恐慌と「資本論」の架空資本雑感

川島 進一

革共同再建協さんのホームページの「恐慌と架空資本」の論争に多少立ち入ってみようかと思い、投稿します。当方、賃金騰貴を恐慌の原因とする宇野理論とは違う見解を持っています。しかし、宇野経済学が労働力商品の特有の矛盾を指摘した点やその「段階論」は優れた論考と考えています。

1、 現在の恐慌

掛川さんが指摘する金兌換制度の停止以降、とりわけ95年以降のアメリカの債務を補填する形で還流した特異な国際資金循環の矛盾、また、HTさんが提起した昨今の「架空」ともいえるデリバティブなどの金融証券商品の投機が現在の恐慌の重大な要因であることは間違いありません。
しかし、その根底には資本主義の根本的な矛盾が横たわっているのだと思います。また、他方、恐慌それ自身は、資本主義を自動的に終焉させるものではなく、景気循環の一局面として現象するものです。それを資本主義の終わりに向かわせられるかどうかは、労働者大衆の闘い如何によるもとの考えます。

 

2、「架空資本」という概念

以下、他の論考からの資本論の概念整理をしてみます。
@ 貨幣は本来、等価値(等労働量)の生産物の交換を媒介するものと概念規定される。
A ところが、「資本」は、<貨幣資本→生産資本(生産手段と労働力)→生産商品→貨幣資本>という循環を繰り返しながら増殖していく。なぜ、増殖するのかと言えば、生産過程で労働者の剰余労働を搾取し価値を増大させるから。しかし、その価値は市場で生産物たる商品を「売る」ことに成功しなければ実現できない。
B 銀行資本(貸付資本)というのは、元来は、個々に遊休している貨幣資本を統合してその一部を貸し付ける(投資する)ことで生産資本への転化を促した。
C ところが、資本主義の発達とともに、資本自身の商品化(証券化)という現象が発生する。平均利潤率が10%とすると、1万円の資本は年1千円の利潤(または利子)を生むことになる。そうすると、逆に、年間1千円の利潤を生むものは1万円の価値のある資本ということになる。年間1千円の「請求権」が1万円の資本と見なされることになる。こうして本来価値を増殖させるところの生産(と販売)から遊離した資本価値が形成される。これをマルクス「資本論」では、第3巻29章で「国債」を例に挙げ、「架空資本」と呼んでいる。
D 「架空資本」は実体の生産手段や生産物から遊離している。先の例なら年間1千円の利子が年間2千円の利子に上昇する(あるいは逆に平均的利潤が10%から5%に低下する)ということになれば、その「証券」の資本価値は実体と関係なく1万円から2万円に倍増する。「信用」とは、本来は未来の生産的利潤への投資であったが、資本商品売買による利潤それ自身が目的になれば、それは「投機」に転化する。
E マルクス「資本論」では、続く3巻30章で、「再生産過程が流動的で還流が保証されている間は、信用は持続し拡張されるが、ひとたびその還流が破綻すれば恐慌となる」としている。要するに、信用・架空資本も資本の再生産過程から自由ではない、と指摘している。

3、 サブプライムローンとリーマン・ショック

リーマン・ショックは、サブプライムローンの破綻をその導火線としました。サブプライムローンは、アメリカの最も貧しい労働者たちに将来の高い利払いを約束させるローンでした。この返済の破綻が、リーマン・ショックを準備しました。恐慌の根底には、資本の無政府的な生産の拡張、その対極での大衆の貧窮と消費制限という資本主義体制自体の矛盾があると思います。
 資本の自由主義段階における恐慌論の理論的整理、帝国主義段階論を踏まえ第2次世界大戦後のアメリカ基軸体制の世界経済論、その崩壊が始まった現在の恐慌が向かう先の見通しについて、それぞれ真剣な研究が必要とされていると考えています。(2009年4月上旬)


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