「架空の貨幣資本」と金融資本

掛川 徹

【1】
株式や国債が「架空の貨幣資本である」点については松崎氏のご指摘の通りだと思います。川島氏の優れた論考もたいへんコンパクトに「架空の貨幣資本」について概念整理されていて参考になりました。
ただし、消費税が「詐欺」だから「架空」だという点は、私としては同意できません。消費税は商品価格と税金の区別が一目瞭然で、100円の商品に105円の価値があると誤解して買う人はおらず、消費税が国家権力の収奪であることは一目瞭然です。さらに消費税が金融商品として投機の対象となるわけでもないので、消費税は「架空の貨幣資本」を考察するうえでとりあえず除外した方がよいと考えます。
さて、私が松崎氏の論考に摩擦を感じたのは、株式や国債が「架空資本」かどうか、という点にあるよりも、むしろ主たる問題意識は「架空の貨幣資本による収奪に基軸が移行した」とする松崎氏の主張が、従来われわれが依拠してきたレーニン「帝国主義論」あるいは本多書記長「レーニン主義の継承か解体か」といかなる整合性をもつのか、という点でした。農業・農民問題、民族植民地問題、帝国主義世界戦争の問題が「架空の貨幣資本論」でどのように位置づけられるのか、ということも含みます。
私が前回強調したのも、松崎氏が指摘する国債や株式を用いた投機は、現象としてはレーニンが現代資本主義の特徴としてすでに列挙しており、レーニンが金融資本的蓄積様式の問題として整理した諸問題を、あえてレーニン帝国主義論と異なる概念で説明する必然性があるのか、ということでした。レーニンや本多書記長が提起してきた内容と、松崎氏の提起はどのように整合がつくのか、その点を明示に提起してほしい、という要望でもあります。本多書記長の革共同を創造的に再建するのが再建協議会の本旨だと思うので、なおのこと「継承」性にこだわったわけです。
もっぱら「帝国主義論」からアプローチしてきた私と、「資本論」からアプローチしている松崎氏の問題意識をかみ合わせるのは時間がかかると思いますが、上記の問題意識に立ったうえで、「架空の貨幣資本」論の積極的な要素をどのように位置づけるべきか検討してみたいと思います。

【2】「架空の貨幣資本」と金融資本
(1)松崎氏は「産業資本にもはや投資されない」点を金融資本と架空の貨幣資本の分界線にされているようです。しかし、松崎氏が「架空の貨幣資本」と定義づける金融商品の独自の運動化は、あくまでも金融資本(=銀行資本と産業資本)の在り方の問題として、金融資本論に包摂されるべきだ、というのが当面する私の問題意識です。
論証的・包括的に議論を進める余裕がなく、荒っぽい断片の羅列で申し訳ないのですが、いくつか根拠を述べます。
@まずレーニン帝国主義論。繰り返しで申し訳ありませんが、レーニンは金融資本的蓄様式の特質について、「独占は、ひとたび形成されて幾十億の金を運用するようになると、絶対的な不可避性をもって、政治機構やその他のどんな『細目』にも関わりなく、社会生活のあらゆる面に浸みこんでゆく」と述べています。金融資本にとって利殖の対象が労働者を搾取する産業資本か、農奴を抱える大地主か、奴隷をこき使う鉱山主か、貧しい労働者のわずかな蓄えなのかは関係がない。蓄積の手法も、搾取なのか詐欺なのか単なる強奪なのかはもはや関わりがない。だから帝国主義段階では前資本主義的諸関係が広範に再生産され、自由主義段階と対照的な全面的政治反動が台頭する。ここに農業・農民問題、民族・植民地問題が帝国主義固有の問題として提起される経済的根拠があります。
貨幣資本がもはや生産部門に投資されず、もっぱら投機に振り向けられてきた点は、74-75年恐慌以来の慢性的過剰資本状態という基調の下、金融自由化によって必然化したと思いますが、「生産的投資ではない」という点だけをとれば、レーニンが規定した金融資本の特質からみて、金融資本とあえて異なる「架空の貨幣資本」概念を用いる必要を感じないということです。
あくまでも金融資本による収奪の現代的な手法として、ヘッジファンド等のさまざまな投機現象が存在すると私は考えています。
Aここ30年に生じた金融投機は、金融自由化に基づくさまざまな要因が複雑に作用しており、簡単に要約することは困難ですが、ここでの論点に即した主要な点は以下の2つです。
金融恐慌の危機に直面した金融資本は、信用危機を回避するために、返済が不確かな銀行の債権を証券化して切り売りすることを制度的に推進した。「市場が正しくリスクを評価する」というお題目で金融当局の監督を回避し、不良債権を売りさばく。銀行業務と証券業務の垣根を取り払ったのはそのためで、金融自由化の主たる狙いはここにあります(資料、事例研究1と2)。
もう一つは、各国中央銀行による大量の通貨散布と信用創造。さまざまなケースがありますが、80年代後半の土地・株バブルと97年の米国株バブルがいずれも日銀の金利引き下げがもたらしたもので、今回の住宅バブルはFRBによる短期金利引き下げが直接の引き金です(資料、事例研究3から5)。
つまり、国債や各種証券が投機で乱高下するのはあくまでも結果であり、基軸通貨と金融システムを防衛して恐慌を回避する金融資本の利害に起動力があるということ。国債・証券等各種の「架空の貨幣資本」が金融資本から離れて独自の運動化をしてきたことも事実ですが、権力の中枢はやはり金融資本にあると思えるわけです。
B「投機資金がもはや産業資本に投下されない」という点ですが、投機資金の運用主体は銀行資本と並んで産業資本そのものではないでしょうか。より正確にいえば生産部門を握る独占資本の投機ということです。80年代から話題になった「財テク」がそうでしょう。間接金融(銀行からの借入)から直接金融(証券市場での資金調達と運用)への転換がどの程度進んでいるかは資料的に明らかにできませんが、トヨタが内部留保を10兆円も抱えていた事実から推測すれば、独占による金融投機はかなりの規模で進んでいると思います。
銀行が預金も貸出も証券化し、独占が証券市場を通じて資金を調達あるいは運用する−これは過剰資本と恐慌の危機に直面した金融資本の現代的在り方の問題として理解すべきだろう、と考えます。

