転化の問題を追放し、まっ殺するのではなく、まさに逆に帝国主義戦争とその内乱への転化の問題にかんするレーニンの天才的な洞察を戦後世界の複雑な情勢のなかに実践的に適用していくことでなくてはならない。帝国主義戦後世界体制を間断なくおそうところのいわゆる局地戦争、特殊戦争の波は、帝国主義者やその同調者カクマルのように、中ソのスターリン主義者の「地理的拡大」の野望と、それにたいする「自由陣営の反撃」という構図において認識されるべきものではなく、あくまでも、帝国主義の世界支配の独自の矛盾が、帝国主義世界支配の戦後的再編成(世界史的過渡期の平和共存的変容と、それを前提とした帝国主義戦後世界体制の形成)にもかかわらず、内乱=革命戦争として永続的に爆発している過程、このような矛盾の爆発にスターリン主義が暴力的にひきこまれ、その無力性と反動性を自己暴露し、分解と没落をはやめている過程として認識されなくてはならないのである。後進国・半植民地人民の民族解放・革命戦争にたいするカクマルの小ブル平和主義的な敵対は、レーニン帝国主義論、とりわけ、その革命的核心をなす帝国主義世界戦争論にたいするカクマルの反革命的改作によって、いまや修正不可能な反革命的原則にまで理論的に「たかめ」られたのである。
第四の特徴は、以上の検討から明白であるように、帝国主義を「資本主義の最高の発展段階」として、「戦争と革命の時代」として認識するプロレタリアートの革命的実践の立場を「レーニン教条主義」と軽蔑し、帝国主義論を経済政策の体系のようなものにすりかえ、帝国主義の永遠の歴史的生命を謳歌しようとする点にある。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、戦後世界体制の崩壊的危機のふかまりと、それを世界史的根拠とする「革命の現実性」の緊迫を否定し、帝国主義とスターリン主義の千年王国を讃美するためには、レーニン帝国主義論の革命的時代認識をなんとしてでも解体し、帝国主義論を構改派の経済主義以下的に改作することが必要なのである。
第四節 帝国主義段階とその国独資政策の問題
もともと帝国主義論を「資本主義の最高の発展段階」「戦争と革命の時代の資本主義」にかんするプロレタリアートの基本的な時代認識として把握するためには、われわれは、資本蓄積様式の産業資本形態から金融資本形態への世界史的な推転と、それにもとづく資本主義の世界構造の段階的変化にかんする段階論的な認識を基礎として、帝国主義の世界支配における植民地体制と民族抑圧の問題、帝国主義の世界再分割の帝国主義世界戦争としての爆発と、その内乱への転化の問題、帝国主義による農民収奪の形態とその矛盾の革命的解決の問題、帝国主義国プロレタリアートの階層分化と民族排外主義的、差別主義的な腐敗、そのプロレタリア的な克服の問題などをプロレタリア革命の戦略的課題に正しく位置づけることが大切なのである。プロレタリアートは、政府・資本家との闘争において自分たちの政治的、経済的な陣地を擁護し前進させるだけでなく、帝国主義の世界支配がひきおこす搾取と支配、抑圧と差別のすべてをプロレタリアート自身の問題としてうけとめ、共産主義的な解放の道を理論的にも実践的にもさししめす世界史的任務を有しているのであるが、このようなプロレタリアート自己解放の世界史的構造を帝国主義段階においてもっとも鋭く照らしだしているものこそ、レーニンによって確立された帝国主義論であり、それを基礎としたレーニン主義革命論なのである。
ところが、わがカクマル反革命集団は、レーニン帝国主義段階論のこのような決定的意義を否定し、それを経済政策体系のようなものにすりかえ、小ブル自由主義の立場にレーニン主義革命論を改作したばかりか、こんにちでは、その完成として現代帝国主義をレーニン帝国主義論の規定から決定的に「解放」し、現代帝国主義の歴史的生命力を永遠化するための仕事にとりかかりはじめたのである。いわばかれらは、まず最初にレーニン帝国主義段階論の革命的核心を破壊して、それの現代的適用の道をゆがめ、しかる後に、レーニン時代の帝国主義段階なるものと現代帝国主義とを機械的に分断し、レーニン帝国主義論の現代的適用をとざす、という二重の安定装置をつくりだしたのである。
黒田寛一はいう――
「明らかに一九一七年革命によってきりひらかれた世界革命への過渡期にある現代世界はレーニンの時代の帝国主義的段階とは一変している」(『日本の反スターリン主義運動2』)と。
つまり、黒田によると、「現代世界」は「世界革命への過渡期にある」から「レーニン時代の帝国主義的段階」とは「一変」しているというのである。レーニン帝国主義段階論を破壊しただけではまだまだ不安な黒田(すなわちカクマルによる段階論の改作があまりにも粗雑で、いささかも説得力をもっていないことをよく知っている黒田)は、現代世界とレーニン時代の帝国主義段階とが「一変」しているという独断(というより、正確には右翼スターリン主義者=構改派からの借り物)でもって、レーニン帝国主義段階論の現代的適用に敵対しはじめたのである。
では、このようなカクマル式「変質」論のもたらす問題点は、どこにあるであろうか。
第一には、黒田式「一変」論によって、レーニン帝国主義論の現代的適用の基本的有効性を否定していることである。
ところで、黒田は、すでにみたように「世界革命への過渡期である現代世界」と「レーニン時代の帝国主義的段階」との関係において「一変」論を根拠づけているのであるが、このような方法はそれじしんのうちに明白な破産が準備されているのである。というのは「レーニンの時代の帝国主義的段階」とは、プロレタリア革命の前夜であり、世界革命への過渡期の時代であったからである。すなわち、「現代世界」が「世界革命への過渡期」であるから「帝国主義的段階」と「一変」しているというならば、レーニン時代の「現代世界」もまた「帝国主義的段階」と「一変」していたはずであるし、また、レーニン時代の「現代世界」が「帝国主義的段階」と「一変」していないとすれば、「現代世界」もまた「一変」していないはずである。腐敗した哲学者の論理的ペテンの中身はいつもこんな程度のものである。しかし、ここで同時に確認しておかなくてはならない点は、もともと黒田には「一変している」という結論だけが欲しかったのであり、その論拠づけなどは、まったくみせかけのものでしかなかったという事実である。つまり、黒田には、どんなことをしても「現代世界」にはレーニンの帝国主義論はあてはまらない、という結論がひきだせればよかったのである。
もとよりわれわれは、帝国主義段階論を経済的側面と政治=軍事的側面をあわせもった全体的な時代認識としてとらえようとする立場にたっている。それゆえ、われわれは、現代世界の世界史的構造を把握する場合、「段階」・「過渡」という世界の世界史的時代規定に確固として立脚して、その「変容」=「再編」・「危機」という現代世界の具体的な態様を立体的に認識する方法をとろうとするのである(『共産主義者』一九号、本多論文参照)。だがこのような現代世界の構造は、帝国主義段階論の規定性が無意味化したことを意味するものではだんじてなく、むしろ帝国主義が世界市場の基幹部分において延命し、帝国主義の矛盾が、現代世界の発展基軸をなしているそのかぎりにおいては、帝国主義段階論は現代世界の分析のもっとも有効な武器をなしているのである。
第二には、体制間矛盾論の一変種としてのスターリン主義逆措定論にたっていることである。つまり、カクマル反革命集団は、帝国主義と和解した小ブル自由主義者にふさわしく、現代世界の根底的危機性を帝国主義の世界支配とその矛盾の爆発の深刻さがスターリン主義の歴史的破産をもあばきだしながら進展していることにみいだすのではなく、スターリン主義陣営の「地理的拡大」の野望とそれにたいする帝国主義陣営の反撃という対立=依存の関係においてとらえようとするのである。いいかえるならば、帝国主義とスターリン主義とは平和共存的依存関係にたちながらも、ときどきスターリン主義の側が「地理的拡大」を策動するので紛争が起るのだから、スターリン主義も「地理的拡大」の策動をやめ、帝国主義も「介入」「反撃」をやめれば「平和」がもどってくる、とカクマルは主張しているのである。このようなカクマル式逆措定論は、スターリン主義者の体制間矛盾論の一変種であり、同時にまた、帝国主義者の反共イデオロギー攻撃への小ブル的迎合でしかないのである。
もちろん、現代世界の構造的特徴のひとつは、帝国主義から社会主義への世界史的過渡期が帝国主義とスターリン主義の平和共存関係として変容的に現象しているところにあり、それゆえまた、帝国主義の世界支配とその矛盾の革命的爆発が多くの場合「平和共存関係」に歪曲的に集約されることによって、あたかもそれが帝国主義とスターリン主義の対立として生起したかのような政治的仮象をとることは否定できないところである。しかし、われわれは、このような政治的仮象性に幻惑されて、その根底を規定している基本的流れをけっして見失なってはならないのである。
第三には、構改派の国家独占資本主義論にたいする完全な追従である。
周知のように、右翼スターリン主義者としての構改派は、「一九二〇年代以降のスターリン主義の犯罪性を免罪し、革命の主体と打倒すべき客体=帝国主義との主客の厳密な総括を拒否して、帝国主義の延命を、それ自体に内在する歴史的生命力に求め、帝国主義段階よりもう一つ上の段階として国家独占資本主義段階を設定」(『共産主義者』三二号、白井論文)するところに、理論上の日和見主義が集約されている。つまり、構改派は、三〇年代以後のいわゆる国家独占資本主義政策の展開を、帝国主義の体制的危機にたいする具体的な対応策、すなわち帝国主義段階論に立脚した国家独占資本主義政策論としてとらえるのではなく、帝国主義に内在するあらたな歴史的生命力の発動として美化することによって、革命の敗北=帝国主義の延命を客観主義的に合理化し、かくしてレーニン主義革命論の日和見主義的改作の道をはらいきよめたのである。
ところがカクマルもまた構改派のあゆんだ道を一周おくれで実践的、理論的に追従しはじめたのである。その決定的な標識こそ、ほかならぬ黒田の「国家独占資本主義」=「新しい形態」論の密売である。もともと黒田は、構改派程度の経済学の理解すらもちあわせてはいないのであり、帝国主義段階論はもちろん、国家独占資本主義政策についても、なにか具体的内容にかかわる問題の展開をおこないうるわけではないことは、いうまでもないところである。にもかかわらず、黒田が、「新しい形態」論を、(1)商人資本、(2)産業資本、(3)金融資本という資本主義の発展段階の延長線上に想定していることもまた、『日本の反スターリン主義運動2』の図解3における。(1)→(2)→(3)→(4)→という構成をみるならば一見して明白である。いわば黒田は、国家独占資本主義=新しい形態論というペテン的レッテルにかくれて構改派型国家独占資本主義段階説を密売し、帝国主義の歴史的生命力にたいするあらたな讃歌に唱和しているのである。
[注]現代帝国主義の特徴は、すでにみたように、いわゆる国家独占資本主義政策にあるが、この場合、とくに注意しなくてはならない点は、いわゆる国家独占資本主義政策の意義を経済主義的に理解してはならないということである。構改派、宇野右派、そしてカクマルは、国家独占資本主義段階なるものを想定し、この段階を「レーニン時代の帝国主義的段階」と区別するために種々の標識をみいだそうとする。しかし、そのような努力は、管理通貨体制説、自己金融 説をはじめとしてことごとく破産してきた。われわれは、現代帝国主義の今日的な特徴を国家独占資本主義段階論としてではなく、あくまでも帝国主義段階論を基礎とした国家独占資本主義政策論として解明し、それをもって現代革命の戦略的展開を具体的に基礎づけていかなくてはならない。では、われわれが、現代帝国主義論を国家独占資本主義政策論として展開していくとき、どのような点が問題となるであろうか。
第一には、帝国主義段階論=金融資本的蓄積様式論をしっかりと堅持し、その基礎のうえに政策論を具体的に展開することである。
第二には、ロシア革命を突破口とする帝国主義から社会主義への過渡期の開始と、その平和共存的形態への変容の問題を、帝国主義の世界支配の危機とその具体的なのりきり策として、すなわち、まずもって政治的標識において規定することである。
第三には、大恐慌とそれにもとづく世界経済のブロック的解体、そのもとでのナチス経済、ニュー・ディールなどの国家独占資本主義政策の模索を、帝国主義の崩壊的危機にたいする具体的な対応策として理解しなくてはならない、ということである。
第四には、帝国主義の戦後世界体制と、そのもとでの各国の帝国主義の発展を、帝国主義の戦後的危機性にたいする体制的なまさかえし策としてとらえることである。すなわち、現代の帝国主義は、帝国主義と社会主義の世界史的な分裂と抗争をヤルタ=ジュネーブ体制(スターリン主義陣営の屈服と協力)をもってひとまず調整するとともに、この基礎のうえに、ドル・ポンド国際通貨体制と集団的安全保障体制(対ソ・対中=対内乱の軍事ブロック)を構築し、帝国主義の戦後的な発展をひとまず保障したのである。しかし、このような帝国主義の戦後的な延命形態はすでにおおくの機会に指摘してきたように、大恐慌とそれにもとづく世界経済のブロック的解体を根底的に解決したものではなく、あくまでもアメリカ帝国主義の圧倒的な経済的、政治=軍事的な力量を基礎として世界経済の擬制的な統一をつくりだしたものにすぎないのであり、したがってまた、きわめて政治的・軍事的な性格が色こいものなのである。日和見主義者たちは、戦後の帝国主義があたかも平和的な性格に変質したようにえがきたがるが、事実はまったく逆であり、戦時のみならず、「平時」においても、恒常的な軍事性を政治的にも経済的にも確固として維持しているのである。多角的で強力な連繋性をもった軍事同盟、強大な軍事力、軍需産業の恒常的な維持、行政的執行権力の際限なき強大化という現代帝国主義の国家的特徴は、まさに、このような事態のもっとも鋭い標識なのである。しかも、現代国家の革命論的解明においてとくに注意すべき点は、現代の帝国主義が、一方では革命勢力にたいする内乱鎮圧型の凶暴な弾圧態勢を維持し、人民の生活の細部にいたるまで治安政策的な管理を拡大してくるとともに、他方では階級闘争を体制内的に包摂し、帝国主義の利益と調和できるものに変質させるための議会的・組合的・行政的な水路をたくみにつくりだし、プロレタリアートの階級意識を職業的、階層的に分断し、それを権威主義と中間層志向、排外主義と差別意識の方向に拡散する政治的、イデオロギー的装置をたくみにつくりだし、それらをきわめて政策的に操作する傾向をもっていることである。いいかえるならば、現代の帝国主義は、ますます深刻化する国際階級闘争の内乱的な発展に対処するためには、一般民主主義の抽象的たてまえを維持しながら、行政的、軍事的執行権力の独自的な強大化をおしすすめ、階級闘争の体制内的な包摂と革命的内乱勢力の強権的な鎮圧を同時的におこなう政策的傾向をもっているのである。
トリアッチ=宮本路線として定型化しつつあるスターリン主義右派のコースは、帝国主義の行政的・軍事的執行権力の独自的な強大化との革命的な対峙を完全に回避し、議会内の勢力の漸増をとおして行政的、軍事的な執行権力を徐々に統制し、最後的には行政的、軍事的執行権力を適法的に掌握しようとするものである。しかし、このようなコースが成功するためには、もっとも好意的にみたところで、独占体の支配と、そのもとでの独占体と官僚機構との強力な融合状態があらかじめ解体されていることが前提とならなくてはならないのであり、まったく夢物語でしかないのである。他方、毛思想として定型化したスターリン主義左派のコースは、世界の農村をもって世界の都市を攻略するといった、粗雑で無責任なものであり、現代帝国主義の経済的、政治=軍事的な支配の構造のレーニン主義的な分析に立脚して、現代革命の戦略的展望を確立する意志も能力ももちあわせていないところのものである。毛思想には、後進国・半植民地人民の民族解放・革命戦争を自己の一国社会主義的利益に従属させる観点しかなく、後進団・半植民地の人民の民族解放・革命戦争をプロレタリア世界革命の一環として位置づけ、その最後的な勝利を達成するプロレタリア的な観点が決定的に欠如しているのである。米中会談に象徴される中国共産党のあまりにも露骨な平和共存政策の展開、民族解放・革命戦争への裏切りと帝国主義の息つぎ政策への屈服は、このような毛思想のスターリン主義的本質の具体的な帰結いがいのなにものでもないのである。
われわれは、構改派、宇野右派、そしてカクマルなど種々の傾向をもって発生する帝国主義変質論を断固として粉砕し、レーニンの帝国主義段階論を「レーニン時代の帝国主義的段階」に適用するのみならず、「われわれの時代の帝国主義段階」にも適用し、現代帝国主義の世界支配の構造とその命運を徹底的にあばきだし、現代革命論の戦略的確立、とりわけ帝国主義本国のプロレタリア革命、抑圧民族内のプロレタリア革命の勝利のための理論的な基礎をいっそう確固としたものに仕上げていかなくてはならないのである。レーニン主義革命論を「後進国革命論」に再構成しようとするカクマルの反革命的な策動は、直接的には帝国主義本国(そう呼びたければ「先進国」)のプロレタリア革命へのレーニン主義の適用を拒否することを目的としたものであるが、より本質的には帝国主義の世界支配の総体的構造の認識、したがってまた、プロレタリア世界革命論、レーニン主義革命論の現代的な全体構造からプロレタリアートをひきはなそうとする反革命的意図とかたく結びついているのである。われわれは、ロシア革命を帝国主義段階論に立脚した帝国主義本国のプロレタリア革命としてまずもって規定しなくてはならないのであり、カクマルのように正体不明の「後進国革命」をデッチあげ、ロシア・ツァーリズムとその後継者ケレンスキーの帝国主義的本質をあいまいにし、祖国防衛戦争の擁護者の道をあゆむことであっては断じてならないのである。
