掛川氏の見解に応えて―架空について―

松 崎 五 郎

私の小論「搾取か収奪か」に対し、掛川氏から「松崎氏の<架空の貨幣資本>論は概念の混乱がある」と批判が寄せられたので、説明したいと思います。
@モノの現実生産がなければヒトは生きていけないし、社会はなりたたない(貨幣を食べることはできません) A資本主義では商品・貨幣は価値通りに交換される、を前提に話を進めます。
<架空の貨幣資本>という概念は 私が独自に作り出したものではなく、マルクスが『資本論』V巻5篇・利子生み資本 で展開している概念です。V巻5篇は、これまで「未完成だ」として マルクス主義者の間ですらほとんど無視されてきました。私も、2000年を前後する学習で はじめてマルクスの見解・論理を掴むことができたのです(それまで何を読んでいたのかと反省)。90年代の情勢の核心が、マルクスがV巻の3篇15章・恐慌論 と5篇で展開している論理と一致していたから、掴むことができたのだと思います。つまり、マルクスが『資本論』で論理的に明らかにした(推論した)情勢が、100年以上たって現実化したということです。
消費税。掛川氏は「100円の商品が105円で売られるかどうかは、政府の詐欺的思惑でなく、総資本と総労働の抗争の結果で決まる」と言われますが 私が問題にしたのは105円のうち100円は価値通りだが(生産・労働に対応しているが)、消費税の5円に対応する価値=生産物はどこに存在するのか? ないではないか。だったらこれは詐欺でしょうということです。労働によって生産された価値を労賃と剰余価値に何対何にどう分けるかは 掛川氏が言われるように「抗争の結果」です。しかし、100円のものを105円と見なすことは(そして5円をピンハネすることは)そもそも詐欺であり、価値通りを否定するものではないでしょうか。
国債。マルクスは架空の例として国債で説明しています。国債が単なる将来の収入に対する権利名義であれば 将来の収入=利子分は税収から出されるので 実体経済に対応していると言えます。ところが買った国債を担保にすれば、お金を借りることができます。このお金で物を買うとすれば、それに対応する物はどこに作られているのですか? どこにも作られてはいない。マルクスは28章・流通手段と資本 で 「国家証券は 即自的にはなんらの資本でもなく、たんなる債権である。それを買った者にとってのみ資本である」「なんらの現実資本でもなく、即自的にはなんらの価値でもない」と述べています。
株式。国債と同じですが、配当をあてにずうっと持ち続けているのであれば、実体経済に対応した取り分だと言えます。しかし 持ち続けないで売り買いし、その差額で儲けることは投機であり、架空だということです。市場に出回っている株が高くなろうが低くなろうが、その株を発行した会社にとっては直接は関係ないのです。
つまり「金融商品」なるものはすべて架空なのです。本来の利子生み資本=貸付貨幣資本は 売れば他人のものになるから(貨幣が手ばなされる代わりに商品が手に入る)売り買いはできなくて、貸付しかできません。「金融商品」は架空の資本だから投機的に売り買いされるのです。
例として地代・家賃をあげます。かつては店子が地代・家賃を毎月大家・地主に払っているだけでした。大家・地主はこの収入で生活していました。これは実体経済です。90年を前後する頃から土地の証券化やマンションのオーナー化が流行しますが、この取引は何ら実体経済に対応していず、架空だということです。金融商品の売買での儲けに対応するモノは どこにも創られていないのです。だから、この取引に使われているお金は架空の貨幣資本です。
実体(経済)と架空の違い・区別 分かったでしょうか。
ところで掛川氏は「なぜ金融資本という確立された概念を使わないのか」と疑問を呈しておられます。金融資本とは掛川氏が引用されたように、レーニンは「銀行と産業との融合あるいは癒着―これが金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容である」と規定しています。私はこの規定は正しいと思います。だから別の、マルクスが使った「架空の貨幣資本」という言葉を使ったのです。何故なら、今の膨大な架空の貨幣資本は産業資本とは融合していず、貸付資本として儲るところがあればこれまでの関係など気にも掛けずに投資先をさっさと変えるからです。サブプライムローン自身、貸付先は産業資本ではなく、個人、それも利子を払い続けることが困難な個人なのです。
この架空の貨幣資本による取引は90年を前後する頃から流行しだしたと言いましたが架空の貨幣資本は、実体経済(現実生産)が行き詰まって、投資先が見つからない資本=失業資本が膨らんでいく中で、しかも資本としては儲けが要るのだと登場したのです。
15章でマルクスは恐慌過程を描写していますが、その第一幕は貨幣資本の過多で始まっています。何故過多になるのかの根拠は15章では述べられていませんが、貨幣資本が過多になって利潤率が低落する、と展開しています。
現在「100年に一度」といわれる大不況が世界を覆っています。その大不況の発端はサブプライムローンの破産です。返済能力の低い人にまでお金を貸し付けて家を買わせていたのです。しかも「値上がりするから買い換えで儲る」と投機(架空)話に引きずり込んでです。つまり、産業に投資できない失業資本が膨大に存在していたことを示しています。この膨大な貨幣資本が何故生じたかは「戦争費用と経済危機」で明らかにしました。独占資本救済策にしろ戦争費用にしろ、それらの費用は国債の発行で賄っており、その国債発行によって、マルクスが言うように膨大な<架空の貨幣資本>が生み出されたのです。
恐慌過程の第二幕は、資本間の戦闘・競争戦です。証券会社の破産と買収、アメリカを代表するビッグ3の倒産の危機としてすでに始っています。第三幕は過剰資本の絶滅と生産の停止・生産手段の破壊です。架空資本から実体経済(現実資本と生産)への波及です。当然民衆の生活をも破壊します。いま米・日・欧の帝国主義は、第三幕の幕開けを押しとどめようと膨大な金をつぎ込んでいます。しかしそれは、根本原因の過剰資本を絶滅させないだけではなく、国債発行で過剰資本をより大きくするものです。3月18日米連邦準備理事会FRBは3000億ドル(29兆円)にものぼる国債買取りを決定した(日銀も長期国債の買取りを実施している)。禁じ手のいわゆる「日銀引受」であり、インフレの扉が開かれたのです。
以上簡単に見たように マルクスの推論どおりに事態は進行していると言えます。
(2009年3月下旬)


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