(2)「架空の貨幣資本」論をどのように位置づけるか
上記の全体的枠取りでまず異論を述べたわけですが、そのうえで松崎氏が「資本論」に依拠して「架空の貨幣資本」という概念をあらためて提起されたことは、今日の投機現象を理解するうえでたいへん重要だと思います。
あえて意見を申し上げると、銀行資本の機能のなかで何が社会主義の基礎となり、何が不毛な投機として廃絶されるべきなのかを丁寧に抽出する必要があるとは思います。帝国主義の下では社会的総労働と労働生産物の配分は銀行間の決済を通じて組織されています。この生産の社会化が共産主義の前提をなしており、銀行機能のなかでどこまでが「架空」で「不要」かということは過渡期社会建設論にも関わり、私にも簡単に結論が出せません。労働者権力が打ち立てられれば経済の基幹部を社会主義に基づいて組織することが可能となりますが、ロシア革命がそうだったように、未だ世界の半分を占める農民経済との関係からいって、貨幣を一度に全廃することもできません。社会的遊休フォンドを再生産に用いるため、ある種の証券や債券を利用することもあるでしょう。投機や搾取のために自己運動化しない、「金融商品」ではない貨幣・証券・債権を、労働者権力は過渡的に用いるだろうし、使いこなさなくてはなりません。何が廃絶されて何が社会主義に継承されるのか−この点は今後の課題として、あらためて「資本論」第3巻を読み直したいと思います。