第四には、帝国主義戦後世界体制の不可分の肢体としての現代植民地体制、半植民地・後進国体制の否定である。
もともとカクマルには、帝国主義の戦後世界体制にかんする世界史的な認識が欠如しており、帝国主義の戦後世界体制の崩壊的危機のもつ世界史的意義がまったくわからないのであるが、このようなかれらの無知をもっとも鋭く照らしだしている問題点のひとつが、ほかならぬ帝国主義の現代植民地体制、半植民地・後進国体制にたいする右翼社民的な否定である。すなわち、かれらは、戦後の階級闘争に規定されて従来の植民地・従属国が一定の政治的独立をつぎつぎとかちとり、「民族国家」を形成したという現象的事実に眼をうばわれて、帝国主義の植民地支配、民族抑圧があたかも過去のものになったかのように幻想し、半植民地・後進国人民の民族解放闘争(その主要な形態としての民族解放・革命戦争)にたいし民族主義という悪罵をなげかけているのである。
しかし、帝国主義者と一体となってカクマルがどのように虚偽の評価をまきちらそうとも、帝国主義の戦後世界体制が、植民地・従属国の人民の民族解放闘争の革命的発展を回避するために一定の政治的妥協をおこないながらも、同時に、軍事援助と経済援助という戦後的な形態をとおしてそれらの国ぐにを政治的、経済的に従属させ、新しい体制のもとに再編成していったことは、こんにちではほとんど否定すべくもない事実である。半植民地・後進諸国にたいする帝国主義の支配と民族抑圧の現実にたいし、これを「法的独立」の形式をもって否定するものは、「法のまえの平等」をもって階級の消滅を幻想したブルジョア自由主義とまったく同様である。それゆえ、かれらには、帝国主義の侵略性が帝国主義に固有の性格としてではなく、例外的な事例のようにうつるのである。
いわば、黒田とカクマルは、一方では構改派流の国家独占資本主義論のいっそうの経済主義化、他方では「スターリン主義の措定による帝国主義の変質」論を唱えることによって、戦後帝国主義があたかも民族=植民地問題や戦争の問題を解決したかのようにえがきだそうとしているのであるが、すでに検討したようにこのようなカクマルの主張は、じつは、帝国主義と民族=植民地問題、戦争問題との固有の結びつきをたちきり、帝国主義の戦後的な成長政策を万能視することによって帝国主義の永遠の生命力にかんする小ブル的敗北主義のまえにプロレタリアートを屈服させようとするカクマル特有の卑劣な手口いがいのなにものでもないのである。つぎつぎと帝国主義固有の矛盾を解決して存続すると主張する帝国主義。ベトナムにおいてさえすでに「民族問題」を「ジュネーブの南北分割で解決」してしまったと主張するカクマル。ここには帝国主義の命運にかんする両者の認識のあまりにもみごとな一致が存在するではないか。
だが、帝国主義がどのように帝国主義の永遠の未来を語ろうとも、また、カクマルが帝国主義と唱和してどのように「革命の非現実性」を語ろうとも、帝国主義は「資本主義の最高の発展段階」であり、プロレタリア革命いがいにその矛盾から脱出する道はいささかも残されていないのである。もとより、かつてレーニンも指摘したように、マルクス主義は革命的見通しの科学であって運命的占断の術ではないいじょう、帝国主義の最期の日を予告することは無意味であろう。にもかかわらず、帝国主義が「死滅しつつある資本主義」であること、帝国主義の戦後世界体制が世界史的な崩壊にむかって矛盾を成熟させはじめていることは、マルクス主義者ならば、なんぴとといえども疑いえない絶対の真実である。わがカクマルがレーニン主義『批判の武器』を反革命的武器にしていかにレーニン主義革命論の解体をはかり、帝国主義段階論の経済主義的な改作をはかろうとも、それはカクマルが帝国主義の命運と自分の命運とをいかにかたく結びつけて理解しているかを自己証明する過程いがいのなんの役割もはたしえないのである。
第五には、マルクス経済学における段階論の意義についての完全な無知である。すなわち、黒田は、産業資本主義的段階?なるものと、帝国主義的段階との関連にかんして論理主義的な位置づけを尊大なポーズでおこなうのであるが、産業資本主義的段階というデタラメな規定を常用し、それを帝国主義的段階に対比することからも明白のように、資本主義の段階的発展の認識基軸が資本蓄積様式にあるということさえわかっていないのである。だからこそ、かれは「国家独占資本主義」=「新しい形態」なるものを、@商人資本→A産業資本→B金融資本の直接的延長線上に設定し、『共産主義者』二三号の白井論文でそれでは「国独資段階論」になるではないかと批判されると大あわてで、自分は国独資段階論を唱えたわけではないと打消しに夢中になる醜態を満天下にさらすことになるのである。
理論的詭弁と哲学の混同を得意としている黒田は、おそらくはその逃げ道を、Cは国家独占資本主義を意味するものではなく、現代世界を意味しているのだ、という詭弁に見いだすであろう。しかし、そのような逃げ口上は、黒田の苦境をもっと深刻にするだけであることを、あらかじめここに「忠告」しておくことにしよう。というのは、資本主義の段階的規定性において現代世界を把握するならば、現代帝国主義のそれはあくまでもB金融資本に対応するものでなくてはならず、また世界史的過渡期という規定性において現代世界を把握するならば、現代世界のそれは、あくまでも@資本主義(便宜的には帝国主義)→A過渡期→B共産主義(より厳密には@奴隷制→A封建制→B資本制→C共産制という人間社会の特殊歴史的な発展形態におけるBとCの過渡期、両者の要素の闘争の時代)という構成で本質的に認識されなくてはならないからである。
それゆえ、この黒田の@→A→B→Cという規定は、かれらの現代世界の基本認識が、小ブル的な現象認識でしかないことをはしなくも自己暴露しているのである。
結論的にいうならば、黒田とカクマルによるレーニン帝国主義段階論の経済主義的改作の作業はあまりにも粗雑で、低水準であり、構改派程度の論理的説得性すら備えていないしろものである。ただそれは、黒田の帝国主義段階論の無内容性、いなむしろその小ブル自由主義的本質を自己暴露する過程に転化した、というその一点において決定的意義を有するものでしかないのである。そして、やがてそれは、黒田のマルクス経済学理解のコンマ以下的水準(労働における必要労働と剰余労働の資本制的転化の形態として労賃と剰余価値を把握するマルクス的方法に敵対し、剰余価値を不等価交換から説明する黒田の小ブル的根性。これでは剰余価値を盗みと理解する赤軍脱走兵の上野くんとまったく好一対ではないか!)を自己暴露する過程に転化することによって、黒田理論体系なるもののより巨大な崩壊の過程に発展していくであろう。
第四章 プロレタリア独裁論の小ブル自由主義的な改作
レーニン主義革命論にたいするカクマルの反革命的改作の第三の基軸をなすところのものは、プロレタリア独裁論の解体であり、小ブル自由主義の綱領へのすりかえである。
カクマル反革命のもっとも臆病な代表者、黒田寛一は、内弁慶な人物に特有な高慢さで「レーニン『国家と革命』への疑問」という雑文を公開したが、だが、このような行為は、カクマル内の混乱と動揺を鎮静する役割をはたすどころか、かえって、ここまで露骨に小ブル平和主義の心情を告白するのはまずいのではないか、という意見を続出させ、混乱と動揺をいっそう促進させる結果に終ったのである。かの「滑川」などははやくもその失敗を認めこっそりと回収をはかっているが、黒田の頑迷な抵抗にあって渋滞しているというのが実情のようである。なにはともあれ、われわれとしては黒田の「プロレタリア独裁論への疑問」を告白したところの、この小冊子を独自に何万部でも増刷し、革命的なプロレタリアート人民の自由な批判にまかせることが、このうえなく「セクト的利益」にかなうというものであろう。
では、黒田の「レーニン『国家と革命』への疑問」というレーニン主義革命論解体にかんする心情告白書の特徴はどこにあるであろうか。
第一節 国家の暴力性について
第一の特徴は、国家の暴力性にかんするマルクス、エンゲルス、レーニンの理論的指摘、ブルジョア国家とプロレタリアートの対立の非和解性にかんするマルクス、エンゲルス、レーニンの理論的指摘を、「結果論」「機能論」の名のもとに徹底的に嘲笑し、国家の暴力性にかんするプロレタリアートの革命的認識、ブルジョア国家にたいするプロレタリアートの非和解的な態度を解体しようとしている点にある。いいかえるならば、カクマル反革命集団には、プロレタリア階級闘争の合法主義的、組合主義的、経済主義的な歪曲を「本来の戦線」論の名のもとに美化し、革共同と革命勢力にたいするK=K連合を合理化するために、国家の暴力性、ブルジョア国家とプロレタリアートの対立の非和解性にかんするレーニン国家論の重大な指摘をことごとく解体し、国家論なるものを帝国主義の利益と和解しうるものに改作することが必要なのである。
黒田はいう――国家の本質は「幻想的な共同性」である、だから、(1)国家の本質についてレーニンのように国家を「諸階級の非和解性のゆえの産物」とするのは結果的現象論あるいは現象的結果論である、(2)「諸階級の和解が可能であるならば国家は発生することも存続することもありえない」というレーニンの提起は機能論であり、それじたいノンセンスである、(3)国家を「階級支配の機関」「暴力装置」と規定するのは現象論的誤謬である、と。
これが、国家の本質論にかんする黒田の疑問なるもののすべてである。一読して明白なように、ここで黒田のやっていることは、『ドイツ・イデオロギー』におけるマルクス、エンゲルスの国家本質規定の黒田的理解においてレーニン国家論の実体的な誤謬なるものをあげ足とり的になで切って得意になっているだけのことである。だが問題は、その先にある。なぜなら、われわれにとっての実践的な任務は、黒田のようにレーニン国家論の限界なるものの批判にかこつけて、国家の暴力性、ブルジョア国家とプロレタリアートの対立の非和解性の問題をあいまいにしていくことではなく、マルクス、エンゲルスの国家の本質規定に立脚して、レーニンが『国家と革命』で提起した諸問題をどう発展させていくか、という一点にかかっているからである。それゆえ、このような実践的観点にたって黒田の疑問なるものを読みかえしたとき、プロレタリアートの革命的問題意識とはまったく異質な小ブル的論理をそこにみいだすことはさして困難ではないであろう。
第一には、黒田の(1)のテーゼにかんしてみると、かれはレーニンの国家規定にたいしマルクス、エンゲルスの本質規定をまさに本質論的に把握し、その地平からレーニンが提起した国家論的諸問題を内容豊かに発展させ、かくすることによってレーニンの国家規定の実体論的傾向を内容的に止揚していく実践的立場にたつのではなく、実体論的問題領域に本質論を直接に対置するという誤った方法をとっている。その結果、黒田は、@社会の階級社会への転化と国家の発生の問題、A資本主義社会におけるプロとブルの階級対立とブルジョア国家の役割の問題、Bブルジョア的階級関係の廃絶と国家の死滅の問題、総じていうならば国家と階級対立の関係の問題をそれじしんとして解明し、プロレタリアートに説明する作業を「結果論」「現象論」として放棄することになるのである。いやそれどころか、そもそも黒田は、なにがなんでもレーニンを国家実体論者にしたてあげようとする邪悪な意図をもって『国家と革命』を読もうとするから、レーニンが国家論の構築にあたり、まずもってエンゲルスの「国家は社会から生まれながら、社会のうえに立ち、社会にたいしてますます外的になっていく権力である」という優れた規定から出発していることの意義がまったく見えなくなってしまうのである。
第二には、黒田の(2)のテーゼにかんしてみてみると、かれはここでは、かれみずからが「ノンセンス」であることを自己暴露している。なぜならば、このレーニンの文章は、小ブル・イデオローグの「国家は諸階級を和解させる機関である」という誤った意見にたいし、反語的に「マルクスによれば、諸階級を和解させることができるようならば、国家は発生することも存続することもできないはずである」とのべているものであり、それをレーニンが「諸階級の和解などということを提起」していると理解することは、それこそ、まったく「ノンセンス」と言わざるをえないからである。これでは、鹿を馬といった人間を見てレーニンが「角のはえた馬があるとしたら」と評したのにたいし、黒田が「角のはえた馬などということを提起することそれじしんがノンセンス」と得意げに語るようなものではなかろうか。
ついでに紹介すると、黒田は自分について「たえず国家権力による弾圧にうちひしがれ、さらされているわれわれ」(ゴジは引用者)と規定している。消耗感にみちみちた黒田の内部世界、国家権力とその弾圧との闘争をとおして自己の革命的武装を強化していくプロレタリア的精神とは逆に弾圧にたえず「うちひしがれて」しまうカクマルの組織的性格をなんとみごとに描写していることか。弾圧によって「うちひしがれ」消耗感にみちみちたカクマルが、危機からの脱出の道を帝国主義との「和解」に求め、さらに政治警察との「連合」にまでいきつくのは、まったくよく筋道のとおった話である。
第三には、黒田の(3)のテーゼにかんしてみてみると、かれはここでも(1)の問題と同様に、国家の本質的規定を@「階級支配の機関」としての国家の役割の問題、A国家の物質的実体構造としての「暴力装置」の問題に直接的に対置し、例によって例のごとく「現象論」「実体論的確定化」というレッテルはりで問題をすまそうとしている。つまり、黒田は、国家の問題について、それを「諸階級の非和解的対立」や「暴力」の問題と関連させて解明し説明することを破壊するために、哲学的な概念操作をくりかえすのである。
では、このような黒田=カクマルの国家論にかんする固有の誤り、もっと正確にいえば黒田=カクマルの国家論にかんする小ブル自由主義的な理解は、なにに根拠を有するのであろうか。答えは明白である。すなわち、黒田は、マルクス、エンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』に依拠して国家の本質を「虚偽の共同性」あるいは「共同体の幻想的形態」という規定にまとめあげることに成功したのであったが、しかし、マルクス、エンゲルスのこの国家本質規定をヘーゲル主義的な内容、つまり小ブル自由主義の立場で理解してしまったために、あたかもそれが、マルクス、エンゲルスのもうひとつの国家本質規定である「特殊な抑圧力」としての「政治的暴力」と相違・対立するものであるかのように誤って理解してしまったのである。いいかえるならば、「政治的暴力」の本質が共同性の対立的表現をなす暴力の虚偽の形態にあること、それゆえ、またそれは、「虚偽の共同性」の別の表現でしかないこと(つまり、私有財産と分業の関係と同じ論理的構造をなしていること)についてまったく無知な黒田は、よろこびいさんで「幻想の共同性」説をもって「政治的暴力」説を批判する誤謬をおかしたばかりか、そのうえ、その誤謬の「たかみ」から、レーニン国家論を批判する誤謬をもあわせもつはめにおちいったのである。つまり、黒田には暴力にかんする本質的な認識、暴力の疎外形態としての政治的暴力にかんする本質論的な認識が決定的に欠如しており、したがってまた、政治的暴力とその発現の実体的基礎との弁証法的関係がすこしもわかっていないのである。
かくして、黒田は、国家の本質をなす政治的暴力が、国家の物質的実体構造をなす行政的、軍事的な官僚機構(武装した人間の特殊な部隊)を基礎として政治的、軍事的に現象してくるという国家の立体構造が認識できなくなり、政治的暴力(本質)と暴力装置(実体)を二重うつしする誤りにおちいるのである。その結果、ブルジョア国家の暴力性を対象化し、それにたいしてプロレタリアートの革命的暴力をもって対峙し、それを打倒し、プロレタリア独裁を維持していく、という暴力革命の核心的内容が、あたかも「機能論的な誤り」であるかのような転倒した認識が生まれてくるのである。国家の暴力論的、権力論的規定性を捨象し、国家を「共同幻想」ととらえる小ブル的な観念論は、マルクスの「虚偽の共同性」説を政治的暴力と対立するかのようにとらえる黒田的理解とは同根の誤りである。それゆえ、国家の本質規定としての「虚偽の共同性」説を「政治的暴力」説と対立したものとしてとらえ、このような小ブル自由主義の観点からレーニン国家論の「批判的再構成」なるものをおこなおうとする黒田の小ブル的試みは、レーニン国家論の真の発展を追究する道でも、また、その実体論的傾向を止揚する道でも断じてなく、まさしくレーニン国家論の提起した諸問題、その革命的核心をことごとく破壊し解体する道にほかならないのである。
[注]暴力にかんする本質論的な規定、暴力の疎外形態としての政治的暴力にかんする歴史的、論理的な構造については、さしあたり『共産主義者』第二三号の拙稿「戦争と革命の基本問題」第二章「暴力の構造―戦争と社会」(本書第二巻所収)ならびに、『破防法研究』第三号の拙稿「暴力の復権のために」(同)を参照されたい。この二つの論文において、われわれは、暴力の本質が「共同体の対立的表現、あるいは対立的に表現されたところの共同性」であると規定し、その内的構造を(1)共同意志の形成過程と強制過程の二つの契機の統一、(2)内部規範と外部対抗の二つの要素の統一として認識する視点を提起した。ブルジョア国家の本質をなす政治的暴力は、暴力の資本制的疎外形態であり、プロレタリアートと被抑圧諸階級・諸階層にたいするブルジョアジーの支配を「社会の共同利害」の実現であるかのように総括するものである。したがって、黒田のように、暴力の目的意識的性格を見失なって、それを「手段的側面」にのみ一面化し、暴力が革命的であるか否かの判断の基準を、それが組織的におこなわれているかどうか、という形式的特徴に求める見解は、プロレタリアートの革命的暴力論を自由主義的ブルジョアジーの民主主義的独裁論に屈服させる反動的な見解である。もともと、本質的な形態であろうと、疎外的な形態であろうと、暴力が暴力であるかぎり、それはかならず社会的=組織的な性格をもっておこなわれるのであり、プロレタリアートの革命的暴力が十分に訓練され、組織され、目的意識化されていない段階では、ブルジョアジーの政治的暴力(その実体的装置をなす警察・軍隊や反革命的民間勢力)の方がはるかに高度の社会性・組織性を有しているのである。黒田は、暴力の組織性を政治的なものから機械的に分離することによって、ブルジョアジーの政治的暴力を美化し、プロレタリアートの革命的暴力をはずかしめようとしているのである。小ブル平和主義者が戦争一般に平和一般を対置し、正義の戦争と不正義の戦争の区別、帝国主義戦争と革命戦争(プロレタリアートの蜂起、植民地・従属諸国の人民の蜂起の継続としてのそれ)の区別をまっ殺したように、黒田は、反スターリン主義を政治警察とのスパイ的連合にもとづく反代々木主義に歪曲しようとして失敗した低劣な人物にふさわしく、組織的暴力と非組織的暴力の区別なるものをもちだすことによって、警察・軍隊や反革命的私兵の政治的暴力とプロレタリアートの革命的暴力の区別をまっ殺しようとしているのである。警察とカクマルとの反革命的連合の形成、その自覚的・目的意識的ふかまりは、国家論、暴力論における黒田理論の小ブル自由主義的本質の論理的帰結としての性格を理論的にはもっているのである。