【3】再生産表式と段階論
松崎氏が「資本論」第2巻を今日の恐慌分析に用いている点は、私には率直に言って論旨に無理があると感じられます。恐慌の具体的分析は、「資本論」に踏まえたうえで、過剰資本の実態と金融自由化の動向を具体的に分析するなかからしか出てこないのではないか。
もともと「資本論」の再生産表式は、ケネーの「経済表」に着想を得てマルクスが資本主義的生産様式の生産と拡大再生産の概念モデルを抽出したものだと思います。今あらためて読み返しているところですが、ケネーの「経済表」が拡大再生産の条件を概念的に抽出したもので、フランス王政の経済を直接分析したものではないのと同様、「資本論」第2巻が直接イギリス経済を分析するとか、資本主義の崩壊を分析したものだとは思えません。
ひとつには、2巻で考察される貨幣資本は「社会的総資本の構成部分として見た貨幣資本」だけです。機械など減価償却に時間がかかるものは、その価値が少しずつ商品に転化され、貨幣となって還流しますが、2巻で取り扱われる「追加貨幣資本」は、こうして各資本家に蓄蔵貨幣として積み立てられた遊休資本が信用制度や有価証券を通じて「追加貨幣資本」として再生産に投入されるという脈絡です。いわゆる「架空資本」に関わる領域は「流通の停滞を調整するための追加貨幣資本は別問題」として、あらかじめ考察から排除されています(18章2節 貨幣資本の役割)。事柄をもっとも「自然発生的な形態」で考察するために「まず最初にもっとも簡単なもっとも本源的な形態での金属流通を前提するということが重要」だとわざわざマルクスは断り、貨幣の追加は部門T(生産手段の生産部門)における金の増産に限定しています。「商人も貨幣取引業者も銀行業者も、また、ただ消費するだけで直接に商品生産に関与しない諸階級もここには存在しない」(いずれも21章)のです。
公的信用の投入−FRBのドル大量散布、米国債による経済対策への莫大な支出など、現在の「貨幣資本の追加投入」は、過剰生産とドル危機→金ドル兌換停止、ケインズ政策の破綻とインフレ→マネタリズム(新自由主義)に基づく金融自由化と全般的な投機経済化、という過程を具体的・歴史的に解明しなければ説明できないと思います。
ふたつに、「過剰生産は、消費財生産の部門Uで過剰生産」で「他方、生産財生産の部門Tは過少生産」だと松崎氏は規定されますが(未来26号)、マルクスは、資本主義の拡大再生産の条件はT(v+m)>Ucであり、そうでない場合は恐慌を通じて資本がTに移動するだろう、と言っているだけです。マルクスがやっていることは、実験室で資本主義を純粋培養するように、抽象力を用いて資本主義の拡大再生産を概念的に再現しているのであり、現実の恐慌をここで分析しようとしているのではないと思います。実際、現在の大恐慌は部門Uだけでなく、鉄、金属、化学、紙、工作機械、半導体、セメント等、部門Tのあらゆる分野が過剰生産に陥る全般的な恐慌ですし、鉄鋼の世界的な過剰生産能力は74−75年恐慌以来一貫しています。松崎氏は、恐慌を単なる部門間不均衡の調整過程と捉えているようにも読めます。
さらに、“戦時には武器増産によって生活必需品が減少するので、必需品は高騰するか割当制になる”(同)ともありますが、「資本論」が前提する世界では、商品価格が高騰すれば資本が商品価値以上の超過利潤を求めて必需品分野に参入・増産することで、高騰した必需品の価格は下落します。結局、一時的な商品価格の騰落は資本の再配置を刺激するだけで、市場の運動を通じて長期的に商品は価値どおりに売られる。松崎氏も認める通り、これが「資本論」の前提です。
現実の戦時における必需品の不足と高騰は、ブロック化による国際交易の縮小および戦時統制経済=国家独占資本主義政策と不可分の問題です。資本論と再生産表式をストレートにあてはめて解釈するのはやはり無理があると思います。現代帝国主義のブロック化・世界戦争というテーマは、段階論の規定に踏まえて分析すべきではないでしょうか。
現在のユーロ・ブロックとドル・ブロックの対立は最終的に世界戦争で決着をつける以外ないと私には思われるため、大変強い危機意識をもってG20やNATOの推移を見ています。改憲決戦、沖縄闘争との脈絡でも日米安保同盟論をあらためてドル・ユーロ対立の枠組みから再検討する必要を痛感していますが、この点は問題意識だけで別途機会を改めます。

【4】再建協議会の綱領を共同の力でつくろう
松崎氏の提起は、現代世界認識の根幹にかかわるがゆえに、革共同の綱領・戦略の根幹にかかわるきわめて重要なテーマです。
そうであるがゆえに、論争は党活動の全面的な領域に及ぶし、私も広範囲な提起を行っていきます。松崎氏も各方面から提起されるだろう問題をじっくり検討していただきたいと思います。しかし、私と松崎氏の2人が知恵を絞るだけでは到底追いつかない巨大なテーマであることも明らかで、ぜひ読者のみなさんも討論に加わっていただきたい。川島氏の投稿はとても心強いです。全党員、全読者の英知を絞ってわれわれの綱領をつくっていきましょう。