第二節 暴力革命論について
第二の特徴は、プロレタリア革命論、プロレタリア独裁論の絶対的基礎としての暴力革命論を否定し、革命的暴力の問題を機能論的な次元にまでおしさげ、権力の出方に相応した戦術的手段としてあつかおうとしている点にある。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、レーニン主義を口では承認しながら、そのじつ、レーニン主義の革命的核心を破壊し、レーニン主義を帝国主義の利益と和解できるものにするためにプロレタリア革命論、プロレタリア独裁論のもっとも革命的な核心をなす暴力革命論の問題を決定的に解体しておく必要があるのである。
周知のように国家にかんするマルクス、エンゲルス、レーニンの革命論的な解明は、基本的には(1)ブルジョア国家の暴力的粉砕の問題、(2)プロレタリアートの革命的暴力に立脚したプロレタリア独裁の樹立と維持の問題、(3)プロレタリア革命後における国家の「死滅」の問題、という三つの構成部分からなりたっている。プロレタリアートの暴力革命の問題はこれら三つの構成部分のすべてと結びついているものであり、それらを内的に貫徹する赤い糸である。
すなわち、プロレタリア革命における暴力革命の必然性は、基本的にはつぎの五つの命題において根本的に規定されているのである。
第一には、ブルジョアジーの階級支配が、政治的国家と市民社会(そこにおけるブルジョアジーとプロレタリアートの対立)という二重の構造をもっておこなわれているため、プロレタリアート人民の自己解放のたたかいは、政治的上部構造の変革にとどまることなく、全人間的、全社会的な解放にまでおしあげられなくては、けっして達成されないからである。マルクスが『ユダヤ人問題』『ヘーゲル法哲学批判序説』においてうちだした人間の全人間的解放=プロレタリアートの自己解放の論理は、プロレタリア革命、共産主義的な解放原理が、暴力革命としてのみ本質的に貫徹されることを基底的に根拠づけているのであり、それゆえ、それは、マルクス主義革命論のもっとも核心的な命題をなしているのである。
第二には、ブルジョア社会の基本矛盾をなす賃労働と資本の矛盾、プロレタリアートとブルジョアジーの階級対立は、ただプロレタリアートによる資本家的私有財産の積極的止揚をとおしてはじめて達成されるからである。プロレタリアートの自己解放のたたかいは、疎外された人間労働の対象化としての資本家的私有財産、人間労働における剰余労働の資本制的取得形態としての資本家的私有財産、プロレタリアートにたいする強制労働のテコとしての資本家的私有財産をプロレタリアートの共有財産にかえ、その基礎のうえに労働の人間的解放を達成し、自然と人間、人間と人間の共産主義的自由を実現していくことを窮極目標としているのであるが、そのためには、まずもってプロレタリアートの革命的暴力をもってブルジョアジーの抵抗を排除し、資本家的私有財産を専制的に没収し、その成果を暴力的に維持していかなくてはならないのである。
第三には、このような世界史的な任務を達成するためには、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの革命的独裁の国家が必要であり、そしてまた、プロレタリア独裁を維持するには武装したプロレタリアートの暴力的権威が必要だからである。もとよりプロレタリア独裁の樹立は、それじたいとして共産主義的窮極目標をなすものではない。しかし、資本主義から共産主義への世界史的移行には、両者の要素の血みどろの闘争を特徴とする歴史的過渡期が不可避であり、それに照応してプロレタリア独裁国家が不可避となるのである。
第四には、プロレタリア革命の雄大な歴史的任務、その人間史を画期する根底的性格に規定されて、暴力革命はプロレタリアートの革命的共同性、偉大な世界史的事業を達成する革命的主体性を回復するための不可欠の表現形態だからである。プロレタリアートの自己解放のたたかいは、プロレタリア階級闘争をとおしてブルジョア国家を打倒し、プロレタリア独裁国家を樹立し、資本家的私有財産を専制的に没収し、それを労働者階級の共有財産に転化し、プロレタリアートの歴史的任務を達成していく暴力的過程を、まさにプロレタリアートの革命的共同性をうみだし、自己解放の物質的前提条件とその革命的主体条件(指導的階級勢力としての自覚と能力)を統一的に生みだす過程として積極的に位置づけることから出発するのである。『ドイツ・イデオロギー』における
「革命は、支配階級が他のどんな仕方によっても打倒されえないことからだけ必要なのではなく、打倒する階級が、革命においてはじめて、すべてのふるい身の汚れをぬぐいおとして、社会の新しい基礎をつくる力を身につけるところへ達しうるからこそ必要なのでもある」
という卓越した規定は、このような思想的内容においてうけとめられるべきである。革命が平和的になるか暴力的になるかは敵の出方によるという日共の見解、一定の情勢のもとで、しかも身のほどを知らずに敵が反撃してきた場合には暴力革命をとることもあるというカクマルの見解は、ともに暴力革命に恐怖し、それを小ブル自由主義に妥協させる反動的見解である。
第五には、プロレタリア革命の目的意識的性格が暴力革命のなかにもっとも凝縮した形態をとってあらわれるからである。プロレタリア革命が革命的前衛党の建設とその指導があってはじめて達成しうるのは、まさにプロレタリア革命の目的意識的性格にもとづいているのであるが、このような革命と党の有機的関係がもっとも緊張した表現をもつのは、暴力革命の一大結節点をなす蜂起の目的意識的な準備の過程なのである。プロレタリアートの自己解放のたたかいは、階級闘争の自然発生的な総和として与えられるものではなく、あくまで階級闘争の目的意識的な要素の党的結集とその指導にもとづく階級闘争の戦略的前進としてうちぬかれていくのである。プロレタリア階級闘争の最高の意識形態、最高の団結形態、最高の戦闘形態、最高の指導形態としてプロレタリア党を建設し、党の革命戦略、闘争戦術、組織戦術にもとづいて階級闘争を蜂起にむかって計画的・系統的に発展させることによって、プロレタリアートは、ブルジョアジーにたいする革命的暴力をもってブルジョア国家を打倒し、プロレタリア独裁をたたかいとることが可能となるのである。
レーニンは『国家と革命』にエンゲルスの有名なつぎのことばを引用しているが、われわれは、マルクス、エンゲルス、レーニンとともに暴力革命にたいする「まぎれもない讃辞」を共有しなくてはならない。
「暴力は、歴史上で他のもう一つの役割、つまり、革命的な役割を演じるということ、暴力はマルクスの言葉によると、新社会をはらんでいる旧社会の助産婦であるということ、暴力は社会的運動が自己を貫徹し、硬直し死亡した政治的諸形態をうちくだくための道具であるということ――こういうことについてはデューリング氏は一言も語らない。彼は搾取経済を転覆するためにはおそらく暴力が必要となるかもしれないということを嘆いたり、うめいたりしながら、やっと認めている。――残念なことに!というのは、すべての暴力の行使は、それを行使するものを堕落させるからだという。勝利に終ったどの革命からも、大きな道徳的、精神的高揚が結果として生じているという事実をまえにしながら、こういうことをいうのだ!ドイツではじっさいに人民は暴力的衝突をやむなくされるかもしれないがすくなくともそれは、三十年戦争の屈辱の結果として国民の意識にしみこんだ下僕根性を根絶するという利益があるだろうに、そのドイツでこういうことをいうのだ!それでもなお気のぬけたひからびた、無力な説教師的な考え方が、おこがましくも、歴史上に知られたもっとも革命的な党にあえて自分を押し売りしようとするのか!」(『反デューリング論』)
ところで、マルクス、エンゲルス、レーニンの暴力革命にたいする「まぎれもない讃辞」にたいし、黒田デューリング氏はどのような態度をとっているであろうか。
黒田はいう―国家の本質をマルクスのようにつかみとりさえすれば「国家の粉砕」にかんするレーニン理論が、こんにちでもなおかつ生きていることはあきらかである。だが、(1)「国家の粉砕」といってもなにもブチコワシやコロシをやるわけではない。直接にはブルジョア議会制度をソビエトの創造とそれらの統一へ、とってかえるということが、その内容をなす、(2)暴力革命か平和革命かという問題をだすことは無意味である、(3)自己解放をなしとげようとするプロレタリアートの最大にして最高の武器は、火炎ビンでも竹ヤリでもピストルでもなく、全世界のプロレタリアートの団結!団結!そして団結!である、(4)先進資本主義国における革命でまっさきに武器などを使わなくてはならぬような事態が発生することは、むしろプロレタリアート敗北の一要因に転化する、(5)基幹産業の労働者が全国的な大ストライキをショウギだおし的にぶっていくことこそ、プロレタリア革命闘争の勝利の現実的可能根拠である、と。
これが、黒田の暴力革命否定論のすべてであり、それにかわる闘争本質論のすべてである。なんと粗雑で、なんと幼稚なことか!黒田は、口先では「国家の粉砕」(ただしくは「ブルジョア国家の粉砕」というべきである)を承認しながらも、そのじつ、その革命的核心を破壊し、小ブル自由主義に修正する卑劣な手口をあまりにもみえすいたやり方でここでも実践しているのである。いわゆる現代の先進国革命の戦略にかかわる問題をあつかっている(4)、(5)のテーゼについては別項で検討するとして、ここでは暴力革命論否定を「本質論」?的に展開している(1)、(2)、(3)のテーゼの反革命的内容をみてみることにしよう。
まず最初に、(1)のテーゼをみてみると、ここでは二つの基本的な誤謬、ごまかしがかくされていることにすぐ気づくであろう。第一には、粉砕の対象を「ブルジョア国家」という本質的規定におかずに、「ブルジョア議会制度」という統治形態にかかわる領域で問題にしていることである。それは、黒田の小ブル的国家観の主要な焦点が「ブルジョア階級の支配」という事実よりも「議会制度のペテン性」への不満にむかっていることをはからずも示したものであるといえよう。第二にはブルジョア議会制度をソビエトにとりかえることが国家の粉砕の内容をなす、という転倒したペテン的手口で「ブルジョア国家をプロレタリア国家(プロレタリア独裁)にとりかえるには暴力革命が不可避である」というマルクス、エンゲルス、レーニンの革命的命題をまっ殺していることである。
つぎに、(2)のテーゼについてみてみると、黒田がここでも卑劣な手口を使って反革命的結論をみちびきだそうとしているのがすぐわかる。というのは「暴力革命か、平和革命か」という問題のたて方の誤りの批判を、暴力革命というプロレタリア革命論の基本原則を確定する方向でおこなうのでなく、暴力革命論の意義を相対化し、権力の出方に対応した戦術的手段のようなものにひくめる方向でおこなっているからである。レーニン主義『批判の武器』で「野原拓」はレーニンの暴力革命論について「〃暴力革命〃とカテゴリー化されているところにみられるように、暴力を手段として明確に位置づけることがよわく、目的化する傾向をもっている」などと、構改派以下の右翼的批判をおこなっているが、このような批判の方法によってはからずも自己暴露されたところのものは暴力革命がプロレタリアートにとって目的意識的過程であるということすら黒田らがまったくわかっていない、ということである。
さらに、(3)のテーゼについてみてみると、黒田が「プロレタリアートの団結」の意義を社会民主主義の水準、合法主義、組合主義、経済主義の水準でしか理解していないことがすぐわかるであろう。いわば、黒田やその無批判的な下僕カクマルには、プロレタリアートの団結にかんするマルクス主義的な理解、つまり、プロレタリア階級闘争をとおして発展するプロレタリアートの革命的暴力が、その闘争の継続としてブルジョア国家を粉砕し、プロレタリア独裁をかちとり、反革命の抵抗を鎮圧して権力を維持し、過渡期の建設を推進していく、という革命的内容をもつものとしてプロレタリアートの団結の意義をとらえることができないのである。この事実からつぎの結論がひきだされてくる。
第三節 プロレタリア独裁論について
第三の特徴は、プロレタリア独裁論を権力論、革命的暴力論の観点からとらえるマルクス、エンゲルス、レーニンの革命的態度を機能論、現象論として否定し、プロレタリア独裁の問題を「プロレタリアートの団結」なるもの(しかも、社民的に歪められたそれ)の問題にすりかえようとする点にある。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、プロレタリア階級闘争の発展が不可避的に提起してくる革命的暴力の問題、その権力闘争への転化の問題との実践的対決を回避し、プロレタリア階級闘争を帝国主義の体制内の運動にしばりつけておくためには、プロレタリア独裁の問題を抽象的確認にとどめておくこと、プロレタリア独裁論の革命的核心をなす権力論的、暴力論的な展開をできるだけ制限し、できうるならば完全に解体してしまうことが、もっとも望ましいのである。
周知のように、プロレタリア独裁とは、資本主義社会から共産主義社会への世界史的な過渡期に照応した革命的国家であり、国家消滅の過渡的な国家形態である。その本質とするところは、「支配階級として組織されたプロレタリアート」であり、「ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの革命的暴力によってたたかいとられ、維持されている権力」であり、「暴力革命に絶対的に立脚した権力」である。それゆえ、プロレタリアートの革命的独裁の意義は、基本的には、(1)ブルジョア国家をプロレタリアートの革命的暴力をもって粉砕し、プロレタリア権力のもとに国民の統一を組織する、という実現過程の問題、(2)実現されるべきプロレタリア独裁国家の基本的な組織形態の問題、(3)プロレタリア独裁国家がなしとげるべき歴史的任務の問題という三つの構成部分において考察されなくてはならない。
(1)プロレタリア独裁の実現形態
まず最初に、プロレタリア独裁をたたかいとろ過程の問題について考察するとしよう。
すでに前節においてわれわれは、暴力革命の歴史的必然性を、(1)プロレタリア革命の全人間的、全社会的な性格、(2)資本家的私有財産の積極的止揚、(3)プロレタリア独裁をたたかいとり、それを維持するプロレタリアートの革命的暴力、(4)プロレタリアートの革命的共同性、歴史変革の革命的能力、(5)プロレタリア革命の目的意識性の五つの問題に関連させて本質論的に確認した。ここであつかうべき問題は、暴力革命のこのような全体的構造のなかの特定の歴史的時期にかかわることである。それゆえ、ここでは、前節の確認を前提としつつ、階級闘争の発展がなぜブルジョア国家の粉砕=プロレタリア独裁にまでつきすすまざるをえないのか、という問題について、国家論的な見地からもうすこし補足的に検討しておくことにする。
第一には、独裁と民主主義の問題である。帝国主義者やその小ブル自由主義的な追従者たちは、あたかも独裁が民主主義に対立する概念であるかのようにあつかう。かれらは、そうすることによって、ブルジョア民主主義がブルジョアジーの独裁を維持していくためのもっとも好ましい形式であることをかくし、プロレタリア独裁がプロレタリアート人民にもっとも広範な民主主義をもたらすものであることをかくし、かくして、ブルジョア独裁を擁護しているのである。われわれは、国家の本質を「虚偽の共同性」、したがってまた「特殊な抑圧力としての政治的暴力」として規定する立場に確固としてたち、独裁とは国家の階級的本質にかかわる規定であり、民主主義とは独裁を実現する統治形態にかかわる規定であることをはっきりとつかみとらなくてはならない。それゆえ、プロレタリア階級闘争が資本家的私有財産制度とそれを総括するブルジョア国家の壁につきあたったとき、そこにおいて本質的に解決を要求される課題は、あくまでも誰が独裁するのかという暴力的決着であって、民主主義の防衛の問題ではないのである。
第二には、ブルジョア民主主義の形式性とその矛盾の問題である。プロレタリアートは、ブルジョア独裁のもとにあっても、最大限の民主主義を要求し、また、そのためにたたかってきた。ブルジョア民主主義は、歴史的には、封建的な絶対主義権力にかわってブルジョアジーが自分の権力を生みだすためには、住民の圧倒的な多数をなす労働者と農民の協力が絶対に必要であったという事情にもとづいて成立し、ブルジョアジーの独裁権力を維持するためには、住民の圧倒的な多数をなす労働者と農民があたかもブルジョア国家を自分たちの「共同の利害」の実現であるかのように幻想することが必要であったという事情にもとづいて発展してきた。ブルジョアジーは、一方では労働者・農民の暴力的共同性を解体し、ブルジョア国家のもとに政治的暴力としてそれらを虚偽的に集約し、暴力装置を国家的に独占するとともに、他方では、ブルジョア民主主義制度をとおして労働者・農民の階級的利害を解体し、ブルジョアジーの特殊利害があたかも社会共同の一般利害であるかのようにうちだし、それに抵抗するものにたいしては、国家社会全体の名において暴力的制裁をくわえてきたのである。それゆえ、ブルジョア民主主義は、どんなに徹底した形態をとろうとも、それはかならずブルジョア独裁を維持するために有効であるそのかぎりにおいてのみ許されるものなのである。いわゆるブルジョア的普通選挙権は、プロレタリアートにとっては自己の政治的、党派的な成熟を測定する器械としてのみ意義をもっているのである。ブルジョア独裁のもとでは、それはそれ以上のものではないし、また、それ以上のものではありえないのである。レーニンは、半世紀まえに『プロレタリア革命と背教者カウツキー』において、
現代国家の憲法をとってみたまえ。国家の行政をとってみたまえ。集会または出版の自由をとってみたまえ。「法律のまえの平等」をとってみたまえ。――そうすれば諸君は、誠実で意識あるすべての労働者によくわかっているブルジョア民主主義の偽善を一歩ごとにみいだすであろう。たとえどんなに民主主義的な国家であっても「秩序が破壊されるばあいに」、すなわちじっさいには、被搾取階級が自分の奴隷的な地位を「破壊」したり非奴隷的にふるまうことをくわだてるばあいに、労働者に軍隊をさしむけたり、戒厳状態をしいたりなどする可能性をブルジョアジーに保証していない憲法上の抜け道あるいは保留条件の存在しないような国はひとつもない。
と、非常に正確な指摘をおこなっている。ブルジョア民主主義は、形式上のたてまえとしてはあらゆる政治上の選択の自由を保証していながら、現代における最大の政治的選択をなす資本主義か共産主義かの問題において共産主義の道を暴力的にとざしているのである。
第三には、ブルジョアジーの偽善的なスローガン、すなわち自由・平等の問題である。帝国主義とその小ブル自由主義的追従者たちは、ブルジョア民主主義のもとでの自由や平等について謳歌し、ブルジョア代議制について謳歌する。たしかに、ブルジョア革命によってもたらされた「自由」と「平等」は、奴隷制や封建制のもとでの人格的・身分的な隷属関係にくらべれば、一歩前進であった。しかし、それは、搾取者と被搾取者、抑圧者と被抑圧者の現実の対立をなくするものではなく、政治的たてまえにおいて無視するだけのものである。もともと生産手段を所有し、それによって労働者を搾取する資本家の自由と、生産手段から自由となり、わずかな生活費をうるために資本家に自分の労働力を売り渡す労働者の自由とは、いったい同列に論じられるであろうか。商品所有者のための自由とは、資本家にとっては労働者を搾取するための自由であり、労働者にとっては資本家に搾取されるための自由である。まったく同様に、生産手段を所有し、それによって労働者を搾取している資本家と、生産手段をもたず、わずかな生活費をうるために資本家に搾取されている労働者とのあいだに平等があるとしたら、いったいそれはどのような平等であろうか。商品所有者のための平等とは、資本家にとっては貨幣と平等に労働力を買うことであり、労働者にとっては貨幣と平等に自分の労働力を資本家に売ることであり、かくすることによって、資本家による労働者の搾取をもたらすものなのである。まさにブルジョアジーは、一方では現実の物質的な側面において、生産手段を資本家的に所有することによって労働者に奴隷労働を強制し、労働者の剰余労働をしこたま搾取しておきながら、他方では虚偽の精神的な側面において、搾取者と被搾取者の平等、財産所有者と財産をもたない無産者との平等をかたり、すべての人間の自由、すなわち、搾取する自由と搾取される自由とを一緒にかたるのである。それゆえ、プロレタリアートの階級闘争は、このようなブルジョア的な自由、このようなブルジョア的な平等をくつがえし、真のプロレタリア的な自由、真のプロレタリア的な平等をかちとるまでたたかいをやめることはできないのである。プロレタリアートの階級闘争は、その特殊な継続としてプロレタリア独裁をたたかいとるまでは、自由も平等もプロレタリアートに真に享受せしめることはできないのである。
第四には、ブルジョア民主主義の「最後のことば」としての内乱と戦争の問題である。ブルジョアジーは、議会主義的形態におおいかくすことによってブルジョア独裁を貫徹する。労働者や農民には自由や平等にかんする空虚な権利を与えながら、そのじつ現実には被搾取者、被抑圧者としての地位を強制してきた。ブルジョアジーは、資本家的な生産によってもたらされる巨大な富と権威を基礎として国家をますますブルジョア的特殊利害に従属せしめ、国家の官僚的、軍事的諸機構をブルジョアジーの政治的暴力を支える機関にますますとりこみながらも、外見的には、あたかも国民の総意を実現しているかのような制度的な形式や、また、それを保証するための種々のヘゲモニー装置をますます巧妙につくりだしてきたのである。しかし、ブルジョア国家における階級的、特殊的な本質と外見的、形式的な普遍性との矛盾がもっとも鋭くあばきだされる事態こそ、ほかならぬ戦争と内乱の問題である。さしあたってここでは、戦争はブルジョア国家間の利害の対立が軍事的衝突としてあらわれ、内乱はブルジョア国家内における階級闘争が非妥協的な衝突にまで発展したもの、あるいは、ブルジョア国家による他民族への支配とそれにたいする被抑圧民族の抵抗が非妥協的な衝突にまで発展したものとしてあらわれるが、このような国家の非常事態が発生した場合、ブルジョア民主主義は、多かれ少なかれ、むきだしの暴力的な支配として自己を完成させざるをえないのである。ファシズムに窮極の姿態をみせるブルジョア独裁の暴力的本質は、ブルジョア民主主義に対立するものではなく、むしろブルジョア民主主義のなかで成長し、そうすることによって「最後のことば」を準備するのである。それゆえ、このような事態の発生は、民主主義一般の防衛、合法的統治の回復の要求として本質的に解決されるものではなく、プロレタリアートの革命的暴力をもってブルジョアジーの政治的暴力に対峙し、それを粉砕するたたかいによってのみ解決されるのである。
[注]現代のブルジョア国家は、戦争と革命の時代という現代世界の歴史的特質に規定されることによって、戦争と革命にたいする反革命的な対応性を恒常的にもつ傾向を強くしている。こんにちでは、すべてのブルジョア国家は直接に戦争状態、内乱状態をかかえていない場合でも、かならず強大な軍事力を保持し、それを誇示するのが通例である。また、それに対応するように、行政的執行権力の強大化、独立化がますますすすんでおり、議会はそのための完全な追認機関としての役割をますます強めている。ブルジョア民主主義は、一方ではプロレタリア階級闘争を体制内にひきこみ、小ブル自由主義に変質させるとともに、他方では体制的包摂に抗して革命的反乱を追求するプロレタリア階級闘争を暴力的に鎮圧し、その屈服をひきだす、という現代国家の反革命的治安国家としての特徴をかくすデマゴギーでしかないのである。
第五には、ブルジョア民主主義の矛盾、その必然的な破綻を根底的に解決するものとしてのプロレタリア民主主義の問題である。ブルジョア民主主義のもとでのプロレタリア階級闘争の発展は、必然的にブルジョア民主主義の矛盾を開花させ、その破綻をひきだす。ブルジョア国家は「最後のことば」としてむきだしの暴力に訴えはじめる。国家の暴力装置を革命と革命勢力の壊滅のためにことごとく動員し、その内乱鎮圧型の弾圧をはかるとともに、国家機関いがいの民間の反革命勢力をもことごとく動員し、革命と革命勢力に対抗する密集した反革命に育てあげるように計画的に操作するのである。このような過程は、内乱的状態いがいのなにものでもない。国民的な統一というブルジョア民主主義的な秩序にかわって、ブルジョア的な特殊利害とプロレタリア的な特殊利害とのむきだしの対立の時代がはじまるのである。それは、万人が万人の敵であるようなブルジョア的私有財産秩序、ブルジョア民主主義の仮象のもとにおしかくされてきたブルジョア社会の無政府性が、階級闘争としてもっとも整理された表現をとって爆発したものである。それゆえ、ブルジョア民主主義の矛盾とその破綻のもっとも集約された表現である内乱状態を止揚するためには、プロレタリア独裁の鉄の権威と、そのもとへの国民の統一が絶対に不可避なのである。この道だけが、ブルジョア民主主義の矛盾とその破綻を根底的に解決し、プロレタリアート人民に真実の民主主義を与えることが可能なのである。この道が閉ざされるならば、ブルジョア国家は、プロレタリアート人民の尨大な血の海をわたってひとまずブルジョア的秩序を延命させるであろう。だが、それは、問題を解決するものではなく、矛盾をのこし、そのより悲惨な破綻を準備するものでしかないのである。ブルジョア民主主義を粉砕し、プロレタリアートの革命的暴力をもってプロレタリア独裁をたたかいとり、その中央集権的な権威のもとに国民的な統一を組織し、もってプロレタリアート人民に広大な真実の自由と平等をもたらすこと――それが、ブルジョア民主主義の偽善にたいする革命的プロレタリアートの唯一の回答でなくてはならない。プロレタリア民主主義は、労働者人民の武装した力によって自由と平等をみずからかちとるものであり、プロレタリアートや人民相互の、民族と民族の真の連帯をつくりだす唯一の道である。
(2)プロレタリア独裁の組織形態
つぎに、支配階級として組織されたプロレタリアート、すなわち、プロレタリア階級闘争がその特殊な継続として実現すべきプロレタリア独裁国家の基本的な組織形態の問題について考察するとしよう。
第一には、ブルジョア独裁の政治的暴力を決定的に支えていた常備軍を廃止し、それを武装したプロレタリアートととりかえることである。ブルジョアジーとその反革命的な抵抗を鎮圧することは、プロレタリア独裁の重大な歴史的任務のひとつである。プロレタリアートの革命的暴力は、プロレタリア独裁をかちとり、それを維持するための絶対的な保証である。もとより、プロレタリア独裁のもとにあっては、抑圧する側の集団は住民の圧倒的な多数部分であり、抑圧される側は住民の圧倒的な少数部分である。このような条件のもとでは、ブルジョアジーの反革命的な抵抗は(延命した外部の帝国主義に激励され援助されたような場合や、広範な小ブルジョアの反乱と結びつくような場合を除いては)あまりにも微弱であり、抑圧のための「特殊な力」もまたいちじるしく不必要となるのである。国家の死滅は、プロレタリアートが社会の政治的な指導においてますます能力をたかめ、プロレタリアートが武装した力をもってブルジョアジーにたいする暴力的な抑圧をますます強めることをとおして準備されるのである。武装したプロレタリアートこそ、プロレタリア独裁の絶対的な条件であり、プロレタリアートの革命的な共同性、革命的な能力性のもっとも鋭い表現なのである。
第二には、ブルジョア的議会ふうの団体でなく執行府であると同時に立法府でもある行動的団体としてプロレタリア独裁国家を組織することである。ブルジョアジーやそれに追従する小ブル自由主義者たちは、ブルジョア議会制度を美化し、あたかもそこに社会の成員の一般意志が集約されているかのようにプロレタリアート人民にかたりかける。しかし、議会制度は、搾取者と被搾取者、支配者と被支配者の現実の対立をなにひとつ解決することはできず、ただ搾取者と被搾取者、支配者と被支配者の対立をあいまいにし、現実の搾取、現実の支配を擁護するものなのである。ブルジョア独裁にとって議会制度の役割は、支配階級のどの成員が議会で人民を抑圧し、ふみにじるかをきめることにあるのである。プロレタリア独裁は、ブルジョア独裁のように政治の真実から人民の眼をそらし、政治のからくりを隠蔽する必要をすこしももたない。それどころか、プロレタリアート人民に政治の真実を知らせ、政治的な指導の過程への参加をうながし、支配階級として不断に再組織することなしには維持できない。それゆえ、プロレタリア独裁国家においても一定の代議制度は残っているが、もはやここには立法活動と執行活動との制度的な分業や、議員のための特権的な地位はなくなっているのである。代議員は、みずから活動し、みずから法律を実施し、実際上の結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいし、みずから直接責任を負うべきものとして存在しなくてはならないのである。
第三には、すべての公務員の完全な選挙制と解任制をおこなうことである。すでにのべたようにプロレタリア独裁国家は、国家消滅の過渡的な形態の国家である。それは、階級のない、国家のない、監督のない、全社会の成員の自発的な自己管理によって無限に発展する共産主義社会をつくりだすことをめざしている国家であり、可能なかぎり代議制=公務制を制限されたものにし、それの仕事を全人民の共同の事業におしひろげようと努力する。しかし、プロレタリアートは、すでに資本主義によってつくりだされたものから出発するのであり、その経験に立脚して旧社会から新社会への過渡的な規律をつくりだすのである。代議制を一挙になくしたり、公務員(監督や簿記係や技術者など)を一挙になくしたりすることは、夢想をもって現実にかえようとするものである。それゆえ、勝利したプロレタリアートとその革命権力は、旧官僚機構を徹底的に粉砕し、うちこわすとともに、あらゆる官僚を徐々になくしていくことを可能にする新しい官僚機構をただちに建設しはじめるのである。レーニンが『国家と革命』で、
われわれは空想主義者ではない。われわれは一挙に、あらゆる行政府、あらゆる服従なしにやっていけるなどと夢想しはしなかった。プロレタリア独裁の任務についての無理解にもとづくこの無政府主義的な夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、じっさいには、人間が別なものに変わるまで社会主義革命を延期するのに役だつだけである。いや、われわれはいまのままの人間、すなわち服従なしには、統制なしには、「監督と簿記」なしにはやっていけない人間をもって社会主義革命をやることを望んでいる。
と、明快にのべているように、われわれは、旧社会のつくりだした人間的素材から出発しなくてはならないいじょう、新しい官僚機構の建設は絶対的に避けることができないのである。しかし、このような官僚機構とその成員である公務員は、独立した特権的地位を有するものではなく、武装したプロレタリアートの指導と統制に服従し、プロレタリアートの組織的規律のもとで監督と経理を担当するものでなくてはならないのである。生産が大規模となり、監督と経理の機能はますます単純となり、すべての人びとが順々にその仕事にかかわり、遂行できるようになり、次第にそれが習慣となり、やがては生産の計画や管理が人間の特殊な層の特殊な機能ではなくなるような秩序――賃金奴隷制とは似ても似つかない新しい社会的秩序が生みだされていくにしたがって、ひとりでにあらゆる官僚制度は徐々に「死滅」していくのである。
第四には、過渡期の経済政策の平等主義的分配原則にもとづき国家公務員の俸給を「労働者なみ」の水準に引き下げることである。周知のように、資本主義から共産主義への世界史的な過渡期に照応して過渡期の社会が出現する。この過渡期の社会は、共産主義社会の達成をめざすプロレタリア独裁の指導下にある点では社会主義的ではあるが、それじたいとして社会主義を完全に達成することはできず、世界革命を完遂し、社会主義にむかって社会を組織することをもって独自の歴史的任務とするのである。すでに階級がなく、抑圧がなく、等量労働交換(労働による分配)制度にもとづいて社会が維持され発展している社会主義社会(共産主義の第一階梯)や、すでに階級がなく、抑圧がなく、監督もなく、社会成員の共同的=自発的な自由にもとづいて労働と分配が生きいきとすすみ(必要による分配)、社会がゆたかに発展している共産主義社会(狭義の共産主義)とはことなり、過渡期の社会は、プロレタリアートとブルジョアジー、社会主義と資本主義、新社会と旧社会の二つの要素の生きるか死ぬかの衝突を特徴とする社会であり、階級があり、抑圧(特殊な抑圧力としての国家)があり、監督があり、官僚機構がある社会である。プロレタリア独裁権力は、ここではまだ打倒されたばかりのブルジョアジー、新社会を理解しがたい小ブルジョア、インテリゲンチアの抵抗を暴力的に抑圧しなくてはならず、まだ打倒されていないブルジョア権力の包囲と干渉をうちやぶらなくてはならないのである。また、プロレタリア独裁権力は、ここでは、武装したプロレタリアートの暴力的権威をもって新しい社会の規律をつくりだし、社会の圧倒的部分をプロレタリア的中央集権のもとに統一し、労働と分配の社会主義的組織化にとりくまなくてはならないのである。過渡期の経済は、社会主義にむかって社会経済を組織化(国有化、工業化、集団化、中央集権的計画化など)し、可能なかぎり社会主義的経済原則のくりあげ的な適用をはかることを基本目標としながらも、同時に、帝国主義の動向、諸階級の動向、そして世界革命の動向に具体的に結びつくことによって、種々の政策的な展開を必要とされるのである。それゆえ、過渡期の社会建設、過渡期の社会的労働を基本的に促進する力は、ブルジョアジーを打倒し、それを抑圧し、プロレタリアートの暴力的な威信のもとに新社会を建設せんとするプロレタリアートの革命的共同性、革命的能力性であり、未来の全世界を約束されたもののゆるぎない自己犠牲と英雄主義である。過渡期における平等主義的分配原則(それにもとづく擬制的労賃制)は、過渡期のこのような政治的特徴、プロレタリア独裁の特殊な継続としてプロレタリア独裁をたたかいとったプロレタリアートの政治的積極性を基礎とするものである。国家公務員にたいする金銭上の特権の廃止、すべての国家公務員にたいする「労働者なみ」賃金水準の強制は、このような過渡期の性格を鉄の規律をもって国家の機構に刻印するものなのである。国民経済を社会主義的に組織すること、すべての技術者、監督、簿記係をプロレタリア独裁の指導と統制のもとに「労働者なみ」の俸給で組織すること――これが、その内容である。