(事例研究1)96年橋本「我が国金融システムの改革」の狙いと背景(高尾義一「金融デフレ」1998年)。
「金融システムを改革する上での主な課題は、信用創造機能を回復させ、その上で目詰まりを起こしている資金フローを正常化することである。このためには、国内面に限定すれば直接金融の育成と間接金融の再建を急ぐということ」「間接金融中心の金融システムは、機能不全に追い込まれている。預金を受け入れたとしても、運用面では貸倒れリスクが無視できず、比較的高いリターンを生み出せる資金の使途が見出しがたくなっている。実際、主要先進国経済へのキャッチ・アップを終えた後では、先行き有力な成長分野がそう簡単に見いだせないのも当然であり、ほとんどが手探りの状態といっても過言ではない。この中で、銀行が貸出しを実行するとすれば、その資金の回収可能性には通常以上にリスクが伴う。また、そこから期待し得るリターンは安定性に欠けることになる。このことは、預金といった元本保障で確定利付のタイプの商品を主として扱う、銀行を主体とした間接金融では、金融システムがうまく機能し得なくなるのは当然」「まず第1は、金融機関の資金調達サイドで証券化を進めることである。換言すれば銀行預金を証券化することを意味する…元本返済の確約と確定した利払いの必要がない証券化商品で資金調達すればよい」「第2は、運用サイドは伝統的な貸出ではなく、資産担保証券(ABS)などを通じて、徹底的に証券化を進めることである…従来の銀行審査では、最近の与信リスクを適切に評価することが難しくなっている。この点で、資産担保証券などで貸出を証券化すれば、市場で与信リスクを評価することが可能となる」。高尾によれば、96年3月時点で金融機関への資金の出し手は80%が預金と信託、資金の取り手は70%が貸出で、この時点ではまだ間接金融が「資金フロー面で圧倒的に高い比率をもつ」。これを、金融機関銀行の預金と貸出を証券化する一方、銀行と系列会社による株式持ち合いも解消し、証券市場で取引手数料を自由化することで、銀行からの融資ではなく証券市場を通じた資金の流動化を実現すると改革の狙いを説明し、「これほどの規模の制度改革は歴史的に見ても、1927年の昭和金融恐慌期や1947年の第2次大戦後にしかなかった」とコメントしている。

(事例研究2)80年代中南米危機とブレイディ債
「ソロスは警告する」(2008年、ジョージ・ソロス)によると、銀行の債権を証券にして売り出すアイデアは、82年中南米債務危機で登場した。「1980年代の途上国債務危機は、その後の各国政府・銀行の協調介入によってひとまず収束した。とはいうものの、銀行システムに資金を注入するだけでは十分ではなかった。先進諸国の銀行から途上国政府が借りた金額の総額は、銀行の自己資本を大幅に上回っていたのだ。問題のある国々がデフォルトを実行すれば、先進諸国の銀行システムも破たん状態に陥っていただろう」「その結果、先進諸国の中央銀行は伝統的な役割から大いに逸脱した政策を実施した。各国の中央銀行が一致団結して債務国の救済を行ったのだ…このときの危機は、債務者側の救済が国際協調を通じて実行された初めての例となった…国際機関、各国政府と中央銀行、それに多数の民間銀行が団結できたのは、“連鎖破綻”の恐怖のせいだった」「債務国が採用した緊縮政策は一定の効果を上げたが、それでも経常収支の改善分を上回るペースで債務が増えていく国もあった。この問題を認識した民間銀行は、貸倒引当金を積み上げていった…やがてブレイディ債(途上国の、さらなる債務削減や金利減免を条件に、IMFや先進諸国が担保を保障した債権。債務国の債権と借り換えることで銀行も売買しやすくなる)が考案されてこの問題は決着を見る」「それ以前は、ひとたび信用危機が起こると、再発を防ぐために、危機の原因となった金融機関は、より厳しく監督されるのが常だった。だが、レーガン政権時代、市場原理主義がすでに力を得ていたとあって、途上国債務危機は逆の結果を招いてしまう。アメリカの銀行は、危機以前に比べて、事業の自由度を高めたのだ。アメリカの金融業界に対して施行されていたさまざまな規制は、段階的に撤廃されていった」「アメリカの銀行は、支店の新設も、州を超えた合併も、新規事業への参入も、すべてが許されるようになった。証券業務と銀行業務を分離していた規制も全面的に廃止となる。『団結貸し付けシステム』への参加が管理の負担になった民間銀行は、自行のバランスシートに記入される債権をなるべく減らしたかった。そのためには、債権を一まとめにして規制当局の監督外にある投資家に売り飛ばせばよい。かくして、それ以前とは比べ物にならないほど洗練された金融商品が多数、新たに開発されるようになった」「リスクが広く分散された結果、個々の金融機関や投資家が引き受けることのできるリスクは大きくなっていった。だが、不幸なことに、そのリスクは事情を熟知している金融機関を素通りし、実情をよく知らない投資家に負わされていった。さらに悪いことに、新しい金融技術があまりにも洗練されすぎていたために、規制当局はそれらに内在するリスクを正確に計算することが不可能になってしまった」「市場参加者が作ったリスク計算に依存するという決断を下したことで、規制当局は海底から錨を引き上げてしまったも同然だった。信用膨張の大波にさらわれ、金融市場は大々的な漂流を始めたのである」。