(3)プロレタリア独裁の歴史的任務
さらに、プロレタリア独裁がなしとげるべき歴史的任務の問題について、政策的項目にしたがって考察するとしよう。
第一には、ブルジョアジーとそれに結合した反革命の抵抗を鎮圧することである。プロレタリア独裁論を小ブル自由主義の綱領にできるだけ接近させ、その区別をまっ殺しようとする人びとは、プロレタリアートの革命的暴力の役割を、ブルジョア国家を打倒し、プロレタリア独裁をたたかいとるための「やむをえない」戦術的な手段である場合にのみ認める態度をとりたがるのである。しかし、プロレタリアートの革命的暴力によるブルジョアジーの抑圧を権力奪取段階の臨時的措置とみなそうとする小ブル自由主義の見解は、ただのひとかけらも正当性をもっていない。なぜならば、ブルジョアジーとそれに結合した反革命の抵抗は、けっしてプロレタリアートの一回の政治的勝利によって消滅させることはできないからである。プロレタリア独裁権力は、資本家的私有財産を没収し、プロレタリアートの共有財産にかえ、それを基礎として社会主義にむかって社会建設をおしすすめていくには、全人民を武装し、その政治的、軍事的な威信をもってブルジョアジーと反革命の抵抗を抑圧しつづけることが必要なのである。ブルジョアジーは、賃労働者を搾取し、圧倒的多数の人民を支配し、少数の富者のための私有財産制度を維持するために、特殊な抑圧力としての政治的暴力、虚偽の共同性としてのブルジョア国家に徹底的に依拠してきた。プロレタリアートは、一階級による他の階級の搾取、一民族による他の民族の抑圧をなくすために、武装したプロレタリア大衆の圧倒的な組織をもって少数のブルジョアジーを抑圧するのである。それゆえ、この抑圧は、抑圧のための特殊な機構としての国家の必要が消滅しはじめるほど圧倒的な住民への民主主義の拡大としてあらわれるのである。プロレタリアートの革命的暴力は、ブルジョアジーの抑圧という対立的表現をとることによって、プロレタリアートの共同性をますます拡大していくのである。
第二には、内乱、革命戦争に勝利することである。すでにのべたように、プロレタリア独裁の第一義的任務は、プロレタリアートの革命的暴力によってブルジョアジーを抑圧し、プロレタリアートの革命的共同性をうちかためていくことにあるが、このような任務は政治過程的には、革命と反革命の内乱=革命戦争として展開していかざるをえないのである。個々の国ぐにでプロレタリアートが勝利した場合、帝国主義の反革命的援助に結びつかないかぎり、その国のブルジョアジーの抵抗を鎮圧することは比較的容易である。しかし、帝国主義は、世界支配をめぐって鋭く相互に対立していながらも、帝国主義の世界支配をプロレタリアートと被抑圧人民の革命的反乱から防衛しようとする点では、相互にかたく結びついている。それゆえ、個々の国ぐにで勝利したプロレタリアートとその革命権力がただちに対峙しなくてはならないのは、一国的に孤立し、敗残の姿に絶望しているブルジョアジーだけではなく、敵意にみちた帝国主義諸列強の反革命的な包囲であり、それらと結びつき、それらに激励された国内の小ブル的反革命なのである。もちろん、このような国際的、国内的な対峙が、国内的内乱として発展するか、また、国内的、国際的な内乱として発展するか、あるいは一時的な平和をもたらすかは、国際階級闘争とその特殊な総括としての国際政治の情勢によって決定されるであろう。しかし、いずれにせよ、プロレタリアートの革命的暴力によってプロレタリア独裁が維持され、ブルジョアジーの抵抗が抑圧されているかぎり、帝国主義とブルジョアジーの敵意の政治はつづくのであり、たえずそれは階級と階級の戦争、プロレタリア独裁国家とブルジョア独裁国家の戦争として総括されざるをえないのである。それゆえ、プロレタリア独裁は、その権力を維持し、社会主義の歴史的条件をつくりあげていくためには、さしあたって帝国主義諸列強の反革命的包囲と、それらと結びつき、それらに激励された国内の反革命の二重の敵と対峙し、革命の成果をまもりつづけなくてはならないのであり、やがては、国際階級闘争とその特殊な総括としての国際政治の具体的な情勢に照応して、革命戦争を積極的に推進し、世界革命の完全勝利をもぎりとらなくてはならないのである。
第三には、農民をはじめとする勤労諸階級との同盟をうちかため、それらの社会主義的な組織化をおしすすめることである。農民など小商品生産者、独立自営業者にたいする帝国主義・大独占ブルジョアジーの支配と収奪は、ただ社会主義的な根本政策においてのみ解決される。また、プロレタリアートとその独裁国家は、農民をはじめとする勤労諸階級との協力を維持し、小商品生産=独立自営の矛盾を社会主義的組織化の方向にむかって解決していくことによって、その歴史的任務を正しく達成することができるのである。勝利したプロレタリアートは、平等主義的な分配原則にのっとって労働の社会主義的な組織化をおしすすめるとともに、支配階級としての権威をもって農民など勤労諸階級をひきよせ、小ブル的反革命のコースを阻止し、経済政策と思想教育を結合してそれらの社会主義的組織化をおしすすめなくてはならないのである。もとより、農民などの集団化は、それじたいとして社会主義的組織化を意味するものではなく、そのための歴史的前提条件をつくりだすものにすぎない。しかし、それは、ブルジョア的私有財産権の廃棄をふくむ重大な社会変革の過程であり、深刻な階級闘争なしにはけっして実現しえないところのものなのである。それゆえ、プロレタリア独裁国家は、一方では国家の暴力的権威と選好的な経済政策をもって基本方向を強制するとともに、他方では実例と説得にもとづいて自発的な努力をひきだし、もって小商品生産―独立自営業の矛盾を集団主義的に解決し、社会主義的組織化のための歴史的前提条件をつくりだすテコとしての役割をはたすのである。
第四には、民族抑圧、社会差別をなくすために努力することである。周知のように、民族抑圧や社会差別は、帝国主義によってつくりだされ、あるいは、帝国主義によって温存され維持されてきたものである。いわば、帝国主義は、その支配を維持し、プロレタリアート人民の反乱を阻止するために、民族的差異や階層的差異を意図的に固定し、それにともなう民族排外主義や差別意識を徹底的に利用したのである。それゆえ、民族抑圧、社会差別を根底的になくすためには、まずもって帝国主義の世界支配を完全に打倒し、プロレタリアートの世界史的な勝利をかちとらなくてはならない。しかし、同時に確認されなくてはならないのは、旧社会において民族抑圧や社会差別が政治経済制度と結びついて存在していただけでなく、それを基礎として民衆じしんの生活の内部まで民族排外主義や差別意識が滲透し、それが日常的に再生産されていた事実である。帝国主義権力の打倒にもかかわらず、このような旧社会の意識は、プロレタリア独裁下の過渡期社会にもちこまれるのであり、この点の自覚が弱い場合には、プロレタリア権力の指導そのものが種々の形態をとってその母斑に影響される危険がはらまれるのである。したがって、プロレタリア独裁下の権力は、民族抑圧、社会差別とたたかう旧被抑圧民族、旧被差別人民の自己解放の歴史と現状にふかく学び、そのたたかいをプロレタリア権力の中心的な課題に強くおしあげていかなくてはならないのである。かくして、勝利したプロレタリアートは、一階級による他階級の搾取をなくし、一民族による他民族の支配をなくし、旧社会における民族的、伝統的、階層的な分断支配にともなういっさいの虚偽のイデオロギーをなくすたたかいをおしすすめることができるのである。
第五には、ブルジョア的専門家をプロレタリアートの利益に奉仕するよう強制することである。ブルジョア的専門家は、資本主義の発達にともなって独自的な階層にのしあがった。かれらは、多くの場合、それじしんとして直接にブルジョア階級ではないが、しかし、ブルジョアジーの搾取と支配、知識と名誉に結びついて成長し、そうすることによって名誉と利益をえてきたのである。その点では、ブルジョアジーよりもはるかにブルジョア的な意識と自尊心にみちているのであり、ブルジョアジーの搾取と支配、知識と名誉をまもり、その富と権力の一部にしがみつくためには、どんなに醜いことでもやってのけるのである。また、かれらの一部分は、ブルジョアジーの富と権力を分有するかわりに、プロレタリア運動にその代償を求めたり、あるいはそれを分有する機会を注意ぶかく残しながらプロレタリア運動にかかわろうとしたりするのである。それゆえ、勝利したプロレタリアートとその革命権力は、ブルジョア的専門家にたいしひとときも気をゆるめてはならず、ブルジョアジーにたいする以上の注意をもってこれらの人びとの指導にあたらなくてはならない。すなわち、プロレタリア権力は、ブルジョア的専門家にたいしプロレタリアートの革命的暴力の権威をもってかれらがプロレタリアートの利益に奉仕するよう強制し、ブルジョア反革命のいっさいの試み、新社会内での特権的地位の要求を無慈悲にふみつぶし、その社会的基礎のうえに、社会主義的な人間変革をねばり強くおしすすめるのである。【もちろんソ連のネップのような場合、プロレタリア権力をたとえ屈辱的な条件でも維持していくために、資本主義への一定の後退であることを公然と確認したうえで、ブルジョア的専門家にある程度の特別の権利を与えることはありうることであるし、許されることである。しかし、それは、あくまでも例外的な措置でなくてはならず、いかなる意味でもプロレタリア独裁の権力機構、プロレタリア党の指導体系への滲透であってはならないのである。ブルジョア的専門家は、権力奪取にいたるもっとも困難な時期に、また、革命権力がもっとも困難な問題に直面した時期に、党とともにあゆみ、党(革命的プロレタリアート)の強力な統制に服し、その有機的一環として共産主義的任務をまっとうするためにたたかいぬくことによって、プロレタリア独裁の主体的一員としての道をほんとうに準備することができるのである。】
第六には、プロレタリアートの指導能力、新しい革命的規律を培養することである。すでにみたように、プロレタリア独裁とは、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの革命的暴力によってたたかいとられ、維持されている権力であり、資本家的私有財産の没収、プロレタリアートの共有、計画経済の組織化を経済的特徴とするのである。勝利したプロレタリアートはプロレタリア独裁と生産手段のプロレタリア的共有制(制度的には国有制度として実現)を基礎として共産主義にむかっての過渡期社会の建設をすすめ、世界革命の完遂と階級の廃絶を画期とする共産主義社会(その低次の段階としての社会主義、その高次の段階としての、共産主義としての共産主義)の実現を準備するのである。しかし、このような過渡期の過程は、いかなる意味でも自然成長的なものによりかかることを許されない世界史的な試練をなしている。もともと共産主義社会の建設(そのための過渡期社会の社会主義的組織化)は、人間の完全な目的意識的過程であり、資本主義のように価値法則という「自然的」な外在要因に依拠することはできないのである。それゆえ、勝利したプロレタリアートとその革命権力は、世界革命の完遂、プロレタリア権力の維持、社会の社会主義的組織化という三つの任務を現実的に解決できる指導能力をなんとしてもかちとらなくてはならず、また、このような指導能力を保障するための共産主義的指導原則とプロレタリア的規律を内在的につくりあげていかなくてはならないのである。もちろん、プロレタリアートの指導能力、新しい革命的規律の培養の問題は、自然成長的、均等発展的にすすむものではなく、党の建設とその指導の質の強化を媒介として、プロレタリアートを支配階級にたえず再組織し、社会建設の主体としての自覚と能力を不断にたかめていく過程として達成されるのである。まさに、このようなプロレタリア的な自覚と能力をたたかいとることによって、われわれは、共産主義への階梯をわが手に握りしめることができるのである。
[注] 社会主義とは、経済学的規定性において把握するならば、労働力の商品化の廃絶であり、価値法則の廃絶である。スターリン主義者のように、社会主義段階(共産主義の低次の段階)になっても労働力の商品化が存続すると考えたり、社会主義では剰余価値法則なるものがなくなるのであって、価値法則は利用されると考えたりするのは、経済学のイロハ的な誤りである。かれらは、スターリンの一国社会主義建設論に基底的に枠づけられ、過渡期(しかも、歪曲したそれ)を社会主義と二重映しする必要から、マルクス経済学のイロハ的原則、社会主義社会論==過渡期政策論のイロハ的原則そのものを破壊し、修正するにいたったのである。しかし、基本的にいうならば、労働力の商品化は、プロレタリア共有制を基礎として過渡期においてすでにみせかけだけのもの(擬制的労賃制、平等的な分配原則)にかわってなくてはならず、また、価値法則もプロレタリア的国有計画経済を基礎として社会的総労働の基本的分配法則としての位置を失ない、わずかに貿易などにおいて消極的な基準としての役割をはたすものにすぎないようになるのである。また、黒田のように、過渡期の経済の政策的性格を見失なって、過渡期の計画経済を推進する経済学的=法則的指標を求めたりする(黒田『資本論以後百年』)のは、経済学のイロハ的な誤りであり、小ブル自由主義の気楽な夢想にすぎない。黒田は、過渡期の社会がそもそもその過渡期性(世界革命の未完遂)に規定されて軍事予算と外国貿易という外在的制約をうけとらなくてはならないことの意味すら考えることができず、ただただ、自律的な経済法則が過渡期に存在するように夢想し、それがわかってないからスターリン主義者は駄目だ、と民社研究会ばりの批判をおこなうのである。黒田のテープレコーダーでしかない「野原拓」は「社会主義における分配法則」とか、そこにおける「生産法則そのものを解明」とか、まったくスターリン主義者以下のことを口ばしっているが、このような誤りの根源は、ほかならぬ黒田の経済学的無知への無批判的追従にあるのである。基本的にいうならば、過渡期におけるプロレタリア権力の任務は、あくまでも、世界革命を完遂し(黒田のように国際主義を立場化し、事実上、評論化するのではなく)、プロレタリア独裁をますます強化し(黒田のように革命的暴力を解体し、機能的手段化つまり、官僚的軍隊の道をあゆむのではなく)、この二つの任務にかたく結びつけて社会主義的組織化をできるだけおしすすめる(黒田のように過渡期の経済法則なるものを固定化するのではなく)ことにあるのであるがスターリン主義者と同様に、黒田はその意味をまったく理解することができないのである。
それゆえ、われわれがこんにち、社会主義社会論・過渡期政策論を構築していく場合、資本主義の基本的運動法則、その段階論的な展開過程をしっかりとつかみとるとともに、共産主義社会の目的意識的構造を理論的、実践的に構成し、過渡期社会をこの二つの要素の闘争において把握することが必要であり、それゆえ、過渡期の政策論はプロレタリア独裁国家がプロレタリアートの指導能力と革命的規律を生みだし、発展させていく実践的視点において追求されなくてはならないのである。スターリン主義者や黒田=カクマルのように過渡期を基本的に規定する経済的法則性なるものを想定する思想は、共産主義社会の目的意識的構造にかんする無知を示すものであり、過渡期の政治的、軍事的、経済的な性格にかんする日和見主義と反革命を意味するものである。
ところが、黒田やカクマルにあっては、プロレタリア独裁の問題は、プロレタリア革命の根本問題であると口先で抽象的に確認しはするが、ブルジョア国家を革命的暴力をもって粉砕することをとおしてプロレタリア独裁がかちとられること、武装したプロレタリアートの暴力的威信を基礎として搾取者の抵抗を鎮圧し、干渉戦争と革命戦争に勝利し、同盟政策と強制政策を強化し、プロレタリアートを不断に支配階級に組織し、かくすることをとおしてプロレタリア独裁が維持されること、という革命的核心にかかわる問題についてはまったく「忘れてしまう」のである。国家の本質規定から「特殊な強制力」としての政治的暴力の問題をまっ殺し、プロレタリア革命の原則から暴力革命論をまっ殺し、レーニン主義を帝国主義と「和解」できる小ブル自由主義の綱領にかえる「偉大な理論的貢献」をなした黒田寛一は、いまや、プロレタリア革命の根本問題をなすプロレタリア独裁論において、それが「ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの革命的暴力によってたたかいとられ、維持されている権力」である、というもっとも基本的な規定を破壊することによって、プロレタリア独裁なるものをブルジョアジーに危険でないものにまでかえようとしはじめたのである。
第四節 プロレタリア革命の軍事綱領について
第四の特徴は、以上の反革命的な改作の実践的結論として、後進国・半植民地における人民の民族解放・革命戦争の展開、帝国主義本国におけるプロレタリアートの内乱・内戦―蜂起の準備にたいし小ブル平和主義の立場から反対し、プロレタリア革命の軍事綱領をことごとく解体しようとしている点である。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、レーニンのプロレタリア独裁論からその絶対的な基礎としてのプロレタリアートの革命的暴力の問題を追放し、プロレタリア独裁論を帝国主義の利益と和解できるものに改作した当然の結果として、実践的には、帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアートの革命的蜂起、そのための計画的、系統的な準備の問題にたいし終始一貫した敵対をつづけることが不可避となったのである。
もとより反革命カクマルといえども、マルクス主義を装おってマルクス主義の革命的核心を解体するという独自のブルジョア的任務をまっとうするためには、プロレタリアートの武装の問題、蜂起とその準備の問題について基本的には承認しているかのような態度をとらざるをえない。あたかも、日共が「敵の出方」によっては暴力革命がありうるかのように主張せざるをえないのと同じように……。だが、カクマル反革命集団がそのような態度をとるのは、プロレタリアートの武装の問題、蜂起とその準備の問題を前進させるためではなく、プロレタリアートの武装の問題、蜂起とその準備の問題にプロレタリアート人民が接近するのを妨害し、阻止するためである。あたかも、日共が「議会主義の道」をはききよめるために「暴力革命の可能性」を論じたのと同じように……。では、プロレタリアートの武装の問題、蜂起とその準備の問題を形式的には「承認」しながら、実質的にはプロレタリアートの武装の問題、蜂起とその準備の問題を妨害し、阻止するために、カクマル反革命集団が苦しまぎれにでっちあげた「論理」とは何であろうか。すなわち、それが、(1)階級闘争のカクマル式四段階論であり、(2)社民型ゼネスト革命論であり、(3)一定の情勢のもとでの自動的武装論であり、(4)武装闘争=敗北の要因論である。どの問題も、その反革命的本質は、一見して明日であるが、ここでは主としてプロレタリア独裁論との関連においてかんたんにその主張の犯罪性を指摘しておくことにする。
第一には、階級闘争のカクマル式四段階論の問題であるが、その犯罪性は、階級闘争を経済闘争、反政府闘争、反権力闘争、革命闘争というマルティノフ顔負けの「四段階」にきりきざむことによって、プロレタリア階級闘争にたいする革命的共産主義者の参加の基本原則、党の指導の基本原則が、プロレタリア独裁とその実現のための革命的蜂起を宣伝し準備することにある、というレーニン主義革命論の革命的核心をことごとく破壊し、プロレタリア階級闘争を合法主義、組合主義、経済主義の沼地に導びこうとしている点である(この問題は、第五章でややたちいって再論する)。
第二には、黒田『疑問』の「国家の粉砕」にかんする(2)のテーゼの問題、すなわちゼネスト革命論の問題であるが、その犯罪性は革命の「勝利の現実的可能根拠」を基幹産業のストライキのショウギダオシ的展開なるものに社民以下的にきりつめることによって、プロレタリアートの武装の問題、蜂起とその準備の問題が完全にまっ殺されている点である。しかも、滑稽なことには、ここでは、プロレタリア独裁の問題はもとより、闘争機関の問題も、政権の問題も権力の弾圧を粉砕する手段の問題もまったく考慮の対象にのぼってこないのである。かつてローザは「大衆のストライキ」という事態のなかに「平和ストライキを超える社会的な蜂起の萌芽」をみいだし、レーニンは一九〇五年においてゼネストと武装蜂起の結合を精力的に追求したのであったが、わが日本のプレハーノフ・黒田は革命を社民型ストライキの単純拡大という社民以下、協会派以下の水準におしとどめようとしているのである。
[注] 協会=向坂派のゼネスト革命論は、基本的には、ゼネストと議会内政治の結合という構図でなりたっている。いわゆる院外闘争の規定のもとにプロレタリア階級闘争をきりちぢめ、それを組合主義とその継続としての組合主義的政治闘争の枠にはめこみ、その総括点を国会に求めるのが、向坂型「革命論」の本質である。ゼネストの問題は、窮極のところ、議会勢力内の政治的とりひきのための圧力的手段でしかないのである。もとよりそれは、ブルジョア国家を粉砕するものではなく、一九一七年二月革命におけるチヘイゼ、ケレンスキー、一九一八年十一月のドイツ革命におけるエーベルト、シャイデマンの道、つまり、プロレタリア革命を小ブル自由主義にすりかえるものなのである。
ところで、このような協会=向坂派にたいし、「最後の社民の座」をめぐって醜悪な組合主義政治をくりひろげているカクマルは、協会=向坂派よりもいくらかでもましであろうか。すでに検討したように、黒田型ゼネスト「革命」論は、プロレタリアートがゼネストを「しょうぎだおし」的にうっていくと、ブルジョアジーの政治的暴力はいつのまにか無力となり、プロレタリア独裁がいつのまにか誕生するようになるのであり、だからブルジョア国家が手をだすまえにプロレタリアートが武装するとかえって敗北の要因に転化するというのである。ここには国家の暴力性にかんする恐るべき小ブル的無感覚がみちみちている。黒田によると、プロレタリアートがブルジョア秩序を「破壊」しても、それが「組織的」におこなわれているかぎり、ブルジョア国家の暴力装置の発動はない、と考えている小ブル自由主義者の国家観はまったく正しいことになるのである。
向坂においてはゼネストを政治的に総括するものとして、政治権力の独自性の問題、政府の問題がひとまず社民的な形態で設定されているが、黒田においてはゼネストを政治的に総括する契機がなにひとつ与えられていないのである。そのかぎりにおいて、黒田は向坂よりも理論的には粗雑であり、政治的には低水準なのである。つまり、カクマル型のゼネスト「革命」論は、プロレタリアートの革命的暴力とそれにもとづくプロレタリア独裁の道に敵対し、社民的な議会政治を経済主義的に補完するものである。いいかえれば、協会=向坂は、プロレタリア階級闘争の経済主義的な歪曲がどこにたどりつくのか明確に表現している点で腸性の日和見主義であり、カクマル=黒田は、その終極をあいまいにしておいてプロレタリア階級闘争の経済主義的歪曲を謳歌する点において陰性の日和見主義である。いわば黒田型ゼネスト「革命」論は、革命的左翼をごまかしやすいように改作された協会=向坂派の理論である。
第三には、一定の情勢のもとでの自動的武装論の問題であるが、その犯罪性はプロレタリア革命の目的意識性がプロレタリアートの武装の問題、蜂起とその準備の問題においてもっとも凝縮した内容をもつことをまっ殺し、武装の問題、蜂起の問題を自然発生性にゆだねることによって、革命闘争に決起したプロレタリアート人民を、反革命の暴力的攻撃のまえに無防備で放置し、プロレタリアート人民を血の海に投じようとしている点である。そもそもブルジョア国家の暴力に対峙し、それを粉砕するプロレタリアートの革命的暴力がなくして、どうしてプロレタリア独裁がかちとられ維持されるというのであろうか(『本選集第二巻 六九ページ〜七二ページ参照)。
第四には、前記の(4)のテーゼ、すなわち武装闘争=敗北要因論の問題であるが、その犯罪性はプロレタリアートの武装闘争にたいしまったく敗北主義の観点にたち、プロレタリアートの武装闘争にたいする恐怖と絶望だけを語っている点である。ここまでくると黒田そのひとのみすぼらしい俗物的な根性、高慢な言動のうらにかくされた小心で臆病な表情、自己不信とそのあらわれとしての猜疑心にうちふるえる姿が、まるで目のまえのように見えてくるではないか。国家権力と真正面から闘争し、幾重もの弾圧で傷だらけになりながらより巨大な地平にむかってあらたな前進をはじめた革命的共産主義運動の、その課題の巨大さからくる苦しみの姿をみて、黒田は俗物よろしく「よせばよいのに」と高慢な非難をなげかける。だがそれは、帝国主義の永遠性、万能性にたいする黒田自身の敗北感、挫折感の吐露いがいのなにものでもないのである。
以上の確認のうえにたって、最後に指摘しなければならない点は、すでに指摘したように、黒田=カクマルが、後進国・半植民地の人民の民族解放闘争、その主要な形態としての民族解放・革命戦争にたいし決定的に敵対し、小ブル平和主義の立場からその中止を一貫して要求していることである。もとよりかれらは、全世界的に後進国・半植民地の人民のたたかいが民族解放・革命戦争として発展しつつある現実にたいしては、ものわかりいいブルジョアジーと一緒になって、その気持は理解できる、などという空文句をしたり顔でつぶやいている。だが、それは、民族解放・革命戦争の徹底的な発展をかちとり、プロレタリア世界革命の重大な柱としてうちだしていくためのものではなく、まったく逆に、民族解放・革命戦争という悲劇的現実にふまえつつ、それを小ブル平和主義の方向にのりこえていくためのものなのである。反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略の革命的核心を忘れさり、それを帝国主義とスターリン主義に反発しつつ、そのあいだを動揺する小ブルジョアの自由主義的な信条命題にすりかえてしまった反革命カクマルは、後進国・半植民地の人民の民族解放・革命戦争と、そのスターリン主義的な歪曲形態との関係についてまったく理解することができなくなり、あるときは「たたかうベトナム人民との連帯」を完全にプロ(親)スターリン主義的な内容で語り、あるときは、ベトナム戦争の阻止、つまり米帝と解放戦線、北ベトナムにたいする停戦要求を小ブル平和主義的な内容で語り、またあるときは、民族和解政府構想にたいする批判を民族解放・革命戦争の世界革命的な発展の問題と切断した地点、米帝と日帝のベトナム共同侵略との革命的対決と切断した地点で、つまり、革命論的、組織論的な基礎を完全に欠如した小ブル的評論家の内容で語りはじめるのである。まさに、このような黒田の立場は、民族解放闘争に困惑した帝国主義本国の小ブルジョアの立場であり、民族解放闘争を「プロレタリア的利害」の喪失としてうけとめた第二インターナショナルの立場そのものなのである。
一九〇八年――いわゆる五年の革命の敗北とストルイピン反動の全盛期に革命陣営をおおった困難と暗さのなかで、レーニンはきわめて明朗な確信をもってパリ・コンミューンと一九〇五年の十二月蜂起を総括し、つぎのようにいった。
「プロレタリアートは、平和的闘争手段を軽視してはならない。しかし、階級闘争は一定の条件のもとでは、武装闘争と内乱の形態をとることを忘れてはならない。プロレタリアートの利益が公然たる闘争のなかで敵をかしゃくなくせん滅することを要求することがあるからだ。――このことをフランスのプロレタリアートが最初に示し、ロシアのプロレタリアートが十二月蜂起でかがやかしく確認した。
労働者階級のこの二つの壮大な蜂起が鎮圧されようとも、――新しい蜂起がやってくるであろう。蜂起のまえにたたされると、プロレタリアートの敵の力は弱いことがわかるであろう。社会主義プロレタリアートは、完全な勝利をおさめてこの蜂起をおわるであろう」(『コンミューンの教訓』)
これこそ、武装闘争にかんする革命家の原則的立場である。これこそ、プロレタリア革命のなにものにもかえがたい精神である。これこそ、プロレタリア独裁論の絶対的な基礎である。黒田とその下僕カクマルが、レーニン革命論の根本問題をなすプロレタリア独裁論をどのように改作しようとも、レーニンからその革命理論を奪うこと、プロレタリアートからレーニンの革命理論を奪うことはけっしてできはしない。プロレタリアートの敵の力が弱いことをプロレタリアートが知ったとき、カクマルよ、プロレタリアートのもうひとつの敵の力がどれほど弱いかみずから知るときがくるだろう。暴力革命と、それに絶対的に立脚したプロレタリア独裁の樹立――プロレタリアートの真の団結の道はただこの一点にある。
第五章 レーニン主義前衛党組織論の経済主義的な改作
レーニン主義革命論にたいするカクマルの反革命的改作の第四の基軸をなすところのものは、レーニンの革命的前衛党組織論を共産主義を立脚点としたプロレタリア丁卜の指導的革命組織論として理解することを拒否し、共産主義的窮極目標と、その過程的結節長をなすプロレタリア独裁の問題と機械的に切断された合法主義、経済主義の党組織論にレーニンのそれを歪曲しようとするところにある。
第一節「区別と連関」論の経済主義的本質
第一の特徴は、「大衆運動と革命運動(場所的現在においては前衛党づくり)との区別と連関」論なるものによって、党の共産主義的な目的意識性と指導性を否定し、プロレタリア階級闘争と党活動との弁証法的関係、党のための闘争と党としての闘争との弁証法的関係を破壊しようとしている点である。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、社民の経済主義的補完物、民同の反革命的補完物としてのカクマルの現在の活動を維持していくためには、革命的前衛党にかんするレーニン主義的な原則、とりわけ、プロレタリア階級闘争にたいする党の目的意識性、指導性の問題を決定的に破壊し、党組織なるものを大衆運動(社民的運動としてのそれ)の後尾にむすびつける経済主義の党づくり理論が必要となるのである。
では、区別と連関論なるものの経済主義的本質を検討する場合、問題となる点はどこにあるであろうか。
第一には、それが連関性を捨象した区別論でしかないということである。大衆運動と革命運動の区別と連関という場合、論理的には大衆運動と革命運動の統一性が前提的に問題となり、このような統一性(プロレタリアートの革命的階級としての形成)をつくりだすために、大衆運動の自然発生性にたいして党の目的意識性が区別性として抽出され、党の目的意識的指導の貫徹として連関性が実現されていく構造をなすものとして把握されなくてはならないのである。レーニンの『何をなすべきか』で追究された自然発生性と目的意識性の弁証法の問題は、このように論理的関係においてつかみとられなくてはならないのである。ところが、カクマルにあっては、問題はまったく転倒した関係において組みたてられている。すなわち、レーニン主義党組織論においては、区別とは革命運動を自然発生性からひきはなし、目的意識性をたかめる(高度の連関性の実現)ための作業であるのにたいし、カクマル経済主義党組織論においては、区別とは革命運動から大衆運動をひきはなし、革命運動を自然発生性(現在的には社民的指導性)にまでひくめるものとして語られているのである。なお、ここでいう「区別と連関」の問題とは、党の指導の方法にかかわることでレーニン的領域とは異なった次元の問題なのだ、とカクマルが逃げ口上をいおうとも、いぜんとして問題は同じである。なぜならば、党による指導の問題がここで論じられているとするならば、大衆運動と革命運動の連関がいっそう目的意識的に追求されなくてはならないからである。
第二には、それが党組織論の絶対的基礎をなす目的意識性の問題、革命的理論の役割の問題の基本的認識を欠如した自然成長性への追従の理論である、ということである。もともとレーニン党組織論においては、党の絶対的な基礎概念として共産主義的政治の問題がおさえられている。つまりレーニンは、共産主義者とその党が他者と自己を絶対的に区別する根底的指標として共産主義的な目的意識性の問題、その過程的結節環であるプロレタリア独裁にむかってのプロレタリア階級闘争の指導の問題をあげ、この問題を首尾一貫した組織論的基礎概念としなくてはならないとしているのである。いいかえるならば、大衆運動から革命運動を区別する革命理論の問題をまず明確にし、それを前提として大衆運動のなかに革命理論とそれにもとづく革命闘争の問題を計画的、系統的にもちこむところに党の独自の役割があるのである。ところが、カクマルにあっては、問題はまったく転倒した関係において組みたてられている。すなわち、レーニン党組織論においては革命理論とそれにもとづく革命闘争の問題を、プロレタリア階級闘争にもちこむことが強調されているのにたいし、カクマル経済主義党組織論においては、一定の情勢が到来するまでは革命理論とそれにもとづく革命闘争の問題を、大衆運動にもちこませないことが強調されているのである。
第三には、それが党組織における政治課題と組織課題の弁証法的関係を破壊し、党建設の問題を党の政治課題の実現の問題と機械的に分離した地点で達成しうるかのように考える経済主義的党組織論そのものであるということである。もとよりカクマルの場合、その党組織論の経済主義的本質を隠蔽するために多くのイデオロギー的粉飾をもって厚化粧しているため、カクマルのそれがあたかも党セクト主義であるかのような誤解が生じるのであるが、じっさいには問題はそのようなところにあるのではなく、まさにそれは、組織の問題を政治の問題から機械的に分離することによって、党組織そのもの、同盟組織そのものを共産主義的政治、プロレタリア独裁にむかってのプロレタリア階級闘争の前進とはまったく無縁な存在に変質させているところにある。まさに、この点にこそ、区別と連関論の理論的な到達点が与えられているのである。
なお、最近にいたってカクマルは、区別と連関論を二つの点においていっそう「精密化」させた。第一は、「プロレタリア独裁のための闘争」と「そこにいたる歴史的過程での階級闘争」との厳密な区別なるものであり、第二には、経済闘争・反政府闘争・反権力闘争・革命闘争という四段階論である。だが、このような精密化は、区別と連関論にかんするわれわれの批判になにもつけくわえる必要をもたない。というのは、カクマルの最近の努力が、現実のプロレタリア階級闘争を革命闘争の方向にひきあげるためになされているのではなく、両者の境界壁をいっそうたかく、いっそう複雑にして現実のプロレタリア階級闘争が革命闘争の方向に発展するのを阻止する働きをなすものであることは、一見してあまりにも明白だからである。
第二節 プロレタリア革命と前衛党の関連性について
第二の特徴は、区別と連関論なるものの当然の帰結として、共産主義的窮極目標の過程的結節環としてのプロレタリア独裁の問題、それを実現するためのプロレタリアートの革命的蜂起の準備の問題を党の歴史的任務の中軸にすえることに反対し、党の目的意識性とそれにもとづく党建設、党指導の前進をレーニン教条主義としてほうむりさろうとしている点である。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、党組織論の絶対的基礎概念をなす目的意識性の問題、共産主義的政治の問題と党組織の問題の関連性を破壊したことの必然的な結果として、党の当面の歴史的任務がプロレタリア独裁をたたかいとることにあること、それゆえ、党の活動内容、すなわち政治課題と組織課題とが、プロレタリア独裁の実現という当面の目標にむかって目的意識的に設定され、解決されていかなくてはならないことを完全に否定することが不可避となるのである。
[注] 革命的前衛党とプロレタリア独裁のための闘争にかんして筆者は、歴史的な六九年四・二八闘争の前夜、つぎのように要約した(『共産主義者』第一九号)。以下の展開の参考にここに引用しておくことにする。
革命とその党の使命は、まずもって労働者階級の自己解放の事業の不可避性を告げ知らせることにあるが、それは同時に革命の現実性と、その緊迫化とを自己の思想と行動のうえにもっとも鋭く主体化し、それをとおして労働者階級の自己解放の事業に前衛的方向をつくりだすことにあるのである。マルクスは『ハーグ大会決議』において、階級闘争における革命党の役割にかんしてつぎのような天才的規定を与えているが、革命党の枢要はプロレタリア権力の確立にかかわるものであることは明白である。
「所有階級の集合的勢力との闘争において、プロレタリアートは、その勢力を独立の政党に組織し、所有階級によってつくられたあらゆる旧政党と対抗することにより、はじめて一階級として行動することができるのである。政党というようなプロレタリアートの組織は、社会革命に勝利するためになくてはならぬものである。産業の戦野ですでに達成された労働者階級の諸勢力の団結は、搾取者や政治権力との闘争のさいに、労働者階級の手中にある挺子として役だたなくてはならない。土地と資本の貴族は、かれらの経済的独占を永続化し擁護するために、また労働を奴隷化するために、いつもかれらの政治的特権を利用する。それゆえ、政治権力の獲得がプロレタリアートの主要義務となるのである」(マルクス『ハーグ大会決議』)
また、レーニンは『ロシア共産党綱領』において革命党の任務にかんしてつぎのような定式を与えているが、ここで注意すべき点は、レーニンがマルクスの『ハーグ大会決議』にふまえながらも、帝国主義段階の党としての同盟軍問題を積極的に規定する努力をはらっていることである。
「この社会革命を成就するための必須の条件はプロレタリアートの独裁である。すなわちプロレタリアートがその手に政治権力を獲得することである。これによってプロレタリアートは搾取者のいっさいの抵抗を抑圧することが可能となる。プロレタリアートがその巨大な歴史的使命を達成するのに必要とする能力をつちかうことを任務とする国際共産党は、すべてのブルジョア政党に対立した独立の政党にプロレタリアートを組織する。この党は、プロレタリアートの階級闘争のいっさいのあらわれを指導し、搾取者の利害と被搾取者の利害とが宥和しえない対立のうちにあることをプロレタリアートに明示し、きたるべき社会革命の歴史的意義とその必要条件をプロレタリアートに明らかにする。それと同時に党は、その他の勤労被搾取者大衆の全体にむかって、資本主義社会にあるかぎりかれらの地位が絶望的であること、資本の軛からかれら自身が解放されるためには社会革命が必要であることを説きあかす。共産党は、労働者階級の党であるけれども勤労被搾取人民のすべての層をかれらがプロレタリアートの立場に同化するかぎり、自己の列伍のうちに呼び入れる」(一九一九年ロシア共産党第八回大会)
以上、長文にもかかわらずマルクスおよびレーニンの革命党にかんする規定を紹介したが、両者がともに党をプロレタリアート独裁権力の決定的テコとして論じていることは、きわめて重要である。
ロシア革命がプロレタリアートの権力獲得の過程として展開されたものであったことはもちろんであるが、同時にそれは、レーニンを先頭とするボルシェヴィキ党が敵権力と結託した政治的諸潮流ならびに日和見主義的翼との長期にわたる党派闘争をとおして党自身の革命的成熟を準備していくとともに、ツァーリズムの崩壊という形態をもって実現した革命の緊迫化のなかで党―大衆―階級の具体的結合をかちとっていく過程でもあったのである。いわゆる評議会(ソビエト、レーテ、フンタ)の問題にしても、いかなる党派がヘゲモニーを掌握するのか、という本質的方向性をぬきにして、ただただ形態論的に接近することは、革命勢力の内部に反映してくる右翼的動向への屈服の路線にほかならないのである。政治的中立の要求が現実的に帝国主義的秩序への屈服を意味しているように、党派的中立の動向は現実的には革命の敗北を準備するものなのである。
一国社会主義理論をテコとしたソ連過渡期社会の官僚制的変質とそれにもとづく国際共産党(とその各国支部)のスターリン主義的変質という冷厳な事実をまえにして、いわゆる左翼反対派の脱落者や同伴者の間には、不断に発生する敗北主義的総括として、一方では、レーニン主義的機構の社会学的延長線上にスターリン主義を設定しようとする努力を生みだすとともに、他方では、ブルジョア政党ならびにスターリン主義政党と独立した革命的左翼の政党を創成する困難への日和見主義的逃亡を合理化しようとする努力を生みだすのであるが、われわれは、このような党組織論にかんするブルジョア社会学的定式や日和見主義的逃げ口上とは正反対に、スターリンの一国社会主義理論がソ連共産党で勝利することによって生じた歴史的現実のうちに、たとえ裏がえしされた表現であれ、世界史的転形期における党のもつ意義を積極的に確認していかねばならないのである。ソ連共産党のスターリン主義化は、レーニン主義的党組織論そのものの社会的発展として生じたものではなく、レーニン主義的党組織論の基礎をなす世界革命論の一国社会主義理論的な歪曲を条件として形成されたものなのである。
したがって、社会民主主義的政党への加入と、その左傾化をもって独立した革命党創成のたたかいに代行しようとしたり、結局その亜種にすぎないが、社会民主主義政党の活動に主観的な革命性を付与しようとしたりすることは、現実的には、社民としての生き方に自己の生存をかけていることを意味しており、プロレタリアートの革命的資質を信頼することのできないものたちのマヌーバー的階級操縦論としてしか機能しえないのである。またこんにち、十・八羽田以来のたえず拡大する大衆の急進化という現実を固定化して「ノンセクト・ラジカル」なるものに特別の意義を付与しようとするものがあるが、それは、このような大衆の急進化を政治的に組織化しえない革命的左翼への断罪としてうけとめるべき側面を無視しえないとしても、なおかつ、そこに革命党を超える人間のあり方をみようとすることは不毛な努力というほかはないのである。現に日大・東大闘争のなかで輩出されてきた多くの活動家が革命的左翼の党派に結集しつつあることを、われわれはたかく評価しなければならない。まさに、革命の達成いがいに帰るべきいっさいの道を自己切断するとき革命家のあゆみは開始されるのであるが、このような「帰るところなき自己否定」とは革命党の組織的構成員としての生活を自己の唯一の生きがいとすることをとおしてはじめて可能となるのである。レーニンは、ボルシェヴィキ党の規律が保障された第一の条件として「プロレタリア前衛の意識、革命にたいする献身性、その忍耐、自己犠牲、英雄主義」をあげているが、まったくここにこそ、革命家の前衛的資質が規定されているといえるであろう。党こそは、われわれがそこに生き、そこに死すところの革命家の思想体であり行動体である。
では、カクマルの党組織論の経済主義的本質、その当然の帰結としての党活動の内容の歪曲はどのような問題点を生みだすであろうか。
第一には、共産主義者とその政治的結集体としての革命的前衛党は、プロレタリア独裁と革命的前衛党の歴史的結びつきを基礎として、共産主義的な目的意識性をプロレタリア独裁の樹立、そのための革命的蜂起の準備という基本的政治課題においてもっとも鋭く表現するのであるが、わがカクマルにあっては、このような実践的問題意識がまったく欠如しているばかりでなく、このような問題領域にふみこむことじたいが、革命主義者、武装蜂起主義者の妄想として否定されなくてはならない、と考えられているのである。だが、カクマル反革命集団が、レーニン党組織論を帝国主義の利益と和解させるためにどのようなペテン的手口をとろうとも、革命的前衛党の歴史的任務は、プロレタリア独裁の問題、すなわち、プロレタリアートの革命的暴力をもってプロレタリア独裁をたたかいとり、それを維持し、その死滅の物質的基礎を建設する問題とかたく結びついているのであり、この結びつきをたちきることは党組織論の絶対的な基礎概念を否定し解体するものである。プロレタリア独裁と革命的前衛党のこの固有の結びつきを捨象して党組織論の「批判的再構成」なるものを実現しようとするところに、いっさいの日和見主義の共同の根拠があり、したがってまた、カクマル経済主義的党組織論の決定的な反革命性が胚胎しているのである。なぜならば、プロレタリア独裁という歴史的任務と切断された地点での党組織論は、革命的前衛党組織論のブルジョア政党的改作いがいのなにものでもないからである。
第二には、共産主義者とその政治的結集体としての革命的前衛党は、帝国主義とそれに結びついたいっさいの反革命勢力、また一国社会主義の理論と平和共存政策を基礎とする世界革命運動の反革命的疎外態としてのスターリン主義と真正面から対峙しつつ、プロレタリア独裁の樹立、そのための革命的蜂起を準備するために階級的諸勢力と党の戦略配置を前進させることを当面の政治課題とするのであるが、わがカクマルにあっては、このような戦略的観点がまったく欠如しているばかりでなく、そのような政治課題、戦略的課題を党が問題とすることじたいが、革命主義者、武装蜂起主義者の妄想として否定されなくてはならないと考えられているのである。レーニン党組織論の革命的核心は、党の基本的任務をプロレタリア独裁の実現におき、プロレタリア階級闘争を「自分の綱領」のところまで引きあげることを党の目的意識性、党の指導性の首尾一貫した課題に設定しぬいた点にあった。プロレタリアートの支配階級としての組織化の問題は、党のこのような革命的活動を基礎としてはじめて現実の問題たりうるのである。また、計画としての戦術という問題も、プロレタリア独裁の樹立、革命的蜂起の準備という党の政治課題とそれにもとづく党の指導の目的意識性を前提とした、その具体化として可能となるのである。
第三には、共産主義者とその政治的結集体としての革命的前衛党は、帝国主義と反革命勢力、スターリン主義との対峙のなかで、革命的前衛党そのものの建設をプロレタリア独裁の樹立、革命的蜂起の準備という政治課題の質をもって推進することを独自の組織課題とするのであるが、わがカクマルにあっては、このような党建設の独自の内実がまったく欠如しているばかりでなく、そのような組織課題を党が自己の任務とすることじたいが、革命主義者、武装蜂起主義者の妄想である、と考えられているのである。レーニンは、その革命的前衛党組織論の不滅の基礎を確立した『何をなすべきか』において党の基本的任務が蜂起の準備にあることを確認したうえで、おおよそつぎのようにのべている。
「わが党組織の活動の基本的な内容、この活動の焦点は、もっとも強力な爆発の時期にも、もっとも完全な沈静の時期にも同様におこなうことができ、またおこなう必要があるような活動でなくてはならない」
「全国的政治新聞を中心とする組織」「だけが、共産主義的な戦闘組織になくてはならない柔軟性」「すなわち、多種多様で、急速に変化していく闘争条件に即応する能力、『一方では、兵力において圧倒的な敵が全兵力を一地点に集結したときには、この敵との野戦を避けるとともに、他方では、この敵の不敏活性を利用して、敵がもっとも攻撃を予期しない場所と時機を選んでこれを攻撃する』能力を保証するであろう」
「全国的政治新聞を中心としてひとりでに形づくられる組織、この新聞の協力者たち(もっとも広い意味での協力者たち、すなわちこの新聞のためにはたらく人びとの全部)の組織こそ、まさに革命の最大の『沈滞』の時期に党の名誉と威信と継承性を救うことにはじまって、全人民の武装蜂起を準備し、その日取りをきめ、実行するにいたるまでの、あらゆる事態にたいする準備をもった組織であるだろう」
革命的前衛党の建設の問題、革命的前衛党の指導能力の強化の問題は、まさにレーニンにおいて政治課題を達成する内容と結合してただしく提起されているのである。
もとより党が一個の組織体としての生命力をもつためには、党建設の問題をそれじたいとして徹底的に重視しなくてはならない。レーニンは、「われわれの運動の活動家にとっての唯一の真剣な組織原則」として「もっとも厳格な秘密活動、成員のもっとも厳格な選択、職業革命家の訓練」をあげている(一般的な表現にかえるならば権力、反革命の攻撃から党をまもり、その組織活動を維持すること、優れた活動家を教育訓練し、党員に組織し党を拡大すること、党の幹部を養成し指導の質をたかめること、の三点になるであろう)が、それは、党建設の独自性を明確にするものとして決定的に重視されなくてはならないのである。同様に、いわゆる党生活上の三原則について通例、(1)党の会議(細胞会議、支部会議など)の定期的な開催とそれへの参加、(2)機関紙誌の購読とその拡大、(3)党費の納入の三点があげられているが、それは、党建設、党生活の独自性を平易な表現において確認したものであり、決定的に重視されなくてはならないのである(『共産主義者』第二三号、五二ページ参照)。カクマルのように党の基礎組織である細胞、支部を事実上、組合フラクションに解消し、党の基礎的会議である細胞会議、支部会議を事実上、組合フラクションに解消することは、カクマル型の党が、プロレタリア独裁のための党ではなく、組合支配のための党であること、レーニン主義の党でなく、社会民主主義の党であることを組織形態論的に規定しているものといえよう。党の歴史的任務とプロレタリア独裁の達成との結びつきの否定は、党組織形態においてもみごとな日和見主義を生みだしているのである。
同時に確認されなくてはならない点は、党の建設の問題、党の内部規律の問題があくまでもプロレタリア階級闘争における党の活動の内容と結びあってはじめて保障される、ということである。レーニンは『共産主義の左翼小児病』において「プロレタリアートの革命党の規律は、なにによってささえられ、なにによって点検され、なにによって補強されるのか」という疑問にこたえてつぎのように語っている。
「第一にプロレタリア前衛の自覚によってであり、革命にたいするかれらの献身、かれらの忍耐、自己犠牲、英雄主義によってである。第二に、もっとも広範な勤労大衆、なによりもまずプロレタリア的な勤労大衆と、しかし、また非プロレタリア的勤労大衆ともつながりをたもち、かれらと接近し、そういいたければ、ある程度までかれらととけあう能力によってである。第三に、この前衛がおこなう政治的指導の正しさによってであり、前衛の政治上の戦略と戦術の正しさによってである――ただし、それはもっとも広範な大衆がかれら自身の経験によって、この正しさを納得するという条件のもとでである」(ゴジは引用者)
「これらの条件がないと、ブルジョアジーを打倒し、全社会を改造すべき先進的な階級の党としての実をそなえた革命党内の規律は実現できない。これらの条件がなければ、規律をつくりだそうとする試みは、かならず、つまらぬもの、空文句、もったいぶったしぐさに変るのである」
一七年のロシア革命に勝利し、つぎのヨーロッパ革命の勝利を展望するレーニン、生涯のなかでもっとも円熟した思想的たかみに到達したレーニンは、ボルシェヴィキ党の経験を総括して、党の組織性が党員の共産主義的自覚に立脚するばかりでなく、党の能力、党の政治的指導の正しさにおおきく規定されるものであることを教えているのである。
第三節 経済主義と民同追従の「本来の戦線」論
第三の特徴は、「本来の戦線」の名のもとに社共既成政党の指導下にある労働組合運動を絶対的な前提にし、それにカクマル式反革命イデオロギーと組合主義的政治を付加することをもって「労働運動の革命的展開」と称し、労働組合運動に共産主義的政治をもちこもうとするものにたいしては、「はみだし」「妄動」として反革命的攻撃をくわえようとする点にある。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、党の目的意識性を破壊し、党の目的意識的活動を破壊する経済主義的党組織論をとることの実践的な帰結として、労働組合運動においては、その自然発生性に追従し社民的指導を反革命的に補完する最悪の日和見主義として登場せざるをえないのである。
では、レーニン党組織論にかんするカクマルの経済主義的な改作は、労働組合運動においてはどのような問題性をもつものとして生起するであろうか。
第一には、本来の戦線の名のもとに労働組合運動と革命運動との関係を機械的に分離し、労働組合運動とプロレタリア階級闘争を等置することによって革命運動の絶対的前提条件を既成左翼指導下の労働組合運動に限定し、共産主義的政治を組合主義的政治にすりかえていることである。それはレーニンが『何をなすべきか』で集中的な批判をくわえたところの、かの経済主義のカクマル式改悪版いがいのなにものでもないのである。
ところでレーニンのいう経済主義とはどういうものであろうか。『何をなすべきか』を基礎として経済主義の主要な意見を摘出すると、おおよそつぎのようなものである。
(イ)「政治的要求は、その性質上全ロシアに共通であるが、しかし、はじめは当該の労働者層が経済闘争からひきだした経験に合致するものでなければならない。この経験にもとづいてのみ政治的扇動に着手することができるし、また着手しなければならない」
(ロ)「マルクスとエンゲルスの学説によれば、個々の階級の経済的利益が歴史上決定的な役割を演じるのであり、したがってとくに自己の経済的利益のためのプロレタリアートの闘争が、プロレタリアートの階級的発展と階級闘争とにとって第一義的な意義をもたなければならないということを、いやしくも社会民主主義者で知らない者があろうか?」
周知のように、(イ)の意見は、レーニンによって「政治闘争における段階論」とからかわれたところのものであるが、カクマル式四段階論は、経済主義者の主張にさらに「二段階」をつけくわえたもので、まったくみごとな?ものというほかはなかろう。