(事例研究3)「複合不況」(宮崎義一、1992年)
80年代の土地・株バブルの生成過程が詳細に論じられています。簡単に要約することは困難ですが、“急激な円高ドル安に直面した日銀が@大規模な円売り・ドル買いで大量の通貨を市場に供給するとともに、A歴史的低水準への公定歩合引き下げで対応したことで生じた大量の資金が銀行を通じて土地と株に流入し、B証券市場から直接資金を入手した企業が「財テク」でさらに土地と株に資金をつぎ込んだ”と言えると思います。またこうした過程を制度的に促進する金融自由化が「日米円ドル委員会」によって推進された。
(事例研究4)「金融デフレ」(1998年、高尾義一)
“住専処理の過程で日本の金融システムは国際的な信用を失い、インターバンク市場で「ジャパンプレミアム」を課され資金調達が困難となった。日銀が邦銀の資金繰りを円滑にするため超低金利でこれに対応したところ、邦銀は日銀から調達した資金をユーロのインターバンク市場に送金し(3四半期で17兆円)、自己資本比率8%に対応して日銀から借りた資金の12.5倍212兆円を貸し出したと推測される。欧米の銀行は邦銀から借りた円をヘッジファンドなどを通じて運用し、ヘッジファンドはさらにレバレッジを効かせて25倍の資金を運用したとも言われる。この莫大な資金が米株価を押し上げ、株バブルを推進することになった”。

(事例研究5)米帝住宅バブル。(「前掲「ソロスは警告する」」
「危機の起源は、2000年後半に起きたインターネット・バブルの崩壊に求められる。当時、FRBは6・5%もあったフェデラル・ファンド金利(FF金利=銀行間の短期金利)を、わずか数カ月のうちに3・5%まで引き下げてバブル崩壊に対応した。ところが、2001年の9月11日に同時多発テロ攻撃が発生する。この事件が、バブル崩壊ですでに弱っている経済へ、さらなる悪影響を及ぼす事態を回避するために、FRBはその後も金利を下げ続けた。
ついに2003年7月には、アメリカの金利は1%という半世紀ぶりの低水準まで下がり、その後、丸一年その水準にとどまったのだった。名目上の金利からインフレ率を差し引いた実質短期金利は、31ヶ月間にわたってマイナスだった。実質金利がマイナスという超金融緩和政策は、住宅バブルと、さらにレバレッジド・バイアウト(買収対象の企業の資産を担保に多額の借金をして、買収を実行する投資手法)の爆発的増加をもたらした。
マイナス金利というのは、資金を借りるコストが事実上無料だということを意味する。資金の貸し手としては、借りたいと手を挙げる者がいなくなるまで貸し続けるのが合理的だということになる。そして、そのとおりに行動したのが住宅ローン各社だった。貸付基準を緩め、さまざまな新手法を導入して売上を伸ばし、手数料収入を増やしていったのである。
2000年から2005年半ばにかけて、アメリカの既存住宅の市場価値は、50%以上も上昇した。新築住宅の建設もすさまじい勢いで進んだ。米証券大手のメリル・リンチは、2005年前半におけるアメリカのGDP増加分のおよそ半分は住宅関連だと推計した…」

(補足)
●ヘッジファンド資金の主要な提供元は銀行と証券会社です。LTCMが98年に破綻した時も、出資した金融機関と金融システムの破綻がただちに問題となっている。
●95年に破綻した住宅金融専門会社(住専)8社は、銀行が出資し、経営陣も母体行と大蔵省が独占していた。
●グレーゾーン金利の主役も銀行。アイフル等の商工ローン・消費者ローンをトンネルにして、銀行の貸し渋りで資金繰りに困った中小企業や個人に違法な高金利で貸し付け、結局は銀行がボロ儲けした。(2009年4月中旬)


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