また、(ロ)の意見については、レーニンは、
「経済的利益が決定的な役割を演じるからといって、したがって経済闘争(=労働組合闘争)が第一義的な意義をもっという結論には、けっしてならない。なぜなら、諸階級のもっとも本質的で『決定的』な利益は、一般に根本的な政治的改革によってはじめて満足させることができるし、とくにプロレタリアートの基本的な経済的利益は、ブルジョアジーの独裁をプロレタリアートの独裁とおきかえる政治革命によってはじめて満足させることができるからである」
と、壊滅的な批判をくわえているが、まさに、経済主義者の共通の問題性は、経済闘争=労働組合運動を革命運動の絶対的な基礎にまつりあげ、そのうえに政治や理論を付加しようとするところにあらわれるのである。カクマル式経済主義が「プロレタリア独裁のための闘争」と労働組合運動とを区別することで「種々の混乱から解放されるにいたった」と自画自讃しているのをみると、日和見主義の出てくる根拠や姿態が七〇年たってもさして進歩がないのに驚かざるをえないであろう。
第二には、自然発生的な労働組合運動(現実には、社民を主導的な指導要素として、スターリン主義を補足的な指導要素とするそれ)をプロレタリア階級闘争の絶対的な前提条件にしたてあげることによって、プロレタリアートを合法主義的左翼の後尾に結びつける役割をはたしていることである。もとより革命的共産主義者は、プロレタリアートを革命闘争に動員し、その最良の部分を党に組織するための重要な水路として労働組合運動を決定的に重視し、労働組合運動の内部での党の組織的力量の強化、政治的影響力の拡大のために重大な努力をはらわねばならない。だが、労働組合運動にたいする革命的前衛党の原則的な態度は、労働組合運動を「本来の戦線」として美化し、前提化することにあるのではなく、労働組合運動の内部において権力、資本、民社はもとより社民、スターリン主義、カクマルにいたるいっさいの勢力の反階級的な指導力との熾烈な党派闘争をとおして党の政治的組織的陣地を前進させ、党の指導性のもとにプロレタリアートを獲得することになくてはならないのである。ところが、カクマル反革命集団にあっては、現実の労働組合運動内のフラクション組織とその活動が「革命党」の主要な活動として経済主義的に固定されているのであり、その結果として、かれらの宣伝の内容、活動の内容がすべて、組合方針の次元、組合機関人事の次元に相応したもの(民同の反革命的補完物)にならざるをえないのである。しかも、重要な点は、かれらの党組織形態、活動内容が反レーニン主義的なもの、社会民主主義的なものにゆがめられていることにあるだけではない。かれらは、そのうえ、独自にレーニン主義の組織原則に立脚して、革命的な党組織を建設し、革命的な党活動をすすめるものにたいしては「はみだし」と批難し、民同内の悪質分子と一体となって統制攻撃をくわえてくるのである。それゆえ、合法主義、組合主義、経済主義をのりこえ、労働組合運動の革命的主導権を獲得し、プロレタリア階級闘争の革命的前進のための巨大な陣地を構築していくためには、社会民主主義、スターリン主義を粉砕するばかりでなく、その反革命的な補完物の役割をはたしているカクマルを粉砕することが不可欠であり、それゆえ、カクマル式党組織論の反革命的な本質、その実践的帰結としての「本来の戦線」論の反革命的役割を徹底的にあばきだし、その影響をプロレタリア階級闘争の内外において完全にうちのめすことが必要なのである。
第三には、カクマルの「本来の戦線」論が、イデオロギー的にはプロレタリアートの経済主義的利益を階級的利益にすりかえ、帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアートに根ぶかく存在する民族排外主義、差別分断意識にたいしプロレタリアートが自己の課題としてたたかい、克服し、被抑圧民族、被差別諸階層人民の自己解放のたたかいとの真の連帯をつくりあげていく重大な革命的任務を否定し、プロレタリアートを帝国主義の民族排外主義、差別分断政策のもとに屈服させる反動的思想攻撃の重要な武器のひとつとして登場してきていることである。
もともとプロレタリアートは、自己解放のたたかいをとおして人類の全人間的な解放を達成する世界史的使命をもった階級であり、またそれゆえにこそ、プロレタリアートの革命的独裁は、他のいっさいの階級独裁とことなり、独裁の実現、維持が同時に独裁の廃絶の条件を準備するという構造をとるのである。このような意味において、プロレタリアートは、その特殊利害の貫徹のうちに普遍的利害の実現を準備するともいえるのである。だが、このような歴史的な関係は、プロレタリアートの特殊利害を、ブルジョア体制内の経済的な利益、労働組合闘争の利益と同一視する社民的思想を根拠づけるものではなく、あくまでも、プロレタリア独裁をたたかいとり、それをテコとして新社会を建設していく、という世界史的過程の総体において位置づけられなくてはならないのである。したがってまた、それは、プロレタリアートの決定的な利益を否定し、それを帝国主義の利益と和解できるものに変えようとする傾向、帝国主義の民族抑圧、差別・分断攻撃を支持することによって与えられる「ほんのわずかな利益」をもってプロレタリアートの決定的な利益をブルジョアジーに売り渡す傾向にたいしプロレタリアートが徹底的にたたかい、自己の腐敗をたちきり、真の階級的利益をかちとりうる能力をつかみとっていく過程としてつかみとられなくてはならない。
ところが、カクマル反革命集団にとって、プロレタリアートの階級的利害、プロレタリアートの特殊利害とは、労働者の組合主義的利害、労働者の経済主義的利害いがいのなにものでもないのであり、それゆえ、プロレタリアート内部の民族排外主義、差別分断意識、すなわち、帝国主義の与える「ほんのわずかな利益」とひきかえにプロレタリアートの決定的利益をなげだす、という階級意識の現実の喪失にたいしてたたかい、真の階級意識をつくりだしていく問題などは、まったく「階級利益」とかかわりないこととなるのである。かつてカウツキーやプレハーノフが「マルクス主義」の名のもとに帝国主義の世界戦争、帝国主義の民族抑圧、帝国主義の階級支配にプロレタリアートの「階級利益」を和解させようとしたように、いままたカクマルは、レーニン主義の「批判的継承」と称して、帝国主義の侵略戦争、帝国主義の民族抑圧、帝国主義の階級支配とプロレタリアートの「階級利害」を和解させようとしているのである。
第四節 反革命的な武装襲撃集団への純化
第四の特徴は、「区別と連関論」なるものによって、革命的前衛党の目的意識性を否定し、その目的意識的活動を否定し、社民の反革命的補完物としての道を確定したことの基礎のうえにたって、革命党襲撃を第一義的任務とするところまでレーニン党組織論の反革命的改作を完成させた点である。いいかえるならば、カクマル反革命集団は、レーニン主義革命論の反革命的な改作をとおして、その革命的核心をことごとく破壊し、レーニン主義を帝国主義と和解しうるものに「再構成」したばかりか、反革命的に再構成された「レーニン主義」なるものをもって、レーニン主義革命論の実践的、現在的な貫徹、反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略とその戦略的総路線としての展開に敵対し、革命的前衛党のたたかいを権力と一体となって攻撃しはじめたのである。
では、カクマルによるレーニン党組織論の反革命的改作、その実践的完成としての革命党襲撃論の問題性はどのような点にあるであろうか。
カクマルによるレーニン主義革命論の反革命的解体の作業の第一の実践的結論は、現代革命の基本戦略としての反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略の反革命的解体である。
これまで検討してきたことから明白のように、レーニン主義革命論にたいするカクマルの「批判的再構成」なるものは、(1)ロシア革命を後進国革命なるものに歪曲し、レーニン主義の特殊段階的な普遍性を否定することによって、いわゆる先進国革命へのレーニン主義の適用を否定し、植民地・従属国の人民の革命へのレーニン主義の適用を否定し、帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアートの蜂起と植民地・従属国の人民の民族蜂起の結合を否定していること、(2)レーニンによって確定された帝国主義論を農民保護政策論のようなものに歪曲することによって、帝国主義の世界支配、その不可分の肢体としての植民地体制を否定し、帝国主義戦争とその内乱への転化を否定し、帝国主義を資本主義の最高の段階、戦争と革命の時代としてとらえることを否定すること、(3)国家の暴力性を否定することによって暴力革命論を否定し、プロレタリア独裁の絶対的基礎を否定し、プロレタリア革命の軍事綱領を否定していること、(4)革命運動と大衆運動、革命闘争と「それへの歴史的過程にある」階級闘争との関係を機械的に分離することによって党とプロレタリア独裁の固有の結びつきを否定し、党の目的意識性と指導性を否定し、労働組合運動への革命的指導を否定し、革命党の現実的な闘争を否定することの四つの基軸において、ことごとくレーニン主義革命論の革命的核心を解体し、それを帝国主義の利益と和解する小ブル自由主義の綱領に改作しようとするものであり、いかなる意味においてもレーニン主義の革命的核心とは敵対するものである。だが、こんにち同時に明確にされなくてはならない点は、このようなレーニン主義革命論の反革命的な改作の一つひとつが現代革命の基本戦略としての反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略の革命的核心を解体し、帝国主義とスターリン主義の千年王国説、つまり、世界革命への過渡期の平和共存的形態への変容を絶対化し、その革命的突破の道の現実性を否定し、プロレタリアートを帝国主義とスターリン主義支配のまえに追従させ、屈服させる小ブルジョア的自由主義の世界観の論拠となっていることである。
カクマルによるレーニン主義革命論の反革命的解体作業の第二の実践的結論は、反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略の七〇年代的な展開としての戦略的総路線への反革命的敵対である。
革共同第三回大会の報告決定において正確に見とおしが与えられているように、戦後の世界体制は(1)帝国主義戦後世界体制の崩壊的危機、(2)スターリン主義の歴史的破産、(3)階級闘争の新しい高揚の三つの条件を基礎として、矛盾の恐るべき爆発にむかってすすんでいる。もちろん、一方では帝国主義の全体制の重みをかけた反動的攻撃、息つぎと時間かせぎの政策(米中・米ソ会談)とそれにたいするスターリン主義の屈服、他方では、階級闘争の新しい指導部の未成熟、前進のまえの調整、という二つの情勢に規定されて、こんにち、プロレタリア階級闘争が幾多の困難をかかえていることは事実である。にもかかわらず、戦後世界体制が確実な足どりで、より決定的危機にむかってすすんでいること、後進国・半植民地の人民の民族解放闘争(その主要な形態としての民族解放・革命戦争)と帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアートの革命的蜂起を両軸として階級闘争の爆発の情勢が日に日に成熟していること――このこともまた、まったく疑いようもない事実である。
このような情勢のなかで、スターリン主義は、戦後世界の構造的変化なるものを理由としてレーニン主義革命論の革命的命題の現代的貫徹にことごとく反対し、一国社会主義の理論とそれにもとづく平和共存政策のいっそうの深化をもって現代革命の発展に敵対する役割をますます露骨にしはじめている。帝国主義本国、抑圧民族内のプロレタリアートの革命的蜂起の道に敵対し、プロレタリアートを平和革命と議会主義の沼地にさそいこもうとするスターリン主義、後進国・半値民地人民の民族解放闘争(その主要な形態としての民族解放・革命戦争)の爆発に敵対し、それを「再度のジュネーブ的解決」をもって圧殺しようとするスターリン主義――このスターリン主義の反動的制動を粉砕し、ロシア革命によって開始された世界革命の巨大な事業、二〇世紀の特殊段階的な革命原則を基礎づけているレーニン主義革命論を現代に継承し、それを荒々しく貫徹していくこと、ここにこそ、反帝国主義・反スターリン主義のもっとも優れた革命的核心がはらまれている。ところが、カクマルの「批判的再構成」なるものの卑劣な反革命的な役割は、レーニン主義の革命的核心を解体することによって、スターリン主義の裏切りを補完し、帝国主義の危機を救済し、反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略と、それにもとづく実践に敵対していることにあるのである。
カクマルによるレーニン主義革命論の反革命的解体作業の第三の実践的結論は、カクマルそのものの権力への集団的な投降であり、反帝国主義・反スターリン主義に綱領的に立脚し、その勝利的実現をもって現代世界の根底的な変革をかちとろうとする革命的前衛党とその革命闘争に敵対し、その破壊を権力と連合して策動することである。
周知のように、現代世界のプロレタリア階級闘争は、世界革命への世界史的過渡期という時代的本質に規定されて、いっさいの階級闘争が内乱的衝突への傾向をその初期の段階から示さざるをえない。それゆえ、権力の弾圧の発動もまた、プロレタリア運動内の日和見主義の発生も、きわめて先行的、予防的な性格をもたざるをえないのである。現代世界のプロレタリア階級闘争が、権力と革命勢力との永続的内乱的対峙の様相をもって発展し、したがってまた、それが革命勢力と民間反革命勢力との内乱的対峙の様相をともなって発展するのは、このような現代世界の時代的本質に規定されたものなのである。
カクマルのレーニン主義革命論からの背教が、ただちに、カクマルそのものの権力への集団的な転向過程としてあらわれ、革命勢力との熾烈な内乱的対峙として実践的にあらわれるのは、まったく当然のことである。問題はただ、革命党とその指導下の革命勢力が、権力、反革命勢力との二重対峙をとおして自己を防衛し、闘争をとおして闘争力を養い、闘争をとおして革命精神を高揚させ、プロレタリアートの革命的暴力をプロレタリア独裁の樹立にむかって鍛えあげ、それをもって権力、反革命勢力を完全に粉砕するたたかいに勝利するかどうか、にかかっているのである。二重対峙の発展をとおして革命の雄大な目的と人民の正義の要求をかたく結合し、内乱・内戦―蜂起の準備にむかってプロレタリアート人民を動員し武装し、劣勢な勢力が優勢な勢力と対峙し、それにうちかつ闘争指導の原則をもってそれをうちかため、党と革命勢力の決定的な建設をかちとること、まさに、この一点に、カクマルのK=K連合を基礎とした反革命的攻撃にたいするわれわれの勝利の回答があるのである。
[結論]反革命カクマルのレーニン主義解体のペテン的作業を粉砕せよ
レーニンは『国家と革命』でこのようにいった。
「いまマルクスの学説には、解放のためにたたかう被抑圧階級の革命的思想家や指導の学説について、歴史上再三起こったと同じことが起こっている。大革命家の生前には、抑圧階級はたえまない迫害をかれらにむくい、野蛮このうえない敵意、凶暴、あくなき憎悪、うそと中傷の乱暴きわまる攻撃でその学説をむかえた。彼らの死後には革命的学説の内容を去勢し、その革命的な矛先をにぶらせ、それを卑俗化させるとともに、被抑圧階級を『慰め』欺くために、かれらを無害の聖像にかえ、彼らをいわば聖列にくわえ、彼らの名まえにある栄誉を与えようとするくわだてがなされる。いま、ブルジョアジーと労働運動内の日和見主義者とは一致している。かれらは、学説の革命的側面、その革命的精神を忘却し、まっ殺し、歪曲している。そしてブルジョアジーにうけいれられるもの、あるいはうけいれられるように見えるものを、前面におしだし、礼讃している」
また、レーニンは『プロレタリア革命の背教者カウツキー』でこのようにいっている。
「プロレタリア独裁を規定するさい、カウツキーは、この概念の基本的特徴、すなわち、革命的暴力を読者にかくすことに全力をつくした。だが、いま真理があらわれた。すなわち、(カウツキーには)平和的変革と暴力的変革との対立が問題なのである」「すべての逃げ口上、こじつけ、ぺてん師的偽造がカウツキーに必要なのは、暴力革命を拒否していることをかくすためであり、自由主義的労働政策のがわへ、すなわちブルジョアジーのがわへ、自分が移行していることをかくすためにほかならない」
革命的な勢力と反革命カクマルとの決定的な対立が、なにか「感情上」の事情によって引きおこされたものではなく、また、レーニン主義革命論をめぐる革命的な勢力と反革命カクマルの決定的な対立が、たんなる「理論上」の誤解によって発展したものでもなく、まさに反革命の独自性を確立し、レーニン主義の反革命的な改作をもってそれを粉飾し、革命を阻止しようとするカクマルの願望によって根底的におこったものであることは、これでひとまずあきらかになったものと思う。われわれと反革命カクマルとの対立は、反帝国主義・反スターリン主義世界革命をめざして前進するものと、反帝国主義・反スターリン主義の旗を帝国主義と和解しうる小ブル自由主義の旗にかきかえ、容帝・反共の道をあゆむものとの絶対的な対立なのである。それは、また、レーニン主義を擁護し、その現代的継承の道を前進するものと、レーニン主義を否定し、その小ブル自由主義的改作の道をあゆむものとの絶対的な闘争である。それゆえ、また、われわれのまえには勝利の道が、かれらのまえには敗北の道が用意されているのである。
レーニンとその革命理論は、永遠に、革命を信じ、その勝利のために全力をあげてたたかうもののなかに生きているのである。
(一九七二年十月三〇